第3話 試験前の試練
地上五十階、地下五十階、高さ二百メートルにも及ぶ頭京化掃総本部は、春の青空を貫く勢いで僕らを見下ろしていた。地上と同じ階層が地下にも続いているのだから屋内の広さは計り知れない。外見は、SFチックかつ先鋭的なデザインで、窓ガラスは極端に少なく、辺りのビル群と比べると明らかに異質だった。ビルというよりはむしろ長方形の黒い塊という表現が適切だろう。最上階付近の中央に化掃士のエンブレムである林檎の芯を模したものが付属されている。本部の周囲は広い芝生スペースで囲まれており、外枠を高さ四メートルほどのアスファルトの壁が取り囲んでいる。一見すると刑務所のようで他を寄せ付けない雰囲気を漂わせている。
本部の威風堂々とした外観を目の当たりにして「ようやく」「やっと」という熱い気持ちが心の奥で鳴り響いた。僕は外壁横の歩道を足早に歩いてゆくが二人のペースはまるでピクニックだ。
「でけ~」
ソラは小学生がレアカードを見るようなキラキラした目で本部の建物をまじまじと見上げていた。訓練生でも本部を訪れる機会はなく、遠目に数回見たことある程度なのでソラの気持ちはよく分かる。
「二人とも、もう少し急がない?」
僕はソラの気持ちを察しつつ、言葉を切った。集合時間が残り五分に迫っているからだ。
「俺もそうしたいけどコイツは絶対走らねー」
ソラは上に向けていた目線を会沢君へと向けた。会沢君といえば、櫛を片手に悠然と歩いている。「走ると髪が乱れちゃうからね」とさぞ当たり前のように呟く。会沢君の中では、遅刻の危険よりも容姿が損なわれる危険の方が上らしい。
「お前な~モデルのオーディションじゃないんだぜ」
「試験官には最高の状態のボクを見てもらいたいからね」
堂々と述べる会沢君に僕とソラは思わず溜息をつく。
すると、大きな正面門が見えてきた。荘厳な作りの門の幅は、五十メートルほどあり、そこが入り口であることは自明である。そこには、僕らよりもはるかに大きい人型ロボットが数台、門番のように立ちはだかっている。ボディは白でコーティングされており、胸部には端末が付属していて『選別試験正面入り口』と表示している。
ロボットは、僕らに気づいたらしく「生徒証提示シテ下サイ」とロボットらしく述べた。僕は生徒証を取り出しロボットに向ける。すると、ロボットの手のひらから緑色の光が発せられ、僕の生徒証を余すことなくスキャンした。「ピコン」という電子音のあと、ロボットは「認証」と一言呟いた。
ソラも他のロボットで認証を済ませると「とう! やー!」と短い掛け声が耳に届いた。言うまでもなく声の主は会沢君だった。会沢君は生徒証をどこからともなく素早い手つきで取り出し「シュッシュッ」というカードが空気を切る効果音を《《口》》から響かせ、締めの「とうー!」という掛け声でカードをロボットに突き出した。ロボットの反応といえば「認証デキマセン」の一点張りである。
僕は訓練生時代を思い出す。昔からそうだ。会沢君は日常の一挙一動をカッコよくスタイリッシュする癖があるのだ。この現象を周囲の男子は〝無駄に洗礼された無駄のない無駄な動き〟という異名を付けた。反対に女子たちは、無駄に洗礼された無駄のない無駄な動きを見て一流アイドルに投げかけるような黄色い声援を忙しなく送っていた。そのことで彼は調子に乗り、癖は尚更エスカレートしていった。
会沢君は以前と名前に無駄が多い例の動きをしている。ロボットが認証できないのは動きが速すぎて生徒証に標準を合わせることができないからであろう。動きを一回止めればいものの、会沢君はすぐに次の動作に移ってしまうのだ。会沢君の手を追うようにロボットは「ウィンウィン」と首を回している。「ウィンウィン」と「シュッシュッ」が共鳴して一機と一人の社交ダンスみたいだった。その様子がシュール過ぎて吹き出しそうになった。が、それどころではない。
「やばい、時間がっ!」
僕が慌てて叫ぶと、ソラは会沢君の右手をガシッと掴み動作を固定した。
「な、なにをする? ボクの華麗な動きが……」
「何言ってんだ、マジで遅刻すんぞ!」
ロボットはすぐさま宙に止められたカード目掛けて緑色の光線を照射する。そして「認証」と抑揚のない声で呟く。僕とソラは思わず胸を撫で下ろす。会沢君を見ると無駄に洗礼された無駄のない無駄な動きのせいで髪型は明らかに崩れていた。僕はもう一度深い溜息をつく。「ゴロゴロ」と音を立てながら無機質な門は三人分が通れるほどのスペースを作った。
僕たちはとりあえず敷地内に入ることに成功した。データベースに僕らの情報が読み込まれたので、遅刻の心配はなくなった。が、ゆっくりしていられないのも事実だった。正門付近にスピーカーらしいものは無く、試験に関するアナウンスを逃すと色々厄介だからだ。
幅五十メートルの門からは緑の芝生に挟まれたタイルが一直線に伸びていた。その先に待ち構えているものが建物へ続く入り口だ。待機場所は『入り口ロビー』と事前に送付された説明書に指定されていた。おそらくあそこが集合場所で間違いない。距離にしてたった百メートルだが、この状態では一秒も惜しい。会沢君といえば髪を整えるのに必死で急ぐ気配はまるでない。僕はソラと目を合わすと会沢君を取り囲んだ。幼馴染にもなると言葉にせずとも伝わるものだとつくづく感心する。
僕とソラは会沢君をマネキンを移動させるアパレル店員の要領で、身体を前後の配置で担いだ。ソラは無駄に大きく重たいリュックがあるので足元を、僕は比重が重たい胴体部分を持って一目散に入り口目掛けて走った。側から見れば会沢君という槍を持って本部という名の大きな城を攻める兵士も同然だろう。会沢君はどうかといえば、嫌な顔一つせず「そういうことか! 家来ども城攻めじゃあ~!」と櫛を持った手を前に突き出した。僕たちが急いでいるのではなく殿様ごっこでもしていると思っているのだろう。全くこれで学年一桁の頭脳を誇るのだからこの世はどこかおかしい。と、僕は憤りを込めた足に力を入れタイルを駆けてゆく。
「理使いて~。こりゃあ、会沢ママにたんまりと世話料金をもらわないと割に合わないぜ」
ソラは大きなリュック揺らしながら会沢君の足下で悶えていた。化掃士では無い僕たちが許可無しに理の使用および隕子による身体強化をすることは法律で禁止されている。下手に理を使って試験の資格剥奪となっては困る。僕とソラは本当の意味での自力で百メートルを突っ走った。
入り口前の階段を数段駆け上がると分厚いガラス張りの自動ドアを前に一時停止する。自動ドアのガラスに反射した僕たち三人の構図は滑稽以外の何ものでもなかった。
「扉よ~開け~」
会沢君がそう命ずると分厚いガラスドアは緩やかなスピードで開く。もちろんセンサーが反応しただけなのだが。何はともあれ、僕たちはようやく目的地に辿り着いた。それは、場内を見れば一目瞭然だった。ドアが横にスライドした瞬間ガヤガヤと騒然した空気が僕らに迫る。千を越す人々がおもむろに喋っているからだ。聞き慣れない方言や見たこともない制服を目にし、全国からこれだけの少年少女が化掃士を目指していることを体感して、僕は改めて身を引き締めた。
意を決して足を踏み入れると、足裏からフカフカした赤い絨毯の感触が伝わる。ロビーは千人が余裕で収容できるほど広く、五階まで吹き抜けになった天井から明るく白い光が皆々に降りそそがれていた。
僕とソラは汗だくで反対に会沢君は涼しい顔で場内を見渡していた。
「なんで俺たち試験前なのに汗だくなんだ?」
「……間に合ったから……よしとしよう」
僕と同じくクタクタになったソラに返せるのはそれだけで、頭の意識は試験に向けられていた。
間も無くして、一斉に一人一人の端末が連鎖的に鳴り響く。例外なく僕たちのスマホも音を鳴らしたので覗いてみると、『試験の詳細』という見出しとともにURLが添付されたものがメールに届いている。URLをタップすると、試験会場の教室案内ルートともに受験番号とQRコードが液晶いっぱいに映し出された。僕の受験番号は【R-8】で場所は地下五階のR戦闘室で行われるらしい。メールの説明文を読むと、受験番号がそのまま教室と順番を表しているようだ。僕の場合、《《R戦闘室の八番目》》ということになる。AからZとアルファベット順に招集アナウンスされるとも記述されていた。そして早速、アナウンスで呼び出しの連絡が入る。
「じゃあ、ボクはここで失礼させてもらうよ。トキ君、ソラ君、殿様ごっこ最高だった。あんなに清々しい気分は初めてだ」
会沢君は真剣な眼差しで僕とソラを交互に見た。
「会沢落ちんなよ! 俺とトキは絶対受かるからな!」
ソラは冗談と皮肉を込め、大きな声で激励した。
「試験が終わった後、このロビーで集まろうよ。そしていい結果を三人で伝え合おう!」
「ああ、もちろんだとも。二人にはこの会沢旬という守護神がついている。絶対受かるはずさ。はっはーはーはー! はっはーはーはー!」
会沢君は殿様のマネなのか嘘くさい笑い声と共に去って行き、やがて人混みに消えた。
「ふぅー」と一息つくと、会沢君がいなくなったことでこの空間が妙に物静かに感じた。そして僕は汗がまだ乾き切っていないソラに話しかける。
「ソラの受験番号は?」
僕が質問するとソラは腰を下ろした状態でスマホの画面をこちらに向けた。
【Z-34】
「……遅い」
「え?」
ソラはその発言の意味するところが分からないようで首を傾げた。
ソラの番号が遅い理由はすぐに予想がついた。ソラは訓練校時代、毎日のように遅刻をしていたのだ。だから会場側の配慮であえて遅い時間帯に指定しているのだろう。今日は会沢君が遅刻しかけたのだが……。
数分経ってアルファベットRの招集がかけられた。
「会沢と違って俺たちは落ちる可能性も十分にある。どっちか一人が落ちてもダメだ」
「二人で合格! そうだろ?」
僕は真っ直ぐな眼でソラを見た。
「そうだ! 二人で最強で最高の化掃士になるために。そして、トキの家族を探し出すために」
「うん!」
僕とソラは拳を合わせ、お互いの検討を祈った。僕はソラの元を離れ案内された教室へと歩き出す。僕の他にもずるずると同じ方向へ向かう生徒が集まって通路を埋め尽くした。
「負けんじゃねぇぞ!」
人混みの奥からソラの声が聞こえてきた。精一杯に力を込めた声だった。試験を「勝つ」「負ける」と考えたことは無かったが勝負好きのソラらしい言い草だと思った。
僕は人混みの中で拳を突き上げ「もちろん勝つさ!」とソラの声に負けじと精一杯叫んだ。