仙田未果(一)もらった名刺編
な……、な……、なに? ちょっとなにも考えられない。
……みんな、止まっている。ギラリとした黒目の男も止まっている。すごい静か……。
岡崎の手だけが、コンクリートの地面に埋まっている。見間違いじゃないよね? 街灯でぼんやりだけど、どう見ても埋まってるし……。
「……いやー危ない所だった。俺の火事場の馬鹿力が出てなかったら、この辺一帯が吹っ飛んでいる所だったよ」
さっきまで止まっていたとは思えないほどの、ギラリとした黒目の男の軽い口調だった。え? 吹っ飛んでいる所だった?
村井は、がたっと膝をついた。
「岡……、まさか爆弾……」
え? 爆弾? ちょっと待って。やっぱり頭が回らない。
「これでも200㎏のバーベルは持ち上げるんだけどね。って、また俺の凄さアピールはいらないか。村井くんは爆弾で頭がいっぱいみたいだしね」ギラリとした黒目の男は岡崎を見下ろしながらしゃがんで、岡崎のパーカーを少し捲った。なにか、腹巻のようなものが巻かれているのが見えた。まさかそれ、爆弾?「いやー岡崎くん、君に出来ることはあったねえ」とギラリとした男の手は腰のポーチに伸び、中からケータイを取り出した。二つあるんだ。「ほんと、興味もないのに淡々と作り上げてしまった君は凄い。だからといって、君の自爆に巻き込まれたくないけどね。ね、村井くん」
……膝をついて俯いている村井に、反応がない。
「なんだ、岡崎くんの『自首しよう』が『自爆するよ』の合図だったことに、ショックを受けているのか? 躊躇なかったもんね」
……膝をついて俯いている村井に、反応がない。
「それとも、簡単にあきらめてんじゃねえよと、岡崎くんに対する憤りが湧いてきてるのかな? まだ逃げられる方法はあるのによと。あー村井くんじゃ思いつかないか。リーダーほど頭の回転はよくなかったもんな。同じ大学なのにこうも違うとはなあ」
村井が、なにか呟いた。
「ん? なんだ? もっと大きな声で言ってくれないとおっさんの耳には聞こえないぞ」
俯いている村井が少し顔を上げ、苛立ちを表すような笑みを浮かべた。「……いちいち、気に障ること言ってきますね」と村井の声がだんだん大きくなった。「ショックを受けさせてくださいよ」
「お、気に障ったのか? 俺のただの感想が耳に入ってくるようじゃ、大したショックでもなかったんじゃないか?」
「ショックですよ、自爆しようとしたんですよ。まさかですよ」
「却ってちゃんとショックを言葉に出来てるじゃないか。言葉にしたほうが心にもいいとよくいうだろ、大学で勉強しなかったか」
「……ほんとウルサイですね、大学大学って。これでも俺は、一生懸命生きてきたんですよ」と村井はゆっくり立ち上がった。「それのなにが悪いんですか」あからさまにイラっとした声だった。
「悪いなんて言ってない。むしろ第二志望の大学に入れて、できた友達と欲望のまま遊んで、入れて、笑って、青春を謳歌している。素晴らしい人生じゃないか。俺の本心だぞ」
「本心ですか、あなたの所為で素晴らしさが消えてるんですけど」
「俺の所為にするのはお門違いだろ。責めるなら君の一生懸命さを責めるんだ」
「だから一生懸命やってきたと言ってるじゃないですか」
「第二志望のな」
ずっと視線を合わせていなかった村井が、ギラリとした男の目を睨んだ。
「おおいいね、力で圧倒してきた目だ」とギラリとした男も立ち上がった。「だが俺は力に屈しない。少なくとも村井くんは俺の一生懸命を超えなければならない。じゃないと君が渋っている自首の道を歩むことになる。どうする? 暴力じゃ俺に敵わないとわかっているだろ? 言葉で俺を説得するか? きっと君は、俺をイラっとさせることさえできない」
「イラっとさせることは出来なくても」村井はコンクリートに手首が埋まっている岡崎を見て、「警察にあなたが人間じゃないことを伝えますけど、いいんですか」と言った。
「俺が? 人間じゃない?」
ギラリとした黒目の男は半笑いで自分の顔を指した。
「そうです。ご存知なんでしょうが僕は宇宙科学を専攻しています。僕たちに見えているのはほんの4,5%でしかありません。残りの約95%は謎に満ちている。あなたが未知の95%側のなにかだと言っても僕は驚きません」
「おお、俺は驚いた。村井くんの専攻は知らなかった。懐が広いじゃないか、第二志望の大学なのに」
「だから第二志望が余計ですよ」
「そうか? 第二志望だから見誤っているんじゃないのか? 俺は才能溢れる人間だぞ」
「証拠ありますか」
「証拠? あるよ。君らと同じように、欲望に満ち溢れている」
「欲望なんて、人間じゃなくてもあります」
「そうなのか」ギラリとした男は顎に手を当てた。「だとすると──」いきなりバッ、と手が伸びた。ギラリとした男の手が、村井の顎を下から掴んでいる。「……村井くん、俺が考えてる隙に、大声を出そうとしてもらっちゃあ困る」
村井の口は尖り、金魚のように開かれている。
「確かに『火事だ』と叫べば一発でご近所さんも出てくるだろう。俺も君たちと同じで人目は避けたいからね。心情をうまくついたいい案だと言いたい所だが、宇宙科学を専攻していると知ってしまったからね。もうちょっと宇宙科学的ななにかが欲しかったなあ」
金魚の口をしている村井の目が、ひどく怯えた目になっている。
「ついでに、村井くんの一生懸命もここまでだ。自首がただの振りなら、このまま村井くんだけ俺と一緒に来てもらうことになる。君たちが集うやり部屋にね。村井くんがどんなに叫んでも、誰にも届かないんだろうが」
金魚の口のまま村井が呻いた声を出した。
「ん? なんだ?」
「んんんん」
なんて言っているのかさすがによくわからない。
「自首したいと言っているのか?」
「んん、んん」
「そうか、信じていいんだな? また大声を出そうとしたら、わかってるな」
「んん」
「よし」
ギラリとした黒目の男は村井を突き放すように手を放した。
後退った村井はすぐに屈んで、自分の顎を両手で覆った。
「村井くん、痛がってる暇はないぞ。さっそく電話してもらわないと」
ギラリとした黒目の男がケータイのロックナンバーを知っていたみたいで、番号を告げながら痛がっている村井に差し出すと、村井は右手を顎から離し、差し出されたケータイを受け取った。
ケータイを一度タップした村井は、顔を顰めながら、顎にあった手を頭に持っていった。
ギラリとした黒目の男が警察の番号を言うと、村井はそうか、というような表情をし、ケータイを連続してタップした。たぶん、痛みの衝撃で番号が思い出せなかったんだ。
ケータイを耳にあてた村井は、少し躊躇しながらも自分たちのしてきたことを静かに告げ、ここでは未遂に終わったことを告げ、住所は確かとやっと思い出す感じで告げ、意気消沈した感じで電話を切った。
「よく思い出せたな」とギラリとした黒目の男は村井からケータイを受け取り、「こいつの位置情報と一致すれば、信頼性も増してすぐにやってくるだろう」とケータイを岡崎のポーチにしまった。
──サイレンの音が、聞こえてきた。
「おお、さすが早いな。優秀な警察がここに来るのも時間の問題だ。警察が来る前に俺がこの場を去ったら、村井くん一人だけ逃げるとも限らないから、村井くんにも暴力を振るおうと思うんだが、どうだ? 俺に蹴られた一流の痛みを感じておけば、君になにが足りないのか肌で感じることが出来ると思うんだが、どうする?」
「……受け入れます」
意気消沈している村井は、顎を押さえながら言った。
「随分と元気がなくなったじゃないか、ん?」
「……もう疲れました。どうぞ思うようにしてください」
「じゃあお言葉に甘えて村井くんの股間を蹴り上げるから、蹴りやすいようにちょっと足を開いてくれるか」
顎を押さえていた村井は、慌てるように股間を両手で押さえた。
「なんだ? 嫌なのか? 思うようにしてくださいと言ったのは村井くんだろ?」
「……監禁しようと言い出した僕への、罰ですか」
村井の声が、ちょっと震えていた。
「罰? 俺は裁判官じゃないからな。罰ではない。俺の善意だ」
……股間を押さえている村井が、ズルズルと泣き始めた。
「怖いか? 股間を蹴られるのが。これで少しは被害者の気持ちがわかったんじゃないのか? なんて言わないから安心しろ。すべては君の一生懸命さが招いたことだ」と村井の真正面に立ったギラリとした男は、足を一歩引いた。「別にそのままで構わない」
泣いている村井は、ぶるぶる震えている。村井のぶるぶるが未果にまで伝わってきて、未果も股間を押さえたい気持ちになる。
……まだ、蹴らない。この間をギラリとした黒目の男は楽しんでいるよう。
「オラッ」
ギラリとした男がいきなり声を上げた。
村井はうさぎのようにピョンと飛び上がって、足を踏み外したように地面に倒れ込んだ。
ギラリとした男が蹴ったのが見えなかった。音も、衝撃も来なかった。
「……悪いね村井くん、股間を蹴る趣味はないんでね」
と引いていた足をもとに戻した。蹴ってなかったんだ。
──サイレンの音が、さらに増えたような。
「さて」とギラリとした黒目の男は落ちていた買い物袋二つと、沙友里のハンドバッグを持って、「御見苦しい所をお見せしてしまいましたね。すいません」と丁寧な口調で未果たちに差し出した。
未果と沙友里はどうもと受け取った。身長はかなり高いと思っていたけれど、百五十九㌢ある未果より高いものの、昔バレー部の人と付き合っていた時のことを考えると、百八十㌢はないだろうとおおよその見当がつく。
「お詫びと言ってはなんですが」少し躊躇するように法被の懐からナイフではなく、長方形の薄いケースを出し、中から白いものを一枚取り出して、沙友里に差し出した。名刺だった。沙友里がハンドバッグと買い物袋を腕にかけ、両手で大事そうに受け取ると、未果にも一枚差し出された。未果はそれを、受け取った……。街灯に反射させて名刺を見ると、文字との境目がよくわかるようになり、『リトルキャンディー』という名前と、『あなたの気持ち、すぐに叶えます。今すぐお電話を』という謳い文句、電話番号が書かれていた。「ここでお会いできたのもなにかの縁です。またその縁があるかもしれません。そんな時、ここにお電話ください。僕は忙しいので直接会えないかもしれませんが、仕事はきっちりさせていただきます」
ギランっ、と、今にもウインクしそうな雰囲気だった。したのかもしれない。
「それでは、警察がもう来てしまいそうなので僕はここで失礼しますが、警察が到着したらイカツイ四人組のお兄さんたちが助けてくれました。と証言してくれたらうれしいです。仕事帰りだったのか、鳶職の恰好をしていましたと」
「わかりました」
沙友里がうなずいたのを見ながら、未果もうなずく。
「では、さようなら」
ギラリとした黒目の男は、駅のほうへ歩き出した。自分の素性は隠して欲しいのに、名刺を渡していくなんて、営業熱心なのか、嘘の名刺なのか、未果たちを試しているのか信じているのか、よくわからない。ふさふさの鬣が遠ざかっていくその先に、赤色灯の明かりが家の壁や塀などに反射して見えた。パトカーが来る。どうするんだろうか。関係ない第三者を装ったとしても、あの恰好はいかにも怪しいような。
「ありがとうございました」
沙友里がいきなり大きな声を出すと、遠ざかっていくライオンの鬣が振り返った。少し遠くても暗くても、ギラリとした光を感じるその男に、沙友里は深く頭を下げた。
そうだ、あの人がいなかったら、私たちは今頃どうなっていたことか。沙友里の声に驚いている場合じゃない。未果は沙友里に後れをとって、ありがとうございました。と深く頭を下げる。
未果が頭を上げると、ギラリと光る男は、もうそこにはいなかった。