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ゴスペル・グリッチ  作者: 元木トゥナ
5/12

2-3:黒魔術、煌めく

作戦の肝は、ベルという夢生が知らない第三者の存在をギリギリまで隠し通すことだ。

彼方は早速、夢生の死角から徐々に距離を詰めていく。そして距離が近づいたところで、驚かせない程よい距離で道に躍り出る。そして堂々と何も包み隠さず声をかけた。


「夢生さん、探しましたよ!」


夢生が即座に振り返り、彼方だとわかるや警戒を解くようにほほ笑む。


「びっくり、彼方くんか。こんなエリアで何してるの?」

「ちょっと聞きたいことがあって夢生さんを探してたんです」

「チャットしてくれたら返したのに。遠いところまでありがとね。で、どうしたの?」


彼方はごくりと唾を飲み、事前にベルと打ち合わせをして決めていた質問を投げかける。


「いきなりなんですけど、俺と最後に顔を合わせた場所ってどこだか覚えてますか?」


一瞬の沈黙が流れ、夢生が首をかしげる。そのしぐさ、そして表情の動き、どれをとってもまるでいつもの夢生と変わらない。


「彼方くん、なんのつもり? なんかのなぞなぞ?」

「ちょっとした確認ですよ。答えてください」

「最後はたしか」


そう言って、ひと思いするかのように人差し指を軽く顎に当てる所作もまた、本物の夢生そのものだ。

しかし脳裏にベルによる言葉が蘇る。ベルは端的に、仮想魔術師である人物が、今その時に本人なのか、それともグリモアによる自動運転状態なのかを見極める方法を教えてくれた。


『情報の欠如を突くことよ。グリモアは対象者の脳に直接インストールされる。故にすべての記憶情報にアクセスし、その人物と同じ思考回路で物事を考え、100%その人物であるかのように行動できる。でもそれは裏返せば、脳みそにない情報にはアクセスできないということ。仮想魔術師には地球とエデンで2つの肉体がそれぞれ別個に動いているけど、その2つの肉体は本人が意識を接続した時に初めて同期される。記憶同期よ。つまり記憶同期が起きるまでは、最新の記憶は片方の肉体にしかないということ。言い換えれば、記憶同期がされる前までに本人に起きた出来事だけが、本人かグリモアかを識別する唯一の情報(カギ)となる。』


彼方が最後に夢生の姿を見たのは、もちろん時空回廊の中でだ。そこでベルが助けを呼ぶ声を聞いてはぐれてしまった。もし目前にいる夢生がグリモアによって操作されている状態の場合、その記憶はまだ本体から同期されていない可能性が高い。


ベルはこうも言った。


『もちろんこの方法で確実に本体かどうかを識別できるわけじゃない。勘がよければ気づいたかもしれないけど、もしも夢生という人物が彼方とはぐれてから一度でもエデンに来ていた場合、その時点で記憶同期は実行され、時空回廊での記憶は共有される。まあそうなったらさらに次のテストをするだけ。少なくとも、この質問が最も手っ取り早く本体かどうかをチェックできる。いわば最初にやる簡易テストね』


彼方はベルから教わったとおりに、本人とグリモアを識別する簡易テストを施した。

そして目前の麗人は、本人と見まがう素振りで考えたふりをしてこう言ったのだ。


「彼方くんの学校の近く、道ばたで話したよね。彼方くん、リアルで仮想魔術を使えてすごい喜んでた」


胸がぞくりと弾み、彼方の背筋につんと冷たい悪寒めいたものが走った。目前にいる夢生は、本当に夢生本人ではないことがわかった。それでいて見た目、声、話し方、所作のすべてが夢生そのものだということに恐れを感じた。


彼方は目前のグリモアが操作している夢生の言葉を聞いて、道端で夢生が見せた儚げに俯く表情を思い出した。仮想魔術師にされたことに憤慨し、夢生に初めて畏怖を抱いたあの瞬間だ。そして夢生は一瞬、「理解できない」といった様子で『予想外だな』と言った。夢生は本心から、彼方が仮想魔術師になることを嬉々として受け入れると信じていたということだろう。


彼方はこの簡易テストを通して、夢生が考えていたことの一部を再確認できたように思えた。しかし感慨に浸る暇はない。ベルとの作戦を次の段階に進めなくてはいけない。特に、この第一段階の結果は悪いほうに傾いた。本当なら夢生がエデンに来ており、本人であることが理想だったのだ。そうなれば夢生本体を呼び出すために戦う必要がなくなる。そう、戦わなければならないのだ。


彼方はすかさず、グリモアを通して思考だけでベルに結果を伝える。これも恋人登録した者同士に許される機能だ。


『偽物だ』


次の瞬間、彼方は夢生の背後から人影が現れるのを確認する。それは自分と同じ背丈の少年で、自分と同じ黒いストレートの髪を流し、自分と同じ身なりをしている。少年が走りながら叫ぶ。

「夢生さん、そいつは俺の偽物です! 彼方は俺です!」


夢生の背後に駆け寄るのは、変身の改変を施し、彼方の姿を完全にコピーしたベルだった。ベルは彼方の肉体情報を纏い、焦った表情を装って夢生に警笛を鳴らす。声帯までも完ぺきに作り替えたのだろう、その声すら自分そのもので彼方は奇妙な感覚を覚えた。


その声が響くや、夢生は反射的に振り返り、その方を目視する。横目で見れば、一瞬、夢生の瞳孔が驚きによって大きく拡がるのが見て取れた。


夢生に向かって走りこむベルの手には、既に銃が握られている。ベルはそれを堂々と前方に向けた。急激に銃口が青白い輝きに包まれる。


それを見た夢生はあくまで慌てた様子は見せず、流れるような手つきで空間を縫い開け、銃を取り出した。そして迷わずベルに向けて銃を向け、背後の彼方を庇うように立って言った。


「また懸賞金(バウンティ)ハンターかも。下がっててね」


ベルの変身は紛れもなく完ぺきだった。しかし彼方が夢生の位置を座標マーカーから正確に把握できたように、夢生もまた本物の彼方が自分の背後にいることを確認できる。


距離を詰めるベルと、立ちはだかる夢生。双方の銃口に青白い輝きが集約していく。そして練り上げられた魔弾が同時に放たれようとしたその時、夢生が微かに反応する。すぐ背後で集約される、もう一つの魔力の気配。


夢生さん、すみません。


彼方が内心で懺悔し、背を見せる夢生に向けて先に魔弾を打ち出した。彼方の銃から、脳内で編み込まれた改変の思念を宿す魔弾が放たれる。それはベルを囮にした二重の不意打ち。空気を巻き込み刃とする風の仮想魔術が夢生に迫る。


夢生は体を平行に開き、右手の銃をベルに向けて残したまま重心を後方に流して視野角を広げる。そうして最小限の動きで背後にいる彼方と迫る魔弾を視界にとらえた。瞬間、夢生の落ち着いた表情に、うっすらと驚きが混じる。


彼方は夢生が負傷する姿を想像し、苦渋を飲んだ。彼方はその時点で自分の仕事は終わったと決めつけ、夢生に大きなけががなければいいとただそう願った。そうして気を抜いたその瞬間だった。


ベルの声が脳内で響く。


『気を抜くんじゃない!』


何をもってベルがそう言ったのか、彼方は夢生の左手を見てすぐに悟る。


右手にもつ銃をベルのほうへ向けたまま、彼方のほうに向けた左手が怪しく動く。指先五本にそれぞれ青白い光が集中し、何もない虚空をまるで不可視のハープの弦を弾くように複雑に叩いて見せた。否や、その空間に蛍光色の輝きが迸る。


波動。


空気が波打つのが見えた。直後、陽炎のような歪みが見えたかと思えば、突如として空気が竜巻のように螺旋する。そして彼方が打ち出した風の刃を受け止め、螺旋させ、反射させた。彼方が撃ちだした風の刃がそのまま至近距離で彼方へと向かってくる。


ベルの一声によって一瞬早く警戒できていた彼方は、グリモアが視界に指し示す攻撃の予測線を頼りに体を倒してギリギリのところで回避する。


同時にその瞬間、夢生の後方からベルが打ち合わせ通りに極大の魔弾を放つのが見えた。その時間差、ほんの刹那。


すかさず夢生は、右手の銃を魔弾のほうへ向けなおす。星を閉じ込めたような瞳の前で、仮想魔術師特有のスカウターを模したような多面体が、まるで自発的に解析を行っているかのように、角度を変えてうごめいた。直後、夢生の銃に光りが点り、同じく極大の光線が打ち出された。


光線と光線がまっすぐに距離を詰める。彼方はそのままぶつかると思ったが、刹那、ベルが打ち出した光線が無数に屈折し、分岐した。否や、凝縮された細い光線がそれぞれ違う角度で迫る。しかし遅れて、夢生が打ち出した光線もまた同じく屈折・分化しそれぞれの光線をホーミングする。そして次の瞬間、衝突。無数の光弾がぶつかりあい、一瞬、星屑が時雨となって天から降り注いだかのような過激な光が周囲を包み込んだ。


見れば、一部、一足早く地面に着弾していたベルの魔弾が、蛍光色のエフェクトを伴って地面を書き換えようとしていた。しかし、やはり同じくホーミングした夢生の魔弾が着弾すると、ベルが施した改変が硬直し、停止、すぐさま元の姿へと棄却された。


その時には、夢生の身体左側面を包む風の渦は消えており、残ったそよ風が夢生の髪を優しく揺らした。


不意打ちの中、ほぼ同時に挟み撃ちする形で放たれた攻撃を難なくやり過ごした夢生。その表情は落ち着いており、むしろ一瞬に詰め込まれた予想外の展開をアトラクションのように楽しんでさえいるよう。


刹那、夢生の姿が消える。そしてすぐ背後から、耳に生暖かい吐息がかかった。


「知らない女の子と一緒に私を攻撃するなんて、一体どういうこと?」


夢生のしっとりと濡れた声がすぐ耳の近くで響いた。


気づけば、背後から伸びる夢生の手が彼方が銃を握る右手を握る。そしてなんのつもり、ゆっくりとそのまま胸の高さまで持ち上げてみせた。


「安心して。怒ってないから。彼方くんには……」


くすっと、夢生の小さな笑みが耳元でこぼれる。


言いながら、夢生はもう片方の手で彼方の銃を反対側から包み込んだ。そして二人は、彼方の銃を一緒にもってベルのほうに向ける形となった。


「夢生さん、何を」

「必殺の仮想魔術を教えてあげる」


言うや否や、彼方の全身を莫大な魔力が包み込む。その出所は夢生。目にはっきりと見える形で、青白いエネルギーが自分の身体を覆いつくした。


その爆発的な激しさとは裏腹に、耳元で夢生の声が静かに響く。


「ねぇ、彼方くん。魔力の大好物ってなんだと思う?」


戸惑う彼方に、夢生は少し待ってから答えた。


「思考だよ。仮想魔術師は、グリモアの力を借りて思考をプログラムに変える。世界を形作る神の一行(ゴスペル)に。器子(ヒュレー)は思考を食べて色を変える」


否や、全身を纏っていた魔力の色彩が暗転する。純粋で新鮮なブルーが濁り、力強く深淵な黒い閃光へと。同時に、魔力を通して夢生の思考が彼方の脳内に流れ込んでくる。それは通常のプログラムを書き換える仮想魔術ではなかった。仮想空間を記述しているプログラムを書き換えれば、その通り現実世界の事象も書き換わる。それが仮想魔術の単純なロジックだ。しかしこの仮想魔術は変換するのではなく、()()()()


彼方は、夢生が必殺技と呼んだ理由を、夢生の思念を通して理解し、戦慄した。


――消滅、破滅、消失、絶滅、崩壊、壊滅、失踪、消散、霧散、破壊、滅亡……。ありとあらゆる『滅び』の概念が、歴史的な史実、芸術的なイメージ、哲学的な解釈、文学的な描写、夢生が経験した個人を喪失する感情とエピソード、そして嫉妬の怨念が作り出す殺意をスパイスに、あらゆる角度から夢生独自の参照を経て捉えられ、夢生の視点で表現される。それが夢生が想起する『滅び』という概念だった。そしてグリモアが、夢生の脳から捻出される演算力を使って仮想魔(ゴスペル)術に変えていく。その変換式はブラックボックス。概念を幾何学に落とし込み、計算によって緻密に記号化し、それを文法に倣って独自に表現する。グリモアは思考を仮想魔術に変えるツールであるが、あくまでその使用者は術者本人。術者の思念が改変の内容を方向づけ、術者の演算力が改変の速度と規模の最大値を決め、術者の思考回路が最終的な仮想魔術の表現を形作る。まるでひとつの情景を万人の執筆者が書いたとき、その一行が千差万別の表現となるように。


直後、黒光りする魔力が二人の全身を流れて銃口に激しく集められていく。

夢生が銃を両手で握る力を強めた。裏腹に、息を吹くように囁く。


「最後の一滴まで思考を絞り出したら――」


魔力が跡形もなく銃口に濃縮される。そして夢生がそれを解き放つ。


「それを撃ちだす――」


彼方の脳裏に、夢生の思念が響いた。


黒魔術(ブラック=スペース)


黒い魔弾が放出される。

彼方は焦燥からベルに叫ぶ。


「ベル!!! なんかヤバい!!!」


飛び出さんとする彼方の身体を、後ろから抱く夢生の柔らかい身体が抱き寄せ堅く縛った。


「行っちゃダメ。」


しかし見ればベルも銃を胸の高さで持ち上げている。黒魔術は黒魔術でしか止められない。そして次の瞬間、魔弾を打ち出した。同じ、黒い閃光の弾丸。


黒魔術(ブラック=スペース)!!!』


二つの滅する仮想魔術が黒い光跡を引いて飛来する。暗黒の火球は互いの威をもって宙を奔り、ちょうどその中間点で衝突した。二頭は互いを喰らいあうように拮抗する。しかしそれも一瞬だけ。夢生の魔弾がベルのそれを打ち消し、駆逐した。闇をさらなるどでかい闇でなぎ倒し、敗者の無念を光芒として引きずり進撃する。


ベル、その名を再び呼ぶ隙すら与えられずに、黒い流星は華奢な少女を飲み込んだ。


黒魔術は肉体を含む物理的なレベルには一切干渉しない。岩を砕くこともしないし、肉体を破り欠損することもしない。それが干渉するのは、万物の存在をこの世界に定義しているプログラムそのもの。故に、仮想魔術における必殺の奥義を受けたベルの身体は、その莫大なエネルギーと強烈な覇をもってしても後方に吹き飛ばされることなどなく、ただその場で存在を消去される。まるで火炎に当てられた書物が少しずつ燃えゆき、最後には消し炭となってその内容が二度と読まれることがなくなるように。


前方で、黒い炎によって焼かれ、既に下半身を喪失させたベルの肉体が静かに地面へと脱落した。後方から回されていた夢生の腕がゆっくりと解かれるのを感じ、彼方はついに駆け出す。ベルの肉体は燃やし尽くすまで消えない黒炎に侵され、燃やされ続けていた。


「ベル!!!!」


その黒炎は熱を持たなかった。駆け付けた彼方はベルを抱きかかえる。既に肉体の大半を喪失し、胸や腕、そして眼球など体の節々が大小さまざまに空洞化していた。ベルという人間を世界に定義していたプログラムが消去されていき、一度完全に消したデータが復元不可能なように、それによって現実からも完全に抹消されていくのだ、永遠に。


「遅いじゃない、この浮気者。作戦失敗ね」


ベルが力ない声でぽつりと呟く。


「ここはエデンだろ。またデスペナルティでちょっと待てば、俺が生き返ったようにお前も生き返られるんだよな」

「これは死じゃない。死を超えた消失よ」

「どうすればいいんだ!」

「落ち着きなさい。エデンの肉体は消去される。でも私の本体は今あなたと一緒に時空回廊に閉じ込められているでしょう。それがこの戦いのそもそもの理由だった。すべての作戦は失敗に終わったけれど、まだあなたがいる。私はあなたを信じて向こうで待つわ。あなたがあの女の意識をこちら側に引きずり出すの」

「俺一人で......」


夢生を襲った理由はただひとつ、本体の意識を強制的にエデンに呼び戻すこと。その条件は、対象を危険に陥れ、心拍上昇とともに心身の絶対的な危機を認知させること。グリモアは、あくまで対象者の生存を優先し、対象者の不利益を回避するため、自らの手に負えない状況になった場合に限り、本体の意識を強制的に接続させる。だから最低限、夢生に死の危険をイメージさせなければならなかったのだ。


しかしベルは他に方法があるかのように言った。


「方法は何も戦闘だけではないわ。それが最も確実だったというだけで、目的はグリモアに異常事態であることを認知させること。あの女の身体に異常、例えば心拍上昇、血圧や瞳孔の変化など深刻なストレスが検知されれば本体を強制的に覚醒させる」


そこまで言って、消えゆく過程にあるベルは、一瞬だけ後方の夢生に視線をそらしてから、ふと何かに思い至ったように笑みを浮かべた。その笑みは消失の狭間にあって不釣り合いなほどに悪戯げ。そしてベルは頬にうっすらと赤みを浮かべて言った。


「彼方、今ここで私にキスしなさい」


抱きかかえる腕の中で、ベルの大きな瞳がまっすぐに彼方のそれをとらえる。


「!?」


彼方は予想外の言葉に息を喉に閊えそうになる。


「こんな時に何言ってんだ」

「女の嫉妬は激しいのよ。身体的に危険を感じさせるのが無理なら、精神的な危機に陥れる」

「夢生さんが俺に嫉妬? そんなことあるはずがない」


彼方はその荒唐無稽すぎるアイデアに苦笑して続ける。


「あの人は俺とは比較にならないほどすごい人で、何をやらせても別次元で、万人から好かれる人気者だし、俺なんて眼中にない」


そこまで聞いたベルは呆れたようにさらりと言い放った。


「わかってないわね。いい女ほどスペックなんて見ない。心意気に惚れるものなのよ」


そこでベルは初めて動揺したように視線を泳がせて言った。


「見ず知らずの、それもあなた自身を危険に陥れた私を本気で助けようと必死になってくれた彼方、悪くなかったわ。弱かろうがダサかろうが、私は好きよ」


驚きと喜びが混じりあって彼方の心をきゅっと締め付ける。ベルも自分が口にした言葉に動揺したのか、顔を赤らめ、ごまかすように口を開いた。


「ほら! どうせこんな美少女にキスできるチャンスなんてあなたの人生にそうはないでしょ。いいから、私が消える前に、あの女によく見えるようにしなさい」


ベルは残っている華奢な右腕を彼方の首にかけて、自分の口元に引き寄せる。


彼方は無意識に桜色のベルの唇を見た。薄く閉じられた瞳は妖艶で、長いまつげが天使の産毛のように光に透かされている。刻一刻と顔が近づいていく。いつしか抵抗している自分もいない。胸が強く高鳴る。そして唇が触れたか、という瞬間に声が響いた。


「あーーーーー!!! 何してるのーーーーーー―!!!」


彼方は弾かれたように起き上がってその方を見る。


するとそこには、先ほどまでとは打って変わって緊張感の欠片も感じさせない夢生の姿があった。夢生は大げさに驚いた様子で、両手で顔を隠し、指先の間からこちらを見ている。


彼方は秘密ごとがバレた時の子供のように動揺し、あたふたと言い訳を探す。


「こ、これは頭脳戦といいますか? その、超高度な戦略的な作戦でして」

「まったく頭脳派には聞こえないセリフなこと」


横で呆れたようにベルがぼそりとつぶやく。そしてその反対側では、夢生が演劇のワンシーンであるかのように大げさに身振り手振りで憐憫を誘うように続ける。


「彼方くんも隅に置けないな。ちょっと目を離したらいなくなるし、私が必死に探しているうちに女作ってちゅーしようとしてるし。私じゃ満足できないのね」


困り果てて言葉がでなくなっている彼方とは裏腹に、半身を失った少女はひどく安どした様子で穏やかに微笑んだ。


「どうやら奇跡が二度も起きたようね。ほら、本人かどうか、もう一度確認してみなさい」


助け船をもらった彼方は夢生に問いかける言葉を見つけ、同時に深刻な状況にあることを思い出した。ゆっくりと地面にベルの上半身を寝かせる。立ち上がり、近くまで歩いて生きていた夢生に対面した。

見れば、夢生からもおちゃらけた様子は抜けており、その視線は消失寸前のベルへと注がれている。本人だとしたら、今しがた記憶同期を通して状況を理解したのだろう。


彼方は夢生に先刻訪ねた同じ質問を訪ねた。


「夢生さん、俺と最後に会った場所はどこですか?」


夢生はその質問の意図をわかりきっているようで、怪訝な表情を見せず彼方に微笑んでいった。


「さっきのセリフで十分だと思うけど、時空回廊ね。私の魂をこっちに引きずり出そうとしていたのなら成功よ」


それを聞いた彼方は安堵し、全身から力が抜けて尻餅をつく。後方のベルに視線を流せば、同じくほっとしたようで笑みを浮かべていた。


「それで」


今度はその視線を破るように、夢生が一歩踏み出てベルのほうへ歩を進める。そしてベルの前まで歩いた夢生は、立ったままベルを見下ろすようにして言った。


「時空回廊で彼方くんを攫ったのはあなた? 一体、どういうつもりか話してもらおうかな。盗人猫さん」


彼方のほうからは夢生の表情が死角となって見えない。しかしピシりと空気が凍てつくのを感じ、彼方は誤解を解こうとその場で反射的に口を開く。


「夢生さん、実はベルは攫ったんじゃなくて俺が――」


しかし夢生はそれを許さず、片手で静止の合図を彼方に送ると、言葉を上書きするように引き続きベルを見下ろしながら再度言い放った。


「あなたに聞いているの」


ベルを見れば、弛緩させていた表情を再度引き締めてまっすぐに夢生を見上げている。残された片手の手のひらを白幡を上げるように見せて口を開いた。


「私はベル、イギリス人よ。一年以上前、負傷して時空回廊に逃げ込んだの。でも座標を失い、閉じ込められてしまった。そこからは魔力ある限り延命措置を続け一年が経過したある時、偶然にもあなたたちの声を聞いたの。危険だということはわかっていた。それでも自分が生きるために助けを求めたのよ。そうしてあなたのパートナー、彼方が私の元へ駆けつけてくれた。彼方も座標を失うことになってしまったから、どうにかあなたに助けを求めるために、こうして戦いを挑んだというわけよ。悪いことをしたとわかっているわ。ごめんなさい」

「時空回廊で一年以上、負傷した状態で生き延びたなんて大したものね」


そこまで言って夢生が振り返って、柔らかな笑みを見せた。


「まあ、彼方くんが信頼して一緒に戦ったというのなら、信じることにするわ」


ベルは今度こそ安堵の溜息をだし、力の抜けた表情で彼方に目配せを送った。

しかし夢生は神妙な表情を崩さず言う。


「けれど、もうあなたの消去は取り消せない」

「全く厄介なことをしてくれたわね。でもそれはひとまず後回しにして、私たちを時空回廊から脱出させてほしい」


夢生は静かにうなずく。否や、ベルは流れるように必要な情報を夢生に託そうとする。


「私は彼方があなたと別れた時刻を知っている。そして彼方のグリモアが、あなたと別れた地点から右手方向に歩いた歩数を数えているはずよ。あとはあなたが彼方と別れた座標がわかれば逆算できるはず」

「厳密なところまではわからない。でも近い値をいくつか入れて総当たりで扉を開くわ。残り時間は?」

「もって10分弱ね。私の魔力が尽きて延命を担っている肉体改変が解けたら意識を保てなくなる」


ふとベルの表情が頼りなさげなものに変わる。当然だ、そうなれば死が待っているのだから。彼方はベルの肩に手を触れ、力強く言い放った。


「絶対、大丈夫だ。これまで奇跡が続いたんだ。必ず夢生さんは来る」


それを聞いた夢生も微笑み、手にしていた銃を自らの頭に押し付ける。だがそこで逡巡し再び彼方に向き直って言った。


「彼方くん、何があっても落ち着いてその場から動かないでいて」


彼方はその妙に真面目な夢生の表情に違和感を覚える。しかしその違和感の答えを探る暇もなく、夢生は(オルガノン)に指をかける。そして有無を言わさず、白光纏う弾丸を自らの頭に打ち出した。一瞬身体がふらりとするも、次の瞬間、記憶同期を経たグリモア主導の夢生が目を覚ました。グリモア主導の夢生はその場に居座ることもなく、どこかへ歩き出していく。


「じゃあ、私もこの肉体とはお別れのようね」


見れば、ベルの肉体は黒魔術による削除によってその大部分が消失していた。銃を握る腕もところどころが虫食いにあった葉のように欠損している。関節が失われたせいでうまく銃口を頭に向けられないでいた。


「そんなしょぼくれた顔をしないでちょうだい」

「痛くないのか?」

「肉体的なダメージではないからね。でもとても大事なものが抜け落ちていくような恐ろしい感覚よ」


黒魔術について知らず混乱のさなかだったとはいえ、それを打ち出したのは彼方だ。張本人として彼方は罪悪感を感じられずにはいられなかった。それを表情から読み取ったのか、ベルは笑い飛ばすように言った。


「彼方の癖に生意気ね。あなたがやったなんて思わないことよ」

「仮想魔術って心まで読めるのか」

「彼方がわかりやすいだけ。それより喜んで。彼方、あなたは私を救ったんだから。ありがとう」


光の粒となって消えゆく少女が、なんとも穏やかな笑みを浮かべていた。

彼方はその澄み渡った瞳に救われた気がした。

少しの間見つめあうと、ベルがいたずらげにいう。


「消える前に、もう一回だけキスしてもいいわよ」

「なっ、さっきのはノーカンだろ」


赤面する彼方を見てからからと軽快に笑い、ベルは皮肉めいた様子で言う。


「考えてもみなさい。まだ、夢生って子が私たちを見つけられない可能性もあるのよ。ひょっとして、私は死に、あなたも飢え死にかも。それじゃあ可哀そうだから、せめてこの天使の唇をしっかり味合わせてあげようかしらって」

「どこからその高慢な自信は湧いてくるんだ」

「ふん、ありのままの事実を言っているまでよ」


だがそれについては、彼方の心には一切の不安がなかった。確信があった。


「夢生さんは来るよ、絶対。断言できる。俺たちはもう平気だ」


ベルは彼方を一瞥してから、少し何かを思い出すようにしてうなずいた。


「確かに、手合わせをしたから私もなんとなくそう言えてしまう感じがわかるわ。じゃあ私のファーストキスはお預けね」

「なんだよ、ファーストなのかよ」


二人は目を合わせてくすりと笑う。


「じゃあ俺たちも向こうに戻るか」


静かにうなずくベル。

彼方はベルの華奢な身体を支え、まず先にベルの意識を現実側に戻そうと頭に銃を突きつける。するとベルは首を振り、切なげな表情で先に行くように言った。


彼方は怪訝に思ったが、現実側で話せばよいことだと、そのまま銃口を自分の頭に押し付ける。そして引き金を引く。その瞬間、ベルの瞳から涙が滴るのが見えた。


「私を助けてね」


光弾が輝き、はぜる。そして彼方の意識は途切れた。

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