貰えるものなら何でも貰います!
「ちょっと芹長さん、星井君に言ってやってよ!」
「いきなり何のこと?」
ある日の朝、登校して自分の席に座ったら、芹長と呼ばれる少しおっとり系の雰囲気の女子に、同じクラスの別の女子が話しかけて来た。
ただし話の前後関係が全く分からないため困惑気味だ。
「昨日クラスのバーベキューがあったの知ってるでしょ?」
「うん、私が用事で行けなかったやつだよね」
「そうそれ。それで私もあいつも買い出し係だったんだけど、あいつスーパーで試食食べまくるから超恥ずかしかったんだって!」
「スーパーの試食? 別に試食なんだから食べても良いよね?」
「明らかに買う気ないのに積極的に食べるなんて意地汚い感じがするじゃん!」
世の中には試食に対して抵抗がある人もいるだろう。特に店員が試食を振舞っている場合、食べたらそれを買わなければならないという圧を感じてしまうが故に食べたくないなんて人もいるかもしれない。一方で果物のような店員がいない場合だけは抵抗感なく食べられる人もいることを考えると、試食をする場面を店員に見られたくない、つまりは無料で試食をすることに罪悪感のようなものを感じているケースもあるだろう。
芹長に話しかけて来たクラスの女子は更に別のケースで、無料だからという理由で食べることは意地汚い感じがして恥ずかしいとのこと。
「お店側が食べてって言うんだから良いんじゃない? その時に買わなくても、後で親にあれが美味しかったって言えば後々買う可能性はあるわけだし」
「ええ~そっかな~、だって絶対そんなこと考えてないで好き勝手に食べてるだけだよ。やっぱり恥ずかしいよ」
「星井君は無料だと貰いたがるだけで、ちゃんと考えてる人だよ。むしろその場で試食した商品を全部買おうとするんじゃないかなって思ったくらいだよ。流石にそこは自制したんだね」
バーベキューの材料を買いに来たのに他の商品まで大量に買っても邪魔にしかならないから遠慮したのか、あるいは両親と買い物に来た時に試食した物をすぐに買おうとしないように注意されてたのか、どちらにしろ買おうとしなかったことで彼女をより怒らせることは無かった。
「というかそもそも何で私にその話をしたの?」
「だって芹長さんって星井担当じゃん」
「何その担当!?」
「あいつ芹長さんの話なら素直に聞くし、幼馴染で仲良いんでしょ」
「付き合いが長いからどう話せばちゃんと聞いてくれるか分かってるだけだよ」
「理由は良いの。とにかくあいつが変なことしてたら叱って欲しいのよ」
「幼馴染であって飼い主じゃないんだけどなぁ」
まるでペットの躾をして欲しいと言われているようで苦笑するしかなかった。
「飼い主じゃなくて恋人だったりして」
「またそんなこと言って」
「だって高二にもなって一緒に遊ぶとか、付き合ってなきゃおかしいよ」
「だよね~」
星井に対する苦情の話だったはずが、いつの間にか色恋の話にと変わっていた。
年頃の女性であれば隙あれば恋愛に結び付けたがるのは自然なことである。
「そうやっていつも否定しないからこっちも疑っちゃうの」
「付き合ってないのは本当だよ?」
「またそうやって意味深なことを言うんだから。あんなのの何処が良いんだか」
「むしろ何処が悪いか聞きたいくらいだよ」
「お、惚気か?」
「普通に気になるだけ。幼馴染としての贔屓目無しに、他の男子と大差ないと思うけど」
「だから付き合う気になれないじゃ~ん」
「高望みすると実らせるの大変だよ」
「そこが面白いんでしょ!」
面白いだけで済めば良いが、果たして将来身の丈に合った男性と恋が出来るのだろうか。
三十代後半になって若くてイケメンで年収一千万の普通の男性が最低条件とか普通に言いそうな予感がする。
「とにかく、今回のは話を聞く限りではセーフということで」
「ちぇっ」
「それよりバーベキューの話をしてよ。面白いことあった?」
「あるある。買い出しが終わって戻って来たら……」
ここからはずっとバーベキューの話が続き、星井の話は忘れてしまったかのように出て来なかった。最初からそこまで怒ってはいなかったのだろう。
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「な~んて話があったんだよ。そうちゃん」
「分からん。マジで分からん。通りすがりの試食を全部貰っただけなのに」
「世の中には試食が苦手な人もいるってことだよ」
「そりゃあ二度も三度も同じのを食べるなら意地汚いって思われるのは分かるけど、一回ずつだったんだぞ。しかも美味しかったのは母さんにお願いして後で買ってもらうつもりだったし」
「ちゃんと説明しないとそれを分かってもらうのは難しいかな」
「そんなもんか」
星井 颯太。
学校では星井君。
二人っきりではそうちゃん。
幼馴染として距離が近い二人は、学校と家では呼び方を変えていた。
「おい、ベッドの上で横になるのは良いが、枕に顔を埋めるな。汚いぞ」
「そだね~」
芹長は星井の家に、いや、星井の部屋に遊びに来てベッドでゴロゴロ寝転がっていた。
いくら幼馴染とはいえ、これで本当に付き合っていないのだろうか。
芹長はベッドの上で耳を下にするように寝転がり、星井の方を見て話しかける。
「そうちゃん貰えるものはなんでも貰うタイプだから、これからも意地汚いって思われちゃうかもね」
「貰えるなら貰って何が悪いんだ」
「ううん。悪くないよ。でもティッシュ貰いすぎで机の上に積まれてるのはどうかと思う」
「街で配ってると使えるって思って貰うんだが、質が悪くて使う気があまり起きないんだよな」
カサカサで質が悪く、時間が経つとケバケバしてしまう。
肌に触れさせる気にはならず、落ちたものを拾ったり汚れを拭くような用途でしか使いたくないが、そういうケースが中々にやってこずに溜まる一方だった。
「じゃあもう貰わなきゃ良いんじゃない?」
「でも水とか零して拭こうとしたら一瞬で使い切るだろ。そういうことも考えると溜めておいても損は無いかなって」
「確かに沢山あっても損は無いか」
ここでもしも星井が何も考えずに貰うだけだったならば芹長が注意して、星井は考えを改めることになるだろう。そんな関係だからこそペットと主人だなんて思われるのである。
「そういえば給食の時に余ったのを貰ってたね」
「勿体ないからな」
「誰もやりたくない係も率先してやってたよね」
「タダで仕事貰えるなら得だろ」
「そんなことばかり言ってるからゴミとか押し付けられてたんだよ」
「何かに使えるかもしれないと思ったから貰っただけだ。使い道思いつかなかったら棄てれば良いだけだし」
タダだから貰う。
余っているから貰う。
それは普通の事のはずなのに、クラスの女子のように意地汚いだとかネガティブに感じてしまう層は一定数いる。そしてそういう輩は陰で星井のことを悪く言い、ゴミを押し付けてくるのも嫌がらせの一種だった。酷い差別用語を使い教師に叱られ、逆恨みで星井の悪口を広めた生徒もいた。
星井は決して順風満帆な学生生活を送ってきたわけではない。
「いつもありがとうな」
「え?」
「フォローしてくれて助かってる」
「急に何よ」
「なんかそういう気分だっただけだ」
星井が義務教育を全うできたのは、芹長が近くでフォローし続けてくれたから。
悪意の壁となるのは大変だっただろうに、それでも守ってくれた芹長に対して星井は深く感謝をしていた。
「でもなんでいつも助けてくれるんだ?」
「さ~なんででしょう」
「この話をするといつもそうやって誤魔化すよな」
これまで何度も繰り返して来た問いに、彼女はいつも同じように答えを濁す。
「(そうちゃんは覚えて無いだろうけど、私はそうちゃんのものなんだよ)」
幼い頃にいじめられていた芹長は、星井によって助けられた。
『こいつは俺のものだから手を出すな!』
しかもそのやり方が、芹長の許可を得ず無理矢理もらって自分のものにした体だった。
彼女はその時から星井がどれだけ優しい人物なのかを知っている。
幼馴染としてずっと傍に居続けたのは理由があった。
「(この雰囲気はチャンスだよね)」
星井が当時の事を忘れていても構わない。
思い出して欲しいとも思っていない。
でも改めて本気で貰って欲しいと、ずっと思っていた。
「ねぇそうちゃん、私のこともタダであげるって言ったら貰ってくれる?」
本当は星井から切り出して欲しかった。
高校生にもなって部屋に遊びに行くのに嫌な顔せずに迎え入れてくれるのは、そういう気持ちがあるからだろうと分かっていたし、時折幼馴染ではなく異性を意識した視線を感じていたからだ。そう意識させるようにベッドでゴロゴロしてスカートを少しめくれあがらせて彼の気持ちを少しずつ確認していたのだが。
星井の気持ちをおおよそ察した芹長はアピールしたが、彼はそのアピールに気付かない。幼馴染で気を許しているからだと思い込んでしまう。
我慢できなくなった芹長は、ついに自分から動いたのだった。
唐突な告白に星井は一瞬硬直したが、すぐに答えた。
「いただきます」
その答えが嬉しくて満面の笑みを浮かべる芹長だが、すぐにある疑問が浮かんできた。
「動揺しなさすぎじゃない? もしかして準備してたの?」
「ああ、お前が近いうちにそう言ってきそうな気がしてたから待ってた」
「あちゃ~、行動が読まれちゃってたか~」
芹長が星井のことを理解しているように、その逆もまた然り。
星井が自分から告白しなかったのは芹長に敢えて貰って欲しいと言わせるためだった。
「昔は勝手に貰っちまったが、今回はちゃんと同意が欲しかったからな」
「覚えてたんだ」
「当たり前だろ。大切な思い出だ、忘れられっかよ」
「えへへ、嬉しい」
二人が出会い、仲良くなったきっかけの出来事。
それを星井はしっかりと覚えていた。
「でもどうして私が言うのを待ってたの? 自分から下さいって言ってくれても良かったのに」
「無料だからって自分から欲しがるのは良くないってお前に言われたからな」
「そういえば言った気がする」
無料だからと積極的に貰おうとするのは意地汚いと思われても仕方ないよと窘めた覚えが芹長にはあった。星井はそのことを律儀に守っていたため、自分から『お前が欲しい』とは言い出せなかった。
「でもこれで本当にそうちゃんの女になっちゃったか」
「そういうセリフをベッドで横になりながら言うな」
「どうして?」
「…………」
「どうして?」
沈黙での回答を芹長は許してくれなかった。
「そうちゃん、据え膳って知ってる?」
「…………」
「そうちゃんの大好きなタダの食べ物が目の前に用意されてるんだよ」
「…………」
「女子ってこういうの嫌いな人が多いけど、私はそうちゃん相手だから喜んで用意したよ」
「…………」
芹長の攻めは止まらない。
これまで溜まりに溜まっていた想いが爆発し、とめどなく溢れてしまっていた。
「召し上がれ」
「…………いただきます」
これから先、星井は多くの貴重な想いを無料で受け取ることになるのだろう。
そして彼もまた無料の輝かしい想いを彼女に返すことになるのだろう。
人はそれを愛と呼ぶのかもしれない。
どんなに大荷物を抱えていてもタダだと受け取る描写を入れて、先に他の女子に告白された時に『俺の心の中は一杯だから受け取れない』って断るネタを入れようかと迷ったけれど長くなりそうだったのでカットしちゃいました。