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ストレンジ体験記  作者: 藤阪つづみ
第3章 佑雲(ゆくも)の祖母
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11 触れられる人と触れられない人

 佑雲(ゆくも)という場所は、都会からそれほど離れてはいない。しかし、あかりたちの住む楠早原(くすさわら)から佑雲駅につながる唯一の路線は、思いのほかさびれていた。終点まで一気に駆けぬける急行はまだそれなりの本数があるものの、各駅停車は二十分に一本しか来ない。人によってはそれが当たり前なのかもしれないが、普段、たとえ昼間でも十分に一本は確実に目的の電車がくる便利な路線を使っているあかりには、ひどく不便に感じられた。

 楠早原(くすさわら)はいわゆる都会のベッドタウンで、最寄り駅の周辺もそれほど栄えていない。せいぜい、小さな百貨店とほどほどの大きさのバスターミナルがあるくらいだ。しかし、この駅はふたつの路線が乗り入れている接続駅であるため駅の規模は大きく、いつも乗り換えのために多くの人が構内を歩いている。

 この駅には六つのプラットホームがあり、一・二番ホーム、三・四番ホーム、五・六番ホームはそれぞれ同じ島になっていて、ほとんどひとつの乗り場のようになっている。とくに三・四番ホームには大都会へ通じる電車が来るため、人の少ない昼間でも賑わいをみせている。

 今日、あかりがやってきたのは、駅の中でも最も人気のない古びた五番ホームだった。四番ホームと五番ホームのあいだには線路がひとつしかなく、この線路上で停車した電車は両側の扉を開けて乗客を乗せてくれる。いつもなら乗り換えに便利のいい四番ホームで電車を待つのだが、今日はストラという爆弾を抱えているので、人が少ないこちらの乗り場を選んだのだ。

 ストラは手を引かれるまま静かについてくると、促されるまま、黙ってあかりの隣に立った。昨日言い聞かせた「外では喋らない」「許可なく動かない」という掟は忘れていないらしい。

 正直、あかりはストラが駅の真ん中で突然騒ぎだしたらどうしようかと内心ヒヤヒヤしていた。が、どうやら彼は、他のホームたちに次々とすべりこんでくる電車に夢中のようで、じっと前方に目を向けたまま、多少キョロキョロはしたものの、首以外はぴくりとも動かさなかった。

 およそ二分後、あかりのいたホームにも定刻どおりに電車が入ってきた。やってきたのは各駅停車で、中はがらがらだった。電車は四両編成だったが、どこの車両もせいぜい五、六人程度しか乗客がいない。夏休みとはいえ、平日の昼間ならまあ、こんなものだろう。

 ドアが開くと、その乗客たちも、ほとんど全員降りてしまった。ルリは楽しげにぴょんと飛びのり、古びたロングシートにぽんと腰かけた。

「おねーちゃん、早く早く!」

「そんなに急がなくても大丈夫よ」

 あかりは右手でストラの左手首をしっかりと掴んだまま、ルリの隣に座った。しかし、ストラは座ろうとはせず、ひたすらあかりの手を振りほどこうと頑張っていた。そろそろ我慢の限界がきたのかもしれない。あかりはさっと車内を見渡した。現在、この車両にはあかりたち以外、誰もいない。今ならストラが何かをしても、そこまで大きなトラブルにはならないだろう。第一、ずっと子供の手を握り続けるのも楽ではない。そこで、ドアが閉まって発車したことを確認してから、あかりはストラを解放してやった。ストラはすぐに窓に張りついて歓声を上げた。

「騒がないで!」

 ルリがピシャリと言うと、ストラはくしゃりと顔を歪めてあかりを見上げた。今にも泣きだしそうである。

「今はいいよ、ルリ。他に誰もいないから」

 あかりは優しい声でたしなめた。たしかに目に見えない子供が騒いで声だけが聞こえたら困る。しかし、駅にきてから理不尽に怒られてばかりの彼の様子は、見ていてあまりにも可哀想だった。

「でも、できたら隣に座っててほしいな」

 するとストラはおとなしくあかりの隣にやってくると、そのまま椅子に手をつき、足をかけてよじ登った。そしてそのまま、椅子を踏み台にして、外の景色を眺めはじめた。あかりはどきっとした。ストラはここまで、ずっと裸足で歩いてきている。その足で椅子に立つというのは、土足のまま椅子の上にいるのと同じだ。しかし、車内に彼の汚れた足を拭うものは何もない。かといって、ストラを椅子から下ろせば、またルリがつまらないことで怒りだしてしまうかもしれない。

 どうしたものかと考えあぐねていると、ふいにブレーキがかかり、電車のスピードが落ちてきた。次の駅に到着したらしい。

 ドアが開くと、ポロシャツを着たひとりの老夫が紙袋を片手に乗りこんできた。老夫はドア近くに座っていたあかりとルリを一瞥すると、くるりと向きを変え、そのままあかりたちから少し離れた席まで移動していった。

 ストラを見ると、彼は窓ではなく老夫の方を観察していた。そして、突然椅子から飛びおりると、あかりが止める間もなく、老夫の方へと駆けていった。

「あ……!」

 あかりはストラを呼びとめようとして、慌てて口を押さえた。ストラがあかりたちにしか見えない以上、ここで呼びとめるわけにはいかない。かといって無言で連れもどせば、ただの不審者になってしまう。困りはててルリの方を見ると、ルリはちょうどストラのほうへ走りだそうとしているところだった。

「ちょっと、どこ行くの!」

 慌てて腕を掴み、小声で囁くと、ルリは口を歪ませ、怒りをあらわにして言った。

「連れもどすんだよ。勝手に動いちゃだめって言ったのに守らなかったから」

「でも、あの子は見えないのよ」

「大丈夫、さっと行ってぱっと捕まえて、すぐ戻ってくるから」

 そんな会話をしていると、突然、ぐっと車内が傾いた。ちょうど電車がカーブに差しかかったらしい。電車の進行方向がずれたせいか、さっきまで日陰だったあかりたちの席に、かあっと、きつい夏の日光が差しこんできた。驚いて顔を背けると、ふと、老夫が席を立とうとしているのが目に入った。どうやら、老夫の席にも日差しが入ってきたらしい。

 あかりはてっきり、老夫は左右どちらかの日陰になっている席に移動するのだとばかり思っていた。ところが、老夫は席を立つと、あろうことか、そのまま真正面へと歩きはじめた。そして、老夫のすぐ前には──ちょうどストラが向かいあうように立っていた。

「待って!」

 このままではまずい。あかりは反射的に立ちあがり、老夫を止めようとした。具体的にどうなるかはわからないが、このふたりが衝突すれば、間違いなく面倒なことになると直感した。

 けれども、老夫はあかりの声を無視してずんずん前に進んでいった。そして──なんとストラの身体をするっと通りぬけると、反対側の窓のブラインドを閉め、訝しげにあかりをじろっとひと睨みしてから、もう一度ストラをすり抜けて席へと戻っていった。

 あかりとルリは口もきけず、ただ、呆然とその様子を眺めていた。ストラもまた、何が起きたのかわからない様子で、口を半開きにしたまま老夫を眺めていた。

 やがて、プシューっという音をたてて、電車にブレーキがかかりはじめた。もうすぐ次の駅に着くのだ。あかりはハッとしてルリのほうを振りかえった。ルリはすかさずすっ飛んでいき、一瞬でストラを回収してこちらに戻ってきた。ルリの手は、ストラをすり抜けることなく、間違いなく彼の腕を掴んでいた。

 電車が止まってドアが開くと、老夫は怪訝な顔であかりたちのほうをチラチラ見つつ、紙袋を持って降りていった。

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