2-2:共闘作戦
瞬きをするや、舌にとろりと暖かい旨みが広がった。
視界も暗黒から木漏れ日に照らされた木造の大部屋に様変わりする。
エデンでグリモアに自動操縦されていた彼方の身体は、古びた飲食店のテーブルに腰掛け、強烈な空腹感を満たすべく口いっぱいにシチューをせき込んでいるところだったようだ。
直後、不思議な歯ごたえの肉の脂身が口に広がる中、記憶同期が始まる。
次から次へと様々な情景の記憶がなだれ込んだ。
そこはエデン第一層、その中でも低級モンスターが多くポップするローゼンシュタイン森林と近隣の街シュトゥットガルト。彼方は日銭を稼ぐために素材集めを目的とした狩りのクエストを受注し、エネルギー補給のためにリーズナブルな飲食店に立ち寄ったところだったようだ。
記憶同期が終わったことで、自分がまさに食したものがコスパとエネルギー効率を全振りしたゴブリン肉のシチューだと知る。途端に嗚咽がこみ上げるが、すでに喉元まで飲み込まれておりそのまま気力で押し通した。テーブルを見れば、色は紫色で次の一口に手を伸ばす気力が失われる。どうせならすべて食した後に覚醒したかったとエデンに来たタイミングを呪った。
周囲を見渡すと自分のほかにも何人かの冒険者がいた。実際の人間かNPCかは見分けがつかない。皆一様に疲労困憊といった様子で、控えめに言ってみすぼらしい装備をしている者ばかり。ローゼンシュタイン森林は駆け出しが集う、いわゆる始まりの町的なところなので納得ではある。かくいう仮想魔術師になって数日の自分も武装と呼べるのか怪しい装備。グリモアが自動操縦時に買った原料不明の厚い革製の胸当てに、護身用兼採掘用の手刀のみというありさまだ。
そこで彼方は自分がエデンに戻ってきた理由を思い出す。記憶同期によって膨大な情報が脳にインプットされたことで、直前に起きた出来事がまるで押しやられるように少し前のことのように感じるのだ。そうして慌てて、先ほど恋人登録をしたベルの居所をどのように確認できるか、と思案したその時だった。
店のドアが開き、木造のドアがきしむ音がする。同時に周囲が息をのむような気配がする。
「懐かしい。緊張しっぱなしの戦闘から解放されて心から気を抜けるのよね。薄汚れてて気を使わなくていいから」
しっとりとした起伏のない声音に、褒めたかと思いきや、最後に心無い一言口調からその人物が誰か想像がつく。健康的とはいえないまでも、金のない新米プレーヤーにカロリー重視で暖かい食事を安価で提供しているこの店にその失礼極まりない言葉が聞こえていないかひやひやしながら、彼方は声のほうへ振り向く。否や、周囲が息をのんだ理由が即座に理解した。気圧されると同時に見惚れてしまっていたのだ。
美しい、そして同時に禍々しい。それはオーラとでもいうのか、まるで内側から洗練された力が陽炎となって染み出ているかのように、歩を進める少女の存在を際立たせていた。疲れきった粗野な空間にあって、素人目でもわかる上質なローブを身にまとい、超合金の防具に身を包んだ彼方の恋人役・ベルは何をするでもなく存在するだけで周囲の注目をすべて集めていた。
「おいベルさんよ、失礼なことはもう少し声のボリュームを落として言え」
「あら、褒めたつもりだったのに。もろい感性ね」
ベルは無造作にローブを払い、視線を浴びていることなど歯牙にもかけず、彼方の相席に腰を下ろした。
日差しに照らされたこの空間で改めてその姿を見て、ベルがリアル側でどれだけひどく憔悴し弱っていたかが浮き彫りとなった。時空回廊で遭遇した際には呼吸が時折弱々しく漏れていたし、体から不思議ににじみ出るオーラが感じられなかった。それが今や、エデンにある万全の肉体に魂が宿ったことで、元々の整った顔立ちとは別に、存在しているだけで今までの積み重ねの量と質、格の違いを感じさせている。唯一、芯の強さを感じさせる瞳の奥の凛とした輝きだけは向こうでも同じだった。
彼方はそんな人物とひょんな縁から恋人という設定になっていることを思い出す。つい出来心で、彼方は手元にあったグロテスクな色のシチューをスプーンですくい、冗談交じりにベルに差し向ける。
「懐かしの味も思い出してみるか?」
しかしそれを見たベルの鋼鉄の無表情を視界にとらえ、彼方は一瞬で後悔し、地獄に落とされる覚悟をする。だが次の瞬間、ベルがおもむろに上品な唇を近づけ、ぱくりとまるで小動物かのように彼方のスプーンに食いついた。
彼方は予想外の展開にどきりと心臓が高揚するのと同時に、とげとげしい言動とは打って変わって素直なベルの反応に笑ってしまう。
ベルは頬いっぱいにゴブリン肉をほおばり、もぐもぐと無表情に口を動かしながら言った。
「たまに食べるジャンクフードこそ至高なのよね。なんか炭酸、コーク頼んでないの?」
周囲でその一部始終を見ていた駆け出しプレイヤーたちも同じく不意を突かれたようで、諸所で食事をのどに詰まらせるなどしていた。
彼方は会って間もないながら、飾り気のないベルという人物に親しみを覚えるのだった。
「なに笑ってるのよ、私たち恋人なんだからあーんくらい普通でしょ。ゴブリン一匹まともにさばけないルーキーが分不相応だというのはわかるけど。さっさともう一口運びなさい」
ベルは口の端っこにシチューをつけて、無防備に口を開けて彼方に次の一口を訴えるのだった。
そうしてあっという間にゴブリンシチューを平らげた後、二人は早速、というか、かなり差し迫った状況であることを思い出し、ようやく本題に入った。
まず夢生と親子関係にある彼方が、グリモアを通して夢生の位置情報を特定する。どうやら幸いにも夢生は同じ第一層にいるらしいことがわかった。ベルによれば、仮に彼方がまだアクセスできない第二層以上にいる場合、顔見知りですらないベルが単独でコンタクトする予定だったそうだが、第一層にいることで、二人がかり且つ彼方を通してコンタクトできるため成功確率が高まったとのこと。
彼方が詳しい座標をベルに伝えると、ベルはそのエリアの地形等を勘案しているのかしばらくの間、控えめに顎に手を当てて押し黙る。そしてしばらく待った後、ベルは開口一番にこういった。
「作戦はこうよ」
次いでベルが作戦を説明する。複雑にも思われる内容だったが、ベルが理路整然と説明をしたおかげで彼方もすんなりと理解する。だが同時に、無茶ぶり満載の作戦内容にほとほと狼狽するのだった。
「そもそもグリモアの自動運転状態で遠慮なく攻撃してくる夢生さんを倒す時点で難易度が高いのに、このやり方は無茶苦茶すぎないか」
「始まる前から泣き言なんて、頼りない見た目になんの驚きも生まれないわよ」
すかさず辛辣な言葉をしっとりとした声音で包むベル。
「これが最善よ。なにより、夢生って子の戦闘力について情報がない以上、最悪の状況を想定すべき。例えば私ですら相手にならない、そういう強敵として想定する必要がある。そんな強者を落とすというのだから多少の犠牲はつきものよ」
「犠牲って主に俺のことだよな?」
「そうともいうわね」
肩を落とし落胆する彼方。緊張感が高まり、改めて夢生と戦うという事実に気が引き締められる。若干、涙がちょちょぎれそうになる彼方であった。
一方、それを気にかけるでもなくベルは颯爽と立ち上がり、周囲の羨望のまなざしを受けながら出口に向かっていく。
ため息をしていたせいで出遅れた彼方だったが、店を出たところで素朴な疑問が浮かぶ。大空に向けて気持ちよさそうに伸びをしているベルに尋ねた。
「そういえば、エデンにも車とかがあるのか? 夢生さんの座標を考えると、かなり距離があるように見えるんだけど」
「考えが一般人ね。忘れたの、私たちは魔法使いなのよ」
「おお! 転移の魔法とかあんのか!」
「そんな芸当ができれば、彼方なんか待たずにとっくに時空回廊から脱出していたわ」
至極当然な突っ込みをいれられ、ぐうの音も出ない彼方。この夢生さんを倒すなんていう作戦も、すべては閉じ込められた時空回廊から脱出するためだ。
見れば、ベルはいつのまにか手にしたのかオルガノンを握っていた。それは自分や夢生が扱っているものとはまた違った装飾が施されており、メルヘンで丸みを帯びた銃。
ベルはその銃を手慣れた手つきでくるりと回してさかさまに握る。否や、まるで銃の中に折り畳み式の長剣でも仕込まれているかのように、それを後方に振りぬいた。
「魔法使いといえば、これでしょう」
いうや、銃が一瞬だけグリッチを帯び、次の瞬間、長く伸長し形を変える。
ベルは、先端に白亜の茨を無数に絡ませた棒状となったオルガノンにまたがってみせた。それは、まぎれもなく箒であった。
「飛んでいくわよ、早く乗りなさい。私の身体が死ぬ前に」
言葉の内容とは裏腹に、あくまで冷静に風がそよぐようにいうベル。彼方はその姿が、大空と自然に満ちた背景と相まって美しく思えた。
彼方は一瞬見惚れてしまいそうになってから気を取り直し、ベルの細い腰回りに控えめに手をかけて箒に跨らせてもらう。
「あんた童貞でしょ。そんなんじゃ直線の風圧だけで振り落とされるわよ」
瞬間、箒に青白い光が流れ、ふわりと地面から浮き上がる。その反動でバランスを崩しそうになり、彼方は選択の余地なくベルの腰回りを両手で包んで抱き着く格好になった。
「ジャ、ジェントルマンとしての気遣いだろうが」
「私の身体をベタベタ触れるチャンスなんてそうそうないんだから思う存分楽しみなさい、童貞」
反論の隙もなく、再び青白い光が箒を貫き、否や仮想のエンジンが吹いたかのように一気に飛び出す。見れば、箒の穂先を担っている茨から風の仮想魔術が複雑に展開されていた。
二人の身体をいとも簡単に乗せて風を切って進んでいく。あっという間に地上がミニチュアサイズに見えるほどの高さまで飛躍し、二人は空を独占していた。一方で、彼方は高速で進んでいるにもかかわらず不思議と風圧をまったく感じないことに気づく。実際、ベルは彼方よりも小柄なため座高も低く、彼方の顔は障害物なしに直接風圧にさらされているはずである。しかし前を見てもなんの負担もなかったのだ。どうやら前方にも風の仮想魔術が展開されており、風圧が来ないように乗り心地も保証されているらしかった。そこまで把握して、ベルの腰回りに必死にしがみつく必要なんてなかったことに気づいた。
「乗り心地はどう」
「最高だよ。しがみつく必要なんて全くないじゃねえか。からかったな」
ベルの身体が小刻みに揺れて、くすくすと笑っているのがわかった。
「子猫みたいで可愛かったわよ」
その後、超高速でエデンの空を進んでいく道中、彼方とベルは来る夢生との戦いに備えて作戦を確認しあった。
そして15分ほど空の旅を楽しんだ後、夢生の座標が示す近辺まできた。そこは山岳地帯で、火山活動の痕跡が見られる浅黒い地面が広がっている。ベルは作戦通り、夢生の座標から少し離れたエリアで低空飛行を開始し、ひそかに着地した。
地面に足をつけると、足元は乾いた砂利で滑りやすい。またあちこちに大きな岩石が無造作に転がっており、視界が阻まれている。
夢生の座標を再度確認すれば、すぐ近くを移動中のはずだが、そこからはまだその姿が見えない。どうやら山岳地帯だけに、歩ける道が傾斜をつけて様々な高さであるらしく、夢生は二人がいるところより下の層をゆっくりと歩きで移動しているようだった。
ベルとともに崖から恐る恐る顔を出す。すると、その下にはだだっ広い平坦な道が広がっており、その先にひとつ、人影が見えた。荒涼とした火山地帯には不釣り合いの三角帽子の少女が、こちらを背にして歩いている。
「夢生さんだ」
思わず名前を口に出す彼方。興奮を隠せず、すぐ横のベルを見る。するとベルは歯がゆそうに下唇を噛んで夢生の後姿を突き刺すように凝視していた。
「どうした?」
少し押し黙った後、ベルが「ねぇ」と苦渋をのんだような顔で口を開く。
「何が戦闘タイプじゃないって? 魔物じみた化け物じゃない」
「魔物じみたって、夢生さんはめちゃくちゃ美人なんだからな」
「そんなことはどうでもいいし聞いてない。後ろ姿だけで相当な使い手なのが分かるって言ってんの」
「どういうことだ? 何か強さの指標みたいのがあるのか?」
「仮想魔術師というのは、自らの演算力を使って神が作った世界を改変する。それは世界への叛逆そのものよ。より真理に近く深い仮想魔術を使うほど、全世界を敵に回したようなプレッシャーに襲われる」
彼方はそこまで聞いたところで、世界がプログラムによって動いている仮想現実だと知ったその時に感じた、何とも言えない恐怖感を思い出した。禁断を知ってしまった、それを世界の外側から見ている万能の神に知られ、逃れる方法のない絶対的な力で押しつぶされてしまうかのような、全身の身の毛がよだつ寒気だった。世界を改変するということは、まさにその禁断を知ったうえで、神が作った世界に手を付けて変えてしまうことだ。それを考えれば、ベルが言っているプレッシャーというものが想像に難くないと感じた。
ベルは言いながらも一秒たりとも夢生の背中から視線を外すことなく続けた。
「仮想魔術を極めるということは、おのずと世界の深淵に足を踏み入れていくということ。だからこそ、改変という行為を繰り返せば繰り返すほど心と魂は摩耗するし、しかし同時に洗練され、真理へと近づいていく。そうしていく中で少しずつ一種のオーラみたいなものが宿るようになるのよ」
そういわれて彼方も遠くを歩く夢生の背中を凝視する。しかし彼方には異様なものは見えなかった。
「オーラは自分が及び知るレベルまでしか感じられない。私にはギラギラと黒光って見えるわ。こんな異様なオーラ見たことがない」
そういうベルの声はいつものように平静に満ちていたが、その表情にはうっすらと畏怖のようなものが見て取れた。
「今になって、なおさら本人の意識がこっち側にあることを願うわ」
彼方はごくりと唾を飲んで同意した。
「作戦開始よ」
ベルの合図で、二人は別方向に分かれる。反対方向に走っていくベルの後ろ姿を横目に、彼方は気合を入れるべく自らの頬を叩く。そしてまっすぐに夢生の方へと向かった。