仙田未果(九)
「ああぁあぁあぁあぁ」
知らない男は、口を大きく開けながら小刻みに揺れている。
沙友里は、スタンガンを知らない男から離した。
揺れの止まった知らない男は、ドアを持ったまま突っ立っている。
「お、おう、きいたきいた」
未果は男の声に、ビクッとしてしまった。
ビチビチビチビチッ──。沙友里はまた男にスタンガンを当てた。もっと強力そうな音が鳴っている。
「ぁあぁあぁあぁあぁああ」男は白目まで向けながら小刻みに揺れている。「ぁあぁあぁあぁあぁああぁぁああああぁいくらぁぁやってもぉぉぉ意味いぃぃないよぉおぉおぁおぉおー」
波打つ声を出した男に対し、ずっとスタンガンを当てていた沙友里は、スタンガンを男から離すのと同時に、男から遠ざけるように未果を軽く押した。
揺れが止まった男は黒目も戻り、準備運動をするかのように首や肩を軽く回し終えると、「インターホン押そうとも思ったんだけどね。居留守使われたらめんどいからさ」と親しげに言った。根元の黒い金髪は、ハリネズミのように突っ立っている。細い輪郭に威圧的な目、細身な体型、スウェット一枚のカジュアルな春先の格好。年齢は未果と同じくらいか、それよりも若く見える。
沙友里の友達、なわけないし。沙友里の彼氏、でもない。二股をかけているとも聞いていないし、そもそも沙友里は彼氏に電流を浴びせるような女じゃない。現状をしっかり把握して、と未果は自分に言い聞かせる。
痩せたハリネズミのような男は、スタンガンを浴びても全然平気という異常さ。人気なんてなかったのに、いきなり現れたという摩訶不思議な出来事。それって、董山さんや理と関係している人物。ということは、私を、狙ってきた人物……。
「……なんか用?」
沙友里の、力強い声だった。
痩せたハリネズミのような男は、威圧的な視線を外し、右左を一度ずつ見て、「これでも気配りしたんで」と首を伸ばし、未果と沙友里の間を縫うように沙友里の部屋の中を覗いた。「近所迷惑になる騒ぎ、イヤっしょ」
振り返った沙友里と、未果は目が合った。たぶん、男の言う通りにしようということかもしれない。沙友里は男に向き直った。
「散らかってるし、玄関先にしてくれるならいいけど」
「そりゃもちろん」
「じゃあどうぞ」
沙友里が男に身体を向けながら中に入ってくるので、三和土に入っていた未果は上がり框のある傍まで後退りする。
「おっと」男は中に入った沙友里がノールックで廊下の明かりをつけようとすると、「そのスイッチは明かりのスイッチだよな」と警戒するように言った。
「そうだけど」沙友里は男に身体を向けたまま、「なに? もしかして、なにかが飛んでくるスイッチかと思った?」と意味ありげに尋ねた。
「思った」
え? なにか飛んでくるの? 未果は瞬間的に目を見開く。それって、映画みたいに槍とか? 大きな石とか? そういうの? そんなまさか。と周りを目だけで見るも、ちょっと暗くてよくわからない。
「じゃあどうする? 押さないとなにも見えなくなっちゃうけど」
「……よし、お前押せ」
威圧的な目と目が合った未果は、私? と沙友里に視線を移して、うなずく沙友里に、押してもいいということなのだろうとはわかるけど、押すだけでいいの? 押したら伏せたりしなくていいの? と沙友里の目をじいーっと見ても、大学からのけっこうな付き合いなのに、肝心な所が全然伝わってこない。
……未果は唾を飲み込んで、上がり框と同じラインにある壁のスイッチを、カチッと押した。
身を竦める。も、パッ、と暖色の明かりが点いただけだった。
「ったく」と廊下の明かりが点いた中、ハリネズミのような男はスタンガンがきかないくせに、未果と同じような気持ちだったみたいだ。男も中に入って慎重に玄関を閉めると、三和土に三人、沙友里が間に入るような恰好になった。「鍵は閉めさせてもらうぞ」男は下の鍵だけをカチャッと閉めた。
「なんで閉めるわけ?」
ァ? と男は沙友里の目を見ながら薄めの眉を寄せた。「お前らの雇い人が来るかもしれないだろ。不意を衝かれ、仙田未果に逃げられたらまた探さなきゃいけなくなる」
「突如現れておいて、不意なんて衝かれることあるんだ」
「警戒強めてるだけ」
「へえー警戒ね、けっこうビビってるんだ、リトルキャンディーに」
「ハ? ビビってるわけないだろ」
たぶんこの人、防犯カメラの映像を観たんだ。
「じゃああれだ、自分の本能が敵わないって言っちゃってるわけだ」
「……なんだそれ、言ってるわけないだろ」
「言ってるわけあるでしょ」沙友里の語気が一段強くなった。「どこからついてきたのか待ち伏せしてたのか、どっちにしたって人目を掻い潜って人を連れ去ることぐらい簡単だったはず、そうでしょ? にもかかわらずここまで入ってきた、あー気持ち悪い。あ、ごめんね、今の私の感想だから気にしないで。あんたの仲間が未果と接触しようとして返り討ちにあった。もしあんたが未果を連れ去ろうとした時、リトルキャンディーが現れて、一般市民に目撃されるようなことになっちゃったら大変だものね。わかる、わかるよ、だから万が一に備えてこの部屋まで来た。でもなに? 入ってすぐなにかしてきても良さそうなのに、鍵を閉めて、なにか仕掛けがないかと勘繰って、こうやってお喋りしてる。なんなの? じらしてるの? じらして私の気を惹きたいの?」
あれ、なんか、言い回しが董山さんぽい。
「……そうだよ」
ハリネズミのような男は、認めた。えっ? そうなの?
「そんなわけないでしょ」沙友里がキッパリ否定した。そうだよね。「ここにリトルキャンディーがいるって感じちゃってるから踏み込めないんでしょ? 未果になにかしようとしたらその拍子にやられるって感じちゃってるからなにもできずにここまで来ちゃったんでしょ? さっきだって仕掛けじゃなく、明かりがついたのを機にリトルキャンディーが現れてしまうのを恐れてたんでしょ? わかる、わかるよ」
「わかってねえよ。俺は──」
「手荒なマネはしたくないだけ、とか言わないでよ、もうこの部屋に入ってきただけで手荒なことなんだから。手が荒れてるわけじゃないわよ」やっぱり、董山さんぽい。「もうしてるんだから、どんどん手荒なマネしてきなさいよ。さあ、ほら」
「ガチでウザピーだな」
ハリネズミのような男は、目尻を掻くだけでなにもしてこない。ウザピー?
「そう? 自分では面倒見のいい女だと自負してるんだけど」うざくて面倒な人みたいなものか。「あなたみたいな奴にそう言われて、結構うれしいかも」
う、うれしい? 確かに、スタンガンがきかない相手がウザピーしてくれているわけだから、うれしいかも。
「お前よ、俺がなにもしてこないからって調子乗ってんだろ」
「それ心外。なにかしてきなってあなたを受け入れようとしてるのに、むしろ寛大と言って欲しいくらい、ねえ」
と言った沙友里と目が合って、
「うん、そうだよ」
とハッキリうなずいてしまった自分に驚く。
──バッ、といきなり男が沙友里の首を掴んだことにさらに驚く。しかも董山さん顔負けの速さ。
「──オイッ」とドスのきいた声が聞こえてきて董山さん? とさらに違った意味で驚く。「その手を放せ。じゃないと俺がお前を殺す」
未果は、心臓動いてるよねと自分の胸を押さえながら、声がした部屋のほうを見ても、董山さんの姿はない。
「誰だ? 姿見せろ」
「放せと言ったのが聞こえなかったのか? 一秒待ってやる。一──」
と董山さんが言ってすぐ、ハリネズミのような男はパッと手を放した。
「ゴホッゴホッゴホッ」
沙友里は首を押さえながら前屈みになって咳き込んだ。そんなに強く絞められてたなんて、と未果はハンドバッグを持ったまま沙友里の脇に手を回したはいいけど、首を絞められた人をどう介抱すればいいのか、背中を撫で撫でする。
「よく放した、渡来樹生くん。しかし君は部外者である彼女に手をかけた。そんなことをしない優良団体の一員だと思っていただけに、残念で仕方がない」と憐れむ董山さんは、まだ姿を現していない。「でもしょうがないか、遊園地にあるお化け屋敷のお化けが怖くて、ぶん殴ったこともあるんだったもんな。そりゃあ定職に就かず毎日家でゴロゴロケータイ弄って飯食って寝てケータイ弄って目が疲れて寝て起きてケータイ弄って目が疲れての生活じゃそうなるわな」とちょっと息苦しそうに言った。
「黙れ。手を放してやったんだ。姿を現したらどうだ」
「手を放してやった? フッ」董山さんの鼻で笑った声。けっこう近くから聞こえるような。「それはどうもありがとう」声は籠っていないから、左手にあるお風呂やトイレに隠れているということはなさそう。部屋の死角にいるのかなと思ったら、ひょこっと右側の奥にある洗濯機からフライパンが飛び出てきた。ちょっとびっくり。手を振るように揺れている。「いやあ三村さん、勝手に入ってしまって申し訳ありません。ビビりの渡来くんを驚かしてやろうと思ったんですが、上手くいかないもんですね」と洗濯機と、上にある物入れの隙間から、ライオンヘアーの董山さんがゆっくり現れた。お祭りの恰好ではなく、フード付きの、整備士さんが来ているような、ベージュとライトグレーが入り混じったような色の服を着ていて、フライパンを持ったまま、洗濯機の中から這い出てくる。「フライパンも、僕が鍵を閉めてしまったばっかりに、僕が引っ掛かってしまいました」
引っ掛かって? ほんとに仕掛け、あったの?
前屈みになっている沙友里は、首を押さえたままカチコチと頭を横に振ると、顔にかかっている長い髪も一緒に揺れた。
そのカチコチは、気にしないでくださいのカチコチ? ということは、ほんとにあったの? うそ。
「完璧に油断してました」洗濯機から完全に這い出た董山さんは、こっちを向いて軽く頭を下げると、「あとは僕にお任せください。優勢のまま押し切りますので」と部屋のほうを指し、「お二人はどうぞ、買ってきたアイスでも食べながらゆっくりしていてください。終わったらお知らせしますので。それでいいよな、渡来くん」と視線が渡来に向けられた。
「……好きにしろよ」
アイスは沙友里のリュックの中に入っている。やっぱりすごいと未果はうなずき、頭を少し起こした沙友里を見ると、沙友里は顔を歪めていて、真っ赤になっていた。
「だ、大丈夫?」
覗き込みながら沙友里に聞くと、沙友里はカチっとうなずいた。
沙友里が靴を脱いで、廊下に上がったのを見て、未果も靴を脱ぎ、ほんとに大丈夫かなと沙友里の背中に手を当てながら廊下を歩き、端に寄った董山さんとすれ違う。その時沙友里のカチコチさがひどくなったのを見て、こんな状況でも董山さんを意識してしまっている沙友里のことが、やっぱりかわいく見えてしまった。そうだよね、ずっと憧れてたんだもんね。
沙友里がカチっと董山さんにお辞儀をすると、未果もそれに影響されてかカチっとお辞儀をしてしまった。そしたら董山さんもカチっとお辞儀をしてくれた。
部屋に入った沙友里がカチッと部屋のスイッチを押した。押してから、なにかの仕掛けが発動するなんてことはないよね、あったら言うもんね、と身を竦めるも、パパッと部屋の明かりが点いただけだった。よかった、と未果は安心する。部屋にはテレビとベッド、それからパソコンとそれ用の机があり、カーテンレールには男物の洋服がかけられている。部屋の雰囲気は学生時代からなに一つ変わっていない、シンプルな沙友里の部屋。
なんとなく廊下と部屋の仕切りである開き戸を閉めたほうがいいんだろうなと感じて、未果は董山さんを見ながらお辞儀をして、ゆっくり開き戸を閉めた。




