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2.1925 流転[4/4]

[2-4/4]

 十年ぶりに訪れた葉隠山(はがくれやま)は、変わりなく青々と葉を茂らせていた。

 幹久は足を運ぶたび思うが、ここは本当に時代の流れを感じさせない。いつまでも同じ姿のまま、住む人だけが移り変わっていく。そんな世界だ。

 連絡役を仲介に、正式なものとして実現した朱雀亭への訪問だが、幹久は腹の底に緊張感を据えて一歩を踏み進めていた。焔村(ほむら)家にとって、幹久は長子の子を誘拐した大罪人のはずだからである。

 奥の間に通されてからも、それは変わりない。

 やがて現れたのは旦影(あさかげ)であった。直接の対決というわけか、その精悍な顔には不遜な笑みが浮かんでいる。

「次代様、しばらくぶりにございます」

「どの面を下げてここに戻ってきた、幹久よ」

 正面に座した旦影に、幹久は頭を低くした。

「はっ……田舎にて閑居しております」

「そういえば、おまえが千晴の子を誘拐し養っているという証拠はないのだったな」

 思い出したように旦影が言う。

 そう、真実は如何にせよ、幹久が同居する灯里と煬介が、焔村千晴の子息という証は何一つない。焔村がそれを追求せぬ代わりに、幹久は狗堂の名を継ぐ忍天狗として孫の教育を行う。密約の下、互いに紙一重で進んできた十年である。

「―――して、用向きは何じゃ?」

「畏れながら次代様、当代様へのご相談にございます」

 暗に当代―――焔村千影との謁見を申し出たのだが、旦影はかぶりを振った。

「父上は病床じゃ。わしが聞こう」

「臥せっておられるのか」

 これには幹久も驚く。

 旦影は一笑に付した。

「大方、アカの若造どもに焚きつけられて来たのだろう? 愚かな。忍びに思想は要らぬというのに」

 やはり、共産主義に染まった忍びの若者たちの弾圧を命じたのは旦影なのだ。幹久はそれに反論する。

「しかし、罪なき者まで粛清をされたのは次代様でしょう。流れを押さえつけると氾濫が起こりましょう、これはその兆候ではございませんかな」

「……おまえは明治の改革を生きた世代か。なら、分からぬだろうな」

 ため息をつき、旦影は身を乗り出した。

「倒幕に手を貸し、新しい政府を立ち上げることに尽力したおまえたちが、この下忍たちの自我の目覚めに、革命の火の燻りを見出せんはずがないだろう。社会主義は露西亜を目覚めさせ共産主義を生んだが、我が国にもその思想は流れている―――力無き層、労働者に。だが今度の革命は成功してはならぬ。何故なら力とは持つべきものに委ねられねばならぬものだからだ」

「力あるものと共に戦った、我らの時世とは違う……ということですかな」

「そうだ。力の転覆は混乱と破壊を招く。壇上にあるものを全て叩き割るのと同義じゃ。それは避けねばならぬ」

「しかし、下層の者たちがみな、力なきものとは限りませぬぞ」

「おまえのようにか?」

 幹久はかぶりを振った。

「わしはもはや去るのみの老兵でございます」

 旦影はそれを、せせら笑った。

「忍天狗に個は要らぬ。自我に目覚めたものは処分せよ。それが、焔村の結論じゃ」

「……左様でございますか」

「これは当代様にもご理解頂けたこと。おまえがもし不平を漏らすなら、幹久、ぬしもまた忍びの本分を失うたことになるぞ」

 幹久はひれ伏した。

「滅相もございません」

「では、行け。務めを果たせ。わしが言うことはそれだけじゃ」

 幹久は操られるがごとく立ち上がると、のろのろと場を辞した。


 完全な敗北だった。幹久は葉隠山を訪れたことを深く、後悔しながら山を下りた。

 もはや忍天狗の全権は旦影にあるのだ。景色は変わらずともそこに住む人はうつろうのだと思い知る。幹久は既に老兵として去るのみなのだろう。

 自らの老いを痛感する。

 革命を行う気概など残されていない。

 重い足取りで家路を行く。長屋まで辿り着いた幹久を迎えたのは歌声だった。


 とおりゃんせ、とおりゃんせ。

 ここはどこの細道じゃ。

 天神様の細道じゃ。

 ちっと通して、下しゃんせ。

 御用のないもの、とおしゃせん……


「あっ、じいさま!」

 幹久に気づいた灯里が、ぱっと顔を赤らめた。止まった歌声に、近くにいた長屋の子供達が幹久を見る。警戒心の浮いた目だった。

「子守か。……灯里、宝治朗はおるか」

「宝治朗さんなら、そこ」

 宝治朗は軒先に立っていた。背をしゃんと伸ばし、まるで立ち合いに臨むかのような面持ちは、夢から覚めたかのような真剣みを帯びている。

「御山はいかがでしたか」

 やはり、気づいていたか。

 当然ながら幹久は、どこに出かけるかは灯里たちにも告げていない。

「受け入れられなかったよ」

 告げると、宝治朗は唇を噛んだ。

「そう、ですか……」

「もう良いか、わらべたち。わしは家に入りたいのじゃ」

「ほらほら、今日はおしまい。みんなお帰り」

 灯里の言葉に従って、子どもたちはばらばらと散っていく。灯里は幹久を振り返った。

「じいさま、煬介はまだ帰ってないよ」

 幹久は面食らったが、孫娘の真っ直ぐな目に、その言葉を理解した。

「そうか、なら都合良いな」

 天狗の話をするのには、である。


 話し合いでは、結論は出なかった。

 何度も諦めろ、と幹久は告げた。思想を捨て個を捨て、一族の一部として生きよと。宝治朗は応じなかった。一度目覚めた自我は、そう易々とは失えるものではないのだ。

 煬介が帰り、就寝し、不安がる灯里を無理に寝かせたあとの深夜、幹久と宝治朗はひっそりと家を出た。

 口で決着がつかぬ以上、幹久は務めを果たさねばならない。

 宝治朗もそれに応じた。灯里や煬介に己の思想を明かさなかったらしい、彼は仁義を尽くしていた。それを、幹久は殺さねばならぬ。

 何が正しくて、何が歪んでいるのか。

 それを考えるのはままならぬ。幹久は個を捨て、使命に従順することを決めたからだ。

 月光の下、二人は向かい合う。

 初めに動いたのは宝治朗だった。打刀が閃く。脇を狙って突き出されたそれを半身で避け、向かってくる腕を取る。肩口を当て、投げようとした矢先、宝治朗は自らひらりと舞った。距離が開く。

 攻め込んでくるくせに、型がない。骨のない動きは掴みにくく、崩しにくい。

 宝治朗が握る刀がさらに、幹久の当身を妨げる。技を入れる隙も受ける隙もない。一対一でこれほど戦いにくい相手は珍しい。

 だが、踏んだ場数の多さが雌雄を決した。

 宝治朗は幹久の誘いにのった。体を低くしてぶつかるようにその体勢を崩すと、幹久は中段を抜くように、宝治朗を押し倒した。刀を奪い、組み伏せる。

 首筋に滑らせるはずだったその刃を、しかし、幹久は躊躇った。

 刹那、かっと目を見開いた宝治朗は緩んだ戒めから抜け、間合いを開ける。

「情けを……かけられたと思って良いのですか」

「いや……」

 殺すことを躊躇ったわけではない。手が、動くのを拒んだ。汗ばむ体は限界を訴えていた。

 死線を潜るためにはいくらか、この身体は年を取り過ぎている。

 しかし宝治朗は、極められていた左腕をさすると、険しい顔で言った。

「逆の立場になりましたね」

 幹久は、奪い取った打刀を投げ捨てた。

「武器は使わぬ、来い」

 それを侮辱ととったか、挑発ととったのか。宝治朗は気合を上げながら向かってきた。構えをとり、幹久はその身体を絡めとる。だが投げようとしたとき、掴んだ腕を逆さに取られた。

 しまった―――

 返し技をかける間もない。勘が鈍るとはこのことを言うのだ。

 首を極める体勢に宝治朗が入る。幹久は抵抗しようにも、指一本自由に動かせなかった。

「大恩ある身、この場は退きましょう」

「宝……治、朗」

 意識が遠のく。崩れ落ちる寸前の幹久に、宝治朗は告げた。

「ご隠居召されよ。あなたがたの時世は過ぎたのだ」


「じいさま、あたし、一人前の忍天狗になったから」

 ついにか、と幹久は頭をがつんとやられた気分だった。

 宝治朗に敗れた夜明け、長屋に帰った幹久を、灯里が出迎えた。孫娘は汗と土にまみれた幹久に何も言わず茶を出すと、その正面に座してそう言ったのだった。

 灯里は一本気を表した真っ直ぐな目で、祖父を見据えている。

「あたしは狗堂のお家を継ぐつもりだよ。じいさま、賛成しておくれね」

「灯里よ、おまえ、先生になりたいのではなかったのか」

「先生にはなるよ。そのためのお金も援助してくれるんだろ、天狗になれば」

 正座した膝を掴む手に力を入れ、灯里は続けた。

「じいさま、宝治朗さんは殺さなかったんだろう。宝治朗さん、発つ前に挨拶しに来たから」

 正確に言えば殺せなかった、だが。押し黙る幹久に、灯里は気丈に振る舞う。

「だからさ、じいさまは晴れて、御隠居になったんだよ。もうお務めも何もない、これからはあたしが……何とかするからさ、だから」

「灯里……」

 あのとき、何故手を緩めたのか。

 老いは言い訳になるか、否か。そもそも立ち会いを挑んだことが間違いだったのだ。不意を取ってしまえば、あっさり殺められたものを。

 そのせいで失ったものは大きい。

 悔恨の念が、幹久を揺さぶる。

「すまぬ」

 それだけ言うのが、精一杯であった。

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