第6話 あの日の記憶
2023年3月14日。僕の人生が狂った日。あの時までは僕にもちゃんとした名前があった。本当の名前。全ては化によって破壊された。故郷やソラの両親、おそらく……僕の家族も。仮に、僕の家族が今も生きているのなら、我が子を向かいにくるはずだからだ。
あの日林檎島で起こった一件は、未だに死者が誰なのか特定に至っていない。理由は、死者数に対しての人員不足と化は頭部を好んで食べる特性を持っているからだ。今の世の中、身元不明の子供など珍しくはない。
僕はあの日の微かな記憶を思い返す。あの日、僕はソラの家で催された誕生日パーティーに参加していた。しかし、化が家の中に侵入し、ソラの両親を獰猛に喰らったのだ。遺体鑑定の結果、死亡したのはソラの両親だと分かった。僕の両親は出席していなかったらしい。僕らは最強の化掃士、黒矢尽によって助け出され、両親を喰らった化も難なく化掃されたいう。僕もソラもその日の記憶は曖昧で警察官に状況を念入りに説明され、それがあの日の出来事として僕とソラの共通認識となっている。
内容が内容なのでソラとあの日に関して語り合うことなんてないけど。本心を言うと、あの日をより詳しく精査することが僕の正体を知る鍵になると考えている。しかし、ソラは僕の両親と会ったり話したりした記憶はないと言っている。それに、執拗にソラの記憶を掘り起こすことは、彼の精神的ダメージに繋がるので、最近はあの日の話題を一切持ち出さないでいる。昔はそのことでソラとよく喧嘩した。僕は「なんで覚えてないんだ!」とソラを責め立てたのだ。周囲の人々は自分の正体や過去に囚われている僕を冷ややかな目で見ていた。それでも彼と仲良くやれている理由は、ソラの心の広さのおかげだろう。
今でも、僕は毎晩呪いのように考えてしまう。そして自分が怖くなる。自分の正体を知らないことが。いつもの悪い癖でぐるぐる考え込んでいると、古びたフィルムで再生されたホームビデオのように、どこかの景色がフラッシュバックする。この景色は……道だ。ソラの家へ続く道。木々の隙間から射す暖かな太陽光。舗装されていない山道。生命を感じる小鳥の囀り。その全てが懐かしい。あの日、僕はおそらく自分の家を出発してあの道を歩いていた。その途中で、《《誰かに》》話しかけらて……そして……。キーンと激しく音が鳴り頭蓋骨を鳴らす。そしてどこからともなく押し寄せてくる黒い濁流によってその景色は飲まれてゆく……。
「まっずーー‼︎」
僕は口に違和感を感じ黒い液体を口から吹き出した。白いシーツに黒い斑点が飛び散る。
「なにやってんの、字名さん! 寝ている患者に飲み物を飲ますなんて!」
どうやら僕は、病院の個室で寝ていたらしい。カーテン越しに薄っすら見える景色から推測するに本部と同じ建物だろう。目線を横に移すと、ソラが女性の看護師らしき人に叱咤されていた。ソラは看護師の話しなどそっちのけで、咳き込んでいる僕を見るなり叫んだ。
「よぉ、トキ! 元気そうじゃん!」
とげとげした黒毛混じりの金髪を揺らしながらソラは答えた。そして、ソラが持っている物には、見覚えのあるフォントと見覚えのある名前が刻まれており、やけに目につく。
「ま、ま、まさか……僕に飲ませたのって……」
僕はギョッとした目つきでソラを睨む。
「ああ、これか? えっと名前は確か……」
ソラは顔の正面に缶を持っていき、名前を読み上げた。
「『等々力のGO!GO!プロテイン』って書いてあるぜ」
僕は絶叫した。やっぱりそうだ。一生飲まないつもりだったのに……。口の中には、微かにプロテインの味が残っている。どろどろのコンクリートを飲んだらこんな味をしていそう……。しかもプロテインの色は黒。尚更、食欲を削がれる色だ。僕の顔は生気を失っていた。
「トキ、これ高かったんだぜ。吐き出すなよ~もったいない」
「気絶している人に何かを飲食させる方がおかしいですよ。下手したら死にますからね。ほら、日出さんの顔を見てください!」
僕たちの会話を黙って聞いていた看護師はとうとう口を開く。ソラの行動に呆れているらしく怒り口調だ。このプロテインに関しては、起きている人間が飲んでも命の危険がありそうだと思った。命の危険を感じるほど不味いのだ。
「たった今、シーツの変えを持ってきますから」
看護師は一言呟いて、個室を後にした。
「うぃーす」
ソラは答えるとプロテインをゴクっと飲んだ。僕はその光景を見て、知らない国の儀式を見るような恐怖感を抱いた。
「それ不味くないの?」
「味はかなり独特だけど美味いぜ。もう一杯いる?」
「いやいや大丈夫」
(そう言えば、ソラは頭だけじゃなく《《舌》》もバカだったな……)
「それはそうと、トキ無茶しすぎな。試験終わった後、メールを見たら『日出刻君が病棟に搬送された』ってあったから驚いたぜ。ちょうど10分くらい前に試験が終わったから飛んできたわけ」
僕には両親がいないので緊急連絡先としてソラを指定していたのを思い出した。
「まぁ、理のお陰で骨はもう繋がってるよ」
僕は両腕をソラに見せてマッスルポーズをとった。そして、ずっと言いたかったことがあった。それはソラも同じだと彼の表情から読み取れる。僕らは口を揃えて宣言した。
「「僕(俺)は、合格したよ(ぜ)‼︎」」
僕とソラは目を合わせた。そして僕とソラは両手を合わせてハイタッチした。
「いててて……」
「あーわりぃわりぃ」
僕らはリラックスして笑い合った。二人とも即合格という最高の結果を残したのだから。
「僕はソラの様子から合格してるって分かってたけどね。不合格の場合、僕の見舞いになんてこないだろう?」
「人聞きの悪いこと言うな~。俺もトキが合格するって分かってたぜ。そんなにボロボロになって不合格だったら面白いけどな(笑)」
「それもそうだね(笑)」
「やっぱ、トキの言った通り今年は合格、不合格と後日通達の三種類だったな」
「よく覚えたね。かなり前になんとなく呟いたけど」
僕は、今年が受験者数が多いことから人数調整のため、ボーダーラインが曖昧になると目星をつけていたのだ。
「ちなみに試験内容はなんだった? 俺は風船割りだったぜ」
「おお~一緒だね。ソラの理なら攻略できそうだ」
「おうよ、余裕のよっちゃんだったぜ」
ソラはぎこちない笑顔を作った。この少し歪んだ表情を見る限り、制限時間ギリギリだったのだろう。
「あっ!」
僕はあることを思い出す。一人忘れていた。あの男を。ソラも僕の様子から察したらしい。そして僕らは口を揃えて名前を呼んだ。
「「会沢(君)‼︎」」
僕とソラは目を見開いた。彼がバスを止めた時のように。僕はシーツを跳ね除け支度を始め、慌ててロビーに向かうことにした。病室の壁に掛けてある時計に目をやる。時刻は午前11時。おそらく僕が倒れてから1、2時間といったところだろう。僕は訓練校の学ランに身を包みソラと病室を後にする。
「ちょっと日出さんどこへいくんです? 安静にしないと」
部屋を出るすれ違いざまにシーツを取りに行っていた看護師と遭遇する。
「怪我は能力でほぼ完治してるので! 友達に合格の報告をするだけです!」
僕はそう言い残してその場を後にした。
「あいつ『どこにいる?』ってメールしたのに既読つかねぇ」
「集合場所はロビーって伝えたけど、あそこ広いもんな……」
「あいつの存在感ならすぐ見つかるっしょ!」
「同感!」
メールで合格を伝えることも考えたけど、やっぱり大事な親友には面と向かって発表したかった。僕らはエレベーターに乗り「1」のボタンを押す。重力が一瞬軽くなり、たちまち一階に到着した。ロビーにいる人数は、試験開始前と比べてかなり減っていた。しかし、歓喜の声や落胆の声、励ます声などにより騒々しさは増している。会沢君を探しだすのは困難だと思われた。
「ああ、神様……! これはボクに対する試練、裁きの鉄槌というわけですか?」
ロビーの中心からなにやら声が聞こえてくる。僕とソラは人混みを掻き分け、声のする方へ進む。すると、顔の整った青年が膝を突きロビーの天井に向けて手を伸ばしていた。少年はロビーの光に当てられ、その光景は演劇のクライマックスのようでもあった。そこにいる青年と僕たちが今探している人物は同一人物だ。名前はご存知の通り、会沢旬。