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ゴスペル・グリッチ  作者: 元木トゥナ
3/12

2-1:ベル・マッキントッシュの憂鬱

『世界のどこにでもいける、でも迷ったら最期、自力での脱出不可能の謎の場所――それがこの世の隠しステージ【時空回廊】』


夢生はそう、目先一面に広がる闇の世界を目を輝かせて呼称した。彼方は周囲をきょろきょろと見回すが、どこを見ても同じ無機質な暗黒の景色が広がっているだけだった。まるで漆黒のタイルをコピーペーストして貼り繋いだ箱の中にいるよう。

その空間は静謐で、夢生の少しだけ高揚した声だけが鮮明に響く。


「ここは現実世界の仕様上は存在しないはずの場所。でも特定の手順を踏むことでごく限られた仮想魔術師だけがアクセスでき、その仕方を知っている。特定の日時に、特定の方角へ、特定の歩数、特定の順序で進むことで世界のどこにでもいけちゃう。すごいでしょ」


夢生は、ゲームで誰も知らない隠しステージを自慢するかのように言った。

しかし彼方はその異様な表現を鵜呑みにできず、聞き返した。


「世界のどこでも? それって例えば海外とかに歩いてるだけでいけるってことですか?」


夢生は頷き続ける。


「例えば東京からロンドンなら普通は飛行機の直行便でも十時間以上かかる。でも時空回廊なら数十歩かな。裏技だよ」


裏技、それはゲームの中でよく聞く言葉だ。開発者の意図に反して、プログラムの抜け穴を利用し特異な現象を引き起こすテクニック。それを夢生は現実世界で実行し、物理的に不可能な長距離移動を実現するという。本当ならば、まさに世界の仕組みを覆す裏技としか言いようがない。改めて、今まで現実と呼んできた物理的な世界もまた、ゲームのようにプログラムによって開発された空間だという事実を突きつけられる。


感嘆し言葉が出なくなっている彼方。夢生は次いで諭すように続けた。


「でも同時に禁断の場所なんだ。そもそも人間はこの空間に足を踏み入れること自体が想定されていないから、長時間いると肉体を構成するデータが破損する危険性がある。それと」


夢生はそこで言葉を切って、妙に真剣なまなざしになって彼方を見つめた。


「途中で道順から外れると目的地にはたどり着けなくなる。目には見えないけど地面が動いてるんだ」


言うや、神妙な表情で彼方に向き直る。


「だから私から離れないで。絶対の絶対の絶っ対の約束」


そう夢生は身振り手振りで懸命に言った。一方で同時に、夢生の瞳はまるで親の言いつけを破って遊びにいく子供のように禁断を犯すことへのスリルからか静かにギラついていた。


そうして二人は、いけどもいけども変化の見えない暗黒に満ちた無の世界にて歩を進めた。夢生が先頭に立って、彼方がそのすぐ後ろを夢生の足跡を踏むようにして進む。ただ二人が歩く足音がかすかに響く。夢生は目印はおろか一寸先すら見えないにもかかわらず、まるで指し示られた不可視の矢印に従って歩いているかのように迷いがない。また時折、器用に歩く方向を鋭く90度変えて進んだ。


彼方は置いて行かれまいと歩を進めるのに必死だった。しかし無音の世界を歩いていたからこそ、突然右手の方角から響いた誰かの声に気を取られる。その幻聴にも思える声に足を止め、よく耳を澄ます彼方。しかし何も聞こえない。そして再び前を向こうと思ったその刹那、今度は確かにそう誰かが言ったのだ。


「助けて」


疑いが確信に変わり、彼方は反射的にその方に体を向ける。だが相変わらず視界に広がるのは闇ばかりで何も見えない。


そしてすぐに夢生を呼び止めようと振り返ると、そこにはすでに夢生の人影はなかったのである。まだ近くにいるはずだと考え夢生の名前を呼ぶが反応がない。叫んでみてもだめだ。夢生が危惧したとおりにはぐれてしまった。


前後左右すべて同じ闇に包まれ方向感のない世界で、唯一彼方に行き先を指し示すのは、謎の少女の声だけ。右手の方角、闇の中から再び少女の声がはっきりと響く。消耗しているかのように時折息切れを漏らしながら、混乱する彼方に指示を出す。


「落ち着きなさい。今、私とあなたは同じ()()()にいる。その場で90度ぴったり方向転換し、まっすぐ私の声がする方に歩いてくるのよ。そうすれば私たちは合流できる」


誰のせいで夢生とはぐれたと思っているのか、と彼方は焦燥感といらだちを感じながらその少女の言葉に耳を傾ける。自分は仮想魔術師になったばかりだ。少なくともこの空間について多少なりとも知識を持っていそうな彼女と合流するほうがいいに決まっている。なにより、彼女は助けを求めていたのだ。


彼方は夢生が先ほどまで繰り返していたように90度体の向きを変え、少女がいるだろうその先へ歩いた。少女は休むことなく、自分の居所を伝えるように必死に彼方に言葉を投げかけた。


「そのまま私の声に意識を傾け続けなさい。どうやら私が呼び止めたせいで、ここに一緒に来た人とはぐれてしまったようね。申し訳なかったわ。けれど、この奇跡を逃すことはできなかった。誰しも自分が一番かわいいものよ」


声音は弱々しいながら、言葉に強い意志が感じられる。少女はまるで自分の存在と居所を必死に伝えるかのように声を出し続けた。


「いいこと、もし私の声が一瞬でも聞こえなくなったらすぐさま立ち止まり、体の向きを変えずに一歩ずつ後ろに戻るのよ。自分の足跡を踏みなおすようにね。そうすれば私たちは再び同じ()()に乗ることができる」


謎の少女が言っていることはよく理解できなかったが、とにかく彼方は声の主に向かって確実に歩を進めた。


彼女との距離が近づくにつれ、少女の荒く辛そうな息遣いが明確に聞こえてくる。


「すぐそっちにつくぞ。お前、怪我でもしているのか?」

「久しぶりに大声を出して疲れているだけよ。そんなことより、あなた、何か食べ物をもっていない? お腹が減って胃液がマグマのように煮えたぎっているの。もし持っているなら速やかに食べさせなさい。私の麗しい唇に触れることを許可するわ」


少女は真面目なトーンで、言葉に緩急をつけず流れるように言った。まったくおしゃべりなやつだと彼方は思う。またその尊大さと親近感が混じりあった妙にちぐはぐな物言いに、つい笑みをもらしていた。しかしその横柄な言葉選びとは裏腹に、少女の声そのものには棘がなく、むしろ暗闇と緊張で敷き詰められた世界にあってさえしっとりとした落ち着きが感じられた。


そして次の瞬間、闇しかなかった視界に純白が現れる。彼方は一瞬、雪かと思った。雪が地面の一部分にだけ積もっているのかと思ったのだ。しかしそれは謎の声の主のものだったとすぐにわかる。少女は明確に発生していた言葉とは裏腹に力なく地面に横たえ、純白の長い髪がそこに垂れていた。少女のまるで太陽に照らされる海のような碧眼の瞳と視線がかち合う。衰弱しきった様子の少女は唇だけで笑んだ。


「ビンゴ。助けなさい」


彼方はすぐさま少女に駆け寄った。そして少女を抱きかかえ、自分の膝に乗せる。見た目通り軽い。抱きかかえた反動で少女の身を包んでいたトレンチコートがはだけ、全身のあちこちに乾いてはいるものの多数の血痕が見つかった。


「一体何があった?」

「ちょっと殺されそうになっただけよ。止血はとうの昔にしたし、傷も仮想魔術で食い止めてる。それより」


そうして少女に視線を戻すと、少女は緊張感なく、おもむろに薄紅色の唇を精いっぱい開けてみせる。


一呼吸の沈黙が流れる。彼方が少女の行動意図を理解するのにラグがあったからだ。


「怪我より食い物かよ。ちょっと待ってろ、大したもんないぞ」


彼方は仕方なく、下校時から置き場がなかったせいでずっと持っていたスクールバッグを下ろして開けた。確か記憶同期の中で、グリモアがコンビニによって無駄にたんぱく源を摂取しようとプロテインバーを購入していたはず。彼方は期待通りそれを見つける。すぐさま包装を解いて、無防備な少女の口に近づける。少女はためらいなく、ハムスターのようにぱくりと小さな口で噛みついた。


「あぁ、甘ぁい」


大豆のプロテインバーだ。相当長い時間ものを食べていなかったのか、強く甘みを感じるようだった。少女はとろけるように表情を歪め、味わうように何度も噛む。長いまつげが瞬きとともに上下するのが際立って見えた。ゆっくり飲み込んで、ようやく口を開く。


「この絶妙なタイミングで現れてくれたこと、褒めて遣わすわ」


口を開けば尊大。少女は気だるげにゆっくりと自力で起き上がって見せる。白雪の髪が小さな顔の輪郭を隠すように垂れて、海洋のような碧眼が鈍く輝く。絶望的に消耗しているのは確かだが、目前の少女からは諦観の念が一切感じられない。それどころか横柄な物言いを正当化する凄みと、圧倒的な生命力を放っていた。

彼方はその美しさに意識を持っていかれているに気づき我に返る。


「元気なのかヤバい状況なのかどっちなんだ」

「まぁどちらかと言えばヤバいわね。でもあなたのおかげでマシになりそう。それもっともらえる?」


少女は彼方が握っている大豆プロテインバーを指さす。彼方がそれを手渡すと、今度は一口と言わず、袋を大きく開けて口いっぱいに一気に詰め込んだ。頬にくるみを詰め込んだリスのようになった少女を見て、彼方はつい笑ってしまいそうになる。しかし次の瞬間、少女の口の中から蛍光色の輝きが漏れ出る。否や、飲み込んだわけではないのに口の中のプロテインバーが瞬く間に消えた。そして少女は何事もなかったかのように、舌の回る綺麗な発声で言葉を紡ぎ始めた。


「さっきみたいにもっと味わいたいところだったけれど背に腹は代えられない。魔力に還元させてもらったわ。ついでにそのカバンとその中身って必要? まぁ私の命に比べたら必要ないものよね」


言うやカバンを無造作に掴みとる。


「おいおいおい待て! なにする気だ」

「何よ、彼女からもらったプレゼントとかそういうのがあるの? それは確かに大切だろうから見逃してあげるわ」

「そういうわけではないが」

「やっぱり」

「やっぱりってなんだよ!」


彼方の反論を歯牙にもかけず、か細い手に掴まれたカバンが蛍光色を帯びる。次の瞬間、カバンが蛍光色の液体とも気体とも呼べない不可思議な流動体となり、掴んでいた少女の手が空を掴む。そしてそれらは一斉に少女の全身にまとわりつき、吸収された。


「あぁ、超がんばって作り上げた一学期分の授業ノートが」

「そんなもの友達に借りればいいじゃない」

「そんなものがいたら苦労せん」

「寂しい男」

「うるせぇ。俺は孤高なんだ」

「はいはい。ていうか、グリモアがいるんだから勉強なんて不要よ」


あしらうように言うや、いくらか軽快な動きになって少女が向き直る。


「これで少しは延命できそう。ありがとう。私はベル、イギリス人よ。あなたは?」

「俺は彼方、日本人だ。それにしても日本に住んでたのか? 日本語が流ちょうだ」

「あなた、仮想魔術師になって相当に日が浅いようね。私はさっきから英語しか話してないわ。グリモアが脳内で母語に変換しているのよ。地味だけど、エデンやダンジョンで出くわす外国人ともすぐに意思疎通ができるから便利ね」


軽々しく言うや、ベルは「そんなことより」とまるで些末なことのようにとんでもないことを口にする。


「ことは急を要するの。私はここに閉じ込められて今日で379日目。その間、なんとか飲まず食わずで生き延びたけど魔力のほうがもうもたない。私が意識をもって話ができるうちに、ここから出たいの」


彼方には理解が追い付かない。


「ちょっと待て、この何もない世界に一年以上もひとりで飲まず食わず? 一体どうやって」

「今あなたに仮想魔術の授業をしている時間はないのだけど、ひとつだけ女の子の尊厳を守るために言うとすれば、体内の微生物群の遺伝子構造やら代謝機能の循環やらを組み直して栄養や水分をリサイクルし続けたのよ。というわけで、今の私はおしっこもうんちもしない聖なる女の子よ、えっへん」

「まじでお前、元気なのかヤバいのかどっちなんだ」

「魔力が尽き次第、数分で死ぬくらいにはヤバいわね」


ベルは変わらず、落ち着き払った様子でさらりと自身の死を予告した。

彼方はまっすぐに向けられたベルの瞳を見て、それが決して冗談ではないということを察する。


「時間はどれくらいある?」

「1時間、いや4, 50分てとこね」

「ここから出られればいんだな」

「そうよ、外に出られれば器子(ヒュレー)を摂取できる」


コンサバにみて1時間すら持たないというわけか。同時に彼方は、自分もまたベルと同様にこの謎の空間に取り残されているという事実を再認識する。自分には到底一年以上も飲まず食わずでやっていく自信もない。


しかし夢生は言った。迷ったら最期、自力での脱出は不可能だと。


「どうして夢生さん、俺と一緒に来た人は急にいなくなったのかわかるか? お前の声を聴くまですぐそこで一緒に歩いてたんだ。まだ近くにいるはずなんだ」

「お前じゃない。ベルっていうそこはかとなく可愛い名前があるの」

「わかったよ、ベル。でも夢生さんをここに連れてくればすぐに出られるはずだ」

「無理よ。そんなことができたら、あんたみたいな何も知らないニュービーをわざわざ呼び止めたりしないわ」


するとベルはおもむろに白く華奢な手を地面に触れさせて、黒いタイルの床をとんとんと叩いてみせる。


「いい、時空回廊内の床には座標が割り当てられていて、それぞれが世界のどこかとリンクしている。今私たちが座っているこの座標もね。でも厄介なことに、この床は流動的で複雑なロジックに基づいて自ら位置を変える。それも右へ左へ順々に動くんじゃない。まったく別の位置にワープするの」


理解が追い付かず怪訝な表情をする彼方に、ベルが問いかける。


「彼方が私にくれたプロテインバー、中身は器子に変えちゃったけどその袋はどこにいったのかしら」


言われてみれば、つい先ほどまでベルのすぐそばに置かれていたのに跡形もなくなっている。


「まさか」


ベルが頷き、自ら答える。


「そう、あの袋は座標の流動に巻き込まれた。床がワープしたことで、今はこの回廊のどこかまったく関係のないところにあるでしょうね」


彼方はわからないながらも話を咀嚼し、夢生がもう近くにはいないことを理解する。すぐ近くを歩いていたはずの夢生と刹那のうちにはぐれてしまったのは座標の流動、つまり足元の床がワープしたのが原因だということか。


「それにしても夢生という子も随分と不用心なこと。普通、集団で回廊を渡る際には会話をするか手を握るか、お互いに個として接続した状態で進むものよ。私が健気にも彼方に向けて言葉を発し続けたようにね」


確かに先ほど、ベルはしきりに彼方の注意を繋ぎとめようと会話を試みていた。


「それになんの意味があるんだ?」

「そうしている間は、回廊にひとつの存在として認識されるのよ。座標の流動によって分断されなくなる。これを私たちは、()()()()()()()()と表現する」


そこまで聞いてようやく、先ほどベルがその表現を通じて言わんとしていたことを理解した。

また思い出せば、確かに夢生とはぐれたのは自分が夢生からベルの声に意識をそらしたその一瞬だった。一度自分が足を止め、意識を夢生からベルにそらした。その瞬間に足元の座標が流動し、夢生との線形がずれ、回廊内の全く違う場所へと飛ばされてしまったというわけか。


「じゃあ夢生さんは今、全然違うところにいるってことか」

「よほどの天然じゃなければ、選択の余地なく予定通り目的地に向かっているはずよ。時空回廊では、原則一切立ち止まらずに進まなければならない。回廊に入るその瞬間、座標の流動を加味して目的の座標へのたどり着き方を算出するからね」


彼方はあの気分屋な夢生が立ち止まったり寄り道をせず黙々と空間内を歩いていたのを思い出した。まるで道筋がわかっているかのように進んでいた訳も今になって納得する。一歩一秒刻みでルートが決められていたというわけだ。


ベルが自らに落胆するかのようにため息を小さく吐いて続ける。


「命からがら逃げこんだと思ったのに怪我のせいで座標の流動に巻き込まれた。迷ったと気づいたときには、もう自分が回廊のどの座標にいるのかさえ分からなかったわ。それが今の私よ」


だがそこで彼方はシンプルな解決法があるように思った。


「でもよ、すべての座標が世界のどこかに繋がっているのなら、ひとまずどこでもいいから外に出てみるというのはダメなのか? ここで餓死するよりはマシだろう」

「それができたら苦労しないわ。回廊は道順を算出する時に設定した出口からしか出られない。だからここから脱出する方法は二つに一つよ。元々の目的座標にたどり着くか、外から誰かに扉を開けてもらうか」


彼方は何ら解決に導くことができそうになく、一周回って開き直ってしまう。


「もうおわかりだと思うが、俺自身も迷ったし、そもそも回廊への扉を開けたのは俺じゃなくて夢生さんなんだ。だから目的の座標に行く方法はおろか、どこに向かおうとしていたのかすら知らない。助けを求めてやってきたのがなんも知らないド新人で落胆させちまったな」


皮肉を込めて言ったつもりだったが、ベルは思いのほか冷静だった。大海原を閉じ込めたような瞳には、未だ強い闘志が感じられた。


「いいえ、回廊の仕組みをよくわかっている人物なら寄り道をする危険性もわかっているから、そもそも私の元へは来なかった。こっちに来た時点で、あなたがなんの知識もないってことは大体わかっていたわ」


静かな、しかし諦観を感じさせないベルの声に彼方は改めて向き直る。


「それじゃあ俺にも何かできることがあるんだな、この時空回廊から脱出するために」


ベルは問いに肯定するように、初めていたずらげに微笑んで見せる。


「ひとつだけ、かなり荒療治だけどね。彼方をここに連れてきた夢生って人、どれくらい強い?」


唐突な質問に虚を突かれる彼方。


「自分では戦闘タイプではないって言ってたけど、もう長いことプレイしてるはずだ。なんでだよ、いきなり」

「その方法っていうのが、その夢生って人を倒すことだからよ」


話の関連性が全く見えず、彼方は慌てふためく。


「おいおい、どういうことだ? そもそも夢生さんとはここで合流できないわけで。戦う理由も全くわからないんだが」

「そうね、ここであなたとこうして出会えたことがそもそも奇跡中の奇跡だし、合流することは不可能ね」


そこでベルは一息ためていった。


時空回廊(ここ)ではね」

続けて「でも」と力強い声音で言った。


「私たちにはもうひとつ、自由に行き来できる仮想空間(せかい)があるでしょ」


彼方は遅れて気づく。


「そうか、ここからエデン・オンラインにダイブすれば、向こうでは自由に動ける。そして夢生さんを探して合流できる!」

「正解」


憔悴しているくせに、ベルは今から大博打でもしようかといった様子で得意げに意気込んだ。

彼方も脱出の糸口が見えたことに高揚する。だが同時に、ベルが口にしたもう一つの条件を思い出した。


「だけど、それでなんで夢生さんを倒す必要があるんだ? そのまま訳を話して助けてもらえばいいだろ」

「夢生って人の意識がエデンにあればいいけどおそらくない。エデンにいる夢生って人の肉体は十中八、グリモアの自動制御下のはずよ。なぜなら本人は今、座標が大きく変動しないうちに躍起になって逆演算をして、あなたとはぐれた座標に繋がっている地点に現実側で向かっているはずだからね。そしてエデンに本人の意思を強制的に呼び戻す方法はただひとつ。その人物を生命の危険や精神の崩壊を感じさせるほどの緊急事態に追い込む。そうすれば、グリモアが自動運転では手に負えないと判断して本人を呼び戻すわ」


つまり、現実の肉体を動かす夢生本人の意識をエデンに引きずり出すため、グリモアが自動操縦する夢生と戦う必要があるというわけだ。脳みそに直接インストールされているAI(グリモア)は、その人物の記憶、思考回路、経験すべてにアクセスし、その人物をトレースして同等に振舞うことができる。その意味でただ凡庸なNPCと戦うというわけではない。夢生との戦闘を想像した途端、彼方は手に汗がにじんだ。


「時間に余裕があれば、エデン側で彼女が来るのを待ってもよかったけど私にはタイムリミットがある」


そういうベルを見れば、左手で腹部を抑えている。


「早速行くわよ」


言うや、彼方の視界中央にポップアップが表示される。


恋人(リレーションシップ)申請:ベル・マッキントッシュ』

「恋人!?」


見れば、澄ました様子ながら目線を合わせずにベルが説明する。


「し、仕方ないでしょ。この関係性バッジにしないとエデンでの位置情報が共有されないんだから。ここから出たら即刻関係性解消よ」


彼方が申し訳なさそうに承認を押すと、ベルがくすりと笑いを漏らすのが分かった。緊張感のない様子で言う。


「なんかこの奇跡みたいな状況がおかしく思えちゃって。なんだか、神様が私に生きろって言ってみるみたい。特別なんだからね」


ベルはまっすぐに彼方の瞳を見て、純真な笑顔を見せた。彼方はどきりとすると同時に、ベルという少女の奥底にある柔らかな人間性を見た気がした。


「じゃあもう私へとへとだから、あなたがエデンへ飛ばして」


そこでようやく彼方はエデンへ行く方法を知らないことに気づいた。考えてみればエデンに行ったのはまだ一度だけで、その時は自室からヘッドセットをかぶってゲームをするように入った。今は当然そうできない。

しかし突如、エデンにダイブすることを思案した直後、脳内でモーターのような何かが駆動するような妙な重力感覚を覚える。同時に体験や記憶を溶かした液体が脳みそにしみこむように知識が備わった。


『仮想魔術師の杖【オルガノン】アクセス付与。知識データのダウンロード完了』


脳内にグリモアの音声がインプットされ、一瞬のうちに何かを熟知し別人になったような摩訶不思議な感覚。彼方は体が浮くような全能感と動揺を同時に感じ、思わず自分の両手を広げて見回してしまった。


「わかるでしょ」


ことの流れをすべて予期していたように、目の前のベルが微笑み、おもむろに目をつむる。

彼方はその通り、すべてを知っている。ごくりと唾を飲み、右手で仮想の拳銃を握るように手指を形作った。否や、かすかな輝きが瞬き。それらはすぐに増幅し、次の瞬間には白亜の丸みを帯びた天使を思わせる拳銃が顕現した。それはエデン・オンラインの中でのみ存在しうるはずの仮想魔術師の杖。


彼方は初めてその拳銃(オルガノン)を現実世界で握ったにもかかわらず、まるでそれが既に体の一部であるかのように感じる。手慣れた様子でくるりと指でトリガー部分を器用に回し、流れる動きで目前で目を閉じるベルの額に向けた。


まさかエデン界の肉体に意識を飛ばす方法が、霊的に死ぬことだなんて。


魂から放出される仮想の魔力、器子を吸い上げて、銃口に蛍光色の禍々しい光が凝縮される。


彼方はそれをベルに打ち込むことで、何が起こるかをすべて明確に把握している。ベルの意識はエデンの肉体に同期され、現実の肉体は即座にグリモアの自動制御に入るのだ。なんの不安も感じなかった。まるでその行為を今までに何度となく繰り返したかのように。


彼方は迷いなく引き金を引く。光弾がベルの額を貫いた。

次いで躊躇なく自分の頭蓋に銃を押し当てて同じように引き金を引く。

無感情だった。すべてグリモアを通して知識と経験をダウンロードしたのだから当然だったが。


二人の意識はそこで途絶え、闇に包まれる回廊に倒れこむ。


直後、むくりと二人の肉体は起き上がり、その場でベルの肉体機能を延命させるべく、すべてを理解した上で改変を再開した。

もちろん、グリモアによる自動運転、演算によって導き出された合理的思考に基づいた行動である。


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