プロローグ:真紅の英雄
ヒーローの正体は、あなたの隣の「課長」
かつて世界を救った伝説のヒーローは、今や腰痛とノルマに追われる40歳の「課長」だった。20年の時を経て復活した怪人に、彼は妻が贈る「健康器具」という名の補助デバイスを手に再び立ち向かう。周りには秘密、肉体は限界。それでも愛する日常を守るため、泥臭く戦い抜くおじさんヒーローの再起を描く。
空は燃えるような夕闇と都市を覆う黒煙に二分されていた。
波止場に連なる倉庫の数々が炎と煙に巻かれ、いまや無惨な鉄骨とコンクリートの残骸となり海へと崩れ落ちている。耳をつんざくサイレンの音が遠くに聞こえ、足元の瓦礫が軋むリズム、眼前の怪物が発する不気味な唸り声が周辺の静けさを更に引き立てる。
だが、そこに一人の男がいた。
名は。
―――ブレイバー。
深紅のプロテクターをまるで第二の皮膚のように纏い。
引き締まった体躯に無駄な肉はなく、肩から腰へ流れる線は鋭い刃のようだ。
ヘルメット越しでも分かるほど視線は強く、立つだけで周りの空気が張り詰める。
その姿は戦うために選ばれた存在と言えよう。
「……ハァ、ハァ……ッ!」
しかし、今、その真紅の英雄の呼吸は乱れていた。全身は煤と埃で汚れ、風になびく白銀のマフラーは半分が焼け焦げている。バイザーの左側には蜘蛛の巣状の亀裂が走り、視界の半分が歪んでいた。
彼の視線の先、崩壊した倉庫の上にソレは悠然と立っていた。
―――甲殻怪人カニガンス。
全身を覆うのは戦車の砲撃すら跳ね返す超硬度の生体装甲。右腕はそれ自体が巨大なハサミとなっており、開閉するたびに金属を擦り合わせるような不快な音が響く。左腕にはビルをも薙ぎ払う高圧水流砲が鈍く光っていた。
「無駄だ、ブレイバー。貴様ごときの貧弱な攻撃など、この進化した殻には通じぬ!」
カニガンスは嘲笑とともに巨大な右腕を振り上げる。
ブレイバーは反射的に跳躍した。一瞬遅れて彼が立っていた場所にあった、数トンのコンクリート塊がまるで豆腐のように粉砕され飛散した。
空中で体勢を立て直したブレイバーは、全身のバネを使い弾丸のように敵の懐へと飛び込む。
「砕けろッ! ブレイバー・マグナムパァァァァァンチ!」
全身の力を膂力に集中させ、それをスーツの出力で増幅し放った渾身の右ストレート。
音速を超えた拳がカニガンスの胸元に直撃した。
―――ドォォォンッ!
凄まじい衝撃音が周囲のガラスを砕き爆風が砂煙を巻き上げる。
だが、拳に伝わってきたのは岩盤を殴りつけたような硬い反動と、自らの手首が悲鳴を上げる激痛だけだった。
「……がっ!?」
砂煙が晴れる。カニガンスの胸部には小さなかすり傷一つすら付いていなかった。
「遅い、軽い、脆い。貴様の攻撃など効かぬ! ブレイバー!」
カニガンスの左腕が火を、いや、水を噴く!
至近距離から放たれた超高圧水流が回避行動を取る間もなくブレイバーの腹部を直撃。
「ッ……!?」
スーツの装甲が悲鳴を上げ、衝撃が内臓を揺さぶる。十数メートル後方まで吹き飛ばされたブレイバーは横転していた大型トレーラーの側面に叩きつけられ、そのまま鉄板を突き破り荷台の中に転がり込んだ。
意識が飛びかける。
全身の関節がきしみ、口の中に鉄のような血の味が広がった。
「……くっそ……がっ!」
瓦礫を押しのけ、よろめきながら這い出すブレイバー。だが、足に力が入らない。膝が震え視界が赤く染まる。
目の前にはゆっくりと、だが確実に死を運ぶ影が迫っていた。
甲殻怪人カニガンス。
ブレイバーの首を刎ねるべく、その巨大なハサミを高く、高く振り上げた。
「正義の味方ごっこは終わりだ。貴様の死体は、我々怪人協会が築き上げる新世界の礎として飾ってやろう」
逃げ場はない。防ぐ手段もない。
ブレイバーは霞む視界の中で、迫りくる死の刃を見つめることしかできなかった。
カニガンスの巨大なハサミが、夜空の月を遮る。
死の影がブレイバーを覆い、鋭利な刃がその首筋に触れようとした、その時だった。
「――そこまでよ、デカブツ!」
高く鋭い叫びとともに瓦礫の山を飛び越えて一条の閃光が走った。
「何奴!?」
高機動ジェットバイクのエンジン音が静まり返った戦場に猛々しく鳴り響く。激しいスライド停車とともに現れたのは、漆黒のライダースーツに身を包んだ女性、ブレイバー専属助手、リンダだった。
だが、その姿は美しくも異質であった。
顔の上半分を覆うのは、精緻な彫刻が施された銀色のマスカレードマスク。そして頭上には夜風に激しくたなびく、大きな羽飾りのついたハット。戦場には不釣り合いなその優雅な装束は、彼女の正体を一切悟らせないための鉄のドレス。
「リンダ……ッ!?」
ブレイバーは驚愕し目を見開く。
リンダは仮面の奥の瞳をキラリと光らせ、ハットの縁を指先で弾いた。その手には彼女の背丈ほどもある重厚なアタッシュケースが握られている。
「ヒーローがそんな顔してちゃ世界が泣くわよ! これを使いなさい!」
リンダが力強くケースを放り投げた。空中でロックが解除され、中から現れたのは白銀と黄金の装飾が施された巨大な重火器。
「……完成したのか!」
ブレイバーは一瞬で理解した。
―――対怪人用最終決戦兵器「ブレイバーキャノン」。
「ごめん、ギリギリだったみたいね」
ブレイバーはバイザー越しに息をのみ、その巨大な兵器を手に取る。
鋼の質感を確かめ、指先が触れた瞬間、口元がわずかに緩んだ。
それは歓喜ではない。
戦えると知った者だけが浮かべる、静かな笑みだった。
リンダの登場にカニガンスも一瞬気圧されていたが、ブレイバーが得体の知れぬ兵器を手にしたことに焦りを感じ、もう一度左腕を構え超高圧水流の狙いを定める。
だが、ブレイバーは地を蹴り的を絞らせない。
満身創痍の身体が、その瞬間だけは痛みを忘れたかのように躍動する。カニガンスが放った水流を紙一重で空中回避した。
着地と同時にブレイバーはキャノンを右肩に担ぎ、地面にがっしりと片膝を立てる。
その重み、人類すべての希望の重さだった。
「おのれ……チョロチョロと小癪な真似をぉッ!」
カニガンスは狂乱しハサミを振り回しながら突進してくる。大地を揺らすその猛攻を前にしてもブレイバーの構えは微塵も揺るがない。
キャノンの銃口にまばゆい蒼白いエネルギーが凝縮されていく。周囲の空気がパチパチと放電し瓦礫が磁場に引き寄せられ、ふわりと浮き上がり始めた。
「これで……、決まりだ!」
ブレイバーは揺るがぬ勝利を確信した。
ブレイバーキャノンから電子音声が聞こえる。
『エネルギー充填率、120パーセント突破』
限界突破の警告音が鳴り響く中、彼は魂の全てを込めて、その名を絶叫した。
「喰らえ! ブレイバァァァァーーーキャノォォォォォォンッ!!」
引き金が引かれた。
刹那、稲妻のような光条が放たれた。
それはただの電流ではなく、彼の意志を持った光の奔流だった。
突進して来たカニガンスの巨体が光の柱に飲み込まれる。
「バ、バカな……この私が、この進化の極致である、この私がぁぁぁぁッ……!!」
カニガンスの断末魔が大気を震わせる。
超硬度の甲羅が溶けて消え去り、内部のエネルギー暴走が起こった。分子レベルで分解されていく。光の奔流は怪人を貫通し、背後の壊れた倉庫をも飲み込みながら、夜明けを告げるかのように闇夜を白一色に染め上げた。
――ドォォォォォォォォォォォォンッ!!!
一拍置いて、巨大な火柱が上がった。
凄まじい爆風が吹き荒れ、リンダはハットが飛ばされないよう手で押さえながら、バイクの影で身を伏せる。
炎の渦が収まったあとに残っていたのは、ただの炭化しかけた瓦礫の山と静寂だけだった。
ブレイバーは焼き付いた地面の上に座り込み、ブレイバーキャノンを支えにして辛うじて身体を保っていた。スーツのあちこちから火花が散り、焼け焦げた白銀のマフラーが静かに揺れる。
「……終わったわね、ブレイバー」
リンダが歩み寄りそっと彼の肩に手を置く。
ブレイバーは答えず、ただ静かにカニガンスが消え去った方を見つめていた。その背中には勝利の歓喜よりも、戦い抜いた男の深い孤独と重責が漂っていた。
カチッ、という小さな音がした。
薄暗いリビング。 液晶画面の中でブレイバーが爆炎を背に静止画のようなポーズを決めている。
You tubeの再生バーは終点に達し、画面にはおすすめの動画が並び始めた。
「……ふぅ。……随分派手に暴れてたんだなぁ……」
優作は、空になったビールの缶をテーブルに置いた。 少しだけお腹の出た安物のパジャマ姿。何処にでもいるメガネを掛けた冴えない中年男だ。
「お父さん、まだ起きてたの? 飲み過ぎだよ明日も仕事でしょ」
背後から冷ややかな声がした。
娘の美優だ。彼女は冷蔵庫からお茶を取り出し、チラリともテレビ画面を見ることなく自分の部屋へ戻ろうとする。
「あ、ああ……悪い。今寝るよ」
優作は慌ててリモコンを操作し画面を消した。
暗転したテレビの黒い画面に疲れ切った自分の顔が映り込む。
「美優、明日の朝飯は何がいい?」
「なんでもいい。パンでいいよ」
素っ気のない返事。
だが、ドアを閉める直前、美優は少しだけ足を止め独り言のように言った。
「……その動画、最近の若者の間で『レトロでカッコいい』って流行ってるらしいよ。お父さん意外と流行りに敏感なんだね」
「え? あ、ああ、まぁな……」
美優が部屋に消える。
優作は苦笑いしながら、痛む腰をさすって立ち上がった。
「さて、寝るか……」
冴えない中年男は重い足取りで寝室へと向かった。
明日もまた、営業車(軽)を走らせる戦いが待っている。
次回
第一話:いつもの朝、家族の距離




