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第三章 深淵を照らす灯 そのニ

 少女はゴミに埋もれた孤月の腕を掴むと呼吸を荒げながら引っ張り始めた。だが軍事用強化骨格と複合装甲に覆われた孤月の質量は百八十キロを超える。スラムに住むような栄養失調気味の少女の細腕では動かせるはずもなかった。


 数分の無駄な格闘の末、少女は肩で息をして諦めたようだった。


「待ってて!」


 そう言い残し、少女はパタパタと走り去っていった。


(賢明な判断だ)


 孤月は安堵した。排熱ダクトからプシューと蒸気を逃がした。


(俺に関わるな。このままここで土に還らせてくれ)


 再び思考をシャットダウンしようとした、その時だった。


 ズズズと複数の足音がゴミ山に響く。戻ってきたのは少女一人ではなかった。五人いや十人近いスラムの悪ガキどもを引き連れて帰ってきたのだ。彼らは鉄製の台車をガラガラと押してきている。


「あそこ! あそこにおっきいロボットがいるの!」

「すげえ! ヒナの言った通りだ!」

「マジかよ、これ軍の新型じゃねえか? 高く売れるぞ」


 子供達の目は輝いていた。それは純粋な好奇心とスラムの住人特有の浅ましい欲望が混じった目だった。


 子供達は孤月を取り囲むと、慣れた手つきで作業を開始した。


「おい、そのままじゃ持ち上がんねえぞ。多分二百キロぐらいある」


 年長らしき少年が指示を飛ばす。


「台車を倒せ! テコを使え!」


 彼らは台車を横倒しにして孤月の背中に密着させると、鉄パイプを孤月の体の下に差し込み、テコの原理で強引に台車の上へと転がした。


 ガコンッと重い衝撃が走り、孤月の視界が回転する。


(……手慣れてやがる)


 孤月はされるがままだ。彼らにとって重いスクラップを回収することなど日常茶飯事なのだろう。


「よし、載ったぞ! 起こせ!」

「せーのっ、よいしょ!」


 掛け声と共に、十人がかりで台車ごと孤月を起こす。


(おいおい、止めろ。俺をどこへ連れて行く気だ)


 孤月は抵抗しようと試みたが、駆動系への電力供給はカットされている。念を失って機能停止寸前の孤月に抵抗する術はなかった。


 ドナドナと台車で運ばれ、孤月はゴミ山から搬出されていった。


 運び込まれたのはスラムの商店街とゴミ山の間に建っている、トタンと廃材を継ぎ接ぎして作られた長屋のようなバラックだった。屋根が波打っており、壁の隙間からは風が入り込むようなボロボロの建物だ。このバラックが少女の住んでいる家らしい。


 室内には真ん中にちゃぶ台が置かれ、隅に手作りの棚や天体望遠鏡がある。辺りにゴミ山で拾い集めた物が雑然と置かれている。やや狭い四畳半の空間であった。壁は色とりどりの布で覆われ、町で撮った様々な写真が貼られている。ここが少女の部屋らしい。


 子供達は孤月を少女の部屋の隅にドスンと下ろした。そうして満足そうに騒ぎながら帰っていった。


 残されたのは最初に出会った少女だけだ。


 孤月は警戒レベルを最大に引き上げた。


(……いよいよ解体ショーの始まりか)


 ここはスラムだ。軍用サイボーグのパーツは闇市で高く売れる。カメラやセンサー、人工筋肉の繊維、動力炉……他にも高価な物は色々ある。それらをバラバラにして売り払うつもりだろう。さあチェーンソーでも何でも持ってくるが良い。抵抗はしない。それが人殺しの末路には相応しい。そう孤月は思った。


 孤月は覚悟を決めてシステム休止モードという名の死んだふりを続けた。


 だが少女が持ってきたのは工具箱ではなかった。


 水で濡らしたボロ雑巾だった。少女は孤月の泥だらけの装甲を丁寧に拭き始めたのだ。


「……?」


 孤月は意味が分からなかった。


(こいつは何をしている? 汚れを落としてから解体するつもりか?)


 少女は鼻歌を歌いながら、こびりついた油汚れや血糊を拭き取っていく。その手つきは壊れた殺人兵器を相手にしているとは思えないほど優しく、慈しむようであった。


 それからの一週間は孤月にとって理解不能な日々の連続だった。


 少女は仲間達から『ヒナ』と呼ばれていた。ヒナは毎日、死んだふりをする孤月に話しかけ続けた。


「今日はね、パン屋さんのお手伝いをしたの」

「雨が降ってきたよ。屋根の隙間、直さなきゃ」

「見て、綺麗な石を拾ったの」


 他愛もない日常の報告だった。ヒナは孤月がまるで生きている聞き手であるかのように、楽しそうに語りかける。


 孤月はその間ひたすら沈黙を守り、死んだふりを貫いた。だが内心ではいつ解体作業が始まるのかと戦々恐々としていたのだ。


 ある日のことだ。


 ヒナはどこから摘んできたのか、黄色い野花で編んだ飾りを持ってきた。ヒナはそれを孤月の無骨な首元にかけた。黒く冷たい殺戮兵器のボディに可憐な花。それはあまりにも不釣り合いで、ちっとも面白くない馬鹿馬鹿しい光景のはずだ。


 けれどもヒナは一歩下がって孤月を眺めると、悪戯をした子供のようにシシシシと悪い笑みを浮かべた。


「うん、似合う。かっこ良い」


(……)


 その笑顔を見た瞬間、孤月の中で張り詰めていた何かがプツンと切れた。


 恐怖ではない。警戒心でもない。それはどうしようもない根負けだったのだ。


「……いい加減にしてくれ」


 一週間ぶりに発した音声は錆びついた金属のように酷く掠れていた。


 ヒナが驚いて目を丸くする。


「喋った!」

「俺に関わるな。放っておいてくれ」


 孤月は努めて冷淡に突き放した。これ以上この無垢な光に晒され続ければ、自分の影の濃さに耐えられなくなる気がしたからだ。


 ヒナは小首を傾げる。


「どうして?」

「俺は……壊れているからだ」

「壊れてないよ。だって、お話できるもん」


 孤月は自嘲気味にノイズを漏らす。


「俺は……お前が思うようなかっこ良いロボットじゃない。ただの呪われた鉄屑だ。背負った罪で今にも装甲が圧し潰されそうなんだ……。だから、今更人間のようには生きられない」


 重い沈黙が落ちた。


 ヒナは真剣な表情で孤月を見つめ、恐る恐る尋ねた。


「どんな罪? ……お腹減って電池とか盗っちゃった?」


(んなわけあるか)


 孤月は心の中で即座に悪態をついた。スラムのガキの発想などその程度か。物を一つ盗んだ程度で死にたがる馬鹿がどこにいる。


「何でも話してみてよ!」


 ヒナの瞳はどこまでも澄んでいた。その碧い光に射抜かれ、孤月は観念したように話す。


「人を殺した」


 ヒナが息を呑む気配がした。


 当然だ。これで軽蔑される。恐怖して逃げ出すだろう。それで良い。それで終わりだ。


 だが、孤月の口は止まらなかった。まるで長年詰まっていたヘドロが溢れ出すように、言葉が零れ落ちる。


「……俺は、世界で一番大切な人を殺したんだ」


 言い訳のしようもない。弱かったから、愚かだったから、自分は楓先生を殺した。そしてそれを仕組んだ男に復讐するために、軍に魂を売りさらに多くの人の血で手を汚した。泥沼のような生き方だ。


「……その後も罪を重ね続けた」


 孤月は告白を終え、審判を待った。罵倒か、悲鳴か、あるいは無言で立ち去るか。


 しかし聞こえてきたのはそのどれでもなかった。


「び、びぇぇえええええええええんッ!」


 サイレンのような、大音量の泣き声だった。孤月の聴覚センサーが音割れ警告を出すほどの勢いで、ヒナは顔をくしゃくしゃにして泣き出したのだ。


「……は?」


 孤月は呆気に取られた。


 ヒナはボロボロと大粒の涙を零しながら、子供のように泣きじゃくる。


「うわあぁぁぁん! 悲しいよおぉぉぉ!」

「お、おい。なぜお前が泣く」

「だってぇぇ……だってぇぇ……」


 ヒナはしゃくり上げながら、ボロボロと涙を零す。


「世界で一番大切な人を……。そんなの、辛すぎるよぉぉ……」


 恐怖ではなかった。断罪でもなかった。


 それは純度百パーセントの悲しみへの共鳴だった。人殺しである孤月への恐怖よりも、孤月が味わった喪失の痛みにヒナの心は震えていたのだ。


(……ああ)


 孤月は目の前で顔をぐしゃぐしゃにして泣くヒナを見つめた。


 自分は泣けない。涙腺はとっくに除去され、悲しみを感じる脳の部位さえも四年前に壊死した。そう、自分はもはや人間ではない、ただの殺戮機械なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。


 だというのにこの小さな少女は自分の代わりに泣いている。自分が流すべきだった涙を、自分が感じるべきだった痛みを、この小さな身体で全部引き受けて全力で泣いてくれているのだ。


 孤月は胸の奥の動力炉が熱く脈打つのを感じた。それは不快なエラーではなく、じんわりと広がる温かな熱量を生み出した。枯渇したはずの念が沸き出した。


「変な奴だ、お前は」


 孤月はそう呟くと動かなかったはずの機械の腕が自然に動いた。


 ヒナの頭を撫でた。

ここまでご愛読ありがとうございます。m(_ _)m

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