3-2:天罰
目前にはたったひとつ、冷ややかに青みがかった白亜の建造物が鎮座していた。
視界の左上に【ハビナス神殿】という表記が現れる。
隣には夢生が立っていて周囲を見回している。
「夢生さん、どうやら改変が終わったみたいですね、まるで別世界だ」
「うん、でも同じ現実空間だから気を付けて。ここで死んだら、デスペも蘇生もないよ」
彼方は改めて気を引きしめ頷いた。二人はその後、ゆっくりと神殿の入口へと続く白亜の道を進んだ。その道は半透明で、一歩進むたびに硬質な音を響かせる。彼方はジャンプして衝撃を与えたらガラスのように割れてしまうのではといらぬ心配をしてしまうが、スタスタと先を行ってしまう夢生を小走りで追った。
近づくと、二枚の大扉と二体の銅像が見えてくる。扉の表面には、十字架を天使の翼が抱くような精緻な文様が描かれており、銅像はそれぞれ六つの翼をもっていた。
「ここにも......天使か」
扉の文様に触れる夢生が重苦しく呟いたのを聞いて、彼方はそのほうを見る。
「天使の手記っていうくらいですし、そんなに変な話でもないんじゃないですか?」
すると夢生は、珍しく神妙な眼差しになって言った。
「でもエデンには本来、天使はいない設定なんだよね」
言われた意味が分からず彼方は尋ねる。
「どういうことですか?」
「エデンに言い伝えられる神話では、天使は創造主に仕える戦士で、エデンは古代の人々が創造主から勝ち取った自由の地なんだ。だから天使はエデンには入ってこられないし、天使を祀るようなものは存在自体が異端なんだ」
「そんな創世神話がエデンにはあるんですか。その意味では確かに異質ですね」
「まあでも、消去されたものは原則復元できない。それをやってしまえるアイテムがあるというのだから、ある意味、この異質さは良い兆候かもしれない」
二人はそれ以上得られる情報がないことがわかると、同時に大扉に手を合わせて力を込めた。
そばで夢生が記憶を反芻するように言う。
「黒熊の話では、神殿は三層構造になっていて、第一層はガーゴイルを中心に小型モンスターのみで構成されていて特段難しい局面はないらしい」
大扉はまるで巨人が唸るような地響きを伴いながら少しずつ開いていく。見た目ほどの重さはなく、どちらかというと二人の開く意志を理解して自ら開いているようにも感じられた。
「じゃあ第一層のうちは俺が前衛やりますよ」
そう言いながら、彼方はスライドしていく扉の奥から光が漏れ出るのを感じた。そして次の瞬間、それは起こった。
『審判の目』
扉を挟むように立っていた天使像の翼に赤い閃光が走る。そして無数の眼球が見開かれた。
『存在の簒奪者よ、天の宿命に挑め』
脳内に厳かなアナウンスが流れる。夢生も同じ声を聞いたのかはわからない。しかし予想外のことで驚きに表情を染めている。二人は反射的に背中を預け、互いに近い側の石像に相対しようとした。しかし、変わらず大扉は開かれ、その中から漏れ出たおぼろげな光が二人を包み込む。そして次の瞬間には、二人はもう、神殿の中に立たされていた。
瞬間的に景色が変わったことで、二人は反応を同じくして背中合わせになって周囲を警戒する。背後には歩いてきた道も大扉もなく、楕円形に広がっている白亜の地面があるだけ。
「黒熊が話していた事前情報と違う。彼方くん、気をつけて」
夢生の訝しむ声が、ただ静謐な空間に響いた。慎重に夢生と視線を合わせ、頷こうとしたその時、どこからか野太い男の叫び声が響いた。
「やめろおお!! ぐぁああああああああ……!!!」
二人は弾かれるようにその悲痛な響きの方へと引き付けられる。どうやら、二人がいる広間のような空間を抜けて、東方向に曲がった先から響いたようだった。彼方と夢生は互いに目線を合わせ、頷き一斉に走り出す。
「僕たちの他にも誰かが先にいたんでしょうか」
走りながら彼方が問うと、夢生はなにやら思い当たる節があるようで苦い表情で答える。
「あたしの想像が間違っていればいいけど」
広間を抜けて曲がり角に差し掛かったところで、夢生が右手で彼方を制し先行する。曲がった先にモンスターがいることを警戒してのことだろう。そのまま夢生が一足踏み出し、一息に飛びだす。彼方も続いて角を曲がった。そして待ち受けていた光景が二人を瞬間的に硬直させる。夢生が悲痛な声を漏らした。
「黒熊……!」
そこにいたのは夢生が接触した情報屋の黒熊。手練れの仮想魔術師であり、天使の手記を手に入れるため何度もこのダンジョンに潜りクリアし、すべてを知り尽くしている。その黒熊が地面に倒れていたのだ。それも男の大きな体躯は片足と片腕が欠損しており、背中にもなにかに突き刺されたのか大穴が開いている。全身からは血が漏れ出しており、明らかに回復不能の重篤な状態だった。
黒熊は夢生の声をまだ聞き取る生命力が残されていたらしく、仰向けに倒れた状態でギョロリと視線を向ける。そして怨嗟し恨むように、残された片手を弱々しく上げた。
「お前、何をした……あんなやつ、今まで一度も……お前らが来た途端……」
そこまで言うや、血を吐きながらせき込み、力尽きたように腕を地面に落とす。そこからはもうピクリとも動かなくなった。
彼方は周囲を見回していたが、特段何も見当たらない。ただ白亜の大広間があるだけだ。
夢生は黒熊に近づくと膝をつき、脈動を確認する。
「死んでる」
このダンジョンはエデンではない。現実だ。故にデスペナルティもないし、復活もしない。黒熊という本名すらわからない男は、今、本当に死んだのだ。
彼方は人生で初めて、誰かの死を目の当たりにした。その途端、急に恐怖が湧き出してくる。黒熊はなぜ死んだのか、何に襲われたのか、それはどこにいるのか。何もわからない。もしかしたら、すぐ近くにいやしないか?
突発的に不安が立ち込めて、彼方は弾かれるように背後を確認する。しかしそこには同じく白亜の地面と漆黒の壁で作られた来た道があるだけ。
だがその時、彼方の視界の隅に何か白くて軽い何かが流れ落ちた。
なんだ。
視線を向ければ、それは羽根だった。ふわりふわりと、純白の羽根が天から降ってきていた。
殺伐とした空気の中にあって、時間がゆっくりと流れるように優雅に舞う羽根。彼方はそれになぜか意識を奪われた。そして何気なく目前に落ちてきたものを手のひらで受ける。すると、周囲にまた一片、また一片と次から次へと羽根が舞い落ちてきていることに気づく。見れば、夢生もそれに気づいたようで、黒熊の身体に落ちてきた羽根を見ている。そして二人はそれらが落ちてきた天井を仰ぎ見て、同時に硬直した。
「禁断の魔物」
そう呟いたのは夢生だった。まるでそれ以外の言葉をすべてを失い、心の中に唯一残された語彙をそのまま漏らしたような、力のない響き。誰にとっても、その言葉は意味を成していない。しかし同時にそこに君臨していた異質を極める存在を目にした彼方にとっては、それ以外にない言葉だった。
直径十メートルはあろうか、宝石の代わりに眼球がふんだんに散りばめられた大きな指輪が四つ、それぞれ絡み合うように浮遊し、その中央には核として巨大な翼を生やした眼球がひとつ。ジロジロと数十もの瞳が二人を静かに、しかし突き刺すように見ていた。二翼が雄大な動きで宙を凪ぎ、音もなく巨体を宙に留め置いている。それは飛んでいるのではなく、明らかに浮遊していた。羽ばたきによる反動はなく、どちらかといえば、時にクルクルと緩急をつけて不規則に回転する四輪が磁力のような力場を生み出しているように感じられた。
その存在を認識したところで、視界に名称がゲームシステムのように表示される。
【天使:オファニム】
その時、呆然とする彼方の手を夢生が握った。握る手は力強く、そして震えていた。
「脱出……!!」
見れば、夢生は視線を天使に向けたまま、一瞬たりともその情景を逃がさまいとするかのように瞳をかっぴらき、それでいて必死に訴えていた。
「天使って――」
天使から視線を外し、夢生に話しかけた途端、夢生がこれまでに見たことのない形相で手刀を作り宙にメスを入れる。作り出した次元の裂け目に手を入れ、すかさずメルヘンチックな見覚えのある鍵を取り出す。それは異空間への扉を開ける鍵。
目にもとまらぬ速さで実行された一連の動作によって、彼方が認識したときにはいつの間にか具現化した鍵穴に鍵が差し込まれている。そうして彼方の意識が弛緩したその刹那、鍵を持つ夢生の腕が宙を跳ねた。
「ぇ」
かろうじて音となったのは彼方が息を吐きだす音。
目前に広がる視界が斜め上から斜め下に向けて一閃、金色の光線によって遮断される。そしてその光線に撃たれた夢生の右腕が吹き飛び、彼方は血しぶきを浴びた。
「がぁっ」
激痛に呻く夢生。
しかし夢生は歯を食いしばりながら両断された腕を空中でキャッチし、迷いなく傷口に押し付ける。瞳にはいつの間にか幾何学模様の星々が宿り、刹那、傷口に蛍光色の光が走った。電光石火の勢いで練り上げられた仮想魔術が発動し、皮膚が超再生。欠損した腕が接合された。
驚きと混乱によって思考停止に陥った彼方は、床に転がった鍵に無防備ながら手を伸ばそうとする。
「いらないよ」
言って、夢生が彼方を制する。
「さっき私は十分に速かった。でも、鍵が回らなかったの」
「それってどういう」
「扉は開けられない。ここからは出られなそうってこと」
ごくりと唾を飲む彼方。
しかし、夢生の声はいつもの落ち着いたものに戻り、凛と響く。
「大丈夫、私がいるから」
彼方を守るように差し出された夢生の白くすらりとした腕。つい今しがた、両断されたばかりだというのにもう震えてはいなかった。また瞬時に展開された仮想魔術によってまるで傷ついたことが嘘のように美しい。そこにはしっかりと魔力の気配があり、改変が継続されていることがわかった。
そうだ、夢生さんがいれば大丈夫なんだ。
そう希望の灯が彼方の怯えた心を温めたその時、夢生が何かに気づいたように歪む。
「夢生さん?」
夢生は答えず、突然何か騒音に悩まされているかのように耳に手を当てる。怪訝な表情で音の出所を探るかのように周囲を見回す。
「どうしたんですか?」
「足音……何か大群が近づいてくる。なんの音、これ?」
彼方は耳に意識を向ける。しかし、彼方には足音はおろか何の騒音も聞こえなかった。それどころか、その空間は奇妙な静謐に満ちているのである。
「俺には何も聞こえませんが」
だがそう言った直後、パチィン――と何かが破裂するような奇妙な音がどこからともなく突如として響いた。音の出所がない。それはまるで世界全体で一斉に鳴らされたように響いた。
そして同時に、ぼとりと何かが地面に落ちる音がした。それは今の今まで完璧に確実に、欠点なく治癒されていた夢生の腕。
夢生が驚きから顔を歪める。
「改変が......!」
今回はどこにも光線が見えなかった。それに先ほどのように光線の勢いによって血しぶきが舞うようなこともなく、どちらかといえば腕が最初から接合されておらず重力に負けて落ちたかのようだった。またさらに、今回明らかに違う点が一つ。夢生が回復を試みていない。
見れば、夢生は腕を拾おうと手を伸ばすのではなく、逆に腕を遠ざけるように上に向けている。その行動の意味が彼方には皆目見当がつかない。その辻褄の合わないへんてこな挙動をする夢生は、自分で驚き笑みを浮かべていた。まるで自分の身体を思うように動かせないかのよう。
夢生は残された片手の動きを確かめるようにグーパー開いて閉じてみせる。
「手を閉じようとすれば手は開かれている。左手を上げようとすると右手側が反応する。上を見ようとすれば下を見ている。これは慣れるのに時間がかかりそうだ」
夢生は言いながら、試行錯誤するようにぎこちない挙動でようやく腕を拾いあげた。
「こんな時に一体何を言ってるんですか?」
「神話で読んだ天使のパッシブスキル《天罰》。実在したとは」
その時、彼方は上空で微かに光の明度が上がるのを感じた。見れば、天使の中央にあるひときわ巨眼が光を集め、明滅している。
――来る。
彼方は咄嗟に夢生の動きが鈍っていることに鑑みて、地面に両手を押し付ける。同時に演算特有の負荷が脳内に重力をかけた。
頭上で、金色の光の集合が線形となって打ち出されたのが見える。今度こそ、再びの光線烈火、それも中央の眼球から放たれた特大のもの。
ギリギリのところで脳内演算した改変が走り、仮想魔術によって地面が壁を作るように隆起する。直後、重い衝撃が壁を伝って全身に降りかかった。壁が破壊され尽くされないように、彼方は継続的に壁に対して改変を実行している。今や、意識そのものが仮想魔術を通じて壁とへと敷衍し、間接的に一体化しているといってもよい。彼方は、天使の光線が壁を削り取ることを想定し、繰り返し壁のプログラムを初期化し表面を再構成、また同時にその硬度を引き上げ続ける。
こうすれば、どれだけ威力が高かろうと防ぎきれる。俺にだって、夢生さんを守ることくらいできる。
光線と仮想魔術の攻防が続く中、彼方は今までに感じたことのない奇妙な感覚に襲われた。それはまるで仮想魔術による世界の改変行為、すなわち世界を設計し創造した開発者への叛逆・冒涜行為を監視されているような。
後ろで、夢生が何かを訴えている声が聞こえる。しかし、極大の光線が壁に食いかかり、激しく打ち砕く音にかき消されて聞こえない。
心配しないでください、夢生さん。これくらいなら俺にだってできる。
事実、光線は完全に壁に押しとどめられている手ごたえがあった。
しかしその時だ。それは獣の足音か。それも一頭や二頭ではない。まるで数十にも及ぶ、様々な巨大生命の軍勢が押し寄せているかのような足音が響いた。しかしおかしい、光線が壁を打ち砕く騒音が響き渡っている中、そんな音がこんなにもクリアに聞こえるものか。彼方にはその地面を押し鳴らすように響く音がしっかりと聞こえた。そしてそれがものすごいスピードで近づいてくるように、どんどん音が大きくなりテンポを速めて近づいてきている。また同時に、視界が揺れ始めた。まるで足音に連動して、地震が空間を揺らしているかのように視界が小刻みに震え始める。
だが仮想魔術を解除すれば、光線に撃たれてしまう。彼方はそれでもなお魔力を継続的に流し、改変し続けた。
そしてそれは起こるべくして起こった。
バチィン――。
再びの破裂音。今度は彼方の全身に電流が走った。痛みはないものの、地面に押し当てていた両手が弾き飛ばされ、仮想魔術が強制的にキャンセルされる。瞬間的に視界がホワイトアウトしたかと思えば、周囲がぐるぐると回り巡った。
彼方の仮想魔術が棄却され、光線が壁を破壊する。幸いにも壁がギリギリで押しとどめたか、余波で体が圧迫される。夢生が寸前で彼方を庇うように抱きかかえ、二人は後方へと吹き飛ばされた。
「大丈夫かい。彼方くん」
耳元で夢生の声が穏やかに響く。
彼方は普通に返事をして、すぐ立ち上がろうとする。しかし立ち上がろうと出したはずの手が動かない。代わりに反対の手が奇妙にも宙を押し、彼方は歩き方を知らない小鹿のように地面を這った。激しく動揺する彼方。
「落ち着いて。天罰の効力だ」
夢生が優しく包み込み、彼方の上半身を支えるようにして起き上がらせる。
「天使にのみ与えられた特別な神の力。あらゆる仮想魔術による継続的な改変が禁止される。そして一定時間内に改変を停止しない場合、仮想魔術は強制停止され、術者は罰として肉体の自由を奪われる。なにかさ、頭の中で何かが迫ってくるような気配を感じたでしょう?」
彼方の脳裏に、何か強烈な軍勢が物凄い剣幕で迫ってくる気配が蘇る。足音のような、ドラムのような音と一緒に迫ってきたのだ。あれがダイムリミットというわけか。
彼方はすっと深呼吸し頭を冷やす。
「神に仕える天使が反逆者に罰を下すんですね」
言って彼方は、右を動かすために敢えて左を動かそうと思考を試みた。すると案の定、右手が左手にイメージしたように動き出す。次は右足を曲げるために左足を曲げて立ち上がるようイメージし、ようやくフラフラと立ち上がることに成功した。
「上手じょうず」
夢生が手をパチパチと叩いて、初めて赤子が立ったかのように褒める。
「こんな時に、ふざけてる場合ですか。これじゃ戦いにならないですよ」
彼方は結局、また自分が守られるのかと俯く。
「えっへん、あたしは彼方くんが守ってくれてる間に元に戻ったよ。どうやらこの状態異常にもちゃんと制限時間があるみたい。それとこっちもね」
言うや、夢生はひらひらと手を躍らせる。それは先ほど天使に両断された右腕。一度は仮想魔術によって接合したものの天罰によって改変を拒絶されたはずだ。それが今では完全に治癒されている。
「彼方くんが作ってくれた壁のおかげだよ。あの目に見られていない場所では天罰の効果は及ばないらしい」
よく見れば、その腕は治癒されたというより、まるで切断された事象がなかったかのようだった。夢生は以前、仮想魔術師の不完全性として永続的な改変ができないことを挙げた。改変は注ぎ込んだ魔力が消費されれば世界によって復元されてしまうと。しかし夢生の完治した腕には継続的に改変されている痕跡がない。魔力を構成する器子の気配が一切ないのだ。その腕は、仮想魔術によって持続的に接合されているのではなく、夢生の身体のデフォルト状態として元通りになっていた。
夢生が躍らせた手を彼方の肩に優しく乗せる。そして手品のタネを暴いたとでもいうように、悪戯げに笑んで上空の天使を指さした。
「見てごらん」
指さす先、宙に浮遊する天使に異変が見られた。中心部にある巨眼が閉じられているのだ。あれは確かに、つい先ほど極大の光線を射出した瞳。彼方がそれを地面を改変し続けることで相殺したのだ。
「一回撃ったら、向こうも少しはお休みしないといけないらし。だったらさ、全部の目をお休みさせてあげようよ」
そう言う夢生の瞳は気力に満ちて、きらきらと輝いていた。
夢生は言った。目に見られていない間は天罰は働かない、と。
夢生の狙いを理解する彼方。
「そうすれば天罰の効果はなくなる!」
夢生がニコりとほほ笑み、彼方の一歩前に出る。その背中は、とてもか細く小さいのに心の芯から安心させられた。やっぱり、自分と夢生は違うのだろう。彼方は憧憬と劣等感を同時に感じる。自分もあの人と一緒に強くありたい。でもきっと、自分はそうはなれないのだろう。
夢生の手には銃形のオルガノンが握られており、準備万端とでも言うかのように、器用に引き金部分に指を絡ませてくるくると回す。毅然と天に浮遊する使徒に対立した。
そして不意に、夢生が言った。
「感覚が元に戻ったら一緒に戦ってもらうよ。私には彼方くんの助けが必要だ」
見透かされたのだろうか。それとも。
聞いた彼方の胸が静かに高鳴る。そして胸のうちからエネルギーが迸り、それが全身に鳥肌を立たせた。
この人が言うのならやろう。俺にもできる。
上空にて光の明度が若干上がる。見上げれば、天使が纏う四輪に見開く瞳が複数同時に明滅していた。先ほどとは小ぶりの光玉が同時に生成されていく。そして射出。7、いや8本同時。
線形の光線に対して、夢生は即座にオルガノンの銃口を向ける。そして目にもとまらぬ速さで魔力の込められた弾丸を連弾射出した。その数、6発。
魔弾は空間を滑るように進み、光線と接触。瞬間、それは光線を力でもって食い止めるのではなく、むしろそれに吸い込まれるに消失し、結合した。そして直後、冷徹に向かってきていた光線が止まり、刹那、内側に爆ぜる。
夢生の改変式の構築が速すぎて、彼方には光線にどんな改変を施したのか、まるで見当がつかなかった。
宙で煙が舞う。だがその中から2本の光線が伸びた。
夢生が放った魔弾は6発。それによって6本の光線を強制的に暴発させたものの、まだ2本残っている。
見れば、夢生のオルガノンが青白い輝きを纏っている。再び、同じ仮想魔術を繰り出すのか。
しかし光線は無慈悲に突き進み、夢生に肉薄した。
間に合わない。彼方の心臓が恐怖に高鳴る。
刹那、夢生の手に握られてたオルガノンがその姿を変容させる。
――モードチェンジ、《剣形》
手のひらから少しはみ出す程度の大きさだったオルガノンが、形状を変えて長く伸び、日本刀を模した剣形となった。
夢生は既にその変容を加味した上で剣を振るい始めており、刀身に微かに黒炎が宿る。それは万物を規定するプログラムに作用し、存在を根本から消去する黒魔術。
彼我の距離が縮まり、金色の光線に夢生の剣が直撃する。
それはまるで油と火炎だった。接触するや、黒炎が煌めき、光線の中央を切り裂き泳いでいく。そして花火が勢いを失って宙に消え失せるように、黒炎に触れたところから光線は跡形もなく消失した。
一本目の光線を薙ぎ払った夢生の剣は、そのままなんの抵抗もなかったかのように二本目を横薙ぎに迎え撃つ。またもインパクトの瞬間に黒炎が高ぶり、刀身から光線の中へと飛び移っていく。そして瞬く間に、光線は消え去った。
見れば、光線を打ち出した眼球が、夢生の予想通りゆっくりと閉じられていく。未だ瞳は四本の輪の壁面いっぱいに見開かれており、その数は簡単に数えきれないほどある。しかし、すべての瞳が閉じられた時、《天罰》の効力は消える。そうなれば、優位に戦えるはずだ。
見れば、夢生のオルガノンは剣系から銃系に再び戻されており、既に銃口に青白い光が集められている。
浮遊する天使も、自らの光線が打ち消されたことを認知しているのか、今度はさらに倍近い瞳を明滅させていた。
夢生の魔弾が一瞬先に放たれ、各々が青白い光を纏う。そして空中で分割され、あっという間に五本の光線を形成する。
天使の方も、一斉放射。彼方はそのあまりの手数の差に歯噛みした。今度は、一瞬では数えられないほどの弾幕が展開されたのだ。
夢生はそれを見て、先ほどと同じく6発の魔弾を高速連射。そしてオルガノンを剣系に持ち変えて、相殺できなかった光線を待ち構える。
しかし、そうして夢生が光線の流れを予測して剣を振るった瞬間、天使の光線が突如として鏡に反射されたかの如く急激に角度をつけて曲がる。
夢生の目が驚きに見開かれるのが見えた。
魔弾で撃ち落とした分に加え、夢生はさらに3本を剣で断った。だが4本がそれぞれ左右に夢生を避けるように歪曲し、剣の射程から外れて背後の彼方に迫ったのだ。同時に、夢生本人にも正面から時間差で一本の光線が迫っている。
彼方は反射的に後方へと飛んで引こうとする。それは生物として直感的な回避行動だった。しかし彼方には未だ天罰による混乱が生じており、彼方の身体は逆に夢生がいる前方へと飛びだしてしまった。
彼方の身体が夢生に衝突し、夢生のバランスを崩す。そしてそのまま光線が迫る前方へ押し出した。突如として歪曲した光線を目で追っていた夢生は、反射的に空いている左手で彼方を受け止めている。しかし光線がすぐ背後、そして左右から迫っていた。
夢生は咄嗟の判断で取捨選択をした。すべては受けきれない。何を捨てるか。何を守るのか。
歯噛み、夢生は飛び込んできた彼方の勢いを利用して天使に向き直る。そのまま彼方を包むように抱きかかえ、右手の剣を正面から迫っていた光線に振り下ろす。再び刀身に微かな黒炎が宿り、それを滅した。
彼方は、一連の展開の中にあってなおも肉体の自由を奪われていた。しかし夢生が自分の身体を強く抱きしめた時、夢生が何を捨てたのかを把握した。それは夢生自身。
夢生が、振り下ろしたオルガノンを手放す。そして両手で、彼方を前方へ押し出そうとした。そうすれば彼方は左右から迫る光線から逃れる。しかし夢生に直撃する。
脳裏に夢生の言葉が蘇る。
『彼方くんの助けが必要だ』
彼方の手にはオルガノン。脳内には特有の重力のような負荷が渦巻く。既に銃口には魔弾が錬成されていた。
それを見た夢生の瞳が見開かれる。
俺はあなたを守ります。
夢生によって押し出されようとしていた彼方は、天罰による行動の逆転を今度こそ加味した上で、夢生の背中を強く抱き寄せる。そして左右から迫る光線が着弾するであろう中央地点に向けて魔弾を放った。
間に合え。
夢生の背後の空気が凝縮し、エアクッションを作り始める。
しかしその完成前に、左右から歪曲した光線が互いに衝突。ほぼゼロ距離で四本の光線が暴発した。
爆発。
二人は光線による直接的なダメージは避けたものの、爆風によって吹き飛ばされる。彼方は身を挺して夢生を抱え、自らが壁側に打ち付けられる。その衝撃で全身に激痛が走る。地面に落ちた時には視界が暗くなり、そこで彼方は意識を失った。