Administrator 02 “Celestia”
初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものはひとつもなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は、光を理解しなかった。
今の境遇になってみて、これらの言葉が事実を表していたと解る。信仰を疑ったことはないが、少なくとも自分達には真実なのだと。
神のような力を与えられて。しかし何もできなくて。なお主の偉大さを思い知る。自分達に信仰を与え、偉大の片鱗を解するまでに育て上げた。この力を与えたのは、それゆえに主の意思ではないと思う。
セラフィナ=カスキなる研究者は、悪魔の声を聞いたのだ。
☆★☆★☆★☆★☆
やり直した歴史は、多くの部分で自分達のものと似ている。当然かもしれない。同じ種が同じ星で再出発したのだから。
似た状況があれば似た反応を示す。文明の進歩は速かった。元の姿を知る自分には、偏りがあるように見えたけれども。
軍閥とすら呼べない集団が台頭し、互いに牽制しながら大きくなった。民主制、寡頭制、独裁制。市民社会、封建社会、部族社会……大衆社会が遅れて現れたのは必然だろう。安定した生産力と秩序がなければ、民衆は文化的な暮らしを享受することができない。
現世利益を求める人々が増えたため、主の教えを含む旧来の信仰は廃れてしまった。
代わりに人々の心を支えたのは、自分セレスティア=キャロルへの崇拝。罪深いことだが、主の教えをそのまま伝えることで折り合いをつけるしかなかった。
自分達との大きな違いが現れたのは近代化後。魔法めいた技術と科学の差こそあれ、工業生産の飛躍的な増大を経験するまでは似たような変遷を辿ってきた。食糧の増産に始まり、鉄道や大型船舶を駆使した輸送革命に至るまで。再び飛行機を開発した人類は、天空の世界を取り戻した。
この文明レベルに達したのは二度目。前のときは王個人の資質に頼ったため、彼が死ぬと急速に衰退した。繁栄が生み出した浮島は、今なお遺産として残っている。貴族の住処だったものを軍事基地に転用した。そのこと自体は構わない。
彼らは大量破壊兵器を乗り越えられなかった。四度の大戦に疲れた自分も、長い長い眠りに就いた。そして今――再び意識が戻り、荒廃した世界を見ている。
(……そう。あの男は結局、戻らなかったのね)
気紛れに復興を託してみた陰気な人物のことを考える。サウロンと名乗っていた。恐らく偽名、何か意味があるのだろう。
見られている気がして、それから十年も経つと物や人が書き込まれた。
最初に考えたのは『誰が』『何のために』、続いて『どこから』。
『どうやって』は違和感で分かった。自分の記憶が改竄されている。
『何のために』も想像できた。地球に入植するつもりなのだ。細々とマナを送り込み、凍った時間を揺り動かしてくる。
『誰が』については、『ライブラリ』のことを知る地球外の存在に違いない。彼らが善き隣人か、排他的な侵略者か。それが『どこから』の答えにもなるのだろう。
後者なら戦うつもりだが、一方で奇妙な考えも浮かんだ。
人類がプレゼンターと接触した経緯は、詐欺紛いの会員制サイトと似ている。科学的な好奇心を餌に入会させられたと言えなくもない。住処が生存に適さなくなった知性体同士、互いの星を交換するためのものだとしたら……?
自分達は使い方を誤って滅亡した。便利だが危険なもの――明星の化身たる堕天使の長は、人類に様々な技術や知恵をもたらしたという。管理人の名がルシファーでも驚かない。同じ顔の入植者達は、どことなく人形めいて見えた。
やがて違う顔も増えてきたが、表情のなさは相変わらず。あるとき古くからいる個体の一つが、感情らしきものを示した。彼は言葉も話し、それを聞いて胸が苦しくなるような錯覚に囚われる。何故なら自分の母国語だったからだ。
俄然、入植者達への興味が湧く。姿形は人間と同じ、しかしどこから来たのか分からない。話し言葉とは誰かに聞かせるもの、油断させるために人類のクローンを偵察に使っている可能性は考えられるか。
もう少し様子を見よう――季節が何度か巡ってしまった。同じ顔の個体は減ってゆく。谷底へ落ちたり喰い散らかされたり。クローンが群れではなくなった頃、ようやく膨張をやめて内向きに変わった。石造りの壮大な神殿を建て、そこから放射状に街路を敷いた。近くの川から上水を引き、汚物や雑排水は肥料に使った。
これは助かる。再びマナを使い果たせば自分は意識を失う。時の河が凍りつく。保存食を生成するより、普通に育てたほうがよい。住みつくつもりの彼らにとっても。侵入者があったとき、時間の流れが遅ければ簡単に掠奪を許してしまう。
アスルタンと名づけた土地の開発が落ち着くと、入植者達はまた最初から同じようなことを始めた。どう考えても合理的ではない。領土を拡張するときは、上陸後に戦いながら盤石な拠点を築き、そこから補給線を維持しつつ徐々に広げるのが定石。
自信があるのだろう。一つかと思ったら、同時に五つのコロニーを追加した。
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『古代』『中世』『近代』『現代』『未来』――コロニーそれぞれに名前をつけるとすれば、こうなるかもしれない。
異形を駆除するところまでは同じ。だが都市を建設する段階で個性が現れた。『古代』と『中世』は西洋と東洋の混在、『近代』以降は西洋の影響が色濃い。日本か香港、西海岸の日本人街?ユリィ達親子は、そういえばシアトルに住んでいた。
最後の一つは『実験場』。人がいない代わり、高密度マナで満たされた場所。ここには、あの男がよくやってきた。
調査隊のリーダーと同じ言葉を話す者。実験監視員を置くようになってからも、顧客のひとりを装いながら最も多くのマナを使っていた。時折口にする『復讐』という言葉。人形めいて見える顔が、そのときだけは昏く歪む。
人類が逆移民してきたのは、故郷へ帰還するためではなかった。得体の知れぬ憎悪を滾らせた男の、怨念を晴らす過程のひとつ。
ここまでは順調に進んでいる。だが、このまま進んだらどうなるのか。地上に悪魔の出現を許すことにならないか。ユリィの娘は帰ってくるのか。確かめておく必要がある。ライブラリに載った者なら、電磁波に置き換えなくとも自分の虚像を見せられる。
声をかけるなら移動中だ。監視員も知らない抜け道を通って、あの男はここへやってくる。凍結の領域に結界を張り、時間の不連続面で造った回廊。凍結の領域は光を通さないため、視線の角度にもよるが過去の景色を映し続ける。つまり外側にいる者が、彼の姿を見ることはない。だが自分にとっては、航空写真付きの地図を与えられたようなもの。
行く先で待ち構えていると、向こうから話しかけてきた。
「…どちら様かな。この道は私しか知らないはずだが」
普段は感情を表さない。友好の仮面も剝き出しの敵意も。必要だからやる、不必要だからやらない。そんな基準が読み取れる時点で、この男の感情は死んでいる。
《誰でも構いません。あなたに幾つか質問があります》
やはり表情はないが、言葉で困惑を表明する。
「いきなり現れて、かね。こちらにも予定や都合はあるのだが……」
退職した自分には、そもそも合衆国が消滅した今では。連邦捜査官の身分が使えない。こちらへ興味を持たせるくらいできたろうに。肩書きを失くした元公務員など、何の役にも立たないのだと思い知らされる。
《…強制力は、ありません。あなたのしていることが、自分の使命と関わりがあるのか調べています》
復興が完了した世界で、己の立場をどこに置くのか。創造主すなわち神を名乗るつもりなら捨ておけない。そしてもうひとつ――彼の生まれただろう世界にも、自分のような存在がいることを知っているか。
「用件を伺おう」
ゆっくりと歩き出した。与えられし時間は、彼の目的地へ辿り着くまで。
《…あなたの名前を教えてください》
「言えない」
《………?》
「黙秘する、と言ったのだ。礎の神を知らないのか」
《主は唯一無二。救世主と聖霊、三位一体の存在です》
男は首を横に振る。主の教えを授ける者がいなかったのかもしれない。
《質問を変えましょう。ここがどこか分かりますか》
「知らない。さほど重要ではないと考えている。我らが神のアカシャ領域、その内側にある惑星のひとつ」
初めて人間に会ったこと、そちらのほうが有意義。接触は先のことだと思っていた。土地の者は精神体で歩くのが普通なのか、とも。
《いいえ、そのようなことは。しかし、生身のままでは時間速度の不連続な偏りに囚われてしまうのも事実です》
自分の特殊性を知らせないまま聞きたい。彼が導く世界の先を。
隣に並んだ。その歩みはぎこちない。踏み締めが浅く、右足は地面に着いているだけ。杖の類はなく、どこも悪くないように見える。
「よい、天気だね」
薄く雲の張った空を、眩しそうに見上げて言った。明るさ充分、暖かく過ごしやすい。なれど青は鈍色に霞む。このようなものを普通『よい天気』などと呼ばない。
《そうですか?》
「ああ。暗闇で育った目には、陽の光が辛くてね」
皮肉めいた笑み。貌の形を確かめるように、両掌で丹念に撫でる。気が済むと、こちらを向いて微笑んだ。泣いて見える。毒も力もない。
《他にもあるのでしょう?》
雲ひとつない青空を嫌う理由は。
《皮膚病や深刻な日焼けもありません。肉体的には適応できています》
断言する。根拠はないが、不思議と自信が持てたから。
「……ならば君は、原因が何だと思うのかな?」
《不幸な出来事。今日より晴れた日に。違いますか》
後悔する。立ち入るべきではなかったと。だが彼は、まだ笑っていた。土足で踏み込んだ自分を責めるでもなく。
「…容赦がないのだな、君は……」
《申し訳ありません。不快な気分にさせてしまいました》
「いや……」
男は再び、ゆっくりと頭を振った。
「君の物言いは、妻と似ている。神への敬虔さも、正しくあろうとする心もね」
多くは語らなかった。信仰を捨てたこと。神は贋者だったこと。その贋者に妻子を殺されたこと。ゆえに復讐する。贋者の神が育ててきた、世界の全てを盗むことで。
言葉の端から分かったのはこれだけ。
彼の怒りは正当だ。全ての犯罪被害者が抱く人類共通の自然な感情。
だが主の教えは言う。右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ、と。矛盾して見えるのは信仰が未熟のため。未熟な社会には未熟な秩序も必要――己の罪深さを自覚しつつ、牧師がくれた言い訳を頼りに捜査官の務めを果たしてきた。
不明な自分には、ヒトの営みを見守っても新たな見識が湧かない。非道な者を隣人として愛すことができない。ならばせめて迷える子羊の代わりに罪を負い、道を糺すことで罪を軽くしてやるのも務めではないか。
我々の会話は、終わりの時を迎えていた。
《今の話。嘘偽りはないと誓えますか》
信仰なき者。欺瞞を常とする者には無意味な言葉。
この男は信じられる。他者を騙しても、己が信念を裏切ることは決してない。
「状況を理解できないのだが……」
戸惑いながらも神妙に頷く。
「嘘はないよ。我が妻一四七九二番と、我が子三番の孫に誓ってね」
ならば自分も誓おう。主の御名において、あなたの道を照らし出すと。
決して道を踏み外さないように。
あなたの復讐が、多くの人々にとって福音となりますように。
「ところで、君の名を伺っていなかったね。私は『サウロン』、偽名で構わないから教えてもらえるかな」
覚悟は決まった。失敗をやり直せる、三度目の機会を逃す手はない。
《自分は『セレス』。父なる主の代理人です》
目を丸くした後、幻の右手を握り返してくる。思わぬ進展に驚いたようだ。してやったり、と笑うことはできない。威光を護るためとはいえ、濫りに主の名を騙ってしまった。
(ダイチ。君の決意は早過ぎたようだぞ……)
ずっと支えてくれた最後の仲間を思い出す。
自分の他には、誰もいなかった。
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「…不審火?」
《はい。自分の記憶にないことが領域内で起こっています》
確認できたのはマナの励起だけ。言霊の入力や出力はない。あれば必ず履歴、自分の記憶に残る。それで不審火と呼んだ。放火魔が実在するのか、まだ分からないが。
「ふむ……」
沈思黙考する。自分も考えるふりはするが、正直お手上げだ。カスキ博士やユリィのように、理系の学位は持っていない。
「…記憶障害や多重人格の診断を受けたことは……」
《ありませんよ!》
ライブラリの基本は、生身の人間で独立した演算処理装置を構築すること。
被験者の脳をメインフレーム、枝分けした出入力端末をサブフレーム、処理内容によっては一定の空間領域をディスプレイとして扱う。
全ての処理は一度メインフレームに集められ、そこからサブフレームに分散する。組織内ネットワーク等に比べれば非効率だが、処理速度が落ちると一緒に時間も遅れるため、どれほど負荷をかけても重くならない奇跡のインフラと映っているかもしれない。
より現象を複雑にしているのは、メインフレームに記録されたユニットがサブフレームを使っていること。ユニット達にはメッセージが届いたようにしか見えないため、二十世紀の通信インフラ『インターネット』との区別がつかない。
また生体脳であるメインフレームは神経化学的なバイパスを起こすうえ、収められたユニット達は被験者の干渉を受けない別人格として存在する。
原理的には、あり得ないと思いたい。それで反射的に怒鳴り返したが、絶対そうかと言われると返答に困る。
現場の近くにいた者を洗う。地味ながら捜査の基本だ。
実は心当たりがある。容疑者ではなく手口のほうに。
発火地点から半径百フィート、十秒前まで。現場の動画を再現する。
座標はどれも『中世エリア/央都アスルタン』。北欧系の白人女性が、猫の飾りをつけた東洋人女性を追っている。何事か呟くと白人女性の身体能力が急激に増した――間違いない。念のため唇を読み、確信する。
《あれが、あなたの言う『神』ですか》
「ん?」
《待ってください。今、名前を》
クラリス=ヴェルファーシア。サウロンの反応は厳しかった。
「違うよ。監視者の名前は載っていない。調べられるのなら別人だろう」
そのくせアカシャを支配する。だから手強いのだ、と。
《載っていない?そのようなことがあるのですか》
「一度ならず呪おうとした。何も変わらなかった」
可能性は二つ。ライブラリ――彼はアカシャと呼んでいる――の起動前から存在した場合。プレゼンターの長寿命化技術を用いれば可能なことは実証済み。もう一つは別のアカシャに載っている場合。ただし領域が重なるという条件がつく。
贋者の名はラフィニア。自分の中に、その名前はない。
「…調べてみるか。魔神の関係者かもしれぬ」
不穏なことを。魔神の手先、すなわち悪魔か。
「そう呼ばれる監視者の敵がいるのだよ」
半分正解、半分不正解だった。
その女は、監視者とも魔神とも繋がりがあった。監視者に育てられ、魔神の庇護を受けている。この状況は監視者と魔神の和解を意味するのか。
《あなたを警戒しているのではありませんか》
「彼らが結んでまで?あり得ぬよ」
窺っている間に変化があった。クラリスが監視者から離反、助けを求めてきた。
背景には魔神との同盟成立がある。サウロンが仮初めの肉体で異界へ戻ったことを知り、他の者に対しても同じことができるのではないかと。アカシャ書き換えによる即死からクラリスを護ってほしいと。
サウロンが出した条件は二つ。監視者の足止めと代行分体の殲滅、及びインカネイトをより人間に近づけるための技術供与。約束は守られ、代行分体は鳴りを潜めた。監視者本体も姿を消し、行方が分からなくなっている。
そして。クラリスの分身が、彼の前に現れた。
☆★☆★☆★☆★☆
サウロンは自分に人目を避けさせてきた。理由は分からない。ライブラリの被験者がいると知れば、勝手な真似はしないはず。
《何を考えているのですか》
取り合わなかった。そもそも彼の話には、最初から不自然なところがある。
本体の記憶を仮初めの器に書き込んで転生した、と。サウロンが考えたインカネイトの仕組み。ここでの記憶をログアウト時に戻すため、本体との繋がりを保っている。クラリスの名前も、それを利用して調べた。しかしながら彼の場合、その繋がりがない。
現れた当時、どうだったのかは不明だ。異界の事項は記憶対象外。その時点で確かめ、憶えていようと思ったなら、普通の人間が持つ記憶として残ったが。
このままでは、サウロンが死んだとき彼という存在も消える。
知っていれば止めた。家族を殺した敵の創造物に会うなど。魔神との同盟自体、聞かされたのは後のこと。あの男は、いつも大事なことを勝手に決める。
《………っ!?》
また不審火。同時に書き換えの要請、彼も近くにいるのだろう。
圧が高くなった。これ以上マナを使っては、しかし使わなければ。力を温存しつつサウロンも護る。そのためには隠れてなどいられない。
自分を思い描く。意識がサウロンの前に飛んだ。座標の違いは出遅れたから。押し負けて後ろに下がったのだ。潰れて骨となった右腕が目許に迫る。
たとえ大統領でも彼の邪魔はさせない。
《個体名『レオン』。動くことを禁じます》
サウロンが気づいた。視線で帰れと訴えてくる。自分の存在を知られる前に。それは聞けない。この女が敵意を持っている限り。
嘘の記憶を植えつける。この女はサウロンを圧倒し、そのうえで必要だから助けてやった、と。サウロンは最初から怪我などしていないが、それで気が済むかもしれない。まだ暴れるつもりなら消す――よろしいですか?確認のメッセージを送った。
(…器は傷つけないでくれ。自我を芽生えさせている)
無言で頷き、適当な物陰へ転移。こうしている間にも、レオンの右腕は再生を始めていた。傷口が塞がり、それから上腕、手首、掌、指と。悍ましいにも程がある。ただ死を忌み嫌うがゆえの行いなら、生命の神秘に対する冒涜だ。
この姿を見られてはならない。独自のアカシャがあることを知られてはならない。知ればサウロンを脅してでも奪おうとする。悲しいことだが、そのような者の出現を考えねばならないのが浅はかな人類のレベル。
《……主よ。罪深きあなたの子らをお許しください》
レオンの記憶を改竄した。
五秒ほど固まっていたが、やがて何事もなかったかのように右手を差し出した。肉も皮も削がれていない、指を開いた普通の手。サウロンもそれを握り返す。どうやら今度は穏やかに済みそうだ。
話が落ち着いた頃、実験エリアと中世エリアを繋ぐ途中の回廊へ強制転移。自分と彼が初めて会った場所だ。時間の壁に囲まれたここは、誰の目からも自由。
事情の説明を求め、一人で動かないでくださいと釘を刺しておく。あなたは人類に残された希望なのだから、危ない真似は止めるようにと。一瞬驚いた後、いつもの貼りつけたような笑顔になって申し訳ないと謝られた。気休めとでも思われたのだろうか。
その後も、サウロンの無茶をする癖は変わらなかった。自分の知らないところで勝手に戦い、勝手に傷ついて。
とうとう帰らなかった。異界の入植者達が、自分達のアカシャを極東の島国で見つけたときにも。そこは地下、電車の乗り入れ本数と乗換旅客数が最も多いとされた鉄道駅。
五人前後の入植者達が集まってきて、見覚えのある少女を揺すっている。業を煮やした一人がくすぐり始めた。そんなことをしても被験者は起きない――目覚めさせるための祝詞、百文字以内から成るパスフレーズを唱えなければ。
《…『願いが叶いますように。あなたが素敵な未来を受け取ってくれることを』……》
瞼が開き、明るい褐色の瞳を覗かせる。
「…アイシャの技がなければ、一年間の努力が無駄になるところでした。彼女は私達の救い主ですね。その代わり世界が一つ滅びますけど」
「やめてくださいよ~。まるで私が滅ぼしたみたいに」
「特大の撃墜マークを進ぜよう。項に子猫でよござんすか?」
強い子達。かつて失敗した自分の子供達のように。
それでも何か違うかもしれない。犯罪捜査という現実の中の現実に囚われた自分。一方は気弱な子供の夢――閉ざされた遺跡の闇に潜む現実の中の悪夢。悪夢は取り除かれ、夢だけが残った。起きたまま見る夢は、現実を変えてくれるだろうか。
見知らぬ大人達の顔を、その子は不安そうに見上げていた。一つでも知っている顔はないか――縋るような気持ちで探しているのかもしれない。家族も友人も、親しい者達は亡くなってしまった。安心してもらえるのか分からないが、辛うじて知り合いと言えるのは、最後の十日間を一緒に過ごした母親の友人である自分だけ。
泣かなくてもいい。これからは新しい仲間がいる。失ったものは戻らないけれど、元の暮らしには戻れないけれど。幸せになることはできる。
もうお別れだ。でも、その前に少し。
(おはよう、アウラ)
少女が息を呑む。どうやら自分のことを憶えていてくれたらしい。
「セレ……」
(名前を呼ぶな。レオンという人物から、自分の名前に関する記憶を消した。誤って教えないよう気をつけろ)
黙って頷く。さすがはユリィの娘、賢い子だ。自分はいないものとして、いても頼れないものとして、新しい世界をやり直す意味を分かってくれた。とはいえまだ子供、周りの人々が首を傾げても、泣きそうになるのだけは止められない。
(目覚めるのは、かなり先だと思う。ダイチとカスキさんも起こさないと。お前が眠っている間、ここでもいろいろなことが起きたんだ)
後日、アウラにメールを送った。それには次のようなことが記してある。
アウラが眠った後、カスキさんを除く関係者全員がルースアに殺されたこと。
アウラを連れて逃げる途中、追い詰められた自分がライブラリを使ったこと。統制者が併存すると、領域の重複部分で制御が不安定化する。セラフィナ、アウラ、自分。その影響で発生した災害により、大多数の人間共々ルースアが呆気なく死んだこと。
事件後に調べて分かったことがある。サウロンが殺されたのは、ルースアの遺灰を踏んだため。壊れたものと思っていたが、カスキさんの自我は残っているのかもしれない。
混乱を生き延びたダイチともう一人の仲間は、荒れて見る影もない世界を導いた。最初の数百年は順調だった。しかし、やがて叛乱が起こりダイチのみ生き残った。
それから数千年。己の分身をアウラへ送り込み、またカスキさんを監視しつつ。できるだけ隠れて世界を導いてきた。次第に厳しくなり、マナの枯渇が決定的となった時点で彼もまたライブラリを起動。人類は一度滅亡した。サウロン達が現れるまで凍った状態が続き、アウラの子供達を迎えて現在に至る。
統制者適性が最も高いのは自分だが、不安定なことに変わりはない。どちらか一方を起こすことができれば、残る一方の暴走を力ずくで抑え込むことができる。しかしながら適性者レベルが低い統制者は、マナを取り込んだ傍から奇蹟という形で吐き出してしまう。自分は『4』、アウラは『3』、ダイチとカスキさんは『2』。保有マナが一定未満のときは解除できない仕組みになっている。
被験者の安全のためか、それとも他の理由か。基準を緩めようにも方法が分からない。基準環境下の時間速度はグリニッジ標準時の七万倍。明らかに異質だ。
このパラメータを設定した者――プレゼンターの正体とは。自分の妄想が当たっているとは言えないが、少なくとも人類は不用意な真似をした。ルビコン川を渡らずに引き返す、選択の機会はあったろう。
ネット上に写真入りで住所氏名を拡散したのだ。次も無事という保証はない。
☆★☆★☆★☆★☆
(…セレス?)
(アウラか。周りに他の人間はいないな)
(はい。どうしても話がしたくて)
送られてきた疑似音声は、思ったより元気だった。
母親が亡くなり弟は意識不明。八歳の子供には残酷な話をした自覚がある。体感時間は長くとも、今ある肉体の造りは子供。弱音を吐くのは権利みたいなもの。
(無理はしていないな)
念を押すと、照れたように笑った。
(…すみません。少しだけセレスの顔が見たいです)
涙目に乞われて拒める大人はいない。
(甘えさせてはやれないが……)
統制者の投影体に実体はない。ゆえにアウラの体温と重さを感じることはできなかった。深夜の公園で膝枕をしたときのように。
「…状況は分かりました」
しばらく寄り添った後、肉声で囁く。
「狙われているかもしれない。条件はよくありませんが、それでどちらに転ぶのか分からない……」
《マナを増やせば魅力的に映る。少なくしておけば与しやすいと思われてしまう》
侵略の惧れを否定できない。それを防ぐにはこちらの情報を削除することだが、ネットに接続された記憶媒体を総浚いするようなもの。そんなことが可能なのか。既に動き出したものを止められるのか。
「よくない土地と思わせる?」
《欲を言えば『使えない土地』だ》
住処を追われた連中でも、我々にとっては脅威かもしれない。
偽情報を流す。この星は壊れて住めない、と。
問題は方法。プレゼンターがどのようにして情報を集めているのか。最初に思いつくのは『変わりゆくもの』『変わらざるもの』『揺らぎ惑うもの』。これまで様々な奇蹟を起こしてきた存在。あるいは彼ら自身がプレゼンター。統制者の上位に立つ統制者。だとすれば領域内の情報を隠すことはできない。
発想を変えてみる。完全に手も足も出ない状況を想定するのは無意味だからだ。彼らは限られた分野の情報のみを収集する。接触してくる切欠となった、最先端科学の実験に関わる痕跡など。プレゼンターは領域を持たず、他の情報を集めるのは自分達。その場合、与える情報を選別することが可能になる。
三千万の逆移民により、地球は自分の力が要らなくなった。
かつての『近未来』エリアは科学の力がルール。各地の図書館などから回収した書物をプレイヤー達に与え、日夜研究を行わせていた。食糧増産などの実学を中心に、技術や知識の再発見が進みつつある。我々三人がいなくなれば――惑星の軌道二つ分など、広大な宇宙では誤差の範囲。幸いなことに、失敗したときの保険も調っている。
前から考えてはいた。しかし心が決まらなかった。
アウラは普通の子供として扱われている。戸籍にクラリスが細工をしたからだ。最悪軟禁もあり得たところ。よく気づいてくれた。世の中が落ち着けば学校にも通うだろう。思い残すことはない。
「どうしたのです?さっきから黙り込んで」
《いや。何でもない》
覚悟は決まったが、説明するのは心苦しい。
またメールで送った。三人の身体を回収次第、明後日の朝にでも発つと。
極限まで領域を狭めるため、ライブラリを介した通信はできなくなる。寂しがりのアウラが愚痴ひとつ言わないでくれた。代わりに緊急用の電波無線機を持ってゆけ、と。気が利いて物分かりのよい子供に比べ、何と情けなく卑怯な大人だろう。
三人を機密カプセルに入れ。肌では感じられない重力を振り切り。全ての山を見下ろし、生まれた頃より濃くなったオゾン層を越え。人工衛星の残骸に辟易とし、オーロラで最後の名残を惜しみつつ。磁気圏を出る前、アウラにメッセージを送信した。
ただ一言、さよならと。返信も一言だけ。行ってらっしゃい、と。
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月の裏側に異星人の基地がないことを確認して、地球圏を離れた。
子供の頃に読んだSF長編シリーズでは、全長数キロメートルに及ぶ黒い板が月面に立っていた。それを親機とする子機が地球や木星の衛星エウロパに降り立ち、生命の進化を促したことになっている。黒い板は自己増殖する機械であり、あるときは自らを核融合反応の材料とすることで木星を恒星に変え、またあるときは太陽系生命の情報を自らの製造者に報告する監視者の役割を果たした。
物語の最後では、地球上のあらゆるコンピュータウィルスに感染させられ、無益かつ有害な人類は滅ぼすべしとの報告を送信できずに終わった。同胞の足を引っ張ることに余念のない、行儀が悪く歪な精神構造をした人類の勝利である。
この小説は、インド洋の島に住んでいたブリテン人が書いたもの。悲観的か楽観的か分かりにくい結末、よかったとも悪かったとも言える。その意味でこの作家は、人類の全てを愛していたのだろう。
今更ながらに驚く。自分が長編一作目の主人公と同じ状態であることを。そして一作目のボーマン船長だけではなく、その同僚にして完結篇の主人公プール中佐の役割も負わねばならない。揃って目覚める前に、誰か接触してきたらと思うと。木星やエウロパ、土星の衛星イャペトゥス(小説版一作目の舞台は土星系、二作目が出版されるとき映画版に合わせて木星系へ変更されている)を観光してみようという気にはなれない。
火星までは半年。ここにも異星人の痕跡はない。運河や人面岩など様々言われてきたが、ここにあるのは止まった無人探査機。言うまでもなく、造ったのは人間だ。
ここの砂嵐は見た目以上に危ない。地表に水がないため浸食作用も弱く、尖った砂粒が恐るべき殺傷力を持つ。カプセルが傷つく前に立ち去った。
それから一年。ようやくのことで目的地へ。
アステロイドベルト。かつて地球型の第五惑星があったとか、そんなものは初めからなく余りものの岩が集まっただけとか。前者の考えは強烈で、人類発祥の数万年前に何者かが高度な文明を築いて滅びたとさえ。浸食作用が全くないため、何度か送った無人機が痕跡くらい見つけそうなもの。現在に至るまで、そのような事実は確認されていない。
《さて。これからどうするか》
大きめの岩にカプセル固定、膝を抱えて隣に座る。
星屑同士の距離は遠い。芋洗いを想像したのなら勉強不足だ。少なくとも月と地球よりは離れている。かつての天文少女が夢見た景色とは違う。
次第に飽きてくる。うちの星壊れちゃいました、と画像付きでアップロードすれば済む話ではない。ライブラリを解除できるマナが貯まるまで辛抱強く待つ。
………。
……………。
…………………。
どれくらい経ったろうか。いや調べれば分かるが滅入るからしない。
やる意味もない。静かなものゆえ、自滅しない限り人類は生きているはず。
まだまだ、まだ、まだ。永劫の時がかかる。
(…Puhutko suomea?)
《…………?》
耳を疑った。ここは頭も疑うべきか。プレゼンターの言語と似ていた気がする。
(Etko kuulle? Puhutko sina suomea?)
甲高くなった。可聴域の外と思われたのかもしれない。元の波長で大丈夫だと身振りを示す。何より恐れていたことが実現したと理解する。
《Can you speak English?》
(I am not good at speaking English.エエト……ニホンゴ、ワカリマスカ?)
《…ああ。得意ではないが話せる》
渋々返答した。地球の言語を使い分けるこいつは何者で、何のために接触したのだろう?得体の知れぬ和声は、俄然流暢に喋り出した。
(いやいやいや探しましたよ先生!…あっ、申し遅れました。ワタクシ『フュイヤリ』と申します。この度はレベル4のセレスティア様に折り入って相談したく。不躾ながら勝手に参上した次第です、はい……)
セレスティア人の手記2(作成者不明)
2029年6月8日(木)
破滅は避けられた。専守防衛に徹する限り、今後我が国に核兵器は効かない。セラフィナ個人の温和な性格によるところは大きいが。
今後は彼女だけに頼らず、通常戦力を整えることに決めた。少子高齢化が叫ばれて久しい我が国だが、まだ打つ手はある。
人工ヒューマノイド『クリメア』。無機物から人間を造る技術。人道的な問題は大ありだ。奴隷以外の何物でもない。北欧の民間伝承に倣って、力の強いほうは『ドワーフ』、器用なほうは『ホビット』と名づけられた。
願わくは善良な彼らが、同じ国民として扱われる未来を。
2029年6月9日(金)
ライブラリの暴走が始まってから五日。状況は悪化するばかり、カスキ博士の思考言語以外では意思の伝達すらできなくなった。本当に伝わっているか確かめる方法もないのだが。同郷のルースア博士が彼女との会話を独占している。カスキ博士が犠牲になるのを見過ごしたとして、我々を治療室に近づけようとしない。安全保障上の理由から、やはり同郷のフランソン姉妹にも頼れなくなった。そのことが悔やまれる。
2029年7月3日(月)
アトジマ博士から相談。娘さんに統制者適性が確認されたので、第二のライブラリを起動したという。これで第一のライブラリを抑えられる、と。
我が子を被験者として差し出すなど正気ではない。安全な稼働と無事の帰還は、全く別のことゆえ。最近のルースア博士は、それほどタガが外れている。ライブラリをコントロールする気さえ失くしたのではないか。
本題はここからだった。核兵器を無力化した後、プレゼンターより送信された人工進化プログラム。あれの被験者を募りたいという。白石君を中心に戦闘特化したクリメアの開発を進めているとも。世界を敵に回す以上、綺麗事は言えないということか。
統制者適性がなくとも、エルフ化すれば強大な力を扱える。オズディル室長、アトジマ博士、ネヴラキス博士、バール博士、西都原君、白石君及び胡座満二尉が同意した。ルースア博士の動きが読めない今、これは必要なことかもしれない。
2029年8月6日(木)
表面上は穏やかな日が続いている。しかし、実態は我が国と世界中の冷戦状態だ。こちらと時を同じくしてルースア博士もエルフ化した。第二のライブラリを起動したことには気づいているだろう。敵対的に取らねばよいが、彼女は既に狂っている。
2029年8月8日(土)
アトジマ博士の友人という女性が訪ねてきた。名前はセレスティア=キャロル、元FBIの捜査官だそうだ。前に話していたミカゼちゃんの護衛だろう。似たような経歴の男性がもう一人、そちらはダイチ君と先に発ったそうだ。
どこへ行くのかは訊かなかった。人間をやめる勇気もない私は、拷問の類に負けないという確固たる自信が持てない。
(以降の日付による記録なし)




