第1話【1】
午後三時過ぎ、赤羽駅前にあるファミリーレストランは賑やかだ。
授業終わりの大学生やご近所のママたちがお得なケーキセットをおやつに雑談で花を咲かせている。話題はバイト先や旦那の愚痴、推しアニメやアイドルと多彩だ。
かたや禁煙席は二人だけだ。テーブルの上の大きな壺を挟んで男女が話す。
二人はタバコを吸わず、注文したのはドリンクバーだけだ。
コロン、男のアイスコーヒーの氷が音を鳴らす。
「大丈夫です! この幸運を呼ぶ壺ツボツボハッピーくんは結婚でお悩みの方もハッピーにしますよ!」
身なりのいいスーツを着る黒髪短髪の若い男は爽やかな香水を漂わせながら、可愛らしい亀が描かれた壺を自信満々に説明する。
「本当ですか! 私でも、結婚できますか?」
学生時代から着用するメガネの、事務制服姿の小太りの女は前のめりになった。
「はい! こちらのネットメディアでは、金運アップを特集していただきましたが、実はこちらのメディアでは、結婚運について特集していただきました!」
と、スマートフォンの画面を見せる。女は食い入るように記事を読み込む。
「現在の大和経済は不景気どころか、賃金アップすらないですから、結婚資金をためるにも一苦労しますよね」
「そーなんです。私、派遣なんで給料なんて絶対上がりませんもん」
口をすぼめてストローを咥える。レモンティーだ。
「仲居様のお気持ち、すご~く、わかります! 派遣の方は、正社員登用のチャンスをなんとしてでも掴みたい。私たちはそうした方々の運気を最大限アップするお手伝いをさせて頂いて、今年でなんと三年! 超一流の霊能力者の方に頼んで、最高の霊感商品を揃えております! その一つがこのツボツボハッピーくんなのです!」
「おおーっ! このツボツボくんはそんなにすごいのですね。超一流の霊能力者の方に頼むなんて、すごい会社さんなんですね」
「はい! あの、午後の情報番組に出演したことがある、金星かねほしサキ先生が幸せな人々の霊気をツボツボくんに込めているんです! 幸せな霊気は幸せを呼びますから、試しにこの水を入れてみましょう!」
セールスマンはコップの水を壺に入れてかき混ぜる。その水をコップに戻して女に渡して飲ました。
「え、甘い?! 同じ水なのに、なんで?!」
自分の水と飲み比べる。壺の水のほうがハチミツのよう甘いのだ。
「ハッピーだからです」
「ハッピーだから、甘いのですね!」
何度も飲み比べる女を、男は笑みをこぼしながら何度も頷く。
「幸せな人は甘い人生を送っているんです。そうした人たちの霊気をちょうだいすれば、仲居様の運気もアップアップします。正社員になれ、結婚もできます!」
「た、宝くじも当たりますか?」
興奮した女の黒目がさらに大きくなり、両手の血管が浮かんでいる。
「当たります、当たります! 私なんて、サッカーくじで当たりまくりです。六等ですけど。そのためにはツボツボくんにお水を入れ、それを一か月飲み続けてください。甘くなくなったら、幸せの霊気がなくなったサインですから、新しいツボツボくんを買ってください。そうすれば、仲居様の人生はハッピーになります!」
「ハッピーになれる、私でも! 私でも白馬に乗った王子様に愛されますか!」
ほんの数秒の間が開き、男は真顔になったが、星が輝く営業スマイルで答える。
「もちっ、ろんっ、ですっ! 弊社の霊感商品は最高品質です! きっとドラゴンに乗った勇者様が仲居様を愛してくれるでしょう。しかしながら、継続は力なり。弊社の霊感商品をしっかりお使いください。そうすれば、ハッピーになれます! ご不満ならカスタマーサービスセンターにお電話ください。六時間対応可能です!」
女はちらり、目の前の資料に躊躇した。値段は一壺、三十万円だ。
「三十万円……給料二か月分なんですよね……」
「ご安心ください! 分割可能です! なんと、最大一年間です!」
仲居亀子なかいかめこは拳を丸めた。中学校時代、名前のせいなのか、亀に似た顔を男子にいじられて以来、人間不信となって良縁に恵まれてこなかった。恋も仕事も諦めてきた。
しかし、千葉県木更津市への一人旅行の際に買った宝くじ雑誌の特集ページでツボツボハッピーくん、可愛らしい亀と出会った。しかし、サイトで注文するのは怖かった。そこで直接会って判断することにした。結果、買うしかないと決めた。
「今なら、分割手数料はゼロですっ!」
「一か月二万五千円なら払える。よし、買います!」
「誠に、ありがとうございます! それでは、こちらの契約書にサインを」
「ちょっとお待ち!」
女がペンを握り、筆圧厚めで契約書に署名し、気合のハンコを押すところだった。
「え、あ、なんですか?」
そのときだ。カウボーイハットを被る濃緑制服の男が女の腕を掴んだのだ。
しかも、男はドラキュラのよう黒いマントを羽織っている。一目、怪しい。
「その壺、俺が買います!」
「な! こ、このツボツボハッピーくんは私のものです!」
その男はイケメンとは言い難い。眉毛が太く、顔は四角形だ。野球のホームベースに似て、かつて自分をいじめてきた野球部員と姿が重なる。だが、なぜか右手首には『LOVE』と刺繍されたピンク色のリストバンドを付けている。一目、変人だ。
顔を真っ赤にして激怒する女をよそに、男はセールスマンに訊いた。
「この壺買えば、競馬で勝てますよね?」
「競馬、ですか?」
「勝てないの? 今年の桜花賞は当てたいんだけど」
「いえいえ、勝てますよ。万馬券もバチバチに当たります! しかし、壺の水を飲み続けなければ当たるものも当たりませんが」
「そんなにすごいんだな、この壺は」
と、いきなり壺の底を指先でなぞり、そのまま舐めた。
「うーん、ハチミツ味!」
「は、はちみつ?」女は何度も瞬きする。
「あなたも舐めてみなよ」男に言われるまま舐めてみる。「甘い!」
肩をすくめたセールスマンに問いただす。「これは?」
「あ、いや、その」苦笑いを浮かべ、滝のよう冷や汗を流し始める。
「あ、あなたは何者ですか?! め、迷惑ですよ!」
カウボーイハットの男は瞳をキラリと光らせ、マントをはためかせ、制服のポケットから手帳を取り出す。
「聞いたのなら聞いていただこう。赤羽神社に赴任して早四年、慈愛の美徳を信条に、愛する赤羽のためならばと、恥ずかしい気持ちをごまかして、今日もラーメン食って元気マシマシ、弱きを助けて強きを挫く俺の名は近藤愛之助こんどうあいのすけ、愛の戦士、ラブヘルパーだ!」
シャキーン、そんな効果音を自分のスマートフォンで鳴らす。実に真面目だ。
「ら、ラブヘルパー? お前、頭おかしいんじゃねーか! で、誰なんだよ!」
「あ、心霊保安官しんれいほあんかんです。名前は近藤愛之助、階級は少佐です。これがその手帳です」
肝心の部分を忘れたので、丁重に護神隊ごしんたい手帳を見せた。いたって真顔の写真だ。ヒーロー要素は微塵もない。セールスマンは隈なく手帳を確認し、
「あはは、心霊保安官さんでしたか。失礼いたしました」
というと、短距離走のごとくロケットスタートで禁煙席から逃げ出した。
近藤が叫ぶ。「聖夜、そっち行ったぞ!」
逃亡する男はファミレスの入り口を目指す。だが、レジ前には同じ濃緑制服の、グリーンパーマの男、芦田聖夜あしだせいやが腕を組んで待っていた。
人懐っこい笑顔を向け、「いらっしゃいませ、お客様」
セールスマンは追い詰められたネズミの気持ちを理解したのか、窮鼠猫をかむごとく殴り掛かった。「俺は空手サークルにいたんだぞ! どけっ!」
しかし、六年前の話、しかも在籍は半年間だけだ。
「ご注文は蹴りでよろしいですね」
自分よりも年下であろう男にあっさり避けられて水面蹴りを食らい、ド派手に尻餅をついた。よほど痛かったのか、涙目で苦悶している。
「お疲れさん、聖夜」と、近藤が男の右腕を鷲掴む。「心霊詐欺罪で御用改めだ。甘い蜜を吸いたければ、スズメバチの巣でも駆除しとけ」
「騙される奴がわりぃんだよ! こんな壺なんかにカネ払う奴がわりぃんだよ!」
「本当にそう思います?」
「ああ、そーだよ! この壺、めちゃくちゃ儲かるんだよ。情弱はバカだから!」
「バカなのはお前だよ。悪霊退散!」
心霊保安官は腰に巻くガンホルスターからスプレーを取り出して吹きかける。
清水スプレーだ。穢れた心霊に良く効く、由緒正しき神寺じんじで清められた水だ。
煙たがる男だったが、スプレーの清水が邪気を取り除いていき、男の歪んだ顔つきが見る見るうちに爽やかな好青年となっていく。そして、人目もはばからず涙を流した。
「僕は、僕はなんてひどいことをしたんだ! こんなピュアで優しい人をだますなんて……なんて悪い子なんだ! おじいちゃん、ごめんなさい!」
彼は仲居亀子に土下座し始めた。「ごめんなさい、ごめんなさい! もうしませんから、許してください! スズメバチに刺されて死にますから!」
それも一度や二度ではなく、何回も地面に頭を叩きつけ、流血してもお構いなしだ。当然、仲居はドン引き、心霊保安官に助けを求める。
「すみません、この人を止めて下さい!」
近藤は屈み、男に言葉をかけた。「おカネは人を変えます。しかし、あなたにも愛があるはずです。愛をもって人と接すれば、必ずあなたは救われます」
「ほ、本当ですか? し、信じていいですか?」
「信じて下さい。この近藤愛之助、ラブヘルパーを!」
「おー、我がラブヘルパーよ! われを救いたまえ!」
と、祈り始めた迷える子羊に右手首のリストバンドをプレゼントし、保安官は手錠をかけた。男が改心する姿を目撃していた大学生やママたちがみな思う、
こいつ、絶対ヤバい奴だろ、と。
いつもの光景に呆れた部下が諫める。
「兄貴、怪しい教祖様になっていますよ。周りがドン引きしていますよ?」
今日も一人の若者を救った上官が微笑んで返す、
「聖夜、俺は教祖じゃない。愛で人を助ける戦士、ラブヘルパーだ!」
と右手中指にはめるハートの指輪を見せ、白い歯を覗かせた。
部下が思う、やっぱり兄貴はヤベー奴だな、と。