2-4:AI監獄
暗闇の異空間で再覚醒した彼方は、即座に記憶同期を終える。かといってその中身に特段驚くべきものはなく、自動操縦下の彼方はこの黒い無の空間においてひたすらベルの治癒を手伝っていたようだった。
彼方はすぐ隣で横になっているベルに向き直る。
「ベル、まだ魔力はもちそうか?」
ベルは起き上がらず、そのままの姿勢でどこか機械的な調子で返答した。
「問題ありません、マスター」
ベルのことは今日知ったばかりだ。しかしその口調が明らかにベルの今までのものではないことは明白だった。
違和感からベルの顔を覗き込む。しかし長く美しい髪が瞳にかかり、暗がりの空間の中でよく表情が読み取れない。
「ったく、なんだよそのしゃべり方。助けてもらって尊敬の念でも沸いたのか? だったらちゃんと礼しろよな」
冗談交じりで話しかける。
否や、むくりと急にベルの身体が起きあがる。そして彼方の手を両手でうやうやしく包みこむや、低姿勢を作り、頭を垂れて抑揚なく言った。
「あなたは私の所有者であると同時に、命の恩人です」
彼方は混乱する。何が起きているのかわからない。
「お、おい、何つまんねー冗談やってんだよ。所有者? 起き上がらないで寝てなくていいのか」
言うや、ベルが顔を上げ、至近距離で彼方を見つめる。そこでようやく、彼方はベルに何かとてつもなく深刻な異常が起きていることが分かった。
瞳に光がないのだ。
不気味に生気のない瞳を向けて、ベルが無感情な表情のまま口だけを動かす。
「エデンにおいて、ベル・マッキントッシュの存在はあなたによって消去されました。ペナルティにより、ベル・マッキントッシュは肉体の主導権を喪失、グリモアによって支配されます。その上で、消去者であるあなたは所有権を獲得します」
「肉体の主導権を喪失? 本当に何言ってんだ」
「今後ベル・マッキントッシュの肉体はグリモアが操作し、ベル・マッキントッシュの意識はこの肉体のの中で人生の傍観者として生き続けます」
この時点において、もう彼方にはベルが冗談を言っているようには見えなかった。
彼方は学校の教室で初めて記憶同期を経験し、グリモアによって肉体を強制的に支配されたことを思い出す。まるで肉体という檻の中に閉じ込められたかのような絶望感と無力感が蘇り、悪寒が背筋を舐めた。
「......何言ってやがる。そんなのダメだ。ベルを出せよ! そうだ、俺が所有者だってんなら俺の命令に従え!」
「ベル・マッキントッシュに主導権を受け渡すことは私が主導権を喪失することを意味します。故にできません。それ以外のすべて、ベル・マッキントッシュの所有する肉体、能力、影響力、財産、その命はあなたのものです」
見れば、無理に起き上がって動いたせいか、腹部の傷口が開き、じんわりと血が広がっている。
彼方は慌ててベルの肩を掴み、横たえさせながら叫ぶ。
「もう黙れ!! 全力で回復に集中しろ」
否や、言われた通りにベルは口を閉ざし、俯く。同時に腹部に淡い蛍光色の輝きが集まり、傷口が閉ざされていく。
彼方は自分の身体が震えているのがわかった。
「何が、どうなってんだ……」
お前言ったじゃねえか。
『彼方、あなたは私を救ったんだから。ありがとう』
脳裏に微笑みながら涙するベルが思い出される。彼方はこぶしを握り締めた。
「こんなの聞いてねえぞ……全然助かってねえじゃねえか」
彼方はやるせない気持ちを抑えきれず、無機質なタイルのような床に拳を叩きつけた。
その時、微かに革靴が地面を打つ音が響く。続いて、夢生の声が背後から響いた。
「見つけたよ、彼方くん」
項垂れていた彼方は顔を上げる。
夢生が微笑を湛えて立っていた。
「夢生さん、ベルが......!」
夢生は視線をベルに向け、既にわかっていたことのように言う。
「AI監獄だね」
夢生は手にした鍵を無の空間にかざす。すると突如として無の空間に光の軌跡が生まれ、そこから光が溢れ出した。次の瞬間にはもう扉が出現しており、夢生がそれを開いてみせる。するとその奥から光がなだれ込み、眩しさに目を細める彼方に、夢生が笑顔を向けた。
「まずはベルちゃんと一緒に外へ出よう」
彼方は夢生のいつもの様子に落ち着きを取り戻し、隣で横たわるベルを抱きかかえ立ち上がる。
そして夢生によって開かれた扉を超えて、ついに光ある外の世界へ戻り出た。
そこは見慣れた日本などではなく、視界いっぱいに石段で区切られた荒野が広がっていた。後ろで扉が閉まる音がして振り返れば、そこは崖の先端であり既に扉は消えている。代わりに、海によって縁どられた地平線が広がり、朝日が昇り始めていた。
「ここは」
「アイルランドの小島、アラン諸島だよ。二人の座標を逆算したらここになってた」
潮風がたなびき、夢生の黒髪をたなびかせる。夢生は彼方に抱えられているベルに向き直り、風にあおられた髪を優しく撫でて整えた。
彼方が口を開く。
「ベルはどうなっちゃうんですか」
「これだけ自然があれば魔力の補充もし放題だし、少し回復したらまた時空回廊を通って東京へ帰ろう」
「そうじゃなくて、インプリズンです。これじゃ、全然救われてなんかない」
「その子、特段私たちとは関係のない子だと思うけど、それでも助けたい?」
夢生はそう試すように抑揚なく言った。しかし見れば、その表情にはどこか嬉しそうな笑みを浮かべている。
「助けたいです。どうして笑ってるんですか」
彼方がそう言うと初めからわかっていたように夢生は笑みを深める。
「そういう彼方くんが、私は好きだからね」
真正面でそういって、夢生がベルに視線を落とす。
「いいよ、助けよう。そもそも消去しちゃったの私だしね」
夢生はまるで赤子をあやすようにベルに言うのだった。