仙田未果(一)知りたい欲望編
入れ替わるように何台ものパトカーが一瞬にして未果たちを取り囲んだ……。
列をなしているパトカーの赤色灯がぐるぐると回り、とっても赤かったのを今でもよく覚えている。
「なるべく大通りを、でしょ? わかってる」
沙友里は、このことがきっかけで探偵事務所に就職した。
「なんならあれだよ、三村と一緒にうちに泊まってもいいんだから」
理はすでに友達だった沙友里から、当時のことを聞いて知っているみたいだけど、理が事件のことを未果に尋ねてきたことはない。
「そんなことしたら沙友里の彼がさみしがっちゃうよ」
沙友里が探偵事務所から内定をもらった時、倍率とか存在しないからとは言っていたものの、とってもうれしそうだった。その沙友里に理が出張先でなにをしているのか、調べてもらった……。
今日、会うことになっている。
「それにランチだって無理矢理時間を空けてもらってるようなもんなんだから。それよりか」未果は切に願う。無事に「早く帰ってきてよね」と。ハンバーグ作って待ってるからさ。約束」と未果は少し屈んで、三和土に立つ理の前髪を真ん中から分けて、おでこにキスをした。
理はうれしそうに笑って、「じゃあ行ってくる」とキャリーケースを持ち、玄関を開けて出ていった。
理がどこでなにをしているのかを突き止めるには、尾行が手っ取り早いということだった。電車班、車班、徒歩班などといったように、いつなにを利用しても対処できるように、常に連絡を取り合いながら複数班で理を追う。本当に車を使わず、徒歩と電車で出張に行く予定の理の追跡なら、比較的簡単だということだった。
後ろめたいことがある人間のほとんどは、周囲を気にする。用心深くなり、誰かにつけられているのではないかという思いに駆られ、よく後ろを振り返ったり、唐突に走り出したり、来た道を引き返したり、用事もない店に入ってすぐに出てみたり、そうして誰にもつけられていないことがわかったら、自分のしたい行為をしに行く。所詮それは、自己満足でしかない。ということを沙友里は言っていた。仮に大きな商業施設に入って尾行を撒こうとしても、店のすべての出入り口を調査員が見張る。トイレに入ってどう変装しようとも、その人間の歩き方は変わらない。
しかし理は振り返ることもなく、急に走り出すこともなく、商業施設に入ることもなく、予定になかった車を使ったわけでもなく、電車を降りて地上にある改札に向かうエスカレーター上で、スッ──と姿を消したのだった……。
ごめん未果。と沙友里は謝り、神妙な面持ちで、未果も沙友里も知らない理が確実にいるということ。理にはきっと仲間がいるということ。理か、その仲間は、複数いる調査員の目を掻い潜り、公共の場で一瞬にして姿を消せる手段を持っているということ。浮気調査を主軸としている沙友里たちがいくら頭を捻っても、その手段が全くわからないということ。尾行を記録していたデータもいつのまにか消えてしまっていた。もしかしたら未果も気づいているかもしれないけど、それは浮気相手とか、そういうレベルの話じゃないということ。理の尾行はこれで打ち切り。もしもう一度理の跡を追ったら、今度はスッ──と、沙友里が勤めるアース探偵事務所が丸ごと消えてしまうかもしれないから、ということだった。
ある程度の覚悟をしていたとはいえ、沙友里たちが身の危険を感じるほどのことに理が関わっているなんて、まさか……、と、最初はちゃんと受け入れられなかった。
未果、私たちが大丈夫だから、未果の身も大丈夫だと思うけど、一応気をつけて。としか言えない。逃げたら逃げたで、逆に危ないかもしれないから。と言う沙友里の言葉を肝に銘じて、理が出張から帰ってくるのを待った。
スッ──と消えた理が出張から帰ってくると、特に変わった様子もなく、探偵を雇ったのか? と未果を直接問い詰めることもなく、いつものように未果を求めた……。
帰宅した理からなにかしらのアクションが来ると思っていた未果は、本当はなにをしていたの? と自分から聞くことができず、理に抱かれ理の愛を感じ始めると、理は尾行されたことを知らないんじゃないかとか、知っているけど沙友里の事務所と同様、一度は許してくれるということなんじゃないかとか、都合のいいように考えが変わっていって、気持ちいいセックスに夢中になっていって、いつもと少し違うなにかを感じながらも、未果の身体は頂点に達した……。
事を終えて、すやすや眠る理の顔を見て、未果は理を横から強く抱きしめた……。疲れて起きないのか、寝たふりをしているのか、理の呼吸は変わらない。
知りたい。理がなにをしているのか知りたい。知りたいよ、と未果は理をさらに強く抱きしめる。理の愛を感じたように、未果の知りたい気持ちを感じて理、と強く抱きしめ続けても、理は一向に目を開けない。これだけ強く抱きしめ続けているのに起きないなんて、あり得ない。理は、寝たふりをしている。
知りたい。理のことが知りたい。確実に理のことを知るにはどうしたらいいのかと考えた時、あの、ギラリとした黒目の男が浮かんだ。というより、浮かんでた。
でも、未果はあの時もらった名刺がだんだん汚いものに見えてきてしまって、このまま持っていたら未果も汚れてきてしまうような気がして、助けてもらったのにもかかわらず、粉々に破いて捨ててしまった。
あの時の、『リトルキャンディー』の人に頼んでみたら。と沙友里が言ってくれた時、ちょっとホッとした自分がいた……。
今日、沙友里があの時の名刺を持ってきてくれることになっている。
『リトルキャンディー』は、探偵のような仕事をしているにもかかわらず、調査業協会の正会員や他の団体にも所属していないから、ちゃんとした探偵とは言えないのかもしれない。だけど、私が調べた限り、調査力は他のどこよりも抜きん出てる。それはあの時のことがあったからっていうわけじゃなく、実際、その面では一目置かれている存在。それにあの強さでしょ? これはたぶんだけどね、『リトルキャンディー』にあの人がいるってことは、私たちしか知らないんじゃないかって思ってもいる。あの時はナイフでなんか刺してなくて、まんまと私たちも騙されたけど、
そう、ナイフでなんか刺してなかった。よく考えてみれば、自首をさせたいあのギラリとした男が、そんなことをするわけがなかった。
けどもしかしたら殺人まで請け負っている事務所の可能性もある。あくまで可能性だけど。だからこそ、知っていることもある。絶対、理がなにをしているのか調べてくれる。
沙友里は、そう断言した。
助けてくれたのに遠ざけた、あの、ギラリと光る強い男に依頼して、理がなにをしているのかを知って、それでどうするのか……、未果自身、よくわからない。
未果は三和土に降りて玄関の鍵を閉める。
嫌な予感しかしない……。だとしても、理のことが知りたい。知りたいんだ。
未果は踵を返して、上がり框に立った。