2001年9月
夫の不倫が発覚した。
吉岡レイコは、夫の携帯電話に、不倫の証拠が残っているのを見つけた。
夫が風呂に入っている間、あまりにもしつこく鳴っていた。J-POPの着信メロディで、うるさかった。
思わず折りたたみ式の携帯電話を開いて出てみると、女の子声がした。すぐに切れたが、これは浮気だと直感が伝えていた。
悪いと思いながらも、メールや着信履歴などを見てみたらビンゴだった。最近携帯電話は、写真が撮れるようになったが、バッチリと女と夫の写真もあった。
レイコはすぐに携帯電話を元の場所に戻して、リビングのソファに座って気持ちを落ち着かせた。
テレビをつけると、何かドラマが放送されているようだったが、その音は耳に入ってこない。
「うちの旦那、死なないかな」
思わず本音が漏れる。思えば夫は、浮気性だった。大手出版社で漫画の編集者をしていて、女は選べる環境だった。不倫相手は、担当漫画家のアシスタントのようだ。
夫は高校の先輩で、向こうから告白してきた。レイコは、自分で言うのも何だが見た目は良い方だった。浜崎あゆみにちょっと似てると言われたら事もある。
高校時代の夫は、なかなか優しく交際も楽しかった。大学も一緒に進み、レイコの卒業前に結婚した。去年の話である。
新婚といっていい時期にこの仕打ち。部屋を整え、服を用意し、料理も作ってあげた。仕事も家の近くの海苔メーカーの事務職につき、夫を支えるつもりだった。ゆくゆく子供が生まれる事も想定し、お金も極力使わず、慎ましい生活もしていた。だからと言って美容に手抜きはしたく無く、毎日メイクをし、髪もセットしていた。
浮気は想定内だった所もある。あのチャラい男が、入籍したぐらいで落ち着くとは考えられない。
それでも、腹が立って仕方がない。ぐっと奥歯を噛み締め、目の前で放送されているドラマを見据える。
「え?」
しかし、ドラマの映像は突然変わった。アメリカで同時多発テロの様子が流れていた。世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んでいた。まるで映画のワンシーンのようで、現実感がない。今は夫の浮気でそれどころでは無いのに、レイコは画面に釘付けになっていた。
「なにこれ?」
ちょうど、そこに風呂上がりの夫が現れた。もうパジャマし姿で、全く無防備だった。髪も全部乾いていないようで、ポタポタと水滴も垂れていた。
「なんかアメリカでテロがあったみたい」
「ふーん。何か作り物っぽいな。興味ないし」
夫はそう言い残すと夫婦の部屋の方へ行ってしまった。浮気が発覚した事など、まるで勘づいていないようだった。
「確かに作り物っぽいわね」
再びテレビ画面を見てみるが、だんだんと現実感が薄れてきた。正直、夫の浮気の事など考えたくは無い。このテロについて調べてみる事にした。
家にはパソコンがあるが、夫が仕事用に使っているものなので、これは利用できない。この日から図書館、本屋などに行き、陰謀論と言われている物を調べてみた。
中にはファンタジー、オカルトとしか思えないものも多かったが、不倫のショックから逃れたいレイコは、のめり込んでいく。別に楽しくはなかったが、そこそこ時間潰しにもなった。
テロは、アメリカ政府と軍の自作自演という陰謀論もなかなか面白かった。その界隈で有名なジャーナリストの本が面白く、順調に著作を集めていった。
テロの陰謀論を調べるのに飽きかけた時、そのジャーナリストの新刊を買った。それは牛乳、小麦粉、添加物の陰謀論が書かれたもので、食べ続けると発癌のリスクが高いという。特に大手メーカーの袋入りのパンは、会社の中の人でも食べない代物らしい。本当かどうかは不明だが、毎朝袋入りのパンを食べ続け、健康を害した人の事例も載っていた。牛乳も身体に悪く、戦後にアメリカ人がわざと広めたと書いてあった。
そんな本を読みながら、これで夫を殺せないかと考えてみた。殺せなくても健康を害する事は、可能ではないか。
頭の中の冷静な部分では「ありえないって!」と言っていたが、健康に悪いものを毎日食べさせる事は可能だった。夫は食に無頓着だし、添加物や栄養素の事なども全く調べない。バレるリスクは、低そうだった。
レイコは、図書館や書店で食品添加物や健康に悪い食べ物を調べる事にした。
結論としては、添加物の多い食事で夫を殺す事は不可能だったが、健康状態をじわじわとと悪くさせるのは、不可能とは言えない。実行して見ることにした。
とりあえず、毎日夫に作っていた弁当を作るのを辞めてみた。最近は、残される事も多かったし、作りがいものなかった。浮気相手とファストフードでなにか食べている方が、楽しそうだ。携帯電話には、浮気相手と一緒にファストフードを食べている画像も残っていた。
「ごめんね。もう弁当は作らないけど、あなたは何でも好きなものを食べていいわ」
レイコは聖母のような優しい笑顔を作って、夫に言った。レイコの思惑など知らずに、夫は無邪気に喜んでいた。
こうして毎朝、袋入りの菓子パンと牛乳を与えた。一方レイコはどんどん少食になり、昼ご飯に1日1食生活になった。陰謀論本によると、1日3食は食べ過ぎで、健康に良く無いらしい。オーガニック栽培の野菜なども取り寄せ、こっそり陰で食べていた。夫と一緒に袋入りの菓子パンを食べる状況になっても、後で全部吐き出していた。
それでもレイコは、全くの健康だった。健康診断で引っかかる事もなかった。