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ストレンジ体験記  作者: 藤阪つづみ
第7章 夢と、現実と
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32 嘘でもいいから

 まだ昼の青空が残る午後五時、あかりはルリを連れて、千草の家をあとにした。母の帰宅までにはもう一日猶予があったが、あかりはどうしても、残りの一日を千草のもとで過ごす気になれなかった。

 あの家にいると、何を見ても何を聞いても、ストラがいた頃の記憶が蘇ってしまう。家の中にいるだけで、悲しみと罪の意識に全身が引き裂かれそうだった。その苦しみに耐えられず、あかりは千草に帰宅を申しでた。無論、世話になった礼は後日する予定だった。千草はとくに引きとめはせず、気のすむようにすればいいとにこやかに送りだしてくれた。ルリは非常に残念そうで、あかりがいないとつまらない、あかりが帰るなら自分も帰ると言いだした。そういうわけで、ふたりはくすんだ夏空の下、田んぼのあぜ道を抜けて駅へとむかっていた。

「ごめんね」

 あかりの真横を歩きながら、ルリがぽつりと言った。驚いたあかりが言葉の意味を尋ねると、ルリは瞳を進行方向にむけたまま、ひとりごとのように続けた。

「あたし昨日、おばあちゃんに叱られたの。勝手に夢空間へ行って、ストラを連れてきちゃったこと。そのときは何がそんなに悪いのか、さっぱりわからなかった。でも、あかりが辛そうにしているのを見て、やっと悪いことをしたってことがわかったの」

 大きな麦わら帽子のつばに隠れて、その表情は読みとれない。口調はやたらと落ち着いていて、まるで他人からの伝聞を説明しているかのように味気なかった。

「あたしが魔女だってことを知っていたのは、パパとおばあちゃんだけだった。ママはあたしの話に興味はないし、学校の子はあたしを変な子だって避けるし。()()()()()()()ちゃんと話を聞いてくれる人に会いたかった」

 嘘でもいいから。その単語にあかりはハッとして目を泳がせた。かつてあかりがルリと話をするとき、そこには少なからず偽りがあった。あかりが彼女にかけていた言葉は、たしかに嘘の感情から発せられたものだった。彼女は気づいていたのだ。あかりが本心を隠して会話をしていたことに。彼女の話に微塵も関心を持っていないことに。

「少なくとも、あかりはあたしの話を聞いてくれてたでしょ? 本当のことだとは思ってくれていなさそうだったけど、ちゃんと最後まで聞いてくれた。それに、『魔女』のことを素敵だって言っていたでしょ?」

 あかりは自分の記憶を手繰ってみた。それまで、魔女の話を聞いたのは、千草との会話が最初だと思っていた。それ以前に、ルリから魔女の話を聞いたことがあっただろうか。あかりが答えかねていると、事情を察したのか、ルリはふたたび口を開いた。

「魔女のことを話したのは、去年の秋。あかりの学校で。覚えてない?」

 去年の秋。学校。そのキーワードで、あかりはようやく当時のことを思い起こすことができた。高校の文化祭に望月親子が遊びに来ており、その流れでなぜかあかりが彼女を案内するはめになったのだ。そのとき、たしかにルリとは色々と話をしたような気がする。しかし、思わぬところでせっかくの自由時間を奪われた憂鬱さもあり、会話の内容はほとんど記憶していなかった。するとルリは、あかりが言っていたという科白を丁寧にひとつひとつそらんじてみせた。

 ──魔女かあ。本当にいたら面白いな。

 ──いろんな夢の星空って素敵。きっと綺麗なところなんだろうな。

 ──うん。行けるのなら、行ってみたい。小さいときは、そういう冒険に憧れてたの。

「あかりは魔女の話を嫌がらなかったし、あたしのことを嫌いにならなかった。だから、夢空間にさえ行けば、きっと何もかもわかってくれると思ったの。おばあちゃんも、あかりとなら夢空間へ行ってもいいって言ってくれていた。あかりがうちに来てくれるって聞いたときは、チャンスだって思ったの。でも……」

 ルリはそこで話すのをやめてしまった。そして、帽子のつばを両手で掴み、ぐっと深くかぶりなおした。

「結局、あかりのことを怖がらせて、悲しませて、危ない目にあわせただけ。あたし、そのことに気づかなかった。気づいても、何もできなかった。おばあちゃんがあたしのこと未熟だって言っていた理由、やっと理解できた。あたし、自分勝手だった」

 顔は見えなくとも、その声色から、彼女が泣くのをこらえていることはなんとなくわかった。あかりは彼女から視線をそらし、遠くに見える線路と駅に目をやった。駅のそばではけたたましく踏切が鳴り響き、猛スピードで特急電車が駆けぬけていった。

「ルリのせいじゃない。全部、私の自業自得なの」

 その気がないのにルリの話に乗ったのも、思わせぶりな言葉をかけてしまったのも、ストラを放置したのも、放置しておきながら中途半端に情がわいて余計なことをしたのも、その結果悲しむことになったのも、すべてはあかり自身の身から出た錆である。せめて最初からルリにもストラにも正面からむきあい、真剣にその未来を考えて行動していたなら、ここまで後悔することはなかったはずだ。

 あかりは他人が嫌いだった。他人と関わりをもつとろくなことにならないということを、身をもって学習していた。あかりは兄のように能力も人望も持たない。そんな凡人が家族以外の人間と打ちとけるには、あらゆる場面で自我を殺す必要があった。小学校の時点でもそうとう面倒だったが、中学はその比ではなかった。球技が得意だったこともあってバレーボール部に入っていたが、集団生活特有のトラブルが頻発し、馬鹿らしくなって一年半で辞めた。高校では何もせず、自分の世界を持っている人だけを友達に選んだ。こういう人は他者の領域にズカズカ踏みこんだりはしないので、とてもつきあいやすかった。

 誰にも干渉されず、こちらからも歩みよらない。それはとても楽だった。そして、それでいいと思っていた。ルリについても、どうせ自分のうわべの返事を真実と思いこんで喜んでいる可哀想な子だと考えていた。そして、そんな子供の相手をする自分こそが最も可哀想だと思っていた。

「あたしのこと、嫌いじゃない?」

 そう言ってこちらを見あげたルリの瞳には涙の膜がはっていて、今にもこぼれ落ちてきそうだった。それは、どこかで聞いたことのある台詞だった。

「嫌いじゃないよ」

 これは本心からの言葉だった。ルリのことは嫌いではない。そしてもうひとつ、彼女に伝えたいことがあった。これは、じつに不思議な感情だった。今回の一件はきわめて悲しく、心残りも多かった。けれども、すべてが終わり、過ぎ去っていった今、あかりの胸にはもうひとつ、ちょっぴり妙な感想が浮かんでいた。

「夢空間は怖かったし、不気味だったけれど──正直なことを言うと、楽しかった。あんな体験は二度とできないと思う。ありがとう」

 もう行くことが叶わないと聞いたとき、奇妙なことに、あかりはそれを残念だと感じてしまっていた。あんなに美しい場所なのに。面白かったのに。誰も知らない秘密の場所なのに。何年も前に鍵をかけて胸の奥底に沈めていたはずの小さな冒険心が、好奇心が、純粋な子供の心が、たしかにそう言っていた。これは、思いがけない現象だった。

「またどこかへ行こうよ。夢空間じゃなくてもいいから」

 なぜか、こうしてルリと一緒にいると、どこにいるときよりも心が安らいだ。つい一昨日まではこの上なく鬱陶しいと思っていたのが嘘のようだった。

 きっと、間違っていたのだ。あかりはそう思った。ルリと接するときに、優しい人の仮面などいらなかったのだ。彼女がありのままでいるように、あかりもまた剥きだしの自分のままでよかったのだ。「幼稚な年下の子」と「世話をする年上の少女」ではなく、単なるルリとあかりでいい。はじめからそうあるべきだったのだ。

「本当に?」

 ルリは呆けた顔であかりの両目を見つめ、そして、ゆっくりと笑顔になると、両手でぐいぐいと涙を拭った。

「いいの? 遊園地でも動物園でもいい? あたしね、あかりと行きたい場所がたくさんあったの! パパとふたりじゃつまんないもん」

 あかりの手を握ってはしゃぐルリの姿に、あかりは我知らず微笑んでいた。やはり、彼女は元気すぎるくらいがちょうどいい。

 いつのまにか、駅はふたりのすぐ目の前までやってきていた。踏切はとうの昔に鳴りおわり、駅構内には、風になびく木々のざわめきだけがこだましていた。

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