第1話 おはよう
君は『自分は誰なんだろう?』ないし『何故生まれてきたのだろう?』と考えたことはあるだろうか?
僕は両親が誰なのかも知らないし、ましてや自分の正体、名前も知らない。今は日出刻という名で生きている。日出国の子だから日出刻。他人は自分が誰だっていいじゃないかという。過去より未来を見るべきだ、と。今思えばアイデンティティという言葉にうなされていただけたかもしれない。
それでも、僕は知りたかったんだ———「僕は」に続く名前を。
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2035年3月13日。
僕は瞼をゆっくり開いて目を覚ました。体を起こすと、重力に従って一粒の水滴が頬を流れる。
(またか……)
僕はここ最近、目が覚めると何故か泣いていて、胸が締め付けられるような気持ちに苛まれる。何か忘れてはならない夢を見ていた……そんな気がしてならない。が、いくら思案しても内容は思い出せそうにない。
「プルルルル……」
スマホがアラーム音を立て、誰もいない1Kの部屋に響き渡る。僕は目を擦りながらスマホを手に取ると、画面には【アラーム 化掃士選別試験】と表示されていた。僕はその文字を見るや否や慌ててベッドから飛び起きた。
僕はゼリーとバナナを胃に納め、訓練校の黒い学ランにテキパキと着替える。そして洗面台へと足を向ける。洗面台の一面鏡の前に立つと、これまで幾度となく見てきた自分の上半身が写っていた。165センチの小柄な身体。全体的に少し長い黒髪と温和な黒目。幼さが残る中性的で特徴のない顔。そんなどこにでもいる普通の少年、日出刻が鏡に写っていた。
ふと、僕は一体誰なんだろう? と思春期にありがちな疑問が頭をよぎる。
自分をじーっと眺めながら歯磨きを終えると、両手で頬を「パンッ」と叩いて気合いを入れた。
あらかじめ準備していたショルダーバックを肩に掛け、自分の部屋を後にする。外へ出ると、すぐ右隣にある206号室のインターホンを押した。「ピンポーン」と聞き慣れた音が耳に入る。
「ソラ~起きてるかー? 今日、選別試験だぞ~」
僕がスピーカーに向かって呼びかけると中で何かが落っこちる音がした。
(……こりゃ寝てたな)
僕はソラがベッドから転げ落ちた音だと容易に推測できた。スマホで電話やメールをしても音信不通だったので今まで寝ていたのだろう。
すると、目の前の扉がゆっくりと開き、黄色い髪が四方八方に伸びた寝癖だらけの少年が姿を現した。ソラだ。ソラは春の陽光にやられ、不機嫌な寝起き顔でつったっている。
「……」
口はあかずの金庫のように重く閉ざされており一言も発しない。
「早くしないと遅れるぞ」
僕は分かりきったことを言い聞かすと、すかさずソラの身体をガシッと掴みくるっと百八〇度回転させ、部屋へ押し戻した。扉が「バタン」と閉じられ、中で支度する音が聞こえ始める。
僕の親友(ソラはどう思っているか知らないが)字名空は古くからの付き合いでいわゆる幼馴染というやつだ。お互いに「ソラ」「トキ」と呼び合っている。
ソラの性格を一言で表すと《《大》》が付くほどの馬鹿者で、彼を如実に表すエピソードとして『サンタ捕獲大作戦』を催していることが挙げられるだろう。
内容は名前の通りで、毎年クリスマスになるとサンタ捕獲のため、罠を玄関に仕掛けるというものだ。罠の仕組みは、玄関から中に入ろうとすると、鈴がついた糸に足が引っかかり、音が鳴ると待ち構えていたソラが瞬時に飛びかかる、という単純なモノだった。今年で高校生になる少年がサンタを信じている時点でマヌケな話なのだが、ソラはとどまることを知らない。
今年度も例年通り罠を仕掛けたのだが、《《25日の夜》》に罠を仕掛けるという初歩的なミスをしたのだ。一日遅いのである。加えて、同じミスを三年連続でしているので親友の僕も開いた口が塞がらない。
「だ・か・ら! サンタが来るのは24日の夜だよ」
「え? でもクリスマスって25日じゃねーの??」
ここ三年のクリスマスはこんな会話をして幕を閉じるのが恒例行事となっていた。
そのサンタ事件があった玄関前でソラを待ち始めて二十分が経過している。が、出てくる気配がまるでない。扉の向こうでスマホを高速スクロールしながら準備物を確認しているソラの姿が目に浮かぶ。手伝ってもいいのだが、ソラはもう高校生なのだ。試験の準備くらい一人で済まし、自立心を育むことが親友としてするべきことだろう。僕は心を鬼にして忍耐強く外で待つことにした。会場行きの最終便バスがあと十五分後に出発する。その便に遅れるのであれば手伝うことにしよう。
「ソラ、あとどれぐらいかかりそう?」
僕は扉を少し開けて呼びかけた。彼は、学ランを羽織りながら「もうあと三十秒!」と振り返りながら叫び、僕は疑いの目を向けながら扉を閉じた。
これは三十秒じゃ終わらないなと見切りをつけると僕はアパートの柵にもたれかかり街の景色へと目を落とす。
僕たちと同じ、上下に六部屋ずつある二階建てのアパートが規則正しく並べられていた。今から選別試験に向かう者の姿がちらほら見受けられる。ここは訓練校の学生寮アパートで家族が訳あっていない者や家が学校から遠いものは皆ここで暮らしている。僕たちも例外ではない。
学校はどこにあるのかといえば地下にある。校舎は、万が一化が現れたときの避難施設を兼ねているからだ。といっても、頭京の都市部は、化が殆ど発生しない。理由は、都市を覆うドーム状の透明バリアのおかけだ。バリアで仕切りを作ることで化と隕子の侵入を防げるという訳。
「ガチャ」
扉が開いた。案の定、ソラが姿を表したのは五分後のことであった。
「トキ、おはようさん! 永らく待たせて悪かった悪かった」
ソラは寝起きは静かなのだが、一度エンジンがかかるとハイテンションになるので、初対面の人は口を揃えて「ソラは合わせづらい」と口にする。顔つきも寝起き顔からバトル漫画の主人公のような活気あふれるものになっていた。
「僕とソラでは時間の流れるスピードが違うのかな? それになんか荷物多くない?」
僕は嫌味ぽく言いながらソラのパンパンに膨らんだリュックに目線を向ける。
「いゃ~よく分かんなかったから、とりあえず色々詰め込んできた!」
ソラはアパートの階段を降りながらリュックを「バンバン」と叩いた。
「説明書読まなかったのか?」
「いや~俺さぁ長い文章読むと眠くなんだよね~二度寝は勘弁勘弁」
階段を降り切ると僕より数センチ背が高いソラに目を向ける。
「それだけ詰め込んでも肝心の物を忘れるのがソラだからな~」
「それもご愛嬌ということで」
そんなこんなで雑談しているとバスの停留所が見えてきた。ギリギリ間に合いそうだ。バス停までの道のりの桜が僕らを歓迎するように咲いている。そよ風が吹いてピンク色の花弁が宙を舞う。
停留所に着く。バスは既に停車しており、行き先表示板には【頭京対化総本部】となっている。
バスに乗り込むと運転席には誰も座っていなかった。このバスは訓練生専用でAIによって管理されており、完全自動運転なのである。二十人は楽に乗れそうな車内は僕とソラ以外、誰一人としておらず貸切状態となっていた。まぁ、選別試験当日の最終便だからかと納得し、贅沢にも僕とソラは一番後ろの五列シートに腰をかけることにした。バスはアナウンスを終え、ゆっくりと走り出す。
「ラッキー貸切だぜ~」
ソラといえば遠足でウキウキの小学生みたいにはしゃいでいる。パンパンに膨らんだリュックが様になってるなぁと思いながらソラを眺めた。あっ……僕は何かを思い出したようにソラに話しかけた。
「そういや、選別試験は最悪、訓練生証だけあれば受けれるらしいから今のうちに探しておけよ」
ソラは僕の言葉にビクッと反応する。その反応を見て僕の掌に汗が滲む。
「えっと……えっと……あったあった」
ソラは学ランについているポケット一つ一つに手を突っ込むとその一つから訓練生証を取り出し、自信ありげに僕に見せつけた。僕は大きなため息をつく。ポケットにそんな大事なもの入れておくな! とツッコミをかましたくなった。しかし、待ちに待った選別試験なので精神的な余裕など無かった。反対にソラは緊張の《《き》》の字も無く、いつも通り平然としている。そんなどこか抜けていていつも天真爛漫なソラを僕は気に入っている。僕はどちらかと言えば真面目なタイプだからだ。僕は緊張を紛らわそうと目線を外の景色に移そうとした瞬間……。
「キィィッ……」
物理法則にしたがって身体が前後に揺さぶられる。バスが急ブレーキをかけたのだ。僕とソラは思わず顔を見合わせる。外から微かに叫び声のような悲鳴が聞こえた。二人が考えていることは同じだろう。〝化の出現〟
「とりあえず外を確かめよう!」
ソラは前方に目配せしながら声をあげる。
「ここで実践練習をして試験に臨むのも悪くない」
都市部で化の出現などあり得ないと思いつつも僕とソラはバスの前へと駆け出した。バス前方の大きな窓から外を見る。それは、道路の中心にいた。その正体を知り、僕とソラは目を見開いた。