仙田未果(十一)
董山さんて、何者なんだろう。リトルキャンディーで働いていて、玄関に大きな穴を開けてしまうくらい強くて、ハンバーグが好きで、冗談が好きで、聞き上手。ということくらいならわかるけど、それくらいじゃ董山さんを説明できたことになっていない気がする。
すぐ前の席で運転している董山さんを見る……。ヘッドレストから、ふさふさのライオン鬣ヘアーがはみ出ている。全然Gを感じないくらい運転が上手。なんてことを付け足しても、全然説明しきれていない。
未果は外を見て、また董山さんを見て、また外を見て、また董山さんを見る……。
ほんとはロボットなんですなんて言われたら、それはそれで納得するだろうし、実は地球人じゃないんですなんて言われたら、それもそれで納得してしまう。……どことなく、出張から帰ってきた理に近い雰囲気もある。
それは当たり前か。董山さんだって命を懸けて戦ってきてるんだろうから。って、そこまでの気がしないのも事実。
董山さんは、なにしろ尋常じゃない人。
とりあえずそういうことにしておこう。と助手席に座っている沙友里を見る。
沙友里は、アパートから車に移動する間も、董山さんのジープ型の車に乗り込んでからも、沙友里から一言も董山さんに話しかけていない。隣に座っていることが夢のようで追い討ちをかけたのか、ホラーっぽい沙友里のぎこちなさは増していき、会話に波がある所為だと思うけど会話も弾まなく、董山さんもさすがにネタが尽きたのか話しかけなくなってしまって、それなりの沈黙が続いている。
車が左折したということが沙友里の先に見える景色の中でわかる。こんな運転、未果もできたらさぞかし気持ちいいだろう。そのせいなのか、この沈黙が嫌とは感じない。
また董山さんを後ろから見る。董山さんて何歳なんだろう。お世話になっているからか、年上という印象を持ってしまっていたけど、肌質の感じだけでみるとすごい若い気がするんだよね。下手したら年下という可能性も。けっこうそういうパターンあったりするし。沙友里もきっと聞いてみたいんじゃないだろうか。それとも知ってるのかな。だとしても、知りたいから聞いてみよう。
「『あ』の、ちょっと変、なこと聞いてもい、いいですか」
沙友里と言い出しの『あ』が被ってしまって、ごめんねと未果は言葉を切った。沙友里は、なにを聞きたいんだろう。
「大丈夫ですよ」
運転しながら董山さんは、チラッと沙友里を見た。
「……董山さんて、おいくつなんですか」
やっぱり。聞きたかったんだね。
「年齢ですか? 三十八です」
「ええー」
声には出さないものの、未果も声を出した沙友里と同じくらい驚いてしまった。
「もっといっているように見えました?」
言葉に笑みが混ざっているような言い方をした董山さんに、
「ち、違いますよ」と沙友里は手を振り、「もっとし、た、かと思ってました」うんと未果も同調する。「おせ、じじゃないですよ。あんまり、変わっ、てないですね。前にお会いし、た時と」
そう、それも同意見。全然変わってない。
「あー」
あーって、なんのあーだろう。
「あの失礼かもしれないんですけどなにか気をつけていることとかあるんですか」
うん、それ知りたいかも。未果は俗にいう二十五を過ぎたあたりからお肌の調子が……。
「うーん、これといって特には」
えー? ほんとに? なにかいい化粧品とか使ってるんじゃないんですか?
「ないですよ。なんというか、食べている物がいいんでしょうかね」
「食、事ですか?」
「そうですね」
けっこういい物食べてるんだ。
「あー、値段とかじゃないですよ。産地にはこだわりを持っているかもしれないです」
「国内、産とかですか」
お昼に食べたハンバーグ、国内産だったんだろうか。気にしていなかったから、全然わからない。
「あーでも、そんなにはこだわってないですよ。できる限りって所です。家で食べる時とか、そういう時だけ」
ふーん。それでその若々しさが保てるなら、未果も家では国内産限定にしてみようか。
「料理、する、んですね」
「たまにですけどね」
「作る時ってなに作ったりするんですか?」
「うーんなんですかね、名前がないような、家にある物でパパっと作っちゃう感じです」
「それって、料理のうまい人が言う、セリフですよ」
ほんと。料理もうまいんだね董山さん。
ブーっと、ハンドバッグにあった未果のケータイがふるえた。未果はハンドバッグから取り出し、画面を見る──。理から、メッセージ……。
〈あなたの夫の命、救いたくありませんか。明日の午後二時、烏丸市駅にある《ビーンズ》というライブハウスにお越しください。そこに一人で来て頂ければ、あなたの夫の命、保証致します〉
「……未果さん、どうしました?」
「未果?」
身体を曲げて振り返っている沙友里と目が合っている。誰にも言うな。とは書いていない。ルームミラーに映る董山さんの目と、沙友里の顔を交互に見てから、「……理からのメッセージだと思ったら、違うみたいで」と未果は、メッセージの内容を読んで伝える……。
「それなら、大丈夫です。未果さんがそこに行く必要はありません」運転している董山さんはきっぱり言った。「そのメッセージは、仙田夫妻と我々をライブハウスで一網打尽にすることが狙いと見て取れます。先に起こった出来事以上に、そこにはしっかりとした対策も施されているのでしょう。そういうことがわかっていながら、相手の要塞に全員で押し掛けるのはあまりいい気がしません。それだけじゃ説得力に欠けてしまうかもしれませんが、理さんが捕まってしまったとわかった今も、我々が既に実行している計画をそのまま推し進めさせていただきます」
計画?
「実はですね、理さんは第三者に情報を漏らす一因を作ってしまったことにより、団体から死刑という罰を受ける身でした」
へ?
「驚きますよね。僕から見てもちょっとあり得ないんですが、そういった重い罪になっています。我々はそういうことにならないよう理さんの保護に努めていたのですが、ここに来てほどほどの計画の付けが回ってきてしまったようです。すいません」と董山さんは運転しながら首を動かした。「未果さん」
「はい?」
ルームミラー越しに董山さんの目と目が合った未果は、畏まる。
「未果さんに依頼を持ち掛けられた時、未果さんのことも多少調べさせてもらったのですが、学生の時、バレーボールをおやりになっていましたよね?」
「は、はい」
未果は董山さんの後頭部を見ながらうなずく。
「現状、バレーボールの試合で一点取られてしまったものだとお考え下さい」
一点……。
「点数が動いただけで、劣勢になったわけでもなければ、予定外のことに遭遇したわけでもありません。ましてや試合に負けたわけでもない。必ずうちの者が理さんを保護しますので、我々の力、信じてもらえませんか」
それは「はい」信じてます。信じてますけど、すでに動いてくれていたということは、理の保護もまた責務のうちの一つということになる。いいのだろうか、そんなにいっぱい責務があって……。いいわけないよね。やっぱり。「……でもあの、一つお願いがあります」未果は運転席の背もたれを持って、運転席を覗くように真ん中から董山さんを直に見る。「ちゃんと、前金とか成功報酬とか、そういうの支払わせてくれませんか」
「……それは、できません」
少しびくっとしたような董山さんは、申し訳なさそうに言った。
「でも」一円も払わないなんて、なんかダメな気がする。
「……そうですよね、わかりました」
え?
「ではなぜ頑なにいらないというのか、まだ話していない理由があるので、ここで説明させてください」董山さんはルームミラー越しに未果を見る仕種をした。「我々が、『リトルキャンディー』という探偵事務所を立ち上げてから、約八年が経ちます。今年、リトルキャンディーはリニューアルし、新たな事業に踏み込もうとしている所でした。そこに、未果さんからのご依頼があったんです。調査してみると、未果さんのご依頼は新規事業に関わるものでした。初めて着手する案件としても申し分ありません。ですから、未果さんのご依頼を全うするということは、我々にも得があるのです。それだけじゃありません。八年前、未果さんと我々には関わりがあった。しかもそれはリトルキャンディーとして初仕事となる案件と関わっていました。初が、二度も重なる。この縁をとても大切にしなければいけないと感じました。まだあります。この縁をふまえ接していくうちに、他人とは思えない感情が芽生えてしまっています。僕は、未果さんに真実を伝えたい。未果さんがよりよい人生を送れるようサポートしていきたい。そう思っています。弱いですか? そういう理由じゃ」
「そんなことありません。それはすごくうれしいです」とハンドルを握る董山さんの横顔を直に見ながら、未果は気持ちを伝える。「でもなんか、それだとスッキリしないんです。そう思ってくれているなら尚更支払わせてくれませんか」じゃないと甘えてばかりで、勇気を出して電話した意味が、なくなってしまう気がする。
「……わかりました」
え?
「そこまでおっしゃってくれるのなら、未果さんが出したいと思う金額をどこかに寄付するというのはどうでしょう」
寄付……。
「寄付するのはリトルキャンディー以外ならどこでも構いません。未果さんが寄付したいと思う所に寄付してください。その行為はきっと、誰かのためになるでしょう」
「誰かのためじゃなく、リトルキャンディーのためにしたいんですけど」
……ハンドルを握る董山さんからなにも返ってこないと思ったら、「我々が金銭をもらうことは、我々のためになどなりません」と少し強めの口調が返ってきた。
未果は、ハッとした。董山さんは、お金をもらいたがっていない。未果がしようとしていることは、自己満足でしか、ない。でも、依頼してお金を支払うのは当たり前のこと。と思って、またハッとする。董山さんたちは、尋常じゃない。尋常じゃない人に未果の普通を押し付けても、耳障りなだけ。未果は今、そういう所に足を踏み入れている。仕事をずる休みして、トラウマを克服して、自宅に泊まりますと提案したことくらいじゃ、董山さんたちには到底及ばない。
「すいません。私、自分のことしか……」これじゃあ理とおんなじだ。
「いえ、そんなことはありません。僕も少し頑固過ぎました。そうですね、それだったら、麻婆豆腐一年分くらいの額で折り合いをつけるというのはどうでしょう」
麻婆豆腐一年分? といきなり出てきた言葉に戸惑って、「……麻婆豆腐、一年分ですか」と未果は聞き間違いじゃないよね、ともう一度復唱する。
「はい。麻婆豆腐、一年分です」
聞き間違いじゃない。「その一年分の額を受け取ってくれるんですか」
「はい」
麻婆豆腐、一年分……。「それって、いくらくらいですか」
「それは、麻婆豆腐、一年分です」
クスクスッと、助手席の沙友里が外を見ながら笑っている。
「そ、そうですけど、いろいろあるじゃないですか。高級店の麻婆豆腐とか、庶民の味の麻婆豆腐とか、レトルトの麻婆豆腐とか」
「そうですね。行列のできる麻婆豆腐店の、本格麻婆豆腐って所ですかね」
「フフっ」と堪えきれなかったのか、沙友里は吹き出した。わかりづらくて、未果もつい吹き出してしまった。董山さん、やっぱりもらう気、ないでしょ。