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臼井照明(一)

 端に現れた人影が、こっちに向かって歩いてくる。はっやいわあ。という気持ちを押し殺し、自然な感じでちょっとする。皺のないシャツにジーパン姿の若い兄ちゃん。なんや、イメージとちゃうだけに余計不安になるやないか。若い兄ちゃんは斜め下を見ながら201、2、3と過ぎ、204も普通に過ぎよった。と作業を止めずに位置を把握する。

 あかん、めっちゃドキドキしてきた。この階の住人ぽいけど、ドキドキではっきりわからへん。鍵を出す素振りがないから205の住人でもなさそうや。さすがに206号室のドアをコンコントンカチで打つのはやめ、「こんばんは」としゃがんだまま他人との壁がないおっさんのように、こっちに向かってくる若い兄ちゃんに話しかける。

 ジーパン姿の若い兄ちゃんは立ち止まることなく、歩きながら軽く会釈した。ここも通り過ぎる勢いやから、ホンマ207か8の住人ぽいけど、「ちょっとこれ見てくれません?」と囁きながら、修復部分をトンカチで指す。「これ全部穴やったんすけどね、もしかして、DVとちゃいますかね」と噂好きのおっさんのように、さらに小さく囁く。「スプレー缶のガス抜きをしていたらこうなってしまったと言ってはるんすけどねえ、ちょっと嘘っぽいですやろ。玄関のドアだけ穴開いたりします?」

 若い兄ちゃんは、修復部分を見ながら首を捻り、立ち止まることもせずに臼井のすぐ横を通過していく。隣人に興味がないのか、臼井のことを怪しいと思っているのか、面倒なことに係わりたくない。という心理になっといてくれたらそれはそれでありがたいんやけど、どやろか。「すんませんな。ちょっとの間うるさいかもしれまへんけど、堪忍してくんさい」と明朗トーンの臼井になんの反応も示さず、207号室の部屋の鍵を開けて、住人であろう若い兄ちゃんは207号室に入っていった。

 ふー、と臼井は頬っぺたを膨らませて一息つく。余計不安になった己がバカみたいや。と立ち上がる。これから来る人間は本当に宅急便なのか、それとも宅急便を装った曲芸過激団の団員なのか、いつ現れても怪しくないようまたしゃがみ、気を取り直してコンコンとまた釘をドアに打ちつけ始める。……あかん、ドキドキが高鳴って止まらへん。臼井は胸を押さえる。部屋にいる彼氏はんの嘘ならええんやけど、さすがにそんな嘘は吐けへんか。ピンポンもなったしなと打ちつける。

 ──来よった。視界に入った人影は、県下最大手のバイク便姿で、片手で持てるほどの大きさの荷物を持っていて、部屋番号を見ながら歩いてくる。ドキドキの高鳴りを押し殺し、自然な作業を続けて、バイク便風の人間が205の前まで来た所で手をやめ、「こんばんは。すんませんな」とさっきと同じ調子を装いながら、バイク便風の人間に声をかける。

「こんばんは」

 バイク便風の男は普通に挨拶を返してきた。ドアの修復部分をちょっと見してから部屋番を見て、立ち止まった。

「もしかして、配達の?」

 臼井はしゃがんだままバイク便風の男に切り出す。

「はい」とバイク便風の男は答えた。「三村沙友里さんのお部屋ですか」

「ええそうです、聞いてますんでちょっと呼びますね」臼井は壁のないおっさんを演じながら、中が見えないようにドアを少し開けて、「すんません。お荷物届いたみたいです」と三村さんの彼氏、楠木さんを呼ぶ。

「ああはい」

 部屋から声がすると玄関に歩いてくる気配がして、臼井が開けた時よりも少し大きく、人一人分入れるくらいドアが開けられ、その隙間を埋めるように楠木さんは立った。なにか食べている途中だったのか、咀嚼している。

「三村沙友里さんのお宅ですよね」

 バイク便風の男が開いたドア側に回るのを見て、臼井は警戒しているのを悟られへんように、ドアノブを持ってあげている風に腕を伸ばして距離をあけ、黒子に徹する。

 バイク便風の男を上から下まで見た楠木さんは、「……はいそうですよ」とそっけない感じで答えた。

 内鍵はかけられていない。バクバクと、臼井の胸は高鳴り続けている。

「失礼ですが、ご本人様では」

「ないですね」

 みりゃわかるだろ。と楠木さんは食い気味に半笑った。

「三村様はいらっしゃいますか」

「今出かけてるんすよね」

 楠木さんは詳細を知らんとはいえ、気軽にコンビニに出掛けているような言い回し。

「そうですかあ」バイク便風の男は残念そうな顔をした。送り状を見ながら、「ご本人様に直接お渡しするようにとのご要望なので、またお伺い致します」と臼井をちょっと見して、楠木さんに視線を合わせた。「いつ頃帰られるかおわかりになりますか」

「さあ」楠木さんは首を捻り、「なんですか?」とドアとの隙間に入ったまま、送り状を覗く仕草をした。

「品名には『生もの』と有りますが」

「へーそうなんだ。代引とか?」

「いえ、そうじゃありません」

「なのに本人じゃないとダメなの」

「はい」

 バクバク、バクバク、臼井の鼓動は高鳴り続ける。

「……でもさ、また来るの大変だよね。俺が受け取っとくよ」

 という楠木さんの断定的な言い回しに、

「いえ、そういうわけには」とバイク便風の男は苦笑しながら否定し、荷物を脇に抱えると、腰に提げているバッグから長細い紙の束を出してなにか書き、ビッと一枚外して腰にあった機械でピッとした。「再配達用の連絡先です。三村沙友里さんがお帰りになりましたらお渡し願えますか」と楠木さんに差し出した。

 楠木さんはその不在連絡票を受け取り、少し読んでから、「わかりました」と承諾した。

「よろしくお願いします」バイク便風の男は頭を下げ、臼井にも下げ、「失礼します」と帰っていく。

 って帰るわけないやろ。という事態にもならず、姿が見えなくなってもそうなることもなく、バイク便風の男はホンマに帰っていったようや……。

 怪しかったと言えば怪しかったし、そうでないといえばそうでもない。ただ確かなんは、鼓動の高鳴りがだんだんと収まっていくことくらい。

「……今の人、たぶんもう来ないですね。これもきっと、でたらめな番号ですよ」

 ドアの隙間から首だけ出して、臼井と一緒に見送っていた楠木さんが、自信ありげに言いはった。

 半信半疑の臼井は、「どこか怪しいとこありました?」と逆に尋ねる。

「はい。俺とおんなじ臭いがプンプンしたんで」

 ……楠木さんがどういう人間かわからへんけど、ちゃんとした職業についていない感じの、怪しい男が三村さんの部屋にいるが、そいつは三村さんの彼氏というだけだからとどんさんに言われ、わかりましたとそれがすぐわかったように、楠木さんは雰囲気に荒っぽさは感じられへんものの、靄っとした胡散臭さが身体全体を覆っている。寝ぐせのついた髪と凹凸のない顔と淡くてよれよれの服が、よりいっそうそう見せているのかもしれへん。

「そうですかあ」

 そう言うんならそうなんやろう。楠木さんは臼井が探偵業社の者だと知っている。どこの探偵業社とか、なんでこんな大きな穴が開いたのかとかまでは知らない。深くを聞いてこない所をみると、興味ないんやろな。

「……沙友里、なんかしました?」

 と思ったらそうでもないみたいや。「どうなんすかねえ、僕この通り雑用なんで、よくわからんのですよ」と惚ける。「なんかしたように見えます?」

 楠木さんは臼井の頭を見ながら小刻みにうなずき、「もしまた来たら、即効逃げないと行けないような気はしますね」と足で脛を掻きながら言った。

 なんにうなずいてたんかわからへんけど、「そうですかあ」未だになにも起こらんということは、もう起こらんやろう。よかったわあー。「ほんじゃすんません。もう少しで終わるんで」と楠木さんに告げる。

「終わったら、声かけてください」

 楠木さんはドアを臼井に預け、頭をポリポリ掻きながら部屋に戻っていった。

 いやでもホンマ、なんも起こらんでよかったわ。渡来わたらいの居場所は絶対聞かれると思うとったからなとドアを閉め、あの男がホンマに団員だとしたら、偵察だけが目的だったんやろかと自分の胸に手を当てる。大丈夫や、正常にドキドキしとる。とまた臼井はコンコンとドアに釘を打ちつけていく。

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