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第三章 深淵を照らす灯 その一

 意識の深層で警告音が鳴り止まない。


 孤月の視界の隅に映るヘッドアップディスプレイには【システム障害】【精神レベル検知不可】という赤い文字列が、壊れたネオンサインのように明滅を繰り返している。


 だがそれは孤月にとって、遠い他国の出来事のようにどうでも良いことだった。


 そこはおよそ軍人を迎えるには相応しくない場所だった。


 基地の最下層に位置するこの空間には窓はおろか換気口すら見当たらない。四方を囲むのは叫び声を遮断する分厚い防音壁だ。石膏ボードの壁面にかつてここに収容された死ボーグ達が狂乱の果てに刻んだであろう傷跡が走っている。天井の隅に埋め込まれた監視カメラのレンズが赤い光を灯してこちらを見下ろしていた。


 部屋の中央には、床に固定された鋼鉄製の椅子がある。そこに力なく座らされた孤月の延髄には、背もたれから伸びるケーブルが深く突き刺さっていた。


 孤月の数多の敵を葬った腕も、疾風の如く戦場を駆けた脚も、今は鉛のように重い。指一本動かす気力など残ってはいない。


(……寒い)


 孤月は音声出力装置を使わず、脳内だけで呟いた。


 死ボーグに温度を感じる機能はない。だというのに風馬の首を斬り落としたあの一瞬から、芯まで凍えるような冷気が身体の奥底に居座っている。


 重苦しい電子ロックの解除音が響き、分厚い鉄扉がスライドした。


 革靴の足音が三つ。


 入室してきたのは軍の上級将校、白衣をまとった技術開発局の主任、そして油汚れの染みついた作業着の整備士だ。


 彼らの視線は椅子の上の孤月を素通りし、壁面に設置されたモニター上の数値へと注がれている。まるで壊れた空調設備の点検に来たかのような事務的な態度だった。


「報告しろ」


 将校が短く言った。その声には孤月に対する敬意が感じられない。


「はっ。結論から申し上げますと……廃棄以外の選択肢はありません」


 技術主任がタブレット端末を指で弾きながら淡々と答える。


「ターゲット風馬蒼蝉の殺害確認直後より、検体孤月の精神波形は急速に減衰。現在はグラフを見ての通り、ほぼフラット……うつ状態と変わりません」

「再利用は不可能か? こいつの戦闘データは貴重だ」

「無理ですね」


 主任は首を横に振る。


「死ボーグ技術の根幹は死の瞬間に生じる強烈な念を動力源に、生体脳と機械を無理やり癒着させることにあります。通常はタナトス・インデューサーの投与により生への渇望と死への恐怖を煽ることで念を作り出しますが、こいつの場合は例外で自己の生死よりも復讐こそが原動力でした」


 主任はそこで言葉を切り、冷ややかな目で孤月を見下ろした。


「復讐を終えて目的を達してしまった今、こいつの念は枯渇して脳は生きる理由を失いました。既に自己崩壊が始まっています。今さら別の動機を与えようとしても、こいつの脳はそれを拒絶して発狂するのがオチでしょう」


 孤月は彼らの会話をどこか他人事のように聞いていた。


(ああ、そうか。……俺は壊れたのか)


「機体はどうだ」


 将校が苛立ったように視線を逸らす。


「戦闘には耐えられません」


 答えたのは整備士だった。この男は汚れた軍手で孤月の肩口にある装甲板をスパナで叩いた。カンカンと中身が空っぽであるかのような乾いた音が独房に響く。


「加速装置の代償で内部フレームは歪んでいます。一部ではありますが人工筋肉も焼き切れ、関節部は高熱で癒着しています。装甲もマイクロクラックだらけです。……正直、修理するコストで新品の量産型が作れますね」


 整備士は呆れたように肩をすくめ、孤月の胸部装甲に貼られた管理番号のステッカーを爪で剥がした。


「まさに使い潰された鉄屑です」


 室内には冷却ファンの回る低い音だけが残った。


 将校は一度だけ鼻を鳴らし、汚いものを見るような目で孤月を一瞥する。


「つまり、こいつはもうただの産業廃棄物ということか」

「左様で」

「ならば処分だ。解体処理班へ回せ。レアメタルくらいは回収できるだろう」


 その命令に、整備士が頭を掻きながら口を挟む。


「あー、閣下。申し上げにくいのですが……現在、解体炉はフル稼働中でして。先日の市街戦で出たスクラップの処理で手一杯なんです。こいつのような高密度の軍用装甲を溶かすには三週間待ちになります」


 将校の眉間に深い皺が刻まれた。


「チッ。たかがゴミ一つのために場所を塞ぐな。管理コストの無駄だ」


 将校は懐から葉巻を取り出し、火をつけて口に咥える。


「……スラムの処分場へ捨てておけ」


 将校は主任にそう命じた。


「は?」

「どうせあそこは地図にない場所だ。不法投棄の山に鉄屑が一つ増えたところで誰も気にせん。書類上は『戦闘による全損・行方不明』として処理しておけ」

「了解しました」


 主任は頷いた。


 話は終わった、とばかりに三人は踵を返す。


 去り際、整備士が一つだけ憐れむように、あるいは嘲るように孤月を見た。


「……最強の死ボーグ兵も終わってみればただのガラクタか。可哀想なこった」


 そう言って整備士は孤月に廃棄品扱いとした打刀を持たせた。守り刀ということらしい。


 重厚な扉が閉ざされて照明が落ちる。


 完全な闇と静寂が戻ってきた。


 処分。廃棄。


 その無慈悲な響きすら、今の孤月には子守唄のように心地よかった。



**********



(……ここは静かだ)


 孤月はシステム休止モードに入り、多くの機能を遮断して深い闇へと沈んでいった。


 そうしてどれほどの時が流れただろうか。振動、衝撃、重たい何かが積み重なる感覚があった。だが孤月はピクリとも動かない。今の自分はただの壊れた機械だ。誰かに運ばれ、放り投げられようと知覚する必要すらない。


 孤月は機械だろうと人間だろうと変わらない己の精神に意識を向けていた。いわゆる黙想というやつだ。


 風馬蒼蝉に復讐してから、百二十時間ほど経過していた。その間、補給も受けず、睡眠も取っていない。それどころか孤月は何もしていないし、記憶もしていなかった。


 孤月の復讐は果たされたはずなのだ。


 ただ、実感が湧かない。


 復讐が終われば何かが劇的に変わるはずだった。死んだ先生を思い、悲嘆に暮れるはずだった。同時に新しい人生が始まり、歓喜に満ち溢れるはずだった。


 それがどうだ? 心の奥を覗いても、湧き上がる感情は何一つない。


 孤月にとって時間は不変で一秒一秒の積み重ねが流れるだけ。楽しい時も悲しい時もなかった。いつだって視界に映る景色はセピア色で、遠い日の思い出のように朧気だ。刀を幾度も振るって傷つけたり傷ついたりしたが、心はすっかり麻痺して何も感じなくなっていた。


 仇を殺せば何もかもが変わると思っていた。


 しかしそんな魔法やまじないなどあるはずがなかった。


 孤月の心は枯れていた。


(もっと晴れ晴れするものだと考えていたのだがな……)


 孤月は今の自分について考える。夜行半月という人間はとっくの昔に滅んでいて、今ここにいる自分は魂の残りかすに過ぎないのではないか。だから人間のように振る舞えないのではないか、と。


「……」


 孤月はただ静かに黙想を続ける。


 実のところ、復讐など必要なかったのかもしれない。


 四年という歳月が、業火のように煮え滾っていた心を風化させていたのだ。そんな孤月を長く狂気じみた復讐に駆り立てていたのは、自分だけがのうのうと生き残った負い目と故人を弔わねばならないという義務感だけだったのかもしれない。そのようなことを孤月は薄々感じてはいたが、心の奥底に隠して見て見ぬ振りをしてきた。


(現実を直視する時が来たというわけか)


 孤月は脳内にある記憶装置から一枚の古い画像ファイルを開く。そこには仏頂面の自分と優しい微笑みを浮かべる先生がいた。この画像だけが伊藤楓という人間がいたことを証明してくれていた。


(正確に思い出せない……)


 強いストレスを回避するため、心に歯止めが掛かっているようだった。ありがたいことに画像を見なければ死んだ先生の顔も思い出せないまでに記憶が霞んでいる。


(俺は俺が思っているほど、人間らしく振る舞えない。先生のために涙の一つも流せやしないのだ……)


 孤月は顔すら思い出せない先生に懺悔した。


 そうして孤月は暗く孤独な精神世界に引きこもる。そこで孤月は退屈しのぎや気まぐれとしか思えない誤作動を起こした。


 カメラを作動させたのだ。つまり、目を開けたということだ。


「ワっッ!」


 孤月は短く、ノイズ混じりの声を漏らした。


 目の前に少女がいた。


 そこは夜明け前のゴミ山だった。


 孤月に搭載されている暗視カメラで確認すると、辺りには冷蔵庫や電子レンジのような電化製品からタンスや椅子などの家具、他にも空き缶やビニールやプラスチックや使い古されたガラクタが積み重なり、投棄されていた。廃材の隙間には昆虫やネズミの影が素早く動いている。


 そこは朽ち果てるに相応しい場所であった。


 ただそこにゴミ漁りをしている少女がいた。年は十二か十三歳くらいだろうか。背は低く髪は肩にかかる程度だった。頭にヘッドランプを付け、大きなリュックサックを背負っている。薄汚れたジャンパーに動きやすそうなジーンズを穿いた元気そうな少女だった。


「んぅ?」


 孤月の発する音に気付いたのか、少女が不思議そうに近付いてくる。


 孤月はなぜだか良く分からないが妙な焦りを感じた。カメラを作動させたままフリーズする。動物に例えるなら、それは死んだふりだった。


 少女が孤月の頭部を両手で挟んで凝視してくる。孤月の視界は少女の顔でいっぱいになった。


 その瞬間、孤月の思考回路に電流が走った。孤月は少女の瞳に色彩を感じたのだ。この色褪せたセピア色の世界で、覗き込んできた少女の瞳が透き通るような碧色を湛えていた。


「……ッ」


 孤月は言葉を失う。


「貴方、生きているの?」


 少女が問う。


「…………ウ、むぅう……」


 スピーカーから発せられたその声はノイズの混じった耳障りなものであった。しかし確かに、孤月はそう答えていた。


 その時、ゴミ山に輝く朝日が差し込み、少女と孤月を照らした。


 少女との出会いは小さな希望だった。その取るに足らない希望の灯が、孤月の光のない暗闇の世界をほのかに照らし出したのだった。

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