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ストレンジ体験記  作者: 藤阪つづみ
第8章 あの子の名前
36/38

36 墓前

 八月二十二日の午後三時。あかりはルリとふたりで、とある寺を訪ねていた。

 神崎から伝えられた情報を手がかりに境内をしばらく歩きまわると、それらしき墓碑が墓地の中に建てられているのを見つけた。おそらくはこの場所で間違いないだろう。

 ルリはその墓碑を見、それから、ゆっくりとあかりの顔を見あげた。

「どうする?」

 あかりは答えに窮した。どうすればいいのかわからなかったからだ。



 神崎に弟の存在を明かされたあの日、あかりは気まずい空気のまま、彼とともに教室をでた。そして無言で、昇降口をめざして長い廊下を歩いていた。

 奇妙なできごとは、その最中に突然起こった。あかりは何かに弾かれたように神崎の右腕を捕まえ、口を動かして、あることを尋ねてしまった。我にかえったときにはもう、言葉は口から流れでていて、とりかえしがつかなかった。

 神崎は多少面くらった様子ではあったが嫌がることはせず、絶対に他人に口外しないという条件で答えを教えてくれた。──彼の弟が眠る、墓の所在を。

 その後、あかりは呆然と帰途につき、しばらく何も考えずに過ごした。衝動的とはいえクラスメイトに家族の墓の場所まで聞きだしてしまうなんて、自分はどうかしている。しばらく頭を冷やしたほうがいい。そう思い、誰にも連絡をとらずに家に閉じこもっていた。

 そんな折、ルリがあかりを訪ねてわざわざ家までやってきた。望月家で別れたきり、なんの音沙汰もないあかりを心配してのことだった。あかりはルリに神崎の話をし、彼の弟の写真に腕輪が反応したことを伝えた。ルリは驚き、腕輪が反応したのなら間違いない、ラピスラズリの木のヒントは正しかったのだと興奮した。しかし、彼が亡くなっていることを聞かされると表情を一変させ、悲しげに、あたしとストラは同じ歳だったんだね、とだけ言った。

 やがて、あかりが彼の眠る墓の場所を知っていることを告げると、ルリは行ってみようよとあかりを誘った。いくらなんでも図々しいのではないか、とあかりが咎めると、ルリはそれなら自分ひとりでも行ってくる、と駄々をこねた。

 結局、あかりはルリを連れて神崎家の墓を訪れてみることにした。行ってみるだけなら問題ないだろう。どんな場所なのか少し見て、すぐに帰ってこよう。それくらいならば失礼にあたらないだろう──そう自分に言い聞かせて。

 しかし、実際に行ってみると、それは何の変哲もない墓地のありふれた墓で、これといって注目すべきものもなかった。とはいえ、ただ墓碑を見て帰るというのも虚しい。だが、ここで墓参りをするというのも、なんだか違うような気がした。ここに手を合わせたところで、誰に何が届くというのだろう。仮に、神崎の弟の魂がこの場所に帰ってくるとしても、それがストラであるという保証はどこにもない。

 真夏の太陽の下、あかりは何もできないまま、人気のない墓地の中に立ちつくしていた。

 どれくらいそうしていただろうか。唐突に砂利を踏みしめる音が聞こえ、誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。相手はまっすぐこちらへやってくると、あかりとルリの姿を見て、一瞬眉をひそめた。

「あなたたち、うちのお墓に何かご用?」

 なんということだろう。この人物はこの墓に用があるらしい。あかりは全身から血の気が引いた。いったい自分たちのことを、どう説明すればいいのだろう。口止めされている以上、神崎遥の名前をだすわけにはいかない。さりとて、無関係の人間が他人の墓の前にいる理由を即座にでっちあげられるほどの悪知恵もない。押し黙ったまま、どうしようもなく目を泳がせていると、目の前の女性はふたりをじっと観察したのち、あっと声をあげて嬉しそうに笑った。

「なんだか見覚えがあると思ったら。あなたたち、望月先生のお孫さんね。そうでしょう?」

 あかりは仰天して、散らばっていた焦点を絞り、女性の顔をしっかりと見た。ふっくらとした顔、後頭部で軽くまとめられた柔らかな髪、どこか遠くを見るような虚ろな目。その特徴は、佑雲(ゆくも)の山で会った、あの女性と完全に一致していた。

「あっ。おばあちゃんのお客さんだ!」

 ちょうどルリもその事実に気がついたらしく、あかりの腕にしがみついたまま、すっとんきょうな声をあげた。女性は以前と同じく、屈託のない優しい笑顔でこちらへ歩いてきた。

「こんなところで再会するなんて思わなかったわ。この近くに住んでいるの?」

「ええ、まあ」

 あかりは、この場所に来るまでに使った交通機関の数と所要時間を計算しながら、曖昧に答えた。決して近所ではないが、遠いというほどでもない。嘘は言っていないはずだ。これ以上深掘りされると厄介なことになりそうだったので、あかりは話題を変えるべく、こんな質問をした。

「こんな時期にお墓参りをされるんですか?」

 盆はとうの昔に終わっている。こんなに暑い中、それも平日に、わざわざ墓地に出向くというのは非常に珍しい。すると女性は物憂げな表情を浮かべて墓碑を一瞥し、地面へと視線を落とした。

「今日はね、月命日なの」

 そしてまた、口もとに薄い笑みを浮かべた。



 その女性は神崎(かんざき)久美子(くみこ)といった。話を聞いていると、どうやらあの神崎(はるか)の母にあたる人らしい。彼女は千草を心底好いているようで、あかりのことも千草の孫と勘違いしていた。あかりは神崎遥の件はふせ、簡単な自己紹介ののち、自分が千草の孫ではないことだけを伝えた。それでも久美子はあかりを邪険にすることなく、自分が千草に世話になっていることと、あかりと同じ歳の息子がいることを教えてくれた。それから、ルリのことについても知りたがり、彼女の年齢を聞いて──一瞬だけ、目つきを変えた。しかし、それは刹那的なもので、気づいたときはもとの笑顔に戻っていた。

「あの日は、もっと早い時間にお約束をしていたの。でも、息子が熱中症で倒れたって連絡が入ってね。たいしたことはなかったんだけれど、いろいろと手続きがあって、すっかり遅くなってしまって。でも、そのおかげであなたたちに会えて、今日は偶然この場所で再会できた。もしかしたら、これも何かの運命なのかもしれないわね」

 久美子はしばらく楽しそうに自分の話をしていたが、そのうちに手に持っていた花と線香を墓碑に添えてしゃがみこみ、「そうだわ、ここで会ったのも運命なのかもね」とひとりごちた。

「私は毎月ここに来るようにしているの。本当は毎日来たいのだけれど、忙しくてそうもいかなくてね。あまり同情されたくないから、他人(ひと)には言わない話なんだけれど。この場所にはね──もうひとりの私の子がいるの」

 あかりは息をのんだ。「あの子」のことに違いない。ルリもまた、あかりの手を握ったまま、緊張した面持ちで久美子の後頭部を凝視していた。

 久美子はこちらに背中をむけたまま、誰に言うともなく、もうこの世にはいない子供の話を聞かせてくれた。その子が男の子であること、先天性の病を抱えて生まれてきたこと。生まれてすぐ病院の保育器に入れられて、外の世界を見られなかったこと。ずっと病室に閉じこめられ、まともに言葉を話すことなく亡くなったこと。生きているうちに家へ帰ったのはたった三回だけだということ。家庭と病院との間で板挟みになり、周囲から心ない言葉をかけられたこと。愛する子の最期の瞬間に立ち会えなかったこと。悲しみに耐えきれずに家族に八つ当たりしてしまったこと。健康に生んであげられなかった自分を今も責めつづけていること。望月千草と出会って心が軽くなったこと。定期的に彼女のもとへ通っていること。家族には会うことを反対されていること──

「突然おかしな話をしてごめんなさいね。あの子の話をする機会なんて滅多にないから、つい喋りすぎてしまったわ」

 彼女は最後にルリの誕生日を尋ね、答えを聞くと、愛おしそうにその頭を撫でた。

「それじゃ、学年も同じなのね。あの子は、遠也(とおや)は五月二十五日生まれなの。やっぱり運命を感じるわ」

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