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仙田未果(七)

 董山さんはどうやって合流してきてくれるんだろうか。連絡先も聞かれてないし。合流しやすい所に行ったほうがいいのだろうか。真っ先に今日合流を克服した場所が浮かんでしまったけど絶対違うし、意外と人目があって混雑している所のほうが合流しやすいのかもなんて思ったりするけどどうなんだろう。あとは……。どこかなあなんて考えながら走っていたら、この道ってもしや、沙友里の探偵事務所に向かっている道のような……。

 こういう時は、一人にならないほうがいい。そういう勘が働いている。というよりも、ただ沙友里に会いたいだけなのかもしれない。董山さんはどこに行ってもいいと言っていたし、沙友里に会う理由もある。借りた名刺を返して、リトルキャンディーに会って来たよって、いろいろありがとうって直接会ってお礼を言う……。

 仕事中なのに? ただ護衛代がいくらぐらいなのか聞きたいだけなんじゃないの? ……だとしてもしょうがないよね。気づいたら向かってたんだから。と一人で納得し、目的地をアース探偵事務所に定める。

 でも、この先にある大通りとかを通らずに行けるかな。ちょっと不安になってきた。きっとカメラとかあってそういうのを見て居場所を特定するんだよね。

 細い道、細い道と言い聞かせて、一度行ったことのあるルートから外れて、車を端に止めてナビの地図を確認なんかしたりして、一方通行とかに気をつけながら対向車とギリギリすれ違ったりなんかもしてヒヤヒヤ運転していくと、おー、ハッキリ覚えているちょっと古めのビルと、向かいにあるちょっと割高なコインパーキングを発見。ファミレスまで来た経験が役に立ってるのかもしれない。野晒しの割高なパーキングには数台しか止まっていない。探偵事務所を利用した人は、実は三時間も無料になる器の大きいコインパーキングとわかっていなければ、絶対止めていないだろうパーキングに入って車を止めて、エンジンを切る。

 さすがに電話したほうがいいかなあ。普通アポを取ってから訪れるよね。

 ……電話をしたくない自分がいる。いないとか、会えないとか言われた時の自分が想像できない。いて欲しい。会って欲しい。

 未果は車を降りて、ピピっと車にロックをかける。

 コインパーキングを出た先の歩道で立ち止まり、ぐるぐると両肩を交互に回しながら、道路を挟んだ向かいに建つ、七階建てのビルを見上げる。以前契約しに来た時も見上げた気がする。年季の入った、大きくも小さくもない、割とよく見かける感じのビル。

 車が来ないか見て、横断歩道のない道路を渡る。腕だけじゃなく、足もというか、身体全体が重い。慣れてない道に気を遣ったのと、けっこう時間もかかったから、その疲れだろうか。……それだけじゃない気が九十㌫ぐらいするけど、どうかな。

 渡り終えて歩道に上がり、出入り口があるビルの端に向かう。アース探偵事務所が入っているのはビルの五階。入って、エレベーターで上がる。

 五階に着いて、エレベーターのドアが開くと、間接照明のような柔らかい明かりの中、扇形に設置されたカウンターに、胸から上だけが見える女性が二人、座っているのが見えた。二人ともピンと姿勢よく、首にリボン型のスカーフをあしらって、グレード感の高いグレー系の制服を着ている。

 受付を作り出す空間は、ブラウンを基調とした艶感のある壁で、彼女らの後ろには、アクリル板のようなものをかたどった、『アース探偵事務所』と筆書きされたようなデザインの看板がある。左に座っている女性と目が合うと、二人揃ってゆっくりとお辞儀をした。前来た時も、外観と内装のギャップにやられながら、さらに二人揃ってのお辞儀がすごく揃ってるうって感激した気がすると、未果も軽くお辞儀をする。よそよそとエレベーターを出て、艶光している床を踏みしめながら、受付のカウンター前まで歩いていく。

 受付の人以外誰もいなく、とても静か。受付の右側にある通路はカーブを描いていて、奥が見えないようになっている。正装されているというか、格式が高い感じで、イメージにあった探偵事務所像と違うなあとまた思っていることに気づく。

 未果も同じ職種、受付をしているのに全然親近感が湧かない。未果はよそよそとカウンターの前、目が合った左側の女性の前に立つ。扇形のカウンターを挟んで座っている女性の手元は見えず、パソコンと思われる頭の部分だけが見えている。

 あの、覚えてくれていますか。「私、仙田、仙田未果という者ですが、三村沙友里さんはいらっしゃいますか」

「三村沙友里ですね。本日はお約束をされていますか」

 未果は首を横に振り、「すいません。してないです」と申し訳なさをアピールする。

「先日の件でなにか問題でも」

 すごい、覚えてくれている上に、察しがいい。「あ、いえ」でもアース探偵事務所にはなんの問題もないので。「ちょっとあの、個人的な用件がありまして。すいません、お仕事中なのに」と言ってから、借りたものを直接返したいので。と言えばよかったかもとちょっと後悔。

 受付の女性は全然迷惑じゃないですよという感じで首を横に振り、「少々お待ちください」と視線を下に落とし、以前と同じように電話ではなく、パソコンを見てなにか操作し始めた。

 会えるかな。と未果は女性のネームプレートを見る。そう、滝本さんだ。右側の人は確か生田さん。生田さんを見たいけど、なんか見れない。パソコンの頭の部分を凝視する。

「……仙田様、申し訳ありません」え?「三村は只今会議中とのことで、すぐにお会いすることが難しいとのことです。それでもよかったら、待っていて」ほんと?「とのことですが、どうなさいますか」

「待ちます」と被せ気味に言ってしまった。どうしよう、うれしすぎる。

「かしこまりました。それではお部屋にご案内いたしますので、こちらに時間とお名前のご記入をお願いいたします」

 滝本さんがタブレット端末をカウンターの上に置いた。差し出されたペンを受け取って、タブレットの左上にある時間を見て記入し、自分の名前も記入する。たぶん飛び込みで来たからだろう。

 書いている間、席を立って未果にお辞儀をし、後ろの隠し扉のような引き戸へと消えた生田さんが、書き終わってペンを返す頃に通路側から現れた。

「こちらへどうぞ」

 ついてきてくださいというように、生田さんは通路の奥へと歩き始めた。未果は滝本さんに会釈してから、生田さんのあとをついていく。

 通路も受付とおんなじように、ブラウンを基調とした艶感のある壁で作られていて、床も一緒。ここはあんまり記憶にない。少し進むと、カラオケ屋さんのように左側に部屋が並んでいて、すべて開き戸のドアは閉まっている。

「こちらになります」生田さんは手前から三つ目の部屋のドアを開けて明かりをつけ、部屋に入らず、「どうぞ座ってお待ちになっていてください」とドアを支えた。

 未果はドアを支えてくれている生田さんにこくりとうなずき、「すいません」と部屋に入ると、生田さんはにこやかな顔でドアを閉めた。

 前とおんなじ部屋。部屋のほぼ真ん中に、ローテーブルをはさんで三人掛けぐらいのソファーが向かい合っている。壁紙はさっきのよりも薄いブラウン調で、明かりはおんなじ柔らかい感じと見渡しながら、未果は奥側のソファーに座る。座って、思い出した。応接セットに多少高級感はあるものの、このソファーよりうちにあるほうが高いだろうなと思ったこと。座り心地もうちにあるほうが断然いいと思ったこと。なにを競っているのか、さっぱりわからない。と思ったことも。

 コンコンっ。とドアがノックされた。

「はい」沙友里?

「失礼します」

 という声で、沙友里じゃないことがわかった。ドアが開き、滝本さんが入ってきた。滝本さんは膝を折り、丁寧にお茶とお菓子をローテーブルに置いた。

「すいません、ありがとうございます」

 未果がお礼を言うと、滝本さんはもうそろそろ終わるみたいなのでということと、なにかあったら受付に。という言葉を添えて、部屋をあとにした。

 ……とっても静か。ケータイを触る気にもなれず、とりあえず、持ってきてくれたお茶を飲もうと湯呑を手にとったものの、お茶を飲むことも躊躇する自分がいることに気づく。ファミレスの時は、普通に飲めたのに……。

 未果は湯呑を置く。お茶菓子の中に、見たことのないお菓子がある。と思っても、手を伸ばす自分がいない。お腹、いっぱいだからかな……。

 なにもせずに座ったままじっとしていると、なんだか瞼が重くなってきてしまった。ずり下がってくる瞼に抵抗しても、抵抗しても、その力に抗えない……。ちょっとだけ、横にならしてもらおう。

 コンコンっ。というドアの音で、寝てしまっていたことに未果は気づいた。ハッと目を開けた先に、ドアを開けて入ってきた、パンツスーツ姿で、ロングヘアーの、沙友里がいた。沙友里っ。

「ごめん遅くなっちゃって」

 ソファーに横になっていた未果は身体を起こしながら目を拭い、「沙友里ぃー」と甘えた寝起きの声で、顔を顰めながら腕を広げる。

「未果ぁー、どうした?」

 沙友里は未果の声マネをしながら、心配そうに未果の隣に座って、広げた腕の中に入った。未果は沙友里をギュッと抱きしめる。沙友里も未果をギュッと抱きしめた。

 沙友里の、シャンプーのいい香り。おっぱいの感触。あれ? おかしいな。目頭が熱い。やばい、このままだと、涙が出てきてしまう……。ダメだ。

「うえーん」

 未果はただ泣くだけでなく、声も一緒に出てしまった。

 沙友里は驚いたように未果の肩に手をあて未果を見ると、また抱きしめてくれた。

「うあーん」ダメだ、嗚咽が止まらない。どうやったら止まるのかもわからない。熱いものが次々と湧いてきて、声を出さずにはいられない。「うあああーん、うああーん、うああああーん……」

 いっぱい涙も出て洟も出て、出過ぎてどうにかなっちゃうんじゃないかと思うくらい出続けて、そんな未果を見て沙友里はティッシュを持ってきてくれて、ずっと泣き続ける未果を抱きしめ続けてくれて、たまに洟とか拭いてくれて、頭とかなでなでしてくれて、もう出るものがなくなったのか少しおさまると、

「お茶は」

 と心配してくれて、未果はそのやさしさにまた泣いて、テーブルの上がティッシュでいっぱいになっているのがわかって、洟とか汚いのに全然気にせずに拭いてくれていた沙友里のやさしさにまた泣いて、泣いて、泣いてやっと気持ちが落ち着いたのか、嗚咽が、ほぼ止まった。

「……ごめん、いきなり来ちゃって」未果は沙友里から離れ、まだ定まらない呼吸の中、涙声で謝り、沙友里から借りた名刺を出し、「これ、ありがとう」と返す。「今日、リトルキャンディーに会ってきた」と言ったら、また涙があふれてきてしまった。

 名刺を大事そうに受け取った沙友里は、未果の涙を拭きながら、「……そっか」うんうんと何度かうなずいた。

 その何度かうなずいた『そっか』が、未果の思いをすべて受け止めてくれたような気がして、すごくうれしかった。うれしくて、また泣いた。小さい頃に転んで泣いたとか、ドラマや映画を観て泣いたとか、彼氏を振ったのにもかかわらず泣いたとか、いろいろなことで泣いてきたけれど、これだけ泣いたのはきっと初めて……。

 息も整って落ち着いてきた所で、傍にいてくれる沙友里に今日あったことをすべて話そうとして、もし沙友里が全部を知ったら、沙友里にも危険が及ぶのかもしれないということが頭によぎり、理のことを知ったら、葬り去ろうとする人たちが次々と現れて、それをリトルキャンディーの董山さんがやっつけてくれた。と大まかに話すと、

「やっぱり董山さんていうんだ」

 と沙友里は言っただけで、深くは突っ込んでこなかった。沙友里は探偵だから、そういうのを弁えているのかもしれない。

「ここに来る時も、まだいるから、大通りを避けるようにとか、言われたことは気をつけたりもしたけど」

 とこれくらいは言っていいだろうと考えながら慎重に話をする。

「え、ということは、まだ狙われているってこと?」

 うん、とうなずく未果に、

「今董山さんは?」

 と沙友里はちょっと落ち着きがなくなった。

「一緒には来てない。なにか用事があったのか、急いでどこかに行っちゃった」

「え? どういうこと? 今も狙われている未果を守ってはくれるんだよね?」

 うんと未果はうなずき、未果が怒ったことはちょっと恥ずかしいから伏せといて、董山さんが別れ際に言ってくれたことを思い出しながら沙友里に説明すると、

「そう、それなら大丈夫だね」と沙友里は安心したみたいだ。「どこに行ってもいいというのなら、ある程度相手の状況がわかっているのかもしれない。リトルキャンディーって私の知る限り三人しかいないから、いろいろ依頼を抱えていて忙しいのかも。かも、かもでごめんだけど。どうする? 董山さんと合流できるまでここにいる?」

 い、いていいの? うんと未果は喜んで大きくうなずいた時、そうか、リトルキャンディーは抜きんでた調査力でなんでもわかってしまう。合流する所は未果がいる場所だ、と気づいた。沙友里も未果の気持ちだけじゃなく、そういうことがわかった上で、迂闊に移動するよりかはここで合流するほうが安全とみて言ってくれたのかもしれない。「沙友里、ありがとう」あとは護衛してもらうのがいくらなのかがわかれば、悩みの種が一つ消えるから、この際聞いてしまおう。「それでね、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「なに?」

 未果の問いかけに、沙友里は目をさらに大きくした。

 護衛してもらうのって、だいたいいくらぐらいなの。って聞こうとした自分の中に、ケチ臭っ。器小さすぎっ。という気持ちがフッと湧いて、言い出せなくなってしまった。理の情報を無償で教えてくれた董山さんは元より、下のコインパーキングよりもちっぽけだ。

 理のことが知りたくて自分から蒔いた種じゃないか。支払えなかったら、一生かけて支払えばいい。それぐらいの覚悟でいなきゃダメだと未果は尋ねる内容を変え、「沙友里、おっぱいおっきくなった?」と冗談言えるまでに回復できました。というアピールも兼ねて尋ねる。

「なに言ってんの」沙友里は未果の肩をバチンとたたいた。沙友里の手から、一応大丈夫そうだね。と言っているような感じがした。「じゃあ私は仕事に戻るから」と沙友里は未果が使ったティッシュをゴミ箱にいれてくれて手に持ち、「ゆっくりしてって」と部屋をあとにしようとしてドアノブに手をかけた時、「よくわかったねえ。ご褒美としてお茶、また淹れてもらうよう頼んどくね」と笑みを浮かべながら出ていった。

 ほんとにおっきくなったんだ。と未果は驚きと笑いに包まれ、ローンとか組めなかったらどうしようと湧いた不安を押し殺しながら、見たことのないお菓子に手を伸ばす。

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