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雨野鈴架(二)中編「人妻、飯塚紗季」

 紗季の子供の頃の夢は、明るくて、笑顔の絶えない家庭を作ること。紗季の両親は仲が悪く、終いには離婚したという境遇からその夢が生まれた。

 大人になった紗季は、夢を叶える。紗季は朝、旦那さんと小学生の娘を送り出し、幼稚園まで息子を送ったその足で仕事場に向かい、九時前に出社。短時間労働の紗季は仕事を二時に切り上げ息子のお迎えに行き、その足で夕飯を買って帰宅。ちゃんと一から手作りで、旦那さんも子供たちも唸るほどの料理上手。食卓は賑やかで会話が絶えず、楽しそうな笑い声が外にまで響き渡り、ご近所でも仲良しと評判の明るい家庭生活を送っていた。

 でも、子供の頃の夢が叶い、なんの不自由もない、円満な日常生活の繰り返しが、紗季を飽きさせてしまった。というより、紗季には夢の生活を維持するだけの体力がなかったということを聞いて、なにやってんのと鈴架はしゃがんで、倒れている紗季のお腹辺りをツンツンする。

 目覚める、気配はない。

 家庭のこと、仕事のこと、毎日それなりに変化はあっても、紗季にとって日常の延長線上でしかなく、想像できる範囲のものだった。飽和した生活の繰り返しにフラストレーションが溜まってしまい、一人でいる時に突然大声を上げたり、皿を流しに叩きつけたりと、おかしくなっていく自分に気づき始めていた紗季は、肉を必要以上に叩いている自分に怖れを抱き、完全に自分で自分をコントロールできなくなる前に、このフラストレーションをどうにかしないと、感情の矛先が夫や子供たちに向いてしまうと虞、刺激があるものはなんだと考え、学生時代にバスケや陸上、柔道に打ち込んでいた青春時代を思い出して、テニス部にも入りたかった思いが蘇り、夫に友達から誘われたからやってもいい? と嘘を吐いて了解を得、デパート屋上にある街のテニス教室に入会した。

 老若男女がコーチの指導のもと一緒に汗を流し、派閥内外の人間関係を熟知し、振る舞いながら身体を動かすことは学生時代と似ていて、とても刺激のあるものになった。

 紗季は自分の気持ちが家族にバレぬよう、今までと変わらず家庭を大事にしながら、仕事も続けながら、一生懸命テニスに打ち込んだ。

 へえーけっこうすごいじゃん。ツンツンツンと紗季を突っついても、紗季は起きない。

 週一回のテニス教室に通っていくうち、もともとスポーツが得意だった紗季はみるみる腕を上げ、最初はコートに打ち返すだけだったのが、次第に前後左右に球を打ち分けられたり、回転をかけたりすることができるようになり、教室で一、二の座を争うようになっていった。

 でも、アマチュア最高峰の大会にペアで出場した三回目の秋、見事県で三位となり、全国決勝大会に出場して一回戦で敗れると、紗季はすっぱりテニスをやめてしまう。

 なにやってんの。鈴架は紗季の脇をツンツンツンする。

 紗季がテニスをやめた理由は、夢の生活の時と同じで、テニスを続けていく体力も気力もないからということだった。

 紗季はそのあともピアノ、ウォーキング、登山、釣り、サーフィンなど、やったことのなかったものに手を出し、ある程度うまくなってはやめるという生活を繰り返した。

 次こそは極めてやる。みたいな気持ちはないわけ? という鈴架の問いに、曇はきっかけが夫や子供に暴力を振るわないためだから、ないに等しいとの答えが返ってきた。

 そっか、夢の生活を続けたいからか。続けるために、刺激を欲してるんだあーと紗季に顔を近づけても、紗季はピクっともしない。

 紗季の刺激を求める気持ちはどんどん激化していき、スロット、競馬、麻雀、男、少し間違えれば破滅に向かいそうなものにも手を出していき、若い男の影響でケータイゲームをするようになって、アクションゲームに嵌まると、そのゲームのダイレクトメッセージで、小倉克敏からサバイバルゲームに誘われた。

「それでそれなりに高得点を取って、合格して、その苦痛には耐え、二礼を唱えられるようになった」と曇は説明を終えるような感じを出した。「二礼が紗季の限界地。阿阜里の力に飽き飽きしているのに、やめられないというフラストレーションからきた。おまけに、阿阜里の食にも飽き飽きしている」

 へー。紗季らしいと言えばそうなのか。「だとしても食べ続けなきゃだけど。えまさか、それでこんなズタボロなわけ?」曇も知ってるかもだけど、「さっきから死ぬ気はないと言ってたの本気?」

「ああ本気だ。だがズタボロな理由はそれだけじゃない。紗季は今し方、『松』に所属する三人の二礼と二人の建武、一人の一般人、計六人を抹殺した」

「抹殺? ちょっと待って待って待って」待ってが多すぎたかもしんないけど、「二礼が限界な紗季が、よく三人の二礼を抹殺出来たね。紗季はこの地の人だよね。見たことないし」同じ拝礼なら実力は拮抗しているはず。心の強さはもち、『建武』である器も相当鍛えてないとできないこと。

「驚くよな。また新しいことを始めたい力は、なんと奥深いことか」

 曇は魅力的と言いたげ。好きになっちゃった? とか言うと話が逸れそうだから、「そいつらを抹殺できたとしてもさ、死ぬでしょ。曲芸過激団にとって退団は裏切り行為でしょ? 裏切りは死を意味するんだよね? 曲芸には団長を筆頭に、そこそこ強い者たちだっている。自殺行為にしか」

「そこはさすがに、俺たちにも期待していたようだ。現に鈴架がさっき倒した目出し帽は『松』だっただろ?」

「そういえばおでこに『松』ってあったっけ。なるほど」ケンカね。それで府羽たちの居場所を教えてくれたというのもあるのか。鈴架じゃなく、一位と三位のメンバーがやってくれるかもと算段して。「でも死ぬよね。『金鼓』を創造して七仰拝礼を唱えられるようになったら、死ぬまで阿阜里の地に宿る食物を食べ続け、『金鼓』を創造し続けなければならない。知らないわけないよね?」

 鈴架は紗季に向かって、問いかけるように話す。

「ああ、紗季はもちろん知っている。仮に全部上手く事が運んだとしても、エネルギー源を供給してくれるネットワークがないから、いずれ死ぬということまで承知ずみだ」

「それって、自殺に入るんじゃないの?」

「いや、飯塚紗季に『自殺』という思いは一切ない」

「どういうこと? 進む道に死が待ってるわけだよ」

「誰にでも、死は待ってるだろ。いずれ人は死ぬ。早いか遅いかだけ。紗季は自分の欲望赴くまま、『生きる』ことを選んだ。選んだ生きる道が、短かっただけという話」

「なにそれ、そんなの、なんか納得できない。生きたい道が短いって。そりゃ熱い欲望全部いい方向に行くわけじゃないけどさ。必死に頑張ってる人にはさ、長く生きて欲しいじゃん」

「全くだ」惜しいなと言いたげな曇の哀しき声。「優しいな鈴架は」

 絶対鈴架が言っている意味合いと曇の言っている意味合いが違うから曇に言ってもあれだけど、「私たちの力は生きることはおろか、また新しいなにかに触れることもできなくなるんだね」と言いたいことを言う。

「そうだな。思い知らされるな。入ったら最後、抜け出すことは絶対に不可能」

 ちゃんとした感じの答えが返ってはきたけど、「やっぱり、世に出るわけにはいかないね」リトルキャンディーの使命を、改めて胸に刻む。

 ブブッと、紗季のズボンのポッケ辺りでケータイがふるえたような振動音がした。

「そうだな。身が引き締まってきた」

 そこはどうだか。

「そこはどうだかってなんだそこはどうだかって」

「熱量が全然違う気がするんだけど」

「なに言ってんだ、同じアッツアツに決まってるだろ」

「アッツアツが怪しいけど、アッツアツが」

「バカ言え。それよりも飯塚紗季の生きてまた新しいことを始めたいという欲望はまだ健在のようだ。意識はもう戻って来ないと思っていたが、ケータイの振動で戻ってきた」

「うそ?」

 倒れている紗季は、目を開けていない。

「うれしそうじゃないか」

「まあね。どうせならしぶとく生きてもらわなくちゃ」

「うれしいついでにもう一つ伝えておくと、鈴架が逃がした中岸は、無事に逃げられたぞ」

「うっそ?」うれしいついでにぴょんっと立ち上がってしまった。

六滝ろくたきに打たれない分、後遺症は足に残ってしまうかもしれないが、日常生活に問題はないだろう」

「ほんと? よかったあ」銃は渡さなかったほうが逆に良かったかなあとか気になってたんだよね。「教えてくれてありがと」

「いえいえだ。じゃあ頼んだぞ。理を保護したら、理を理んちまで。鈴架が来る頃には臼井しかいないと思うが」

 そうだった、臼井のメッセージまだ見てないや。「てことは今仙田邸なんだ」

「ああ、今臼井はいないけどな。さっき着いたとこだ」

「会わせることにしたんだね」

「本人がちゃんと話さなきゃと思っているから、そうしたほうがいいだろ?」

「そうだね。なら尚更早く理を連れて行かなくちゃ」

「くどいようだが、そこそこ強いから気をつけろよ」

「わかってる。油断はしないって。あでも、連れ回すわけにもいかないから、来迎堂に送ってからになるけど、いいよね」

「ああそうしてくれ。じゃあまた」

「またね」


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