仙田未果(四)
ガアーっと手を乾かす音にハッとして、未果はトイレの鏡の前に立っていて、自分をぼーっと見ていたことに気がつく。乾燥機で手を乾かした女性は、未果を気にすることなく普通に出ていった。未果は鏡を覗き込んで、イーっとして、歯になにもついていないか確認する。ついていない。よかった。笑う時、歯についていたらどうしようと思っていたから、もっと笑っておけばよかったと後悔しながら、軽くお化粧を直して姿勢を正し、全体的な自分を見る……。もう、それしてた。と思い出す。
董山さんはとっても気さくで、ギラついた人にありがちな猛獣感をぶつけてくることもなく、昔から知っていたと言えば知っていたんだけど、親近感があって、ちゃんと話をするのは初めてだったのに、初めての人にあんまり自分のことを話せないタイプだったのに、どこか話しやすい雰囲気と、自分を受け入れてくれているような隙間があって、周りも騒がしいせいか、ついついその隙間に向かってしゃべり過ぎてしまう自分がいた……。
「未果さん決まりました? いやあ、どちらにしようかちょっと迷ってまして」と、メニューを選んでいる時に迷っていた時のメニューが、「和風ハンバーグにしようか、それともイタリアンハンバーグにしようか」
「それ、私も悩んでたんです」と未果は驚いた。
「ええ? ホントですか?」と董山さんも驚いた。
「はい」初対面に近い人の前でパスタを食べるのには気を遣うし、ドリアは熱い。食べやすくて、食べ慣れていて、そんなに大きく口を開けなくても食べられるもの。といえば、ハンバーグ系になる。
「それじゃあ一つずつ頼んでシェアしませんか? もちろん、食べる前に半分こしますので」
と董山さんはギラリとした目を細めて笑みを浮かべた。ファミレスでまさか初対面に近い董山さんと食事をシェアするなんて、思ってもみなかった。実際にシェアして食べて、少し大げさかもしれないけれど、学生の時に部活でおんなじスポーツドリンクのボトルを分け合ったような、そんな気持ちになったことも関係しているかもしれない。
鏡を見ながら毛先をちょっと直して、うん。大丈夫。……なにが大丈夫なんだ? 私は、なにしにきたんだ? 理のことを知りに来たんだ。近しく感じる董山さんと、楽しい時間を過ごしに来たわけじゃない。
まだ、ちゃんと整理できてないけど……。董山さんのおかげで、理が誰となにをし、なにを大切にしてきたのかまで、それとなく知ることができた……。あんなことをしてきた理と、また一緒に同じ時を過ごしていくことは……できない。無理、無理だよ。時間が経過する度に理の不潔さが色濃くなってきている。私は、イヤな女。それでいい。
でも、イヤな女なりに、理とちゃんと話をしなくちゃ。という気持ちだけはある。あるけど、なにをちゃんと話したらいいのかさっぱりわからない。理に、どうして人を殺す興奮を味わっているの? とがんばって聞けたとしても、なにか違う気がする。ちゃんと話すってそういうことじゃない気がする。するんだけど、他のちゃんとが思いつかない……。理は二十五人もの人を殺し、四十三人に、重軽傷を負わせている……。未果は顔を覆って、その場にしゃがみ込む……。
ドアが開いて、誰かが入ってきた気配がした。
「どうしました? 大丈夫ですか」
と未果の背中に触れた手にビクッと反応し、
「大丈夫です。すいません」
と未果は力を込めてゆっくり立ち上がる。
心配そうに見る女性を横目に、未果は笑顔を作り、「ほんとに大丈夫ですから。ありがとうございます」とお辞儀をして、手を洗ったかどうか忘れちゃったから手を洗うと、その様子を見た女性は心配そうに未果を見ながらも、個室に入っていった。
ハンカチじゃなく、ガアーっと自分の手を乾かしたあと、しっかりして、と未果は自分の頬を両手でポンポンとたたく……。
行かなきゃ。トイレ、長いと思われてたらヤだ。