董山曇(三)
「夫の理さんは出張と偽って、『曲芸過激団』という団体が主宰するサバイバルゲームに参加していました。そのゲームは、人と人が殺し合うサバイバルゲームです。個人制だったり、チーム制だったり、やるゲームの内容はその回ごとに違い、出る賞金も一人殺したらとか、チームが勝利したらとか、その都度変わるようです。理さんはこれまで、二十五人の老若男女を殺害し、四十三人に重軽傷を負わせています」
と仙田未果に伝えた所で、(しっかり聞かなきゃ)と思っていた仙田未果の思考は心の許容範囲を超え、(そんなに──)という思いを最後に、思考が停止した……。流れる左側の景色に視点を合わせたまま、ずっと動かない。
着いたよ。と言って、車から出て、部屋に入って、シャワーを浴びて、前戯を開始しても、気づかないかもしれない。いや、さすがに気づくか?
すでにファミレスからけっこう離れている場所まで来ている。追手もいない。
董山はチラリと視線を落とし、スピードメーターを見てから、また視線を上げる。スピードメーターは、制限速度より十キロ速い位置を指していた。これ以上ファミレスから離れないように気をつけながら車を走らせる。昼時という事もあり、車通りが少なくていい。
(──サバイバルゲーム──賞金)
お、仙田未果の思考が断片的に戻ってきた。
(殺した──)
と思ったら、すぐに許容範囲を超え、思考がまた停止した。
(──サバイバルゲーム……人と人が……殺し合う──)
また、停止した。
(──サバイバルゲーム……人と人が……理と誰かが……理が誰かを──)
また、停止した。
(理が、人を──)
また、停止した。……なんだかんだで気づかないんじゃないか? 試してみるのもいい。
(──理……理……なんで、二十五人も……人を殺したの?)という疑問が仙田未果の中に湧いた。その疑問のおかげなのか、董山の下心をわずかに察知したからなのか、あるいは両方なのか断定はできないが、どれかが作用して仙田未果の思考は停止することなく、「……あの」と仙田未果は心を振り絞るように声を出し、「……理は、どうやってその人たちを、殺したのかも、もう、わかっているんですか?」とゆっくり言葉をつないだ。
「はい、わかっています」と董山は前を向きながら答える。「殺し方は、主に射殺です。理さんは定期的に射撃場に通っているので、そのためでしょう」
(……射撃場……そんなこと、全然知らなかった)
「射撃場に通うこと自体、違法ではありません」仙田未果が尋ねてきそうなことを先に言っておく。「ちゃんと許可をとった施設ですので、高校生が部活で利用している。という場合もあったりします」
(そうなんだ。全然想像できない。理はどんな顔をして、弾を発射しているんだろう。楽しそうにテレビを観ている理。真剣にケータイを見ている理。おいしそうにご飯を食べている理。行ってきますと玄関を出る理。ただいまと帰ってきた理。そういう理なら、すぐに思い浮かべることができるのに……)
仙田未果の思考は弱々しくも安定してきてしまった。さすがに、もう試せないな。
(ただいま、か……。出張から帰ってきた理は、とっても笑顔で、すっごくうれしそうだった。会いたかったあって、甘えるように私を抱きしめてくれた……。理は、生死を問われる場所から帰ってきて、私を抱いていた……。今まで感じたことのなかった底知れぬ愛は……、人の命からきていた……)
俺も抱きたいもんだ。と董山は先の信号が黄色になり、赤になったためブレーキを踏み、停止線で止まる。ルームミラーで後方を見、周囲を見渡す。特に異常なし。ここで曲がっとくかと、ウインカーを左に出す。
谷川は二十一分後に定時の連絡をすることになっていたから、異変を感じた『曲芸』の回収係がファミレスを訪れて、董山じゃなく仲間の団員らを回収している頃だろう。一応仙田夫妻と谷川、それからリトルキャンディーをキーワードに、ファミレス周辺の声を聴いておくかと、『聴聞』を働かせる。えーっと、南東のほうだったな。
「……あの」
「はい?」
「射撃場へは、いつから通っているんですか」
「それは」えーと、仙田理の声を広く深く探った時のことを思い出す。「大学四年の時です」信号に気をつけながら、左側を見たままの未果さんを凝視する。
(そんなに前から……)
信号が青になった雰囲気を感じ、信号を見ると青なのでブレーキを離し、交差点を左折する。真っ直ぐな道を走りながら、「理さんはその少し前に、人ではなく、自然を相手にした、亜熱帯気候の森林地帯をナイフ一本で生き残る。という過酷なサバイバルゲームに参加しています。それに生き残ったことで、さらに自分に磨きをかけたかったのでしょう」と理のことを知ろうとする未果さんに、探った情報を報告する。
(……だとすると)「その、今のサバイバルゲームには、いつから」
「それは、そうですね、断片的にお話ししていくのもあれですから、理さんの軽い歴史などをふまえながら、一通りご報告させてもらうと」と未果さんの横顔をチラッと見てから、「理さんは物心ついた時から、『人を殴ってみたい』という願望を持っていました」と話し始める。
(は?)と未果さんの身体が反応した。
「ですが、理さんはとてもやさしい性格をお持ちの方でもあるので、そんなことはしちゃいけない。したら相手が傷つく。という気持ちや、法に触れたら牢屋にだって入らなければならなくなる。という法的な抑止力で、『人を殴ってみたい』願望を小さくしながら、大学の四年生辺りまで過ごしてきました。そんな理さんに、ある出来事が訪れます。それは、少々驚いているのですが、僕たちも、未果さんも、そして理さんと以前から友人だった三村沙友里さんも関わりのある、あの襲われそうになった事件です。あの事件は、聞くに堪えない陰惨な事件で、かなり世間を騒がせましたね。その犯人らに襲われそうになったにもかかわらず、三村さんは怯えるどころか、僕の活躍ぶりを活き活きとした表情で理さんに話しました。理さんは三村さんの話す姿を見て、『暴力には人を魅了させる力があるんだ』と思うようになりました。暴力は、絶対的な悪じゃない。いいこともあるんだ、と」
(それは、そうかもだけど)
「そう思った理さんは、人を一回殴ってみようと心に決めました。友達を殴って仲が悪くなるのは嫌、知り合いだってそう。断りもなく道行く人を殴るのは論外。ボクシングや空手などの格闘技を習うとなると、殴るだけじゃなく、殴られることも大前提。それだと自分のやりたいこととずれている。早急に安全に人を殴るならどうしたらいいのか、理さんはネットやSNSなどを駆使して調べました。すると、『殴られ屋』というものがあることを知りました。胡散臭い云々よりも、『人を殴りたい』気持ちが大きかった理さんはすぐに連絡し、会い、実際に契約したその当日、今まで抑えていた気持ちを開放して、やってきた人をおもいっきり殴りました。人を殴った衝撃がガーンと理さんの魂を振るわせ、理さんを興奮させました。一撃、一撃、殴る度に魂が揺さぶられ、気持ちいい感触が堪らなくなってペースを徐々に上げ、絶頂に達しようかという時、理さんはその場に倒れ込んでしまいました。もう、人を殴る体力がなかったのです。苦しくて死にそうな理さんは気づきます。人を殴ったら、拳が痛い。殴り続けるためにはかなりの体力が必要。それになにより、いくら殴っても倒れないその人間の強さに、絶頂している自分がいることに……。理さんは、その府羽という男の強さに憧れを抱き、自分もそうなりたいと志願しました」
(……そ、それって)
「はい。その府羽という男が、『曲芸過激団』の団員だったのです。願いを聞き入れた府羽は、強い力を得るには4つのステップをクリアーしなければならないと、理さんに課題を出します。まずはステップ1、ナイフ一本だけの無人島生活で、ある一定期間生き残ること。さっき言った、亜熱帯地域でのサバイバルゲームです。それをクリアーしたらステップ2、BB弾を使用したサバイバルゲームに参加し、昇格の条件を満たすこと。ステップ3、殺人の許されたサバイバルゲームで生き残り続け、昇格の条件を満たすこと」ステップ4は、『阿阜里の地』で採れたものを食すこと。一般人がそれを食すと、その地特有の成分が身体に作用し、激しい痛みが全身を襲う。抗体ができるまで毎日三食食べ続けその痛みに耐えきると、誰でも強い『力』が身体に宿る。とまではさすがに言えないから、「理さんは今、決められたルールの中、躍起になってステップ4を目指しています。未果さん」と名前を呼ぶ。
(はい)
心の中で返事をした未果さんが、チラッとこっちを向いたのがわかった。
「未果さんの誕生日、十二月十三日に理さんと籍を入れましたね」
「は、はい」
未果さんはチラではなく、こちら側に顔を少し向けた。
「その月末、年末でもありますが、そこから理さんの住むマンションに移り住み、一緒に暮らし始めた」
(……はい)
「それから約三ヶ月後の三月に、初めてステップ3である殺し合いのゲームに理さんは参加し、人を殺めました」
……未果さんは心の許容範囲を超えることなく、こちら側に顔を向けたまま、固まった。
思考は止まっていないから、「ちなみに、理さんがステップ2で四苦八苦している時に、未果さんと出会っています」と情報を加える。「理さんは未果さんの虜になり、未果さんの過去を知り、それまで暴力的な強さだけに憧れていた理さんの気持ちの中に、愛する女性を暴力で守るという気持ちが表れ、その気持ちがステップ2を超える力となり、理さんはステップ3に昇格しました。それを機に理さんは、未果さんにプロポーズしています」
(うそ)と未果さんは驚いた。(……そっか。そんなことになってたのか)と思考を働かせている。(独身の時も、出張とか決算とかいろいろあって、あんまり連絡が取れないことがあった。そんなに忙しいんだって、ちょっとさびしかったけど、しょうがないなって思ってた……。なにやってたんだ、私は……。私は、理のことをなにも知らなかった……。そこまでして、私なんて守らなくてもいいのに……。そんなに弱い女じゃないのに……。風邪なんてひかない強い女なのに……。ダメだ……。程度が低すぎる……。私は、弱い……。腕力がない……。あのことがきっかけで、腕力をつけようとはならなかった……。どうして、ならなかったんだろう……。未遂ですんだから? リトルキャンディーが助けてくれたから? また危ない時は、リトルキャンディーが、他の誰かが、助けてくれると思ったから? 今も……。それを……。理は感じ取っていたのかもしれない……。それで暴力で守れる男にってなってしまったのかもしれない……。私の所為だ……。私の所為で理は殺人鬼になってしまった……。それなのに、私は理のことを汚いと思い始めてる……。なんてイヤな女なんだ)
思い悩む人妻。これもまたそそるじゃないかオッと涎が出ちまった。未果さんに気づかれないように口元をサッと拭う。
(あの時だってそうだった……。時間が経つにつれ、もらった名刺から暴力的なにおいが漂ってくる気がしてきて、すっごく汚く思えてきて、未果まで汚れてきてしまう気がして、おもいきって破いて捨てた……。あの時と同じように、私は理を捨てようとしている。私のことを思ってくれている理を……)
誰だって、汚きゃ捨てる。真面目だねえ。「仙田未果さん」あなたはなにも悪くありません。すべては理さんが選んだこと。と言って理の悪口を言っても嫌われるだけだろうから、「あなたの依頼は夫が出張先でなにをしているのかを知りたい、でしたよね」とまとめに入ろう。「私の調査結果をすべてご報告するならば、『今、あなたの夫、仙田理さんは会社の出張ではなく、避暑地にある地下の山林で、人を殺す興奮を味わいに行っている』になります。ゲーム場にいる理さんは未果さんを守るという思いをコロっと忘れ、白い歯を見せながら射殺を軸に絞殺、撲殺、刺殺などを楽しみ、主宰者側に気に入られることばかりを考えている洟垂れです」おっと口が滑ってしまった。だからステップ4に進むこともできない糞垂れを続けているんです。「人を殴りたかった願望は人を殺したい願望に変わり、その欲望に取り付かれてしまっている今の理さんに、なにも期待できないでしょう。理さんがこれ以上──」
「やめてくださいッ」と思いもよらない強い口調が左耳から入ってきた。「ダメ押し、しないでください」
おっと。怒る声もそそるじゃないか。
「とめてくださいッ」未果さんの声が董山の左耳をさらに劈く。未果さんはシートベルトを外した。「車をとめてくださいッ。ここで降ります」
悪口が入り過ぎてしまった。「いいお天気とはいえ、さすがにそういうわけにはいきません」と董山は未果さんの怒りを削ぐように冷静さを装って答え、スピードを緩めずに走り続ける。
「大丈夫ですッ。この辺は詳しいので一人で帰れます」
「だとしても無理です」
「本当に大丈夫ですから、バスも通ってるんで」
未果さんの中に、カーブでスピードを緩めたら飛び降りようという気持ちが湧いた。その気持ち、本当にしそうだから、この先で左折する予定だったのをやめる。赤信号に出くわす前に、「また、俺を退けるんですか?」と未果さんの心を突く。
ビクッと、未果さんの身体が反応した。
「いいですよ」悪口が入り過ぎた俺への戒めだ。一旦「退きましょう。でも、それはあなたをファミレスまで送り届けてからです。気まずいかもしれませんが、十分、十五分もすれば着きますので、それまで我慢してください」
「ファ、ファミレスに戻るんですか? 一緒に」未果さんの中にどうしてという疑問が湧き、未果さんの苛立ちが少しだけ弱まると、「だって、今警察とかが」と食いついてきた。
よしよし。「そういうのはいません」董山は食い気味に答える。「曲芸過激団の団員らが警察のお世話にならないように、しっかりやっていてくれているでしょう」
(そ、そうなんですか?)
未果さんはなぜだろうと気になって、また少し苛立ちが弱まった。
よーし、詳しく話そう。「谷川が僕らを力で捩じ伏せようとしてきた時、ここは誰にも目撃されないようになっていると僕は確信していました。非常階段に通じるドアには鍵がかかっていましたし、エレベーターの出口には倉科が見張り役として待機していて、不審物があったのでこれ以上入れないと僕に言ってきました。外からももう車が入って来れないよう満車の表示にして、すでに駐車場内にいる人がいた場合は谷川が、同様の理由で追い出したのだと想像できました」
「……そ、そんなことが」(私がグジグジしている時に)
「あくまで想像なので、実際とは異なるかもしれませんが、あのビルを警備しているのも谷川が勤める国花警備保障ですし、目撃者に人一倍気を遣う団体ですからね。人数が少ないながらもしっかりと対策はしていたと思いました」
(そ、そっか)
未果さんの苛立ちが、どんどん下がってきている。
「僕にやられた二人は、僕らを回収するはずだった団員らが来る前に目を覚まし、仲間に連絡して二人のうち一人はファミレスをあとにし、残った一人と新たな仲間がファミレスで合流する予定みたいです」
「そ、それじゃあその人たちがいるじゃないですか」
「ええ、でも今の情報が得られたように、うちにも裏で動いてくれているメンバーがいるので」情報は自分で得たが。「心配は入りません」と運転しながら胸を張る。「未果さん、我々は問題解決に至るまで、しっかりとした事前調査、ほどほどの計画、予定外のことになんでも対応できる心を持ちながら、問題解決に取り組んでいきます。ほどほどの計画な分、ある程度危険な目に遭うことを覚悟してもらわなくちゃいけないかもしれません。ですが未果さんには指一本触れさせぬよう精進していきますので、我々リトルキャンディーを信じて頂ければと思います」
(……信じて、か。もうとっくに信じきっている。なんでだろ。昔助けてもらったから? 沙友里に勧められたから? 調査代を支払ってないのに、いろいろ教えてくれたから?)と未果さんは無意識に董山をよく見ている。(あ)と未果さんは思いついた。だがその思いは言葉にせず、一旦視線を外してからうなずいて、「リトルキャンディーのこと、董山さんのこと、信じてます」と董山を見ながら破顔したのが視界に入った。
か、かわいいじゃないかこの野郎。「……ありがとうございます」と動揺を隠しながら董山は運転する。「でも、なんでそんな僕らを信じてくれるんですか? 物証もなしに、インタビューしてきたような事実を知らされ、それが嘘だとは思わないんですか?」
(あ、言われてみれば)と未果さんは思ったが、思いついたことが余計頭から離れなくなり、思いついたことを言おうかどうしようか迷っている。苛立ちもすっかり消え、平常な未果さんに戻りつつあるようだ。お、来るかもしれない。
「……あの、その、董山さんが、ギラついた光を放っているからかもしれません」(言っちゃった)と未果さんは心の中ではにかんだ。
「ふっ」と董山は大げさに吹き出し、「俺、ギラついてますか」とおどけた表情を見せる。
未果さんは笑みがこぼれるのを我慢しきれず、ハハっと歯を見せて笑った。「変な意味じゃなくて、その、私のほうこそ意味わからないですよね」
「いやいや」いいねえ、未果さんは董山に打ち解け始めている。彼女を抱けるのも夢じゃなくなってきた。未果さんはその気持ちに気づいていないが。彼女の性感帯、弄りに弄って弄くり回してえなあ。と思っていると、ぐぐぐぐーっと董山のお腹が鳴ってしまった。「あ、聞こえちゃいました?」
ふふっと笑っていた未果さんは、聞いちゃいましたと笑いながらうなずいた。
「あの、もしよかったらファミレスでランチでもどうですか」
「はい、私もお腹ぺこぺこです」
未果さんは躊躇することなくオーケーした。即オーケーした自分に驚いているがもう遅い。
冷静に、と董山はやや強めにアクセルを踏んだ。