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ストレンジ体験記  作者: 藤阪つづみ
第5章 ラピスラズリの木
22/38

22 ラピスラズリの導き

 あかりが千草に別れを告げると、ルリが軽く杖を持ちあげた。

「夢空間へ連れていって。でも、おねーちゃんがびっくりしないように、ゆっくりね」

 その言葉に呼応するように、周囲の景色が少しずつ黒く染まりはじめた。たしかに一度目に比べると「ゆっくり」である。まるでエラーの起きたPC画面のように、バグが起きたゲーム背景のように、あかりたちの立っていた和室の風景は端から順番に闇にのまれ、そしてとうとう三人の足元までを黒く覆いつくしてしまった。残ったのは、麻布に描かれていた魔法陣の白い跡だけである。

 次の瞬間、あかりはぐっと身体が地面に押しつけられる感覚に襲われた。高速エレベーターで一気に最上階を目指しているときの不快感によく似ている。あまりの重力に倒れこみそうになり、あかりは一歩、足を外側に開いた。するとルリが焦った様子であかりの腕をこちらに引いた。

「移動中に陣から落ちないように気をつけて。迷子になっちゃうよ」

 その言葉に、あかりは慌てて足を内側に引き戻した。そして、手探りでルリとストラの姿を探し、その手をしっかりと握った。こんな暗いところで迷子になるのだけは避けたかった。

 やがて、頭上にぽつぽつと小さな星がきらめき、見覚えのある紫色の空がこちらに近づいてきた。どうやら、この魔法陣は本当にエレベーターのような役割を果たしていたらしい。

 上下左右の景色がすっかり紫色になると、ふっと身体にかかっていた異常な重力が消え、あかりは魔法陣の上にくずおれた。エレベーターが停止するように、この魔法陣も止まったのだろう。

「ここが、夢空間ね」

 あかりは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。ルリは腰に手をあてて平然と到着を確認している。ストラは好奇の眼差しで薄紫の星空をきょろきょろと眺めまわしていた。不安や恐怖とは無縁の、無邪気な瞳をしている。

「ここ、知ってるよ。前にも来たね」

 あかりは頷いて肯定した。二度目ともなると、以前ほどの恐怖は感じられなかった。よく見ると同じ紫でも場所によって濃淡があり、近くから遠くへ離れるにつれてグラデーションになっている。そこらじゅうに浮かんでいる星のような(ともしび)とも相まってとても幻想的だ。

 ぼんやりと足もとから上空に広がる空を眺めていると、突然音もなく目の前に霧が湧いてきた。霧はどこからかふわふわと集まってくると、三人がいる魔法陣の前に直線をつくって綺麗に並び、そのまま橋のようになってぴたりと静止した。

「迎えにきてくれたみたい」

 ルリは何のためらいもなく、霧の塊に足をかけた。驚くべきことに、ルリが両足をのせても、霧はその場にとどまって彼女の体重を支えていた。

「それ、何?」

「雲の橋だよ。これがあると便利なんだよね。ふたりとも早く!」

 そう言われても、こんな水蒸気のよせ集めのような物体に足をのせる勇気は起きない。あかりが戸惑っていると、先にストラが魔法陣をでて、ルリのあとに続いて行ってしまった。

「おねーちゃん、どうしたの?」

「あかり、どうしたの?」

 ふたりは心底不思議そうな顔でこちらをふり返った。ふたりは問題なく「雲」にのることができている。それならば……

 あかりは意を決して雲に右足をかけた。しかし、雲はあかりを受けとめてはくれなかった。あかりの足はあっさりと雲をすり抜け、行き場を失った右足は、あかりの体重もろとも下方の紫色の空間に引きずりこまれた。

 声をだす間もなく、あかりは魔法陣から落っこちた。

 もの凄い早さで雲の橋が遠ざかっていく。あちこちに浮かぶ光球が次々にあかりのそばを横切り、線状の残像を描いて飛んでいってしまう。

「あかり!」

 いきなり目の前にばさりと何かが広がり、左腕が強く引っぱられる感覚がした。そして、少しずつ落下の速度が下がるのを感じた。

 完全に身体が停止すると、あかりはようやく自分を引きとめた人物をきちんと視界に入れることができた。

 そこにいたのは、真っ白な翼を左右に大きく広げたストラだった。小さな手で精一杯あかりの腕を掴んでいた。小さな彼が女子高生の体重を支えるのはかなり辛いらしく、全身が小刻みに震えている。

「大丈夫!?」

 杖をたずさえたルリが、妖精のように全身を光らせながら飛んできて、あかりの肩に手をあてた。その瞬間、きつい重力は消え、身体がふわりと持ちあがり、髪や洋服がふわふわとあらぬ方向に泳ぎはじめた。あかりは自分の両方の手のひらをこちらに向けてみた。ぼんやりと青白く光っている。

「杖の力が助けてくれるから、もう大丈夫。ストラもその羽、しまっていいよ」

「ほんと?」

 ストラが返事をした瞬間、彼の翼は一瞬にしてどこかへ行ってしまった。そういえば、彼は翼を持っているのだと教えてもらった気がする。

「ごめんね。まさか、雲の橋から落ちるとは思っていなかったから」

 ルリはあかりの手を引いて、元の魔法陣の場所まで連れてきてくれた。そして、あかりを魔法陣の上におろすと、ルリとストラはまた、さっきの雲の上に着地した。

「どうして歩けないのかな? おねーちゃんなら歩けないはずないのに」

「どうしてかな? 雲の地面は歩けるはずなのに」

 ふたりは困惑したように顔を見あわせていた。あかりは自分が情けなかった。小さなふたりが簡単にできることが、自分にはできなかったのだ。

「ふたりは、この雲が歩けるものだって知っていたの?」

「もちろん」

「知らなかったの?」

 子供たちは同時に頷いた。何をあたりまえのことを言っているんだ、と言わんばかりの表情だった。このままでは、ストラの帰り道を探す以前に、あかりがストラの邪魔になってしまう。自分が足を引っ張ってしまっては、本末転倒というものだ。

 あかりは目の前に延びる、白い綿菓子のような一本道を見据えた。道は絶えず霧とも雲ともつかぬものがうごめいており、今にも溶けて消えそうだ。

 大丈夫、この橋は渡れる。ちゃんと歩ける。この雲は歩けるものだ。

 あかりは自分にそう言い聞かせ、もう一度足を踏みだした。これでだめなら、諦めて自分だけ引きかえすつもりだった。

 今度は、足先は雲をすり抜けなかった。あかりの靴下だけの足はふんわりしたクッションのような床にあたり、底が抜けることはなかった。どちらの足も足首まで雲に埋まっていたが、その下ではきちんと雲の底を掴んでいた。

「やった!」

 あかりはほっと胸をなでおろした。これで足手まといにならなくてすみそうだ。ルリとストラも、嬉しそうにこちらに駆けよってきた。

「よかったね、おねーちゃん!」

 あかりはうん、とルリに微笑みかけた。しかし、ここでひとつ疑問が生まれた。

「どうして二回目はうまくいったのかしら」

「そんなの簡単だよ」

 ルリはすまして答えた。

「おねーちゃんは雲の道が歩けることを『知らなかった』わけでしょ? でも、今は『歩けるって知ってる』。だから歩けるようになったの」

 その答えは単純だったが、その答えの意味はひどく難解だった。あかりは困惑し、さらに突っこんで尋ねた。

「つまり、どういうこと?」

「おねーちゃんは夢空間にふさわしいってこと。何回教えてあげても雲を歩けない人だってたくさんいるし、夢空間に入れない人だっている。でも、おねーちゃんは全部すぐにできるようになったでしょ? だから、おねーちゃんは特別なの」

 それから少し間をおいて、ひと言つけたした。

「おねーちゃんって長いね。『あかり』って呼んでもいい? ストラばっかりあかりって呼べるの、ずるいもん」

「いいよ。好きに呼んで」

 あかりはすぐに了承した。呼び捨てされるのはあまり好かないのだが、彼女の場合は悪い気はしなかった。「特別」と言われたのも嬉しかった。

「そうだ、ストラちゃん。さっきは助けてくれてありがとう」

 うっかり忘れかけていたが、そもそも落っこちたあかりを最初に引きとめてくれたのはストラである。礼を言われたストラはびっくりした顔をし、そして嬉しそうにはにかんだ。

「ぼく、なんにもできないから。役に立ってよかった」



 雲が織りなす一本道をたどっていくと、遠くに青白い光が見えた。それはルリの杖が放つ光と同じだった。近づいていくと、その光はある一本の白い枯木から放たれていることがわかった。

「あれが、『ラピスラズリの木』?」

 あかりは、木の内部から溢れてくる不気味な輝きに目を細めながら尋ねた。

「うん。あたしの杖と同じでしょ」

 ルリの言葉どおり、その木はまさに彼女の杖を伸ばしたような風貌をしていた。白いつるりとした花崗岩のような質感の枝が四方八方に伸び、その枝の先には丸い青色の石が埋めこまれるようにしてくっついていた。

 歩を進めるにつれて、木はどんどん大きくなった。はじめは普段見かける街路樹程度のものだと思っていたが、実際は幹だけでも直径十メートルはありそうな特大サイズの巨木だった。雲の橋は木の幹の寸前で途切れていた。あかりはその橋の一番端まで行って木を観察してみた。

 この大樹は上に伸びる枝先こそよく見えたものの、幹はどこまでも下に続いており、どこに根があるのか肉眼ではさっぱりわからなかった。おそらく、とんでもなく背の高い木なのだろう。

 だが、そこにはただ木があるだけで、ほかに何があるというわけでもない。

「どうするの?」

「ヒントをくれると思う。この木はそういう木なの」

 そしてルリは木の幹に手をかけ、まるで人間に話しかけるように問いかけた。

「あたしたち、ストラをもといた場所に帰してあげたいの。どうすればいい?」

 すると、ルリの言葉に応えるように枝先の石のひとつが青い輝きを放ち、その輝きは少しずつ肥大化しはじめた。あかりは思わずあとずさった。ストラも怯えた様子で、あかりの手首をぎゅっと握りしめた。

「あれは?」

「夢だよ、誰かの夢」

 珍しく、ルリの声に緊張が走っている。さすがの彼女も、この事態には対応しかねているらしい。

「夢って、どういうこと?」

「わからない。でも、あれが木の答えなんだ。行こう!」

 その途端、あかりとストラの身体が浮きあがり、眼前の青い光のほうに吸い寄せられはじめた。あかりはかろうじて声を抑えたが、ストラのほうは怖がって悲鳴をあげている。

「待って、私たちどうなるの?」

「誰かの夢へ行くだけだよ、大丈夫!」

 真っ青な空間のどこかで、ルリの声だけが聞こえた。

 あかりはストラを抱えたまま、まるで洗濯機の中の衣類のように、めちゃくちゃに振り回された。どんな遊園地のアトラクションより恐ろしい回転だった。

 もはやどちらが上なのかもわからなくなってきた頃、ようやく回転がおさまり、ふたりはどこかの床の上に叩きつけられた。

「大丈夫?」

 ルリの声がして、小さな手が身体に触れるのを感じた。あかりは手探りでその手をとり、下にいるストラが潰れないように気をつけながら、なんとか身体をよじって上をむこうとした。

「あれ、もしかして片町(かたまち)さん?」

 もうひとつ、別方向から違う声がした。あまり低くはないが、明らかに変声した男性の声だ。いきなり耳に飛びこんできた異性の声に、あかりは身体のダメージも省みず、反射的に上半身を跳ね上げた。どうしてこんな奇妙な場所に、日本語を喋る人間の男がいるのだろう。

 無理くり目を開けて、声のする方向に首をむけたあかりは絶句した。そこにいたのが、あまりにも意外すぎる人物だったからだ。

「ど、どうして……」

 やっと言葉を絞りだしたものの、あかりはそれ以上何を言っていいのかわからなかった。

 ルリのすぐそばで(いぶか)しげにこちらを見おろしているのは、昨日補講で会ったばかりの、クラスメイトの神崎(かんざき)(はるか)だった。

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