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4.1927 フォークロア・前[2/3]

[4-2/3]

 友達のねぐらを借りて、薄暗い中煬介は文面に何度も目を通す。そのうちに、入り口のすだれがしびれを切らせたように上がった。

「ようちゃん、まだかよ」

「あ、あとちょっと」

 覗いてきたのは、ねぐらの持ち主の幸男だった。靴磨きの油で汚れた指で鼻先を擦ると、不思議そうに首をひねる。

「薄暗えことがないなら、手紙くらい堂々と読めばいいのに」

「そういう問題じゃないんだよ」

 とにかく一人にしてくれ、と煬介はすだれを引っ張り提げる。

 ところが数分も立たないうちに、再びすだれは上げられて、煬介は引きずり出されてしまった。

「よ、よ、ヨースケ、いい加減に遊ぼうぜ」

 首根っこを掴んでいたのは、このコミュニティで一番体の大きな少年、祐作だった。こんななりをして臆病な彼は眉を下げており、乱暴な真似をした原因である隣の少女を見下ろした。

 元々ツリ目の眦をさらにつり上げ、少女―――フサは、ゆっくり地面に下ろされた煬介の手元を指さす。

「それ、誰からの手紙さ?」

「誰からだっておいらの勝手だろ」

「へえ、あたいらには言えないってのかい。あたいらのねぐらを借りて読みふけってたわりにはよう」

 けっ、と女の子のくせに唾を吐くふりなんかしたフサに、傍にいた幸男が歯の抜けた口を開けて笑う。

「フサのやつ、ヤキモチやいてンだ」

「や、や、やきもち?」

 フサにきっと睨みつけられ、幸男と祐作は黙り込む。

「とにかく、見せてみな」

「やだよ!」

「あたいだって文字ぐらい読めるもん!」

「そういうこと言ってんじゃないや、人のモン見るのはよくないんだぜ」

 煬介が言うと、幸男と祐作がうんうん頷く。それに、フサは再び忌々しそうに顔をしかめた。どんどん耳が赤くなっていく。

 フサが本気で腹を立てると、大泣きするのを知っている煬介は、面倒くさいことになる前に白状することにした。

「……おめえらがここに来る前に引っ越しちまった、おいらの友達からの手紙だよ」

「よ、よ、ヨースケの、ともだち?」

「女の子か?」

 興味津々というように幸男が尋ねてくる。煬介は首肯した。すると、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

「どこに住んでんだ?」

「と、東京」

「な、な、名前は?」

(ゆかり)だよ」

「どんな子なんだよ?」

「えーっと……」

 煬介はちらりと、黙りこくったフサの様子を窺った。

 フサは半目で煬介たちのやり取りを見ていたが、彼の視線に気づくと、ふいとよそを向いてしまった。煬介はそれに半笑いを浮かべると、空を見上げる。いつの間にやら、夕暮れだ。

「あ、もう日暮れだ。おいら帰らねえと」

「ええー、今日はほとんど遊んでねえじゃねえか」

 幸男と祐作が残念無念と叫ぶ。

 男の子たちがこうも煬介に執着するのは、こう見えて煬介は取っ組み合いになると強かったからだ。浮浪児にもコミュニティがそれぞれあって、縄張りもある。そのコミュニティ間のもめごとを解決するに最も手っ取り早いすべは、喧嘩だった。

 喧嘩に強いものは群れのかしらになる。それは、動物の世界でも子供たちの世界でも一緒だった。フサたちのコミュニティは幼いものが多く、年長者の多いコミュニティには太刀打ちできない。そこで、仲良くなった煬介が使う武芸技は、ひどく心強いものにうつったのだ。

 無論煬介も、よそで技は使わないようにときつく祖父らに言われているために、よほどの有事でなければ武芸を振るうことはない。それに、夜半訪れる鬼天狗に仕込まれた技はなんだか恐ろしい気がして、まだ誰にも使っていないのだ。普通の喧嘩なら、年齢の割に体の小さな煬介がいくら武芸を習っていても負けることはある、それでも、弱小であったフサらのコミュニティの立場が少しばかり見直されつつあるので、煬介は嬉しく思っていた。

「悪ィな、また、明日!」

「おう、気を付けて帰れよ」

「ま、ま、またな」

 手を振る幸男と祐作に一呼吸遅れて、仏頂面のフサが口を開いた。

「……明日はもうちょっと、その紫って子のこと、詳しく聞かせなさいよ」

 煬介は苦笑いでこくこくと頷くと、その場を後にした。


 こうまで緊張した面持ちの祖父を見るのは、灯里は初めてだった。

 祖父と、差し合う客の男に茶を置く。幹久の隣に灯里が座すと、客の男は深々と彼女に頭を下げた―――まるで、主君にするかのように。

「灯里様、お久しゅうございますな」

兎丸(とまる)どの」

 幹久の鋭い声に、客の男―――兎丸という名らしい―――は面を上げる。左右不釣り合いな顔に、伸ばしきらない曲がった背筋が特徴的な男だ。既に歳は知命を越えているだろう、だが、表情には力が満ち満ちている。

「こちらは兎丸銀二どのじゃ。―――して、今日は何用じゃ。連絡役も通さずに」

 連絡役、と祖父が口にした単語に、灯里は息を呑む。では、この銀二という男も、忍天狗なのだ。

 当の銀二はじっと灯里を見つめていたが、やがて重々しく平たい唇を開いた。

「当代様がご危篤でございます」

 幹久は渋面を作った。

 恭しい口調のまま、銀二は続けた。

「最期に、一目だけでもお孫様にお会いしたいと仰せ」

「断る」

 はっと灯里は幹久を見た。祖父の横顔に、隠そうともせぬ怒りがにじみ出ている。

「今更、葉隠山に行って何になる。焔村は旦影(あさかげ)どのが継ぐのじゃろう」

「当代様は、旦影さまの治世に不安を抱いておられます」

 灯里には話が見えない。―――銀二は一体何を頼みに、祖父を訪れたのだろう?

 幹久に訊こうにも、彼は痛みをこらえるように目を閉じ眉間に皺を寄せていた。

「忍天狗としての狗堂(くどう)はこの子らが継ぐ」

「それだけでは足らぬのじゃ。鬼天狗の狗堂、始末役目の使命を忘れたわけではなかろう」

「お、お待ちください」

 思わず、灯里は口論を割った。

 幹久が驚いたように彼女を見るが、気にせぬふりをして灯里は続ける。

「始末役目とは何でしょうか。わたくしの使命は監視役でございます」

「……おまえさまも、おなごであるからな」

 銀二はゆるゆると息をつく。

「始末役は、裏切りに凶手を振るうお役目じゃ。狗堂は代々そのお務めを担ってきた忍天狗の名家」

 灯里は声も出せなかった。

 その間に、苦しげに幹久が言葉を紡ぐ。

「……後生じゃ、これ以上わしらを巻き込まんでくれ。娘のときは、一切が許されたではないか」

「娘御はおなご。幹久どのの貢献に報いて、技を継がせずに済んだだけじゃ。当代様の頼みを聞き入れ、娘御を輿入れさせるときに覚悟はあったろう」

 ずいと迫り、銀二は強い口調で言った。

「さあ、選べ。孫に男子が生まれたからには―――その子に治世を委ねるか、それとも始末役目の道を負わせるか。二つに一つじゃ」

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