1-1:仮想魔術師の住まう世界
陶器のように白い手の上に乗る粗野な石ころが、システム障害特有のグリッチを帯びながら光り輝くダイヤモンドに変化されられていく。そのグリッチは、三角帽子を被った仮想魔術師の少女【夢生】によって意図して引き起こされたものだ。
夢生は、困惑する新参者の少年【彼方】を落ち着かせるように言った。
「これが、この世界が仮想空間である証明だよ」
彼方は、超仮想現実によって実現されたVRMMORPG【エデン・オンライン】の現実さながらのリアルさに困惑していた。ログイン直後、姿見を通して見た自分のアバターが現実の肉体の鏡写しだったのだ。しかしここが現実世界だったとしたら、当然、石ころをダイヤモンドに変えるなんてことはできない。このエデンという世界が、プログラムによって現実と区別がつかないレベルで模倣された仮想空間だからこそ、そんな魔法が実現し得る。
彼方は目前で超高解像度に再現されているダイヤモンドに見入って、夢生の言葉を思い出す。
『一風変わった魔法を使って戦うゲームがあるんだ』
「今のが【仮想魔術】ですか?」
目の前に佇む爽やかな印象を与える美形の少女に尋ねると、夢生はゆっくりと頷き、まるで永遠の命を手に入れた童話の魔女のように興奮を秘めた物言いで答えた。
「世界を根幹から動かすソースコードにアクセスし、それを開発者の意図に叛逆して書き換える。そうして目の前の事象を改変するんだ。それが仮想魔術」
見てて、と言わんばかりに夢生の視線がダイヤモンドに戻される。すると再びダイヤモンドが蛍光色の光を帯びる。そしてアメーバが増殖するように、たったひとつだったダイヤが次々とコピーペーストされていき、あっという間に山を築いた。夢生は光り輝く宝石に悦を浮かべ、ダイヤの山を両手で包んで見せた。
「じゃじゃーん、億万長者ぁ」
「おおーー!!」
彼方は興奮して叫ぶが、すぐに夢生が口にした仮想魔術の難解さに及び腰になってしまう。
「ちょっと待ってください。プログラムってこのエデンを開発した人が書いた実際のコードのことですよね?」
夢生はその時差のある反応に苦笑しつつ肯定する。
「うん、そう言ったつもりだよ」
「あのー…プログラミングは全部AI任せで生きてきたんですけど。というか、頭の中で考えてリアルタイムでプログラムを書き換えるなんて、達人レベルのプログラマーでも難しいんじゃ」
彼方は夢のようなハイエンドの仮想空間にもかかわらず、せっかくの魔法を使えないかもしれないと萎える。
しかしそんな彼方を安心させるように夢生が微笑む。
「実際の書き換えは魔導書っていうアシストAIがあるから、プログラミングの知識はなくても平気だよ」
それを聞いた彼方は安堵する。一方、続いて発せられた夢生の声音がめずらしく冷たく無感情なものに変わり、どことなく違和感を覚えた。
「まるで自分が思考して、計算して、書いたような、そんな奇妙な感覚を味わうけどね。まぁ、やってみてのお楽しみかな」
どういうことか、と聞こうとしたその時、夢生の手のひらにあるダイヤがほころびを見せる。ひとりでに弱々しい輝きをまとったのだ。
夢生が視線をダイヤの山に戻して寂しげに言う。
「仮想魔術は不完全な魔法なんだ。一時的にプログラムを書き換えることはできても、それを永遠に維持することはできない。注ぎ込んだ【器子】という、いわゆる魔力みたいなエネルギーが使い果たされると、世界が不具合を検知して元の姿に修復してしまう」
言い終えるやいなや、ダイヤモンドが再び蛍光色の光を帯びる。次いでグリッチを伴って光を失い、最後には砕け散った。魔女の手に残されたのは、やはり凡庸な石ころひとつだった。
「誰にも見向きもされない小石に逆戻り。神様はさ、初めからそんなものは作らなければいいのに。痛みや悲しみ、病や死、全部、敢えて作ったんだ」
エデン・ヨークシャー区。穏やかな日差しと鮮やかな緑が新規プレイヤーを優しく迎える平原で風が緩急をつけて凪ぐ。
夢生は石ころを撫でるようにして、わざわざしゃがみこんで地面に戻す。その姿に彼方は見惚れた。単なる石ころを丁寧に扱う夢生のその様が、まるでどこにでもいる自分という平凡な人間を夢生が拾い上げた、そんな自分と彼女のアンバランスな関係性を思わせたからだ。
彼方と夢生の出会いは偶然だった。流行っていたVRゲームの中で彼方が夢生を助けたことがきっかけだ。その時にフレンド登録をして少しずつ一緒にゲームをする仲になった。だが未だにリアルで顔を合わせたことがない。現実さながらの外見をアバターとして再現しているこの世界を含めていいのであれば、今日この瞬間が、初めての顔合わせということになる。まさかこんな美人だとは思ってもみなかった彼方は緊張気味だった。
彼方は幸運と感慨深さを噛みしめながら、どこか憂いを帯びた空気を払わんと努めて明るく尋ねた。
「それで、このゲーム【エデン・オンライン】は仮想魔術を使って何を目指すんですか?」
夢生はすぐには答えず、風に揺られて凪ぐ草原に身を預けて寝ころぶ。そして気持ちよさげに息を吐いて、すぐ隣の芝をとんとんと叩いて彼方を誘った。
「彼方くんもおいで。こうしてごらん」
彼方は言われるがまま、胸が高鳴るのを抑えながら夢生のすぐ隣に腰を下ろし、同じように寝ころんだ。雲が悠々と広大な青空を泳ぎ、疑似的な太陽の光が二人に降り注ぐ。その太陽光からは現実さながらの暖かさやエネルギーが感じられた。隣を見れば、手を伸ばせば簡単に触れられる距離に夢生がいる。夢生はまっすぐに青天井を凝視している。そしておもむろに手を太陽にかざした。
「エデン・オンラインはね、この青空の、その先……そこにいくゲームだよ」
唐突に紡がれた言葉に彼方は頭をフル回転させ、確認するように横の夢生を見た。
「空の向こう側……それってつまり、宇宙ってことですか?」
夢生はいたずらげに笑んで、それから神妙な表情になって言った。
「それもいいね。でもそのさらに先、宇宙の裏側かな」
そんな世界があるのかと困惑し固く訝む彼方の表情を読んで、夢生が再び口を開く。
「今私たちがいるのは世界の第一層。この空の上には第二層、そしてそのさらに外側には第三層の世界が広がっているんだ」
なんだ、よくあるファンタジー世界の設定か、と彼方は途端に納得した。
「エデンは塔のような構造なんですね。変に哲学的に考えちゃうところでした」
なんとも言わず、意味深に笑む夢生。
一方で彼方は既にゲームの攻略に思考を巡らせていた。勢いよく起き上がって、目の前に広がる他に類を見ない超高解像度のゲームに胸を躍らせる。見渡す限りの地平線がエデン世界の広大さを感じさせた。リアルさのみならず、その規模も桁違いだ。まるで長大な物語の第一話を見たときに感じるような、これから歩むことができる冒険の余白の大きさに高揚していた。
「それで、第二層へ上がるにはどうすればいいんですか? この階層のどこかにボス部屋があって、そこに待ち構えてる超絶強いモンスターを倒すとかですか?」
すると夢生はからかうように人差し指を左右に揺らして言った。
「ちっちっち。それは蓋を開けてのお楽しみといこうじゃないか」
焦らされた彼方は、食い下がって言う。
「じゃあせめて、攻略のヒントを何かください」
夢生は指をあごにあてて思い出すように答える。
「全部を、根底から疑ってかかることかな」
そう言って微笑む夢生を見て、彼方は胸の中に憧れと不安が入り混じるのを感じる。それはいつも夢生が決まっていう台詞だ。夢生という人は自由を象徴している。何にも縛られず、世界を自分の目で見て生きている。ただ気の赴くままにどこまでも羽ばたいていくから、少しでも目を離したら置いていかれて、自分の手の決して届かないどこか遠い世界へいなくなってしまいそうなんだ。
彼方は不安をごまかそうと冗談交じりに言う。
「確かに、今回もエデン・オンラインなんて名前も聞いたことないゲームに誘われた時は、またどんなニッチなゲームをやるんだろうと勘ぐってましたよ。それがこんな超ド級のハイエンドゲームなんですから何事も疑ってかかるべきですね」
すると夢生は子供のようにむっと睨むような顔になる。
「その言いぐさじゃ、まるで私がいつも一方的に彼方くんを引っ張り回してるみたいなじゃない」
大きな瞳を細め、無防備ににじり寄ってくる夢生。肩にかかるくらいに切りそろえられた艷やかな黒髪が風に吹かれて輪郭を描き、彼方の鼻腔に甘い香りを運んでくる。人物の匂いまで再現されているのかと驚きを覚えつつ、紅潮してしまいそうな顔を急いで背けて否定した。
「全然、一方的なんかじゃないっすよ」
「じゃあ今まで私といろんな仮想空間で大暴れしてきたここ2, 3年のことどう思ってるのさー? お姉さんに聞かせてみなさい」
なおも無防備に、今度は茶化すように言ってさらに接近してくる夢生。自然と彼方を見上げる上目遣いになり、天使のような長いまつげが目立つ。
彼方は視線の逃げ場がなくなったことに観念し、何も見なかったことを訴えるように夢生をまっすぐに見る。宇宙の深い闇に輝く一番星のような瞳は、見ているだけで吸い込まれそうになった。
「最高に楽しい時間でした。これ以上ないくらいに」
満足げな表情で夢生はうなずき、桜が溶けて染み込んだような唇がスキップした。
「よろしい。でもこれからは、別次元に、無茶苦茶で、破っ茶滅茶に楽しい冒険になるよ!」
心の底からわくわくしている様子の夢生。彼方も、引き続き夢生とゲームで遊べるのだと再認識し胸が躍った。
エデン・オンラインは招待制で、既存のプレイヤーから招待コードを分けてもらわないとログインできず、それ故にこの高精度の仮想空間にもかかわらず世間一般に知られていなかった。しかもその招待コードとやらも相当な入手難易度で、ハイレベルのプレイング技術と膨大なプレイ時間が必要らしい。夢生はそれだけ貴重なものを苦労して獲得し、彼方に使ってくれたというわけだった。
彼方は夢生からチュートリアルを受ける運びとなり、いつものようにただ夢生の背中を追いかける。夢生という美しく、聡明で、明るい、完璧な存在。その後をついていけば万事がうまくいくのだ。
チュートリアルという名の二人きりの時間は、時にデートのように甘い時間が流れつつ、他のVRMMOとは比較にならないリアリティに加え、仮想魔術という不思議なシステム体験によってあっという間に過ぎた。すっかりエデン世界にのめりこんだ彼方。気づけばもう日没近くになっていた。彼方も基本に慣れ、早くも自立して戦えるようになったというそのタイミングで、二人はそれに遭遇した。
「ありゃりゃ、面倒なことになったよ、彼方くん」
普段、滅多に迷うことがない夢生が逡巡したことから、彼方は目の前に現れた岩石の鎧を纏う獅子に特別注意を払った。象牙色の岩石がまるで装甲のように肉厚な獅子の体を覆っており、背には二本、怪しくグレーに輝く鉱石のようなものが突き刺さっている。
「このモンスター、何か特別なんですか?」
夢生は神妙な眼差しでうなずく。
「種族名は磊獅子、体表面が鉄や岩石で覆われていてとにかく硬くて重い。直線のダッシュ力もあって正面から受ければ一撃死もある。でもその重たさのせい持久力がないから、じっくり距離を取って戦えばまず負けない……普通の個体だったら」
訝しむ彼方を見て、夢生は続ける。
「背中に二本、クリスタルみたいなものが生えているでしょ。あれは玉といって、この世界で最も重要なアイテムなの。概念の核、力の源といったらいいかな。二本あるうちの一本は『鉄』のイデアだと私のAIが言ってるんだけど、それを持っているからこそ、磊獅子は鉄のないところでも自在に鉄を生み出し、変形させ、ああやって体表に鉄の武装を纏うことができるの」
夢生の流れるような言葉を聞きながら、彼方は今日一日で脳みそに焼き付けた仮想魔術の基本を思い出す。それは仮想魔術という風変わりな魔法は改変の力であって、無から何かを創造することはできないということ。よくアニメであるような呪文によって炎を生み出して投げ飛ばすなんてことはできないのだ。逆に、先ほど夢生が石ころをダイヤモンドに変えることができたように、既にそこにある何か、例えば炭素の配列を改変することで現実を上書きすることができる。その意味で、無から創造する力を与えるイデアの強力さがよくわかった。
そこまで反芻し思考を整理した上で、彼方は当然の疑問を尋ねる。
「それでもう一つのイデアは何なんですか?」
そこで再び夢生の表情が曇った。
「それが私のAIに情報がないんだ。モンスターも長く生きていく中で何らかの物質や概念と深く繋がり、稀に後天的に新しいイデアを獲得することがある。もしかしたら稀有なイデアなのかもしれない」
そこまで聞いて初めて、夢生が面倒なことになったと言った意味がわかった。
「その謎のイデア次第で、このモンスターの危険度が大きく変わるってことですね」
夢生が大きくうなずく。
「例えベースが弱くても、接続しているイデアの数と種類によってはその脅威度が逃げ一択の天使級にまで跳ね上がることもある。極端な話、スライム相当の雑魚でも『死』や『時』なんかの超概念のイデアと接続しているようなら、霊王級の術師じゃないと太刀打ちできなくなる。まあ磊獅子にはそういう概念を認識して哲学する知性はないから、そんなものがでることはまずないんだけど」
「つまり、戦うなら賭けってことですね」
そこまで話して夢生の方を見ると、三角帽子の似合う美少女はいたずらげに微笑を浮かべていた。
「一緒に戦うか、彼方くんが一人で戦うか、それとも逃げる?」
彼方はログインする前、いや夢生から新しい特別なゲームがあると誘われた時から、ひとつ心に決めていたことがあった。それはこの数年間、毎日のように思い描き欲していたこと。どうしても、夢生にリアルで会いたい。そして長年の想いを伝えたい。図らずもこの世界ですでに現実さながらの夢生と対面し、丸一日夢のような時間を過ごせてしまった。それによって夢生への気持ちはさらに確かなものになったのだ。伝えたい。
見れば、いつものように夢生が透き通るような笑顔を向けてくれている。
彼方は、その笑顔を自分のものにしたいと強く思った。自然に拳がぎゅっと力強く握られる。
「夢生さん、俺とひとつ、賭けをしてくれませんか?」
さしもの夢生にとっても予想外のことだったのか、きょとんと、いつも以上に童顔めいた表情になる。でもすぐに目にいたずらげな笑みが宿って自信満々に応答する。
「私のギャンブル好き、知ってるよね」
一見すると正統派なのに勝負事となると負けることなど考えない、とことん前かがみな夢生。彼方はそんな攻撃的というか挑戦的というか、危なっかしさを秘めている夢生に惹かれていた。
「俺がひとりであいつを倒します」
「ほぅ。それで、勝ったら何を賭けるの?」
夢生のまっすぐな瞳が彼方に向かう。彼方は顔が紅潮するのを感じ、途端に日和ってしまいそうになる。しかし背中側で隠れてこぶしを握り直し、力強く言葉を吐き出した。
「俺があいつを倒したら、リアルでデートしてください。負けたら、何でも夢生さんの言うことを聞きます」
夢生はわざとらしく視線を外したかと思えば、横目になって焦らすようにくるくると艶やかな髪を指に絡ませる。
「どうしよっかなー」
しかしすぐにいたずらげに笑い、跳ねるようにして言った。
「なんちゃって。いいよ、その賭け乗った」
「......よっしゃ!!」
ガッツポーズした彼方は即座に喝をいれ敵に向き直る。そして早速、仮想魔術師の本来の力を発動するべくその呪文を唱えた。
「解法!」
否や、彼方の瞳の前に幾何学模様の平面図形が何枚か、フレームのないスカウターのように出現し、瞳を覆うように展開する。それらの辺の上にはいくつかの多面体が形成され、まるで天体が軌道を描いて廻るように気まぐれにスピンしながら推移した。それが仮想魔術師に与えられた世界の真実を見通す目。彼方の視界は仮想魔術師が見通す真実の世界となって一変していた。目に映る全てが二重の輪郭を帯び、視点をフォーカスすると焦点にある物質が透明に溶け落ち、不可思議な幾何学図形と文字列が浮かび上がるのだ。それこそがゴスペル言語で記述されたエデン世界を構築し動かすプログラムそのもの。
それは不思議な体験だった。AIを通じて彼方の脳はプログラムを直感的に理解する。知の及ばない文字列と言語体系で構成されるゴスペル言語系プログラムが、普段目にする記号を視覚的に丸・三角・四角・星型だと瞬時に認識できるように、一切の遅延なくリアルタイムで意味合いを認知することができるのだ。
彼方の身体から器子が拡散しその仮想の魔力に反応したのか、磊獅子も警戒態勢に入り低い唸り声を上げる。見れば、背中の二本のイデアが輝きを放っていた。
――ありったけを一撃に込める。
彼方は即座に手にしていた仮想魔術師の杖【オルガノン】を前方に向ける。それは杖と言っても純白で拳銃の形をしており、おとぎの国から落ちてきたようなメルヘンチックな意匠を纏っている。
彼方はそれと同時に目の焦点を空間全体にぼやかし、意識を周囲に漂う『空気』に拡散させる。否や、空中のいたるところにゴスペル文字列が現れ、それらがグリモアを通して彼方の脳の演算力と思考回路を消費して書き換えられていく。
空気に志向性を与え、刃のように造形し、それを集めかき混ぜる。そしてうねり、巻き込み、凝縮する。
『演算負荷、増大。一時的に五感拡張及び基本アシストをすべてオフ。リソースを集中します』
脳内にグリモアによるアナウンスが入る。音で聞こえるのではない。頭にすっと情報がインプットされる妙な感覚。まるで見慣れた漢字を見た瞬間にその意味が摩擦なく即座に頭に入ってくるような。
五感拡張がオフになったせいか、視界にアシスト情報として表示されていた分析情報や敵の位置を補足するハイライトが消える。しかし彼方はそんな些細なことに意識を割く暇もなく、ひとつの仮想魔術に集中していた。
周囲一体の空気をが上書きされ、オルガノンの銃口に集められていく。それは夢生から教わった仮想魔術のひとつ。仮想魔術師が改変対象としてユビキタスにアクセスできる『空気』を操る仮想魔術だ。
なめらかに紡がれていく仮想魔術を前に、夢生は笑みをこぼさずにはいられなかった。夢生自身がその術を習得するのにかかった月日と比較して、彼方は数時間でそれを会得した。さらにその上で、彼方がもつ独特の思考回路が化学反応を起こしてか、オリジナルの変化が織り交ぜられていることに気づいたのだ。夢生は、期待通りに発揮される彼方の才能に興奮を隠しきれない。
彼方の視界が巻き起こる砂埃で遮られる。まるで竜巻が凝縮されたように周囲の空気がうねり、風逆巻く魔弾を作り上げていた。
一方、彼方の脳裏では思考がフル回転し、脳内にまるで重力が発生したような特有の演算負荷に耐える。改変が完了するや、気合十分、彼方は渾身の風魔法を打ち出した。
「くらえ!!!」
反動で腕が後方に弾かれ、体ごと一歩後退する。同時に、十分な勢いで射出された魔弾は突き進む中でも空気を巻き取り、威力を増幅させながらまっすぐに突き進んだ。
鉄の鎧を纏っている磊獅子は高い防御力を誇る一方、その大きすぎる自重から動きが遅い。そう夢生が話していた。それならば回避される可能性を捨て、必殺の一撃を一点に集めてぶつければいい。それが彼方が選んだ答えだった。
彼方の脳裏に夢生の無垢な笑顔が浮かぶ。手に入れたい。
しかし、舞い上がる砂埃の奥に視線を戻した彼方は目を疑った。
どうにいった......!
そこに磊獅子の姿がないのだ。そして魔弾は磊獅子がいた場所を駆け抜けて、そのまま森林を貫通する。
刹那、彼方が立っている場所に大きな影がさす。
彼方の類まれなる仮想魔術の才能に見入っていた夢生だが、先に磊獅子の位置を補足し叫ぶ。
「上っ!!」
反射でみれば、上空高くに巨体が飛び上がり、既に彼方目掛けて落下してきていた。
どうして。体が重く、ジャンプすらまなならないはずなのに。
推論などする暇もなく、鋼鉄に体を包む大重量の獅子が自らの体を大砲の弾にして落下、肉弾の爆撃を引き起こした。
エデンのログイン初日、彼方は数時間ぶっ通しで仮想魔術をゼロから学び使い続けた。そして極めつけに脳が残していた思考演算能力のすべてを注ぎ込んで風の仮想魔術を発動した。彼方の脳は疲弊しきっていたのである。本来ならグリモアが初期状態で持ち合わせている肉体強化の仮想魔術を使い、緊急回避するところ。しかし先程アナウンスがなされていたように、グリモアの基本アシストがオフにされていた上、彼方の脳にはそもそも追加の仮想魔術に必要な演算リソースが残されていなかった。一言で表すなら仮想魔術師としての致命傷、思考停止状態。
彼方は為すすべもなく空から降ってきた磊獅子によって押し潰され、即圧死した。
11月17日20時10分。
無惨な肉塊となった彼方の身体は『死』の概念を改変した蘇生システムによってポリゴンに分解され、デスペナルティが待つ《死の回廊》へと転送されるのだった。