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ゴスペル・グリッチ  作者: 元木トゥナ
7/12

3-1:天使の手記

「消去されてしまった存在を復元するアイテムがあるらしい」


そう夢生が言ったのは、時空回廊より脱出したあの日だった。あれから既に一か月が経とうとしている。ベルは依然としてグリモアに肉体の主導権を奪われたままだ。ただしベルの所有権をもった彼方は、ベルを支配しているグリモアにできる限りベルの人格や思考回路をトレースし、本人がするであろう言動をとってもらうよう指示を出している。


また、一年を超える長期にわたって時空回廊に閉じ込められたベルの身体は激しく消耗しており、彼方はすぐに病院へ連れていこうとした。しかしそれを聞いた夢生は苦笑し、仮想魔術師に勝る医者はいないと断定した。三人は夢生の自宅へ赴き、ベルはしばらく回復するまでそこで夢生と一緒に暮らすこととなった。夢生としてもグリモアによる自動操縦中だったとはいえ、ベルのエデンにおける存在を消去してしまったことに負い目を感じているらしい。


とはいえ、一年も消息を絶っていたのだから、家族から捜索願等が出されているのではないかと彼方は心配になった。しかし聞けば、ベルには家族はおらず、仮想魔術師として稼いだ資産で自立した生活を送っていたらしい。一体、どのようにと尋ねると、どうやら仮想魔術師の界隈にはアイテム売買のマーケットが存在し、そこではエデンの通貨のみならず現実世界の法定通貨や仮想通貨を含むリアルマネーで日々多くのアイテムが取引されているというのである。実際に見せてもらうと、入手難易度の高いアイテムは目が飛び出るような金額で売買がなされていた。そしてここで夢生が口にした一言により、それから一か月間、三人はとある一つのアイテムの獲得を目指して奔走することとなったのだ。


「そもそもそんなアイテム、本当に存在するのかしら」


夢生のベッドに横たわり、薄ピンク色の寝間着に身を包んで、すっかりリラックスしているベルが呟く。その挙動はまるで本人のように自然だが、それはグリモアによってトレースされたベルの人格にすぎない。だがそうとわかっていても、彼方はできる限りベルと接しているように受け答えれる。なぜならベル本人の意識はまだ肉体という檻の中にあり、今この瞬間もそこに存在しているからである。


「でも夢生さんが言った通り、買い(オファー)注文(オーダー)がグリモアに承認されているってことは存在するってことなんだろ。存在しないアイテムにはオーダーができないはずだからって」


彼方の視界には、グリモアを通じてアクセスし表示させているマーケットモニターが広がっており、無機質な画面の中央トップには、ベルがマーケット全体に向けて出した巨額のオファーが表示されている。


アイテム名:天使の手記

オファー金額:ビットコイン 3.0枚


マーケットページの仕様上、アクティブなオファーはデフォルトで金額が大きい順に表示されており、今この瞬間においては最大のものとなっている。ビットコインの評価額が現在一枚一億円を超えていることを考えて、オファー金額は一般的なサラリーマンが一生のうちに稼ぐ総額を超えている。オファーには提示する金額を実際に用意し、支払い可能な状態でロックする必要がある。つまり売り手は今この瞬間にでも、天使の手記さえ用意することができればその金額を手に入れることができるというわけだ。しかしそれでも売り手が現れないことを考えると、事前に想定していた通り極めてレア度の高いアイテムらしい。

ベルが視線を窓に向けたまま、空にどんよりと横たわる曇り空を眺めて言う。


生成(ミント)数が0じゃ、存在しないのと同じよ」


それはつまり、システム上は存在が登録されているアイテムではありながら、未だかつてこの世界に生成されていないということを示していた。よほどアイテムのドロップ条件が難しいものなのか、謎は深まるばかり。


「でもこうやって大金でオファーを出しておけば、誰かその取得方法を知っている人が生成するためのクエストなり頑張ってやってくれるかもしれないだろ」


彼方は先ほどのオファーを仮想的に脳内でクリックし、アイテム詳細画面に移る。そしてもう何度繰り返し読んだかもしれないアイテム説明欄を読み返した。


『天蓋の外にある原初の力を宿した手記。死を超えた抹消、その不条理なる空白に存在(エイドス)を転写する時、天使の息吹がそれを再び創造するだろう』


半ばゲシュタルト崩壊を引き起こしそうになる文章にお手上げだと思ったその時、タイミングよく玄関のドアが開いた。


「朗報―――! 諸君、朗報じゃぁ―――!」


ドアの閉まる音がする前に、景気のよい声が廊下に響きわたる。そして黒タイツに包まれた足ですーっとフローリングを滑りながら登場したのは平常運転の夢生だった。彼方はソファから飛び起きる。


「どうでしたか?」


すると夢生がドヤ顔でほほ笑み言った。

「やったよ、クエストの発生条件がわかっちゃったんだ」

「「!?」」

「情報屋やら知り合いの伝手を辿っていったら、過去に相棒を闇組織によって消去された腕利きの仮想魔術師に会えてね。その人から天使の手記がドロップするモンスターのいるクエストを教えてもらったんだ。かなり手間取ったけど、確かな情報よ」

「よかったな、ベル!!」


そうして嬉々としてベルのほうを見やる。その瞳にはやはり光が宿っていない。しかしその瞳の奥、肉体という檻の中できっとベルはこの状況を傍観している。期待して待ってくれているはずなのだ。

そこで彼方は、つい先ほどベルと話していたミント数について思い出す。


「でも夢生さん、その人でもまだ天使の手記は手に入れられていないんですね」


ミント数がゼロ、すなわち一度もそのアイテムは世界に出現したことがないのだ。

夢生も真剣みを帯びた様子で頷き、再度口を開く。


「正直に話すわ。その人は十分に強かった。そして実際にクエストをクリアして帰還している。それも一度や二度じゃない。何度も何度も何度も何度も、何度もクエストを受けなおしたそうよ。それでも一向に天使の手記はドロップしなかった」

「夢生さん、その人と戦ったんですか?」

「私は別にやる気はなかったんだけどね。向こうが、無駄な死者を出さないようにクエストをクリアできる実力がある者にだけ教えるとかお節介なこと言うから、軽くひねってあげたわ」


人差し指と親指をくいっと捻るようにしてさらっと言う夢生。

恐ろしや、と彼方が関心しつつ口をつぐんでしまう一方、隣で黙っていたベル扮するグリモアが急に夢生に尋ねた。


「そのクエストに出るモンスターが天使の手記をドロップするという根拠はなんなの? モンスター名は? 種族は? 階級は?」

「まったく中身がグリモアってわかってるとなおさら気味が悪いわね。クエストに入った途端、グリモアが存在を確認したそうよ。そのクエスト空間のどこかにあるとね。どのモンスターがドロップするかは不明、なにせまだ仮想魔術の黎明から今まで一度たりともドロップしたことがないんだから」


聞いたベルは考えるように指を顎にあててぼやく。


「となると、恐ろしいほどの鬼畜ドロップ率なのか、さらに厄介なのは特定の条件下でしかドロップしないパターンね」

「おそらく後者だと、その仮想魔術師【黒熊】は言っていたわ。相棒が消去されてしまったのはもう数年も前で、それ以来ずっとそのクエストをこなし続けているそうだからね。仮にドロップしたら、その条件を教えるという約束で情報をもらった」


そこまで聞いて彼方はなぜその人物が夢生に極秘情報を教えてくれたかをなんとなく悟った。


「手に入れれば一撃で数億はくだらない、未だかつて誰も手に入れたことがない超レアアイテム。その出現クエストを教えてくれるなんて最初は怪しいと思ったけど、もうその人も完全にお手上げ状態でとにかく協力してでも手に入れたいということですかね」

「おそらく」


夢生と目が合い、ゆっくりと肯定される。かつての相棒が消去され、そのために数年間も奔走し続けているという黒熊なる人物。その背景を思えば、感傷的でやるせない気持ちになった。

空気がどんよりと重くなったところで、彼方が口火を切った。


「それでもクエストはわかったんだ。条件のヒントを探すつもりでとにかく一回潜ってみましょう」

「そうね。ベルちゃんはお留守番。私と彼方くんでいってくるよ」


ベルは表情を変えず頷く。


「お願いするわ」


夢生は胸を張り、高揚した様子で頷いた。


その後、早速クエストに挑む準備にかかったのだが、激レアアイテムがドロップする隠しクエストだけあり、複雑なクエスト発生条件が課されていることがわかった。事象の改変という特殊能力をもつ仮想魔術師だからこそ満たすことのできるものばかりだったが、奇妙な点は、そのすべてがエデン側ではなく現実世界における行動でしか満たせないということだった。


夢生宅を出た夢生と彼方は、再び時空回廊を使わなければならなかった。今度こそ、絶対にはぐれないために二人で手を繋いで暗闇を歩くことになる。行き先は欧州大陸にあるバチカン市国。本来なら東京から飛行機でイタリア・ローマへと向かい、半日以上かけてフィウミチーノ空港へと到着。そこからさらに1時間ほど電車で移動することになるが、夢生が時空回廊を先導したことでわずか83歩の移動でバチカンの地へ到着した。


夢生が開いた時空回廊の出口扉は、ローマ市内のバチカン近くにある飲食店の裏口扉に繋がっていた。二人は公然と飲食店の従業員であるかのようにその扉から出て、そそくさと人気のない裏道に出る。7時間もの時差もあり、既にあたりは宵闇に包まれている。頭上では満月が煌々と怪しげな光を放っており、「満月の夜」という条件の一つをクリアしていることを二人は確かに確認した。

その後、すぐに裏道を抜け、無事、誰にも見つかることなく自然な形で大通りへと出る。バチカン市国の外壁に向かい、警備隊に守られているメインゲートのサン・ダマソ門は迂回。その後、少し外壁に沿って歩いて高い城壁に守られているだけの人気のないエリアに出た。


周囲に人気がないことを確認するや、夢生がそっと壁に手を添える。否や、夢生の瞳の前に星型や楕円の幾何学模様が現れ、歯車のように連動して回ったかと思えば消失。ついで、壁面に長方形の光が広がるように放射され、次の瞬間にはそれが扉に変わる。いつのまにか現れたドアノブをひねって引き、中にも人影がないことを確認して二人はバチカン市国へ侵入した。その後も何度か仮想魔術を使い、バチカン図書館に入る。そして蔵書物のうち目的となっているとある古代文明の文献である悪魔書の写本を探した。物色すること数十分、とうとうそれを発見し、二人は該当ページを開ける。静謐な図書館内に、グリモアによって翻訳された古書の一文を読み上げる彼方と夢生の声がかすかに響いた。


「「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム。我は叛逆の戦士なり」」


否や、写本の文字が浮き上がり、コトコトと動き出す。そして次の瞬間、まるで文字が生きているかのように書物から飛び出し、その大きさや形状を変えて部屋中に散らばった。見れば散乱した文字群はもはや見たことのあるアルファベット表記ではなく、幾何学模様を模した世界のソースコードを記述するゴスペル文字。それらが不規則に明滅し、壁や柱、本棚や地面、宙に至るまであらゆるところに溶け込んでいった。

そこで夢生が意気込む。


「始まるよ、世界の改変(リプログラミング)が」


否や、空間がグリッチする。そして地震が発生したかのように足元が揺れ始める。


「夢生さん、一体何が」

「空間そのものを構成するプログラムが書き換えられているんだよ。グリモアの眼で見てごらん。かなり高度な改変式だ。一体いつ、誰がこんなものを書いたんだろうね」


そういう夢生の瞳にはいつのまにか幾何学模様のレンズが展開されていた。彼方も小声でつぶやき、遅れて仮想魔術師として世界を見る。


解法(グリモワール)


見れば、写本から飛び出した文字群が空間を構成しているプログラムに干渉し、その内容を書き換え始めていた。その記述の変化に従って現実世界もその姿を変えていく。

図書室を構成していた四方の壁がパタンとまるで箱を開くように外側へ倒れ、より開かれた空間に転じていく。また上を見上げれば、建物の一階部分であったはずなのに図書室の天井がふた用に開かれ、より一層高いところに別の天井が形成されていた。


辺り一面で同時並行的に変換が行われ、彼方と夢生はその変遷の最中、唯一変化していない存在だった。


彼方は、今まで物理的な世界だと信じていた現実が改変されていくその光景を目に焼きつける。そして変わりゆく世界を前に、物事の本質が目に見えるものや触れるものではなく、その存在を記述するプログラムであるという事実を再認識した。こうして確かに存在し、思考している自分もまたプログラムによって構成されているに過ぎない。

激動する空間の中、彼方は自分の両手を広げる。そしてその内側に潜むゴスペル文字を眺め見た。


これが俺の正体。世界の正体。


彼方は言いようのない心細さを感じる。

その時、隣に立っていた夢生がその手を包んで握った。


「彼方くんはちゃんとここにいるよ。私と一緒に今をちゃんと生きてる」


彼方はそういう夢生の手を握り返し、世界の改変を傍観した。

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