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ストレンジ体験記  作者: 藤阪つづみ
第7章 夢と、現実と
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33 魔女の従者

 駅には色あせた旧式の自動券売機が一台だけあった。電車に乗るためには当然、切符を購入する必要がある。あかりは財布を探そうと右手を持ちあげ、ふとその手首に目をやって、その動きを止めた。

 何かが足りない。何かを忘れているような気がする。あかりはしばし右手首を見つめて思案し、ようやく大変なことに気がついた。

 出発時に千草から貰った腕輪がない。あの美しいセレスタイトの腕輪は、いつの間にかあかりの腕から消えていた。外した覚えはもちろん、返した覚えもまったくない。どこへ行ったのだろう? 靴下と同じく、エラーで飛んでしまったのだろうか。今から戻って謝るべきだろうか。そもそも、謝った程度で解決するような代物だろうか。ルリにそのことを尋ねると、彼女はたいして驚く様子もなく、さもよくあることだと言わんばかりに答えた。

「ああそれ、女王様に会ったときに、パキッて割れて壊れちゃったよ。でも、あのときのあかりはそれどころじゃなさそうだったから、黙ってたの。おばあちゃんも別にいいって言ってた」

 どうやら、腕輪の行方についてはルリが報告しておいてくれたようだった。あかりは安堵して礼を言い、あらためてあの腕輪について訊いてみた。あかりとしては、あの腕輪が価格にしていくらで、現金で弁償できるのかどうかを知りたかったのだが、返ってきた答えはまったく想定外の内容だった。

「あれはおばあちゃんがくれたお守り。セレスタイトは天上の世界に強いの。あかりが虹の国に閉じこめられないように渡したんだって言ってたよ。長い時間をかけてエネルギーを溜めていたから、そうそう壊れないはずなんだけど、やっぱり虹の国の圧力に負けちゃったみたい」

 「力」。その言葉で、あかりはようやく千草が出発前に言っていた言葉と、彼女が魔女だったことを思いだした。あの腕輪は単なるアクセサリーではない。夢空間でも通用する力を持った魔女のアイテムだったのだ。

「おばあちゃんの宝石はすごいんだよ。売り物のパワーストーンと違って、いつも浄化をして強い力をこめてあるの。普段は絶対に人にあげたりしない。つけていると魔女と同等と見なされるから」

「『魔女と同等』?」

 あかりが言葉を繰りかえすと、ルリは笑顔で頷いた。

「魔女の仲間と見なされて、同じ待遇を受けるの。虹の国でもそうだったでしょ? もし普通の人間が虹の国の中に入ったら絶対に戻ってこれない。そのままストラみたいに虹の住人になっちゃうよ」

 あかりは言葉を失った。あの腕輪は虹の国で文字どおりあかりを守りぬき、力尽きて壊れてしまったのだ。もしあの腕輪がなければ、あかりは生還できず、あの国に閉じこめられていただろう。

 近いうちにまたこの場所を訪ねなければ、とあかりは思った。千草への詫びと礼をしたいのもあったが、それ以上に、知りたいことがたくさんあった。自分はまだ何も知らない。魔女のことも、夢空間のことも、虹の国のことも、何もかも。この世にはまだ、あかりの知るべき未知の世界がたくさんある。そしてそれは、一方的に拒否してはいけない世界なのだろう。

 突如、そばにあった踏切の警報音がけたたましく鳴りはじめた。ルリはハッとして時計を見、即座に券売機を指さした。

「もうすぐ電車が来るよ。これを逃したら三十分待ちぼうけだよ。急いで切符を買わなきゃ!」

 あかりは慌てて券売機に硬貨を投入した。電車のスピードが遅かったのと、改札がない駅構造が幸いし、ふたりは無事に電車に乗りこむことができた。あいかわらず電車はがら空きで、ふたりが乗った車両にはひとりも乗客がいなかった。もしここにストラがいたら、人目を気にせず自由に遊ばせてやれただろう。いや、たとえ人がいたとしても自由にさせていたに違いない。しかし、今となってはすべてが不可能な話だった。



 記憶にすら残せないほど味気ない旅ののち、ふたりは望月家へと帰宅した。ルリの父である望月さんは千草から連絡を受けていたらしく、何も訊かずにあたたかくふたりを迎えてくれた。あかりは今日中に帰宅する旨を伝え、ルリとともに彼女の部屋へとむかった。

 ルリの学習机には、同じサイズの折り鶴八羽が一列に並べられていた。それは間違いなく、あかりが折ったものだった。あのとき、ルリは折り紙を引き出しにしまい、折った作品は自分の机に移動させていたようで、鶴の後ろには手裏剣や箱やピアノなどが綺麗に陳列されていた。

「これ」

 ルリは遠慮がちに、机の隅からひとつの作品を手にとってこちらに差しだした。それは、あかりが受けとることのできなかった、ストラのヨットだった。

「これはあかりが持ってて」

 あかりは震える手でヨットを受けとった。ストラが最後に遺していったもの。それはストラがこの場所にいた証でもあった。よく見ると、ヨットの白い帆の部分には鉛筆で落書きされていた。それは少なくとも絵ではなかった。よろよろした危なっかしい不思議な線は、どう考えてもルリが書いたとは思えなかった。すると、ルリが目を伏せて言った。

「それね、『あかり』って書いてあるんだよ。どうしても書きたいっていうから平仮名を教えてあげたんだけど、うまく書けなかったの」

 あかりはその文字をそっと指でなぞった。あの子はこの世界に迎合しようとしていた。これは、その努力の痕跡なのだろう。けれど今、そのことを知っているのはあかりとルリと千草、そしてここにあるヨットだけだった。世間の人はストラの存在すら知らない。彼がここにいたことも、彼が消えてしまったことも、何ひとつ知らない。仮にあかりがそれを説明したとしても、真剣に耳を傾ける者はいないだろう。なぜなら、誰も夢空間のことなど知らないからだ。夢空間で出会ったことも、虹の国に行ったことも、単なる妄言として解釈されてしまうだろう。かつて、あかりがルリやストラにそうしてきたように。

 ふと部屋の入口に目をやると、ふたがへこんで足が折れてしまったミニピアノがビニール袋にくるまれていた。普通のゴミとしては回収してもらえないので、一時的にそこに置いているのだろう。それを見て、あかりはルリとの約束を思いだした。このピアノの新品を買ってもらえるよう、彼女の父に頼まなければならない。そのことを伝えると、ルリは黙って首を横に振った。

「あれはママが海外で買ってきたやつで、そう簡単には買えないの。それに遊んでいたのは小さい頃の話で、今は飾りとして置いていただけ。気に入っていたから壊れちゃったのは残念だけど、もういいの」

「でも、あんなに念押ししていたのに」

「うん。本当のことを言うと、あれは……確認していたの」

 ルリは首を下にむけ、きまりが悪そうに語った。

「あかりがあたしのこと、あんまり好きじゃないことには気づいてた。でも、夢空間にまで来てくれたのはあかりだけだった。それに、ストラが来てから、あかりはちょっとずつあたしを頼ってくれるようになったでしょ。もしかしたら……少しは好きになってくれたんじゃないかなって、期待してて……あたしのためにパパを説得してくれるって言ってくれたの、嬉しかったの。だから、それが本気なのかどうか気になって、それで……」

 ルリの言葉は重く、いとも簡単にあかりの胸をえぐった。ストラだけではない。ルリもまた、あかりの本心には気がついていたのだ。隠しとおせていると思いこんでいたのは、あかりだけだったのだ。

「だから、ピアノはもういいの。でも、そのかわりに受けとってほしいものがあるの。もちろん、嫌なら断ってね」

 彼女はおもむろにポケットから、腕輪をひとつ取りだした。それは千草がくれたセレスタイトと同じ形状をしていた。しかし、その宝石は吸いこまれそうなほど深く暗い、夜空の色をしていた。中には満天の星空を思わせる金色の模様が刻まれていて、セレスタイトとはまた違う神秘的な雰囲気を醸しだしていた。

「これは、ラピスラズリの腕輪。あたしの杖と同じ、ラピスラズリ の木の実からできているの。セレスタイトよりもはるかに強い、最強のお守り」

 その説明にはなぜか元気がなく、どこか控えめな印象だった。これまでは何事も自信満々に教えてくれていたのに。何か気にかけていることでもあるのだろうか。

「これは、杖と一緒におばあちゃんにもらったの。『どうするかはルリ次第よ』って言われてね。夢空間に行くとき、よっぽど渡そうかと思ったけどやめたの。そうしたら、おばあちゃんがかわりにセレスタイトをあかりにつけてくれた」

「どうして?」

 そんな話は初耳だった。セレスタイトよりも強力なのなら、なぜそちらを渡してくれなかったのだろう。もしかしたら、こちらの腕輪なら虹の国で破損せずにすんだかもしれない。

「魔女のお守りって、魔女の従者の証でもあるの。セレスタイトをつけていてもそう見なされるけど、ラピスラズリはもっと強い。魔女の杖とほぼ同じ力があって、これだけでも夢空間に入れる。そして、これを授けられるのは、杖を持つ現役の魔女だけ。魔女と運命をともにする、特別な従者にだけ授けられるの」

 それから息を吸いこみ、目をあげてあかりの瞳を見すえ、吸った息を一気に吐くかのように一息で言葉を紡いだ。

「でも、あたしは従者なんていらない。一緒に同じものを見て、同じことを感じて、同じ話ができる人が欲しいだけなの。だからこれは、夢空間を知っている仲間として受けとってほしい」

 あかりは躊躇した。「魔女と運命をともにする」。その言葉だけを抜きだすと、随分と壮大で恐ろしく、重い話だった。しかし今、あかりが夢空間での体験を、ストラとの思い出を共有できる相手は彼女しかいない。その時点で、ふたりは運命をともにしているといっても過言ではないかのかもしれない。あかりの脳裏にこれまでのできごとと、ストラの寂しげな笑顔がよみがえった。そうだ、私はこれを忘れてはいけない。あの子が遺したものを捨ててしまってはいけない。

 あかりは両手で腕輪を受けとり、右手首に通した。その瞬間、ルリの顔に、これまで見たことのない、穏やかでほがらかな笑みが浮かんだ。それは、ずっと探していたものがようやく見つかったときのような、落ちついた安堵のほほえみだった。

「ルリ」

「何?」

「嘘だと思っていて、ごめんね」

 ルリは豆鉄砲で撃たれた鳩のような表情でこちらを見、それからすべてを理解したかのようにふふっと笑ってみせた。

「いいの。今はほんとのことだって、わかってるでしょ?」

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