ありがとう、お姉様。
最後に愛が勝った話
「リサ、君は本当に美しく、素晴らしい淑女だ。」
「嬉しいですわ、アンドリュー様。貴方のような紳士に、そう言っていただけるなんて。」
「それに比べてアリスは……はぁ、何故私の婚約者はああなのだろうか。」
「そんな風に仰らないで、アレでも私の可愛い妹なのですから。」
「そうだな、すまない。」
庭園の端にある東屋で、肩を寄せ合い語らう二人の男女。
私の姉と、私の婚約者候補だ。
東屋が見える窓からは、声もハッキリと届く。
その後も続く甘い甘い恋人達の語らいのようなソレに私が溜息をついていると、後ろから声をかけられた。
「すまないな、アリス。」
「お父様……。」
父は私の側へと来ると、怒りで震えている私を優しく抱きしめてくれた。
「幼い時に母を亡くして不憫だからと、あの子を過度に甘やかし過ぎた。これは私の責任だ。」
「そんな……お父様は、私とお姉様をいつも平等に愛してくださいました。お母様との思い出はなくても、お父様のおかげで私ちっとも寂しくなんてなかったわ。」
私が産まれて、産後の肥立ちが悪く一年程で亡くなってしまったお母様。
父は侯爵という立場だが、亡くなった妻を愛しているからと再婚をしなかった。
そして時に厳しく、時に優しく、私達の世話を使用人任せにする事なく、仕事の空きがあれば一緒に食事をし、ピクニックに行き、勉強も見てくれた。
いつだって領民と私達の為に動いているような、そんな素晴らしい人だ。
そんな父が、私に謝っている事に胸が痛む。
「この前の話、覚悟は決まったかい?」
その問いに、グッ、と言葉に詰まる。
「……覚悟は決まりました。元より、その為の努力でした。しかし、本当によいのでしょうか。彼はお姉様の……」
そう私がなんとも言えない表情で言葉を濁すと、父は私の頭をポンポンと撫でた。
「お前は本当に、優しい子に育った。だが、我々は貴族だ。時には非情だと言われる事でも決断しなければならない。」
「はい。」
父の目は真剣だ。
私も姿勢を正す。
「これは、当主としての決定事項だ。既に他家には話を通してある。正式な契約の日時は、追って伝えるので空けておくように。」
「かしこまりました。」
頭を下げ、これから来るであろう嵐に少しだけ心が騒めき立つのでした。
「嫌!絶対に嫌よ!ユリウス様と結婚するのは、この私よ!」
そう泣き叫ぶ姉の声が響いて、不快感に思わず耳に手をやりそうになるのを堪える。
我が家の応接室に集まったのは私達家族と、アンドリュー様とそのご両親、そしてお姉様の婚約者候補だったユリウスとその付き人であった。
「お前は何か勘違いをしているようだな。これは話し合いの場ではない。あくまで決定事項を正式な契約として結ぶ為の場だ。」
そう冷たい態度で突き放す父の姿を、姉は信じられないものを見る目で見つめた。
「酷いわ、お父様!私が幼い頃からユリウス様をお慕いしていると知っているのに!ねぇ、ユリウス様からも言ってくださいまし!」
そう言いユリウスに視線をやる姉だったが、そんな姉にユリウスは氷のような冷たい視線を返すのだった。
「リサ、君は嫡子でありながら領地経営の勉強を蔑ろにして社交界で遊び歩いていた挙げ句に、アリスの婚約者候補だったアンドリューに懸想していたそうじゃないか。入婿として、そんな人とは一緒に支え合えない。そんなに華やかな世界が好きなら、アンドリューの妻として社交に勤しむといいよ。」
その言葉に、姉は尚も「嫌よ!」と父やユリウスに縋り付く。
そんな姉を、父は使用人に命じて取り押さえた。
「それでは、この場を持って我が家の正式な跡継ぎは次女のアリスとする。それに伴って、二人の正式な婚約者はアリスにはユリウスを、リサにはアンドリュー君とするがよろしいか?」
それに姉以外が了承し、姉は口を塞がれてモガモガとしていた。
ある日の昼下がり、我が家の庭で親睦会の名目で婚約者達でお茶会を開く。
「リサはまだ謹慎中か?」
紅茶を楽しみながら、ふと思い出したようにそう口を開いたアンドリュー様に、私は肩を竦めた。
「未だに発作のように暴れるから、お父様が部屋から出さないのよ。」
そう言うと、アンドリュー様は鼻で笑った。
「顔と外面が良いのだけが取り柄なんだから、俺で我慢しとけば良い暮らしが出来るものを……政略結婚もまともに出来ないとは、淑女が聞いて呆れるな。」
「アンドリュー、アリスの前で言い過ぎだ。」
ユリウスの注意に、アンドリュー様は「すまないな」と私に悪びれる様子もなく謝ったが、私はそれを適当に笑顔で流す。
アンドリュー様には本当に感謝している。
幼馴染だったユリウスと違って、ある程度大きくなってから紹介された彼は、ある時私に言った。
「好きな男がいるんだろ?」
その次の時から、アンドリュー様は姉に甘い言葉を囁くようになった。
妹の婚約者候補に言い寄られ、満更でもない様子の姉は滑稽だった。
アンドリュー様は言っていた。
「我が家の当主は、代々仕事に口を出されるのが嫌いなんだ。もちろん俺もな。賢い女より、馬鹿な方が都合が良い。それに、君が女侯爵になった方が、きっと領民も幸せになる。」
そうして、姉との仲をわざと父達に見せつけ。
更に、姉も私の悪評を広めようと我が家の利にもならないパーティーで遊び回って跡継ぎ教育も疎かにした結果、姉は見事に優しかった父からも見放された。
姉はその華やかな容姿と唯一真面目に磨いたマナーで社交界では『淑女の鏡』等と呼ばれ、社交は父の選んだ必要最低限のみの私は『父親と喧嘩ばかりしている我儘娘』と呼ばれているらしい。
最も、それは我が家の事情を知らない下級貴族がほとんどだそうだけど。
私が領地経営に興味を持ち、父の時間が許す範囲で自分のアイディアを父と議論し合っていた。
それが父に我儘を言っていたように見えたのか、はたまた自分には分からない内容で父と語り合っていた私に思うところがあったのか、単純に私を貶めたかったのかは知らないし今更知りたくもない。
「アリス」
アンドリュー様が一足先に帰るのを見送ると、ユリウスが優しく私の頬を撫ぜた。
「アリス、僕は君が好きだよ。初めて会った時からずっと。」
その言葉に、私の瞳から涙が零れた。
「私も、ユリウスが好き。あの日から、ずっと、ずーっと、貴方だけが。」
その言葉にユリウスが優しく微笑むと、二人の影は重なった。
ユリウス、私の愛しいユリウス。
母方の親族兼、我が家の将来の婿として初めて会った時からずっと好きだった。
何の問題も無ければ、姉がこの家を継ぐ事になる筈だっただろう。
でも私はどうしても彼を諦められなくて、父に頼み込んで死に物狂いで勉強をして姉に追いつき、跡継ぎ候補として認めてもらった時は本当に嬉しかった。
アンドリューを紹介された時は驚いたが、あの運命の日まで正式な婚約を先延ばしにしてくれた父の寛容さには本当に感謝している。
もしかしたら、鋭い父は何もかも分かった上でここまで見守っていてくれたのかもしれないけれど。
そういう意味では、確かに私は我儘だったかもしれない。
でもね、お姉様。
貴方が愚かだったおかげで、私の初恋は叶います。
だから、私だけは絶対に幸せになりますね。
ありがとう、お姉様。