仙田未果(十六) 秘密
──ガーラララッチャッチゃッチャッチャっチゃーッん。
……耳を劈く末恐ろしい音がした方向に目を向けると、プールサイドに面した家の壁が壊されていて、ガラスの破片でか、プールサイドが仄かに反射していた。テレビのニュースで車がコンビニに突っ込んでしまったという映像を見た時と似ていて、未果の家でなにがどうしてどうなったらこんなことになるのか……、思い当たる節はなくもない。
「あ、あ」
未果はとりあえず声を出してみる。聞こえる。よかった。と思いながら董山さんに視線を移し、二人を抱えながら水面に浮かぶ臼井さんへと視線を移す。プールに放り込まれた楢崎は見当たらない。水しぶきはあがっていないから、プールに落ちていないと思う。
消えた楢崎はプールに落ちたのではなく、鼓膜が破れたんじゃないかというほどの末恐ろしい音と同時に、家に突っ込みましたと考えれば、腑に落ちる部分がある。
やったのは、沙友里の家のドアを壊した時と同じように、やってしまった感が出ている董山さん。でも董山さんがやったのなら、楢崎が奥に吹っ飛んで、仕切りの壁にあたっていてもよさそうなのに、落ちていく楢崎を真横から攻撃したかのように楢崎は吹っ飛んでいる……。そもそも放り投げた董山さんはここから微塵も動いていない気がするから……、浮かんできた臼井さんがやったのだろうか……。臼井さんは驚きと戸惑いが入り混じったような感じが醸し出されている気がするから違う気もするけど、どっちにしても、この状況は尋常じゃない。それに……。
未果は目をこすってから、また董山さんを見る。
あれ? 出てない? 董山さんと楢崎、二人の口から出ているのを何度も見たから間違いじゃないと思うけど、雲に色を塗ったような濃い赤で、ちょっと不気味な息というか煙のようだった。
おかしいなと未果は目をこすってまた見る。
……出てない。寒い時に白い息が口から出たりするけれど、そんなに今寒いわけでもないし、タバコを吸っていたわけでもない。そもそも白じゃないし、半透明な感じでもなかった。
あれおかしいなとまた目をこすって董山さんを凝視し続けていると、董山さんがこっちに身体を向けた。
「未果さん、申し訳ありません」董山さんは土下座した。「力が入りすぎて、こんなことに。必ず弁償させてもらいますが、壊したものは返ってきません。ほんと、なんとお詫びしていいか」
地面に額をつける董山さんから、やっぱり赤い煙のようなものは漏れ出してきていない。「あ、いや」別に。
「僕からも謝ります」水面で二人を抱えている臼井さんが言った。「たいそうな家をこないにしてもうて。ホンマすんません」
臼井さんの口からは、なにも出ていない。「あの、特に気にしてないんで大丈夫ですから」ほんとに。やったのはやっぱり董山さんだったのかというくらい。だから「土下座はやめてください」地面に額をつけている董山さんの肩を持ち上げようとしても、全然ビクともしない。「ほんとに大丈夫ですから」ともう一度力を入れ直したら、董山さんは顔を上げてくれた。「もう立ってください」董山さんの腕を持って持ち上げようとすると、董山さんはすんなり立ち上がってくれた。未果は董山さんの膝をパッパとはたく。
「未果?」
──沙友里の声がして、声がした石段のほうを見る。石段を駆け下りてくる沙友里。頭からすっかり離れてしまっていたけど、よかった、巻き込まれてなくて。ケガもなさそう。さすがに家の中から来れなかったんだろう。「どうしてこんなことに?」走り寄ってきた沙友里は、未果の脇腹に手を回した。
ほんと、どうしてこんなことに? 沙友里の問いに答えようがないから、さっきからここにいた自分が聞くのも変だけど、「なにがあったんですか?」と未だに申し訳なさそうにしている董山さんを見上げる。
「……それは、ですね」
未果は董山さんの一字一句を聞き逃さないために耳を澄ます。……も、董山さんは目を逸らしたまま、続きの言葉をなにも発しない。未果は二人を抱えている臼井さんを見る。表情はぼんやりとしかわからないけど、目が合って、すぐに逸らされたような気がした。
「あれですよね、曇さん」臼井さんは二人を抱えながら、未果たちが立つプールサイドまで泳いでくる。「未果さんを守ろうと必死やったんすよね?」と水際まで来ると、抱えていた二人を片腕で軽々と水から出して、プールサイドに横たわらせた。「それで火事場の馬鹿力みたいなんが出ちゃったんすよね。いやあまさかそんなものがほんとにあるなんて、僕もびっくりっすわ」と臼井さんもプールから出た。整備士の人が着ているような服から、水がぽたぽたと滴っている。タ、タオル。は、今はいい。よくないけど今はいい。
董山さんの代わりに答えてくれた臼井さんの言葉は、嘘とわかる言い訳にしか聞こえない。
董山さん。と未果は董山さんをまた見るも、董山さんは目を合わせてくれない。
「そう、だったんですか。それは危なかったですね」
すぐにこの状況を把握したかのような沙友里が、臼井さんに合わせるように、明るい感じで口を開いた。探偵には、探偵の、暗黙の了解というものがあるのかもしれない。これ以上知っちゃダメ、という……。それは、ちょっとさびしい。未果は探偵じゃない。だから暗黙の了解なんて知らない。そういうふうを装って、おもいきって、「もしかして」と会話の流れを戻すように、「董山さんたちは、人造人間とか、なにかなんですか」と疑問をぶつけてみる。
……董山さんも、臼井さんも、沙友里も、動きだけじゃなく、呼吸も止まったような気がした。人を笑わせようとしてすべってしまったような、そんな空気が流れている。
「……なに言ってんの未果、そんな怖い顔して冗談言わないでよ、もう」
沙友里はこの状況を取り繕うように笑みを浮かべながら、未果の背中をポンポンとたたいた。その手から、また聞いたらビンタだよ。という気持ちがなんとなく伝わってきた。ホントは沙友里だって知りたいんじゃないの? ずっと追いかけてきた董山曇の強さを知れるチャンスなんだよ。それよりも、暗黙の了解のほうが大事なんだ。という言葉はぶつけられずに、「……ごめん」と作り笑いをする。
未果を思って泊りに来てくれている沙友里とケンカになったら、それこそなにやってるんだということになってしまう。
世の中には知らなくてもいいことがある。と自分に言い聞かせると、知りたくて熱くなっていた気持ちが、徐々に冷めていく気がした。
「すいません未果さん」静まり返った雰囲気の中、董山さんが言葉を発した。「我々は人造人間ではない。ということしか言えません」董山さんの、すごく、真面目な口調だった。「形式的な話になってしまいますが、家のことは三村さんちのドア同様、弁償させてもらいますので、請求書をファックスで送ってください。もしリフォーム業者に迷うようであれば、私共から腕のいい業者を紹介させてもらいますので、その時は事前にご一報ください」
未果は軽くうなずく。
「そして三村さん」
「はい?」
沙友里は自分の名前を呼ばれると思っていなかったのか、ビクッと驚いた感じで返事をした。
「やはり玄関のドア、もし三村さんが大家さんに電話して、こんなことをする住人は早急に出て行ってもらいたい、なんていう展開になってからでは遅いので、明日の朝までにドアを丸ごと交換させてもらいたいのですが、どうですか? 知り合いの業者が型も同じものが用意できそうだというので、ちょっと新品感はありますが、それとなく汚しの加工をすれば気づかれることもないかと。大家さんは近くに住まわれていなかったですよね」
「は、はい。それなら、確かにそうなので助かります」
沙友里は、話を合わせるように頭をペコッとした。
「なんかドアの押し売りみたいな感じになってしまってすいません」
「いえそんな」沙友里は全然そんなことはないという感じで手を振った。「確かに、そうなることも考えられますし、あの部屋けっこう気に入ってるんで助かります。そうなる、と立ち会ったりとかですか」
「そうですね、鍵も取り替えになるみたいなんで」
「他の人でも、大丈夫ですかね」
「彼氏さんですよね? 三村さんがいいというのなら、それでも大丈夫だと思います」
「そうですか」普通に董山さんと話している沙友里は、お尻のポケットに触れて、「ケータイ持ってこなかったので、ちょっと連絡してきます。交換してくれる業者さんとトラブルになってもあれなんで」と苦笑いして、すたすたと石段を上って行ってしまった。
「……臼井」と董山さんは臼井さんを見た。「そういう感じで頼む」
「でったあー」自分の額に手をあてて仰け反った臼井さんは、「そうかな思いましたわ」と反り返ってきて、「曇さん無茶ぶりもいいとこですわ」と苦笑いを浮かべた。
「悪い。だがそれぐらいしてもらわないと、これから先が思い遣られる」
「そうかもしれまへんけど、そんな緊急性ないんとちゃいます? 隣人にも見られてますねんで」
「その上でのお願いだ」
「ですけど、今頃みんな仕事が終わって寛いでる所ですよ」
「だとしても、今行動に出なければ手遅れになる」
「ドアがですか? なりませんて」
「いやなる。俺たちのモットーはなんだ? 心願成就だろ。良くも悪くもそれができなきゃ俺たちの存在意義などない。今この瞬間が大切なんだ。みんなもきっとわかってくれる」
「そんな大袈裟な」一瞬時間が止まったような臼井さんは、ハッとなにかに気づいたのか表情を変え、「曇さんまさか──」とおでこが光ったような気がした。
「大丈夫だ」被り気味に董山さんは少し大きな声を出した。「責任は俺が取る」
「取る取らないの問題ちゃいますて」
「未果さん」と被り気味に董山さんに呼ばれて、沙友里のようにビクッとしてしまった未果は、董山さんと目が合う。「すいません、今し方真実を伝えていきたいというようなことを言っておきながら、未果さんの思いをスルーしてしまうような素振りを見せてしまって」
いえそんなことは。
「臼井、まずはお前がどうやって二人を倒したのか話してくれ」
「ええ?」と臼井さんは仰け反って、「あきませんて」と頭を抱えながら反り返ってきた。「怒られますよ絶対。いやいや怒られるだけですまんとちゃいます?」
「責任は俺が取ると言っただろ。さあ」
頭を抱えながら董山さんと目が合っていた臼井さんは、「……んもう」と董山さんのギラリとした目に負けたのか、濡れた頭をサッと撫でてから、「わかりましたよ。もう知りませんで」と未果を見て、ニコッとした。釣られて未果も微笑してしまった。
臼井さんは、裏庭に向かう途中の石段を上がっている最中に、上段から何者かに頭を叩かれ、叩かれ、叩かれて、反撃をするために突進したらそのまま二人とも吹っ飛んで、一緒にプールに着水。その相手が芝浦拓弥という団員で、その時に芝浦は肋骨と肩の骨を骨折したんだと董山さんが補足をしてくれた。臼井さんは芝浦をプールサイドに上がらせ、自分も上がろうとしたら、また上から何者かに頭を叩かれた。それが垣内奏馬だとまた董山さんが補足をしてくれた。臼井さんは叩いた垣内の足を掬ってプールに引き摺り込み、バシャバシャとシンクロナイズドスイミングのように立ち泳ぎしながら揉み合いになり、がっぷり四つに組むと垣内を深いプールの底に誘い、底からおもいっきり投げ飛ばして、水中に落ちてきた所に張り手を食らわして決着。と聞いて、最初に聞いた音や、イルカのように飛び上がってきた人の謎がなんとなく解明された。
「それくらいっすかね」
その場で動作を交えながら話してくれた臼井さんは、董山さんを見た。
「ごほん」と咳払いをした董山さんは、「すぐに信じてもらうのは難しいかもしれませんが、僕たちは本当に人造人間とかではなく、未果さんと同じ、生身の人間です」と丁寧に言った。「しかし未果さんとは違う部分があります。人間が持つ心の部分です」
「あっちゃー」と臼井さんは顔を顰めて手で一撫でした。
「僕たちは、心にある欲望の強さをエネルギー源とし、戦う術を持っています。七仰拝礼という力で、強さを計る段階は七段階あり、四段目以降はこの大地に悪影響を及ぼすくらいの力になります。谷川には特にそういった力を使うことなく脇腹を殴って失心させ、襟を掴んでプールに放り投げただけですが、楢崎とはそういうわけにはいきませんでした」董山さんは、言葉を選びながら、真面目に話してくれているということがわかるくらい、丁寧な口調で、ゆっくり優しく教えてくれた。
楢崎とは最初、身体を武器とした打撃で対峙していたけれど、楢崎の攻撃を防ぐには、大地に悪影響を及ぼす力を使わなければいけない事態となってしまい、さすがにここでは使えないので、七仰拝礼とはまた別の、この外界には影響の少ない、違う力を使って楢崎を仕留めたとのことだった。
欲望に名を馳せるというか、欲望を極めると、自分が欲望の王様みたいなものとなり、自分の心から出てきた欲望の手を使って、いろいろなことが出来るようになるらしく、その名も煩ノ手といい、王様になった董山さんは煩ノ手を駆使して霊天にいる精神の力を使い、心の中から楢崎の心に攻撃をしたのだと。
楢崎もそういった手を持っていれば、人と人の心がつながる場所、懈慢界という場所で心の攻撃を受けたり、逆に攻撃したりすることが可能みたいなんだけど、楢崎は煩ノ手を使えるほどの欲望を持っていなかったので、董山さんの攻撃をまともに食らい、未果の自宅まで吹っ飛んでしまったんだと、董山さんは軽く頭を下げた。
楢崎が家側に吹っ飛んだのも、プールサイドのスペースが断然広いからそうしたみたいで、家まで吹っ飛ぶとは思ってもみなかったと頭を掻いた。
気になっていた口から出る息は、力を使うと達した段階にあたる色の息が自然と出てしまうらしく、蒸気機関車から出る煙と同じようなもので、隠しようがないとのことだった。
董山さんが説明してくれたことはなんとなく理解できたようなできないような、実際にどうやったのかちゃんと想像できない部分もあり、心からの攻撃、という漠然とした理解で落ち着くのがやっとと言えばやっと。
「ああちなみに臼井も人間離れはしていますが、心からの攻撃ができるほどの力は持っていません。今理さんを保護しに行っている鈴架は、少し形は違いますが、同じ手を持っています」董山さんは一度顎に手をやり、なにか考える素振りをしたあと、「未果さんにお伝えしなきゃいけないことは、これで以上になるかと」と目尻辺りをぽりぽりと掻いた。
臼井さんが、ここでやめてくれてよかった。というような息を吐いた。
未果のために、あったことを明かしてくれた董山さん。このことを言うために、沙友里の耳には入らないよう、沙友里に嘘のような本当のことを言って遠ざけ、今日やらなくてもいいドアの修理まで行われることになった。修理をする皆さんごめんなさい。依頼人である未果のためにここまでしてくれて、「ありがとうございます」董山さんの配慮が、身に沁みていますと頭を下げる。
「そうですか、それはよかった。ですがこのことは、絶対に」と董山さんは絶対を強調して、「内密にお願いします」と口に人差し指をあてた。
「はい、もちろんです」
未果はしっかりうなずいた。




