第二章 紅に染まる手 そのニ
「この村で薄翅蜉蝣衆と名乗る賊を匿っているとの報告を受けている」
孤月を含めた隠密機動隊・影兵の死ボーグは見事に夜襲を成功させた。武器を手に取った敵兵は全て殺害した。
残ったのは幼児やその母親、そして老人ぐらいなものだった。合わせて三十人ほど。その全ての武装解除を確認後、孤月は湖を背にする形で彼らを一列に並ばせた。
背後には鉛色をした巨大な水面が広がっている。早朝の冷気を孕んだ風が湖面を撫で、さざ波の音だけが静まり返った村に響く。村人達の足元は泥と砂利の混じった湿地帯で、一歩下がれば底知れぬ深淵が待っている。まるで皆殺しにして湖の藻屑にしてやると言わんばかりの布陣だ。
夜が明け、新しい朝が来た。ここから先は人間の時間ではない。
「反乱分子は速やかに排除されなければならない。我々はそのためなら民間人への攻撃も許可されている。だが、貴様らが薄翅蜉蝣衆の身柄を差し出せば我々は何もしないし、犯人隠匿罪で逮捕することもしない!」
孤月が大きな声で周りに訴えかけた。その声は湖上の冷たい風に乗って反響した。
(そんな美味しい話、あるはずがないのだが)
辺りが少しざわつく。村人が互いに目を合わせ、無言で探り合いはじめた。降伏の兆候だろうか? 人は追い込まれると些細な希望にすらすがるものだ。孤月はそのあさましくも哀れな心理を冷ややかに見つめる。
「報奨金も出そう!」
孤月は長い長い村人の腹の探り合いを見届ける。そして彼らは最終的には静寂という応えに至ったようだ。
「来い……」
口だけではどうにもならない。口で言って分かり合えるなら争いなど起こらないのだ。できれば犠牲は少ない方が良い。だがこう結託して匿われるとやり方がない。最終手段に打って出るしかない。
孤月は自然に一番効果的に恫喝できるであろう人選をした。近くにいたまだ四つくらいの少年の髪を掴むと、村民の前に引き摺り出す。
「……『暁ノ鴉』を」
「どうぞ」
孤月は紫電改に預けていた特注品の高周波打刀『暁ノ鴉』を受け取る。
「いやだ、やめて、母ちゃん助けて! 母ちゃん!」
「お願いします。うちの子に乱暴をしないで! お願いします!」
そして打刀を鞘に入れたまま、ゆっくりと振り上げて天にかざした。そのまま渾身の力で思い切り少年の顔面を打擲。
――メキ――
――メキ――
少年は言葉を失い、ぐらりと土に倒れこんだ。
即死である。
「ホームラン!」
紫電改が愉快そうに言った。
孤月は心の中で舌打ちをする。
「いやああああああああああ!」
静まり返っていた湖畔に鼓膜を引き裂くような悲鳴がこだました。そして手遅れと思われるが母親が子供を庇うように体に覆い被さる。だが孤月は母親ごと打った。一度ではない。二度、三度、滅多打ちだ。
孤月の打刀の鞘は刀身よりかなり太く設計され、素材は鋼鉄、先端には鉛が埋め込まれていた。そうすることで敵の攻撃を受けたり、鈍器として使ったりもでき、更にはそのまま投擲することもできる。そのような物で何度も何度も殴りつける。悲鳴が途絶えても肉を潰す鈍い音がするし、骨を砕く感触はいつまでも手に残る。
五度、六度、七度。過剰な暴力、虫のように蠢いていた肉塊はとっくに動かなくなっていた。
孤月の機械の体が熱を帯び、装甲に付着した雨がどんどん蒸発して白い煙をまとう。それは圧倒的な快感によるものだろう。これが拒否反応である筈がない。脳内麻薬が分泌されすぎたのか現実感が乏しい。酷い頭痛がする。食事なんてしていないのに、吐き気もする。
少年の顔は陥没し脳が零れている。母親は背中を何度も打たれ、内臓と脊髄を損傷し、背骨がぐにゃぐにゃと歪んで人としての形を失っていた。
惨たらしい光景。また二つ、母と子の躯が出来上がった。ぬかるんだ地面が流れ出た鮮血を吸って赤黒く変色していく。
「は、はぁあ……」
孤月はまた殺人を犯し切った。
(俺は心を捨てた人でなしのはずだ。こんなことをしても何とも思わない)
孤月は自分に言い聞かせる。だが何故だか分からないが頭が割れそうで、胸の動力炉が破裂してしまいそうな感覚に陥る。
辺りから憤怒の囁き声が聞こえてくる。
やめろ、やめろ、やめろ。犬め、政府の犬め。戦時では我々を見捨てた癖に、我々を守ってくださった薄翅蜉蝣を踏みにじる。権力を背景にした暴力なら正当化されるというのか卑怯者め。そういう声があちこちから漏れ聞こえてくる。
老人はただ祈り、少女は涙を流し、大人達は掌に爪が食い込むほど拳を握りしめ、耐えていた。
「こうなりたくなかったら逆らうな。もう一度聞く。薄翅蜉蝣衆の身柄を差し出せ」
「……」
再び静寂。睨む視線は敵意に満ちていた。
「へぇ」
先ほどまで様子を伺う気配を見せていたが、一度決意を固めると中々手強い。これでも屈服しないとはなかなか気骨があるじゃないかと孤月は感心させられた。しかしこれでは仕事にならない。孤月は薄翅蜉蝣を殲滅せよとの命を受けている。隠れられていると探すのが面倒なのだ。
「これは貴様らの蔵から見つけた物だ。良い玩具を持っている」
孤月はハンドサインで仲間の死ボーグに合図を送る。仲間の死ボーグはキュルキュルと車輪を軋ませて、大砲のような鉄塊を引き摺り出してきた。
それは村民達が集められた箇所から三十メートルほど離れた位置に、砲口を向けて設置された。
「歩兵砲……」
村民の誰かが絶望に染まった声でそう呟いた。
「構え」
それは大戦期の遺物、九二式歩兵砲だった。
車輪まで鉄で造られたそのシルエットは、まるで泥の中にうずくまる黒いヒキガエルだ。極端に短い砲身が不気味に空を仰いでいる。最新鋭の死ボーグとは対極にある錆と油の匂いが染みついた古びた殺戮兵器であった。だが生身の人間をミンチにするには十分すぎる火力を持つ鉄の塊だ。
仲間の死ボーグが歩兵砲に榴弾を押し込み、砲身の角度を調整する。その金属音が処刑のカウントダウンのように響き渡った。
向けられた砲の先、射線上には兄と妹と思われる小さな子供がいた。最初は手を繋ぎ寄り添うだけに留まっていたが、砲を向けられると兄は妹の頭を抱きしめ、震えて目を閉じた。
「撃て」
孤月が冷徹に合図を出す。
腹に響く発射音と共に、砲口から火炎と鉄の塊が吐き出された。
それと同時、視界の外で村民達の中から影が飛び出した。
紫電一閃。
初老の男が滑るように動き、小さな子供二人の前に立ちはだかる。
「っ!」
孤月は目を疑った。
轟音と土煙。そして金属が悲鳴を上げるような激突音が響いた。
それは紛うこと無く前蹴りだった。突き出された足底が、放たれた砲弾を正面から受け止めたのだ。人間業ではない。人間なら問答無用で砲弾に潰されて即座にお釈迦だ。
「ぬんッッ!」
初老の男は受け止めたその足を、強引に上に逸らす。
砲弾はその軌道を変えられ、前方上空へ、村民を避けるように逸れて飛んで行った。それと同時、受け止めた男の体は衝撃で弾かれ、曲芸的に荒々しく後方転回しながら村民達へ向かって着地した。
ズシンという重たい音が辺りに響く。衝撃で巻き上げられた土埃が朝霧に混じって視界を白く染めた。
「その力、俺達と同じか……?」
孤月は確信する。
九人の死ボーグ達の動きが一瞬ピタリと止まった。そして皆が抜刀し重心を落とし、臨戦態勢の構えを見せた。
「皆待ってくれ。ここは俺にやらせてくれ」
孤月は仲間の死ボーグを制し、ゆっくりと前へ出る。
初老の男は村人に支えられゆっくりと立ち上がる。
「皆の衆、世話になった」
「いけません風馬様」
「ダメです。行ってはダメです」
「殺されちまう」
村民が次々に制止の声を漏らす中、霧が晴れるようにその全貌が露わになった。
「風馬……貴様も死ボーグに堕ちたか」
そこにいたのはかつての上官、風馬蒼蝉の成れの果てだった。
風馬は体を隠していた忍び装束を脱いだ。
身長は一メートル八十センチ程度。骨格はやや太め。そして孤月のような洗練された流線形のフォルムではない。無骨な鉄板を継ぎ接ぎしたような、荒々しく肥大化した装甲。肩や背中からは排熱パイプが剥き出しになり、そこからシューシューと白い蒸気を吐き出している。
顔の右半分は金属パーツで覆われ、残った左半分だけがかつての風馬の面影を残していた。だがその残った左目も今はドス黒い念の光を宿し、異様な輝きを放っている。
かつて死ボーグを作り出した男が、今は自らも死ボーグへと変わり果てていた。
「返り討ちにしてくれる」
風馬の義体がギチギチと音を立てる。その声はスピーカーを通したノイズ混じりのものだが、確かに風馬のものだった。
風馬は孤月を睨むと悠然と歩き出そうとする。だが前に出る風馬を両手を広げて止める者がいた。
「……」
「……」
先ほど砲撃に晒されかけた兄と妹だ。大人を止めるにはあまりに小さいが、それでも精一杯体を広げて通せん坊をする。小さな瞳には強い意志が宿っていた。
「達者でな」
風馬は腰を落とし、二人を抱きしめる。鋼鉄の腕が壊れ物を扱うように子供達を包み込んだ。
そして風馬は二人を優しく押し退け、戦場へと歩み出た。
孤月と風馬が湖畔で相対する。
「……風馬、ようやく会えた」
まだ孤月と風馬の間には十五メートル程の距離があった。
風馬はおそらく刀が仕込まれている杖と太腿に格納されていた短刀を取り出し腰に下げた。そして仕込み刀に手を掛け、低く構えた。いわゆる居合の構えのようであった。
そして風馬は孤月に問う。
「なぜ儂を追う?」
「理由は二つある。一つは任務。もう一つは弔いのためだ。伊藤楓という名を覚えているか?」
「ほっほっほっ、なるほど、私怨か。楽しみじゃ」
「俺は、この時を、ずっと……ずっと待っていた」
孤月は打刀を高く、天に向かって掲げた。いわゆる八相の構えだ。
静寂、静かな風が二人の間に吹く。孤月の深紅のマフラーが風になびく。地面が僅かに揺れた。地震だ。
それが合図となった。
「加速装置ッ!」
「加速装置ッ!」
孤月と風馬、二人が同時に吠えた。
孤月に口はないが、奥歯のスイッチを噛み砕くようなイメージでそれを起動させた。脳髄の安全装置が外れる音がした。
加速装置、それは死ボーグの義体に施された安全装置を強制解除し、全身の駆動系への電力供給を限界まで高める禁断の機能だ。発動時間は僅か数秒。だがその間、身体能力は通常の五倍へと跳ね上がり、同時に脳内クロックをバーストさせることで主観的な体感時間を二十倍にまで引き延ばす。
世界が泥のように重く、緩慢になる。
落ちる雨粒が、風に揺れる木々の葉が、スローモーションになる。
「疾ッ!」
「勢ッ!」
孤月と風馬は加速装置を使用している者にしか聞こえない、加速された掛け声を出す。減速して見える世界の中で、孤月と風馬は全力で相手に向かって駆けた。両者の距離は十二メートル程あった。
孤月はこの時、捨て身の覚悟であった。
孤月は敵を前にしても決して臆さず、減速せず、むしろ戦闘による感情の昂りで増した脚力と瞬発力でぐんぐん加速する。孤月は加速することで、風馬の振り遅れた仕込み刀よりも先に自分の打刀で斬り付けることが出来ると考えた。
ここで孤月に衝撃が走った。
(馬鹿な、速すぎる)
両者の距離はまだ六メートル離れている。この間合いで振っても刀は当たらない。だが風馬は左腰の仕込み刀を右手で素早く抜刀した。そしてそのまま腰の回転力を使って横一文字、地面と水平に一閃斬り付ける。…………のではなく、そのまま右手側に仕込み刀を放り捨てたのだ。
(なッ!?)
風馬はあえて自分の一番の武器を捨てることにより、こちらの視線を捨てた武器に流すよう誘導するつもりなのだ。そう孤月は瞬時に悟った。
『刀隠しの秘剣、逆抜き不意打ち斬り』
偽りの居合は二度放たれた。
風馬は右手の仕込み刀を捨てた直後、左腰にある短刀を左逆手で抜刀したのだ。
「このッ! 詐欺師がッッ!」
だが孤月は惑わされなかった。それは風馬が心の底から渇望した仇人であったからだ。執念があった。目を離すわけがなかった。
孤月は風馬の短刀を確認すると渾身の力で全身を制御し、両足を止めた。そのまま上体を無理やりずらして仰け反った。
「むんぅうう!」
風馬が唸る。
神速の居合術であった。だが左腰にある得物を左逆手で抜刀して斬り付ける場合、通常の居合とは違い腰の回転力は使えない。更にその居合は斬り上げるため重力に逆らう形となる。勢いもなく、純粋に腕力のみで斬らなければならない。
だから風馬の狙いは柔らかい急所のみ。孤月は咄嗟に右半身を前に晒して正中線を隠したため、狙える急所は重要な配線の密集した首ぐらいなものである。風馬はリーチの短い短刀を孤月の首に当てるため、孤月の懐に果敢に跳び込んできた。
「速いッ!」
「ちぃいイイイッ!」
風馬は短刀の峰に空いた右手を下から添える。人間でいう頸動脈を目掛け斬り上げる。その刃は仰け反った孤月の肩の装甲に突き刺さり、三センチメートルまで斬り込んだが、それで止まった。
「ヂッッヅアァァッッ!」
そのまま風馬が孤月に向かって突進した形となり、上に風馬、下に孤月という形となる。そして地面のぬかるみに倒れ込んだ。風馬がその体で上から圧力を掛け、右手で孤月の打刀を押さえながら、左手に持った短刀で再度孤月の首を狙う。
孤月は打刀を風馬に押さえられていたため足を使った。孤月は泥水に背中を預け、巴投げの要領で風馬の巨体を右足で跳ね上げた。
「ぐッ」
腹を強く蹴られ、風馬が浮いた。僅かな隙ができた。
孤月は腰に格納されている脇差を抜くと風馬の鳩尾を強く突いた。風馬の死ボーグの体に流れる人工血液とオイルがボトボトと落ちる。風馬は孤月の頭上を超えて後方に投げられる。
「儂も年を取ったものよ……」
孤月と風馬の加速状態が終了した。
風馬は背中を地面に付けるように投げられ、上体だけを起こした姿勢になる。そして風馬は自らの動力部の中枢から漏れた人工血液を見て、動きが止まった。
そして孤月はすぐに立ち上がって風馬の首に打刀を振り当てた。孤月の一撃はそのまま風馬の頸動脈に当たる部分を切り裂いた。シュウっと風馬の首から噴水のようにオイルが吹き散らされ、孤月は飛沫を浴びる。
風馬はゆっくりと、大地に身を委ねるように仰臥する。
孤月は風馬のそばに膝を突く姿勢になった。そして顔面に付いたオイルを右手で拭うと、孤月は風馬を見下ろした。
「四年前の桜吹雪を覚えているか?」
即死しているかも知れない。そうでなくても会話など不可能かも知れない。それでも孤月は問わずにはいられなかった。
「……ん、ああぁ?」
「答えろ!」
孤月は血塗れの風馬の首を掴んで揺すった。
「お……覚えている……。良い夜じゃった。良い声で泣いておったよ。楓という名だったかのぅ……犯してやった。美女じゃったのでな。仲間と代わる代わる一日中輪姦して、その後は短刀で腹を、腕を、足を、喉を、何度も何度も切り裂いて遊んでやったわい」
「貴様……」
「……ほほっ……。欲望の赴くまま女を食らい、男を殺す。邪悪に生きて、邪悪に死ぬ。良い人生じゃった! ははははハハハハあああっはっはっはあああッ!」
風馬はそう宣言する。
孤月は打刀で風馬の首を斬った。これを最後の一撃とした。
「先生を殺したのは俺だ」
孤月は風馬の死体に向かってそう呟く。
先生は風馬に犯されてもいないし、殺されてもいない。つまり風馬の出任せだ。
風馬は自分のことも、先生のことも、全く覚えていなかったと孤月は知る。風馬に取っては孤月など記憶にも残らない程度の存在だったのだ。だがどうだろう、馬鹿正直に覚えてないなど自分を殺しに来た復讐者に言えるだろうか? そう、復讐者である孤月はあろうことか仇敵に情けをかけられたのだ。そう孤月は理解してしまった。
屈辱を食らった。
孤月は霧雨の降る空を仰いだ。
「ォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!」
まるで獣の咆哮のような悲鳴だった。




