第4話 化掃士選別試験①
ロビーとは打って変わって、R待機室は張り詰めた空気に支配されていた。待機室は人数分の座席と白い机が綺麗に並べてられており、スマホに表示された座席表を見ながら僕は腰を下ろした。部屋は地下に位置するため窓は存在せず、白を基調とした壁と天井が視界を埋め尽くしている。
各々が座席を確認しながら座席を埋めてゆく中、僕は改めて試験内容を頭の中で反芻した。
正式名称———化掃士選別試験は、全国の化掃士訓練校を卒業した十四歳以上の者に参加資格が与えられる。会場はここ、頭京化掃総本部の一箇所で行われ、特待生は《《面接》》。一般生は《《実技》》試験によって合否が決まる。実技といっても具体的な内容は開示されておらず、また人によって内容も大きく異なると言われている。噂によれば、実技だけで百を超える種類があると囁かれている。つまりこのR教室に集まったからと言って皆が同じ試験内容とは限らない訳だ。合格率は年によって異なり、平均すると五十%で二人に一人が合格ということになる。
しかし、今年は例年と大きく異なることがある。それは参加者数だ。僕たちの世代(2020年頃生まれ)は、起隕者の数が極端に多い。故に例年の指標は当てにならない。参加者が多い理由は、生まれた時期とシュタインの出現時期が重なっていることが大きく起因している。余談だけど、起隕者の中で一番多い生年月日はシュタイン発現の日、つまり《シュタインパクト》と同日の〝2020年3月14日〟となっている。僕もその一人だ。では、何故そういった現象が起こるのかと言えば〝隕子は人の感情に作用して体に蓄積する〟からだ。感情の定義は幅広く、その中には〝生まれる〟も含まれる。生まれたときの産声も隕子を集めるのにはうってつけなのだ。
プラス、幼児が持つ特性も関係する。こんなことを聞いたことはないだろうか? 赤ん坊が一日に笑う回数は平均して約四百回。反対に大人は、約十~二十回ほどだという。このことからも分かるように大人に比べて赤ん坊の方が遥かに感情豊かで、故に能力の覚醒———起隕しやすいというわけだ。それを幸福ととるか不幸ととるかはその人次第……。
僕は思わず拳に力を込めた。すると、ポケットが震えているのが布越しに伝わってくる。スマホを取り出し画面を見ると試験の順番がきたことを知らせる通知だと分かった。僕より前の七席はいつのまにか空席になっている。僕は席を立ち、荷物を持ちながら試験が行われるR戦闘室に向かった。教室を出た正面が目的地だ。
ドアには大きく黒字で『R』と印字されており、ドアの横には何やら台のようなものが設置されていた。僕の腰ほどの高さの台はスマホのマークと手をパーの形にしたマークがそれぞれ施されていた。僕は説明通り、スマホと左手を台の上へかざすとマークが緑に光り「ピコン」と入門したときと同じ音が鳴る。と、同時にドアではなく台の側面がタンスの要領で前にスライドし「荷物ヲ入レテクダサイ」とアナウンスが入る。僕は手荷物を全て台にしまう。ようやく戦闘室の扉が横にスライドする。僕は深呼吸し入室した。
R戦闘室の壁と天井は白で埋め尽くされ、待機室と同じような印象を受ける。しかし、壁のディテールをよく見ると待機室とは違い、硬いアスファルトの上に白でコーティングしているようだった。広さはテニスコート一面分ほどで天井の高さは十メートルほどあり、空間的な広さは明らかに待機室より上だった。戦闘室の地面は体育館の床ような性質で、運動靴は歩くたびに「キュッ、キュッ」と音を立てる。
そして、真っ白い壁と天井に囲まれた人工的な風景の中に一際目立つものが堂々と仁王立ちしている。その男は、頭に赤い風船をつけている。僕は部屋を観察してゆく最中に、壁に埋め込まれたストップウォッチらしき物に「180」とデジタルで表示されていることを思い出した。この特徴から考えられる試験内容はただ一つ。〝三分以内に風船を割れ〟。
僕は床に印字された定位置にゆっくりと歩いて行く。辺りを見渡して部屋の広さを精密に頭に入れる。おそらく、定位置に着くまでの時間と内容説明の時間に作戦を立てろということなのだろう。僕は頭をフル回転し作戦を練った。僕は赤の丸印に足を踏み入れる
僕の前方十メートル離れた地面には、同じく赤い丸印があり、その上に男が立っていた。その男は、白いタンクトップに自衛隊が履いているようなBDUパンツというワイルドな服装だった。タンクトップからは筋骨隆々で太く焼けた腕が伸びている。額には「筋肉」と習字で書かれた鉢巻を巻いている。顎は角ばっていて、焼けた茶色い肌に堀の深い溝を作っている。溝に埋まった双眸は、真っ直ぐ僕を見据えていた。鉢巻と相まってラーメン屋の店主のような印象を受ける。しかし、そのイメージをぶち壊す勢いで、頭の上にはファンシーな赤い風船がふわふわと付いている。歳は三十代半ばとみた。
そして、ここから試験の説明があるはずだ。僕の予想通り男は口を開いた。
「君は朝に何を食べた?」
「え?」
僕は質問の意味は分かったが、意図を汲むことができず思わず聞き返してしまう。男の顔を見ると、その表情は至って真剣そのものだった。実技なので健康チェックということなのだろうか? とりあえず僕は質問に答えようと声を出す。
「朝ご飯は、急いでいたのでゼリーとバナナだけを食べました」
僕は正直に答える。
「君に足りないものを教えてあげよう」
まさかの返答に僕は困惑しつつ、肯定の意を示した。
「なんでしょうか?」
「それはっ!」
男は言葉を区切り大きく息を吸った。
「プロティ~~~ン‼︎」
男の大きな声は空虚なR戦闘室を揺らした。僕は思わず耳を塞ぐ。そして僕の脳は本能的に察知した「この男ヤバい……」。
男の反響音がようやく治まると僕は口を開く。
「えっと……」
口を開いたものの僕は何を話したらいいのか分からず尻込みしてしまう。
「あぁ、プロティンとは日本語でタンパク質を意味する言葉だ」
「いや、それは分かってますけど……」
「そいうことか、すまんすまん。自己紹介がまだだったな。俺の名前は等々力剛。皆んなには『筋肉野郎』とか『筋トレバカ』、『ゴリラ先生』と呼ばれている。よろしくな! 日出刻君!」
自己紹介を求めていた訳ではないのだけど……この際、良しとしよう。ニックネームの理由は聞くまでも無さそうだ。僕はどう接していいのか分からないので、とりあえず挨拶する。
「よろしくお願いします。朝食の確認は試験官の義務事項なんですか?」
「いや、俺の趣味だ」
等々力試験官は笑顔でそう述べると、右手を後ろポケットに回し、何かをポケットから取り出した。彼の手にある物をよく見るとふりかけサイズの薄っぺらい容器を手にしている。「シャカシャカ」と音を出していることから中身は粉末なのだろう。そして再び言葉を切る。
「これは俺がプロデュースしたプロテイン。名付けて『等々力のGO!GO!プロテイン』だ!」
等々力試験官は、僕に見せつけるように袋を前に突き出した。彼のいう通り、袋には彼の直筆であろう習字のフォントで名前が印字されていた。色の配色もかなり独特で一見すると危ない薬物にも見えるほどだ……。そして、等々力試験官は堂々と宣言する。
「聞いて驚け少年! 値段は一袋250mlで破格の550円!」
「えっ高くないですか?」
試験中であることを忘れて、僕は普通に聞き返す。
「GO! GO!だから550円! 一般人の感覚からすれば確かに高いかもしれない。しかし、成分を考えると安いくらいだ。効果も絶大。缶バージョンを一階ロビーの自動販売機で絶賛発売中だ! 是非是非買ってみたまえ」
等々力試験官は、自分の両手を曲げ力こぶを作り、プロテインの効果を猛アピールした。
「宣伝したいだけじゃないですか!」
「いや~実はね、プロテインの開発費に財産を投じてしまって……。今、金欠なんだよ」
「なるほど……試験が終わったら買ってみます……」
「是非ともそうしてくれたまえ。飲んだ人の感想は『腐った牛乳をトイレの雑巾で絞った方がまだマシ』とか『小テストのペナルティを外周10周からプロテインを飲み干すとしたところ、生徒の成績が著しく向上した』など様々な意見をいただいている」
「ゲロ不味じゃないですか!」
「正直言って成分を重視してばかりで、味がしっちゃかめっちゃかになったのは俺の失敗だ。しかし、良薬口に苦しという言葉もある。このプロテインは君を裏切るなどしないはずだ」
等々力試験官は、神に祈るような顔で僕に懇願した。おそらく本当に売れてなくて本当に金欠なのだろう。その力に少しでもなりたいと僕は思った。僕は等々力試験官の洗脳を受け、購買欲が芽生えていた。
「プロテインは何味があるんですか?」
「いい質問だね。スーパーマジカル味の一種類だ! つまり味選びで迷うことは一切無いだろう!」
僕は彼の顔を見ながら大きく頷いた。そして心に深く誓った「死んでも飲まない」と。
「さてと、宣伝は以上だ」
僕には宣伝というよりかは、むしろ自虐ネタにも感じられたが、こういう得体の知れないものを肝試し感覚で購入する人もいるかもしれないとも思った。等々力試験官の満ち足りた様子から本人は自虐の自覚はないらしい。
「では、試験を始める」
そういえばそうだった。僕はプロテインの勧誘を受けにきたわけではない。化掃士選別試験を受けにきたのだ。等々力試験官は真面目なテンションでテキパキと説明を始める。
「試験受講者は理および隕子による肉体強化を許可する。試験官は理は使わず肉体強化のみ。受講者の目標は制限時間180秒以内に試験官頭上の風船の破壊である。目標を達成した場合は即合格。達成できなかった場合は、試験官の厳密な審査の元、後日通達する。明らかに不合格の場合は、試験後すぐに俺の口から伝達する。尚、実技試験は部屋内部に設置してある二十のカメラで録画している。注意事項として、試験官の命を必要以上に脅かす常軌を逸脱した行為と認められた場合、失格とすることがある。以上で説明は終わりだ。質問はあるか?」
「ありません」
「了解した。では、試験を開始する」
等々力試験官がそう述べると英語でカウントが始まった。
「10、9……」
カウントと共に全身の血液が武者震いを起こす。もちろん僕の目標は不合格や判定合格ではなく、風船を割って即合格することだ。
僕に家族と呼べるものはもう存在しないかもしれない。それでも僕を応援してくれるソラや会沢君のためにも絶対に負けられない。僕はなんとしても自分の正体を知らなくちゃいけないんだ!
「3、2、1」
「ピィー」という甲高い効果音が部屋中に鳴り響く。この瞬間、僕の夢へ向かうレースがスタートした。