第2話 いってきます
「「会沢(君)⁉︎」」
僕とソラは声を合わせて叫んだ。そこには化ではなく、美少年が右手を突き出して堂々と立ちはだかっていた。芸術作品のように整えられた上品な金色の前髪。少女漫画に出てくる王子様のような繊細かつキリッとした顔立ち。間違いなく同級生の会沢旬がそこにいた。服装は僕たちと違い、ベージュのブレザーに同色のニットを重ね着というオシャレなスタイルをとっていた。会沢君の家庭は裕福なので追加料金を払って、制服を拵えているのだろう。身長は170センチと標準的にも関わらず、スタイルがいいので幾分高く見える。
「会沢の野郎なにやってんだ? バカなのか?」
ソラは宇宙人を見るような目で呟いた。ソラに「バカ」呼ばわりされる会沢君を気の毒に思いつつ、この時ばかりは僕もソラに同情した。
車内は依然として「キケン、ゼンポウニショウガイブツアリ」とロボット声の警告音が鳴り響いている。先刻の悲鳴は、道路に飛び出す会沢君を見て発せられたものだろう。僕はバスをこのままにしておくと他の交通の迷惑になると思い、慌てて運転席に身を乗り出した。そして『開』のボタンを押す。すると「プシュー」という音と共にバスの扉が開いた。そして僕は扉から頭を突き出して、依然道路に立ち塞がっている会沢君に言葉を投げた。
「会沢君早く乗って! 遅刻しちゃうよ!」
会沢君は僕の声に気づいたらしく、右手をクイクイっとして合図を送った。そしてこちらに向かってゆっくり歩みを進める。この期に及んで、走るという選択肢をとらない会沢君を見て苛立ちを覚えた。と、同時に彼らしいとつくづく思った。会沢君は、サラサラの髪の毛を揺らしながらバスに乗り込む。
「君たち、お待たせ!」
会沢君は腰を横に突き出し、目元に横ピースを作ってみせた。
「誰も待ってねぇよ」
ソラは呆れた調子でツッコミを入れる。
「これがボクをディトピアへと誘う方舟という訳だね」
会沢君はソラを無視して、車内をありありと見渡した。そして、ディストピアとは会場のことを指し、方舟とはこのバスのことだろう。会沢君は、ナルシストの上に厨二病を患っているのだ。
「んなことより、これで遅刻したらお前のせいだからな」
ソラはきつい視線を会沢君に向けた。
「まぁまぁ、君が焦ったところでこの運命からは逃れられんよ《《スカイ》》君」
「あぁん? 誰が《《スイカ》》だって? 顔赤ぇのはお前にキレてるからだよ」
たちまちソラは会沢君に襲いかかった。会沢君はバレリィナさながらソラの攻撃を華麗に交わし、その流れで一番後ろの五列シートに腰掛ける。
「この不潔な塊はなんだ? じゃーま」
そう言って会沢君はソラのリュックをゴミ袋を捨てるかのようにポイっと投げた。
「ちょっ、俺の大事なリュックになんてことすんだよ!」
ソラは黄色いツンツン頭を激しく揺らしながらガツガツと後方へ足を進める。僕もソラの背中を追いかけて後方へと向かう。バスはいつ間にか発進しており、頭京の街並みが車窓の外で流れてゆく。
ソラはリュックを大事に抱えながら、二人で会沢君を挟むかたちで腰を落ち着けた。会沢君はしれっとリュックに目を向ける。
「君は泊まり込みで試験を受けるつもりなのかい?」
「んなわけ……」「ソラのリュックは気にしなくて大丈夫だよ」
僕は再び火蓋が切られる前にソラの発言を遮った。そして、僕は言葉を続けた。
「逆に会沢君は、そんな手ぶらで大丈夫なの?」
僕は会沢君のバックどころかコンビニに立ち寄るレベルの手ぶらぶりに驚きを隠せないでいた。会沢君はその言葉を待ってましたと言わんばかりに何回も頷く。
「日出君、ボクは何を隠そう《《TOKUTAISEI》》だからね!」
会沢君はこれまでにない甲高い声で述べた。
「TOKUTAISEI」の発音が英語のようで一瞬なにを言っているのか判断しかねた。が、すぐに会沢君が《《特待生》》だと理解した。この瞬間僕は、会沢君が頭脳明晰であることも思い出した。
僕の訓練校ではテストの点数が上位一桁の者は、学校のHPに名前が記載されるのである。そこには毎度の如く『会沢旬』という名前が堂々と鎮座していた。化掃士訓練校の中で全国一位の人口を誇る頭京化掃士訓練校で、その場に行く度も名を連ねることは決して容易ではない。僕も名を刻むために死ぬほど努力したにものの、名を連ねたのは、たった一度きりだった。
容姿端麗、頭脳明晰、お金持ち、おまけに厨二病というてんこ盛りな属性を持つ会沢君に、僕は改めて圧倒的な敗北感を覚えた。アニメや漫画なら僕は間違いなくモブキャラだろう。僕は、シャーペンの芯のようにポッキリと首を曲げた。
「おいトキ、急にどうした?」
その様子を見かねたソラが声をかけた。
「字名君、見ての通りだよ。彼は試験を間近にして不安になっているんだ」
会沢君は、櫛で前髪を整えがなら横目で僕を見た。
「なんか違う気がするけど…」
会沢君は「元気100倍ウルトラチャージキャンディ‼︎」と書かれた飴を僕の目の前に差し出した。
「これでも食べて元気を出したまえ。同じ出身校の者として、そして友として、君の合格を心から願っているよ」
僕は涙目でキャンディを受け取った。その瞬間、心の底で「なんて優しい人なんだ」と感激した。こんなにハイスペックで完璧なのにどこか憎めないのは、この性格だからだろう。
「ありがとう会沢君、僕頑張るよ。会沢君は特待生だから合格も同然だね」
つい毒のある発言してしまった、とすぐに後悔した。実際、特待生はほぼ合格と言うのが沈黙の了解なのだ。ところが会沢君は僕の毒舌を気にも止めず口を開いた。
「その通り、ボクはちゃっちゃっと面接を済ましたらいいだけの身分なのさ」
「せこ~俺も盛り盛り《《特大生》》がよかったな~」
この発言に僕と会沢君はため息をしつつ、二人揃って目を向けた。
「「(ソラ)(君)だけは絶対に無理だ」」
「えぇ~揃いも揃って言うことねぇじゃん」
ソラの発言と同時にバスは目的地を告げるアナウンスを車内に響かせた。予期せぬ人物の登場で選別試験への緊張と不安は既に無くなっていた。軽い足取りでバスをあとにする。目の前には空を覆いつく勢いの堂々たる頭京化掃士総本部が僕らを待っていた。
パンパンに膨らんだリュックを背負う字名空。櫛を片手に髪を整える会沢旬。ショルダーバッグをギュッと握りしめながら一歩ずつ進む日出刻。春の暖かい風が僕ら三人を後押しした。
その風に応えるように僕は心の中で力強く呟いた。
「いってきます」