九.眠る体
ブラウゾンがフレッドを伴って三人部屋に入って来ると、ボディーガードのダンガニーがパッと反応し、ベッドの上のレイを守るように、大きな体でフレッドの前に立ちはだかった。大男のダンガニーは、威嚇するようにフレッドを見下ろしている。フレッドに対しては、何の愛情もない仮面のようなその顔つきに、フレッドはまた投げられては困ると思い、穏やかに話しかけた。
「ダンガニー、俺はその体を傷つけるようなことはしないよ。ただ、自分に戻りたいだけだ。それは俺の体なんだ。この前みたいに放り出さないでくれ」
ダンガニーは鋭い眼光のままだったが、ブラウゾンの合図で、数歩下がってくれた。フレッドはほっとしながら、レイがいるベッドの横に立った。ブラウゾンがひそひそ声で話しかけてくる。
「レイ様はこの通りです。薬でぐっすりとお休みで、今お話することはできません。これで満足していただけましたかな?」
「これは……」
レイを見るとフレッドは怒りを持っていく場を失くしてしまった。ベッドの上のレイは、生きてはいるが、様子は普通ではなかった。自慢の金髪は、汗で耳元や額に張り付き、色のない唇は、乾燥してパリパリになっている。眼の下に薄いくまができ、こけた頬。どこをどうみても、病人で、演技とはとても思えない。フレッドはさっきまでの勢いをなくし、乾いた声でつぶやいた。
「この体……死ぬのか? 俺はどうなってしまうんだ」
「ですから、お待ちいただきたい」
「こいつがしゃべれないなら、代わりに教えてほしい。ブラウゾンもダンガニーも、この俺が体を乗っ取られたレイ本人だと知っているんだろう? 俺は説明が今すぐほしいんだ」
ブラウゾンは、フレッドの真剣な漆黒の瞳から視線をそらした。
「さあ、お約束通り、この部屋から出て行ってください。さもないと、強制的に追い出しますぞ。レイ様には休養が一番のお薬になるのです。ひどい宇宙酔いで体調にむらがあり、昨日はお元気でしたが、今日はまたお熱が出てしまい、お食事をほとんどとっておられませんので、こうして眠っていただいております」
「この体は宇宙酔いか。それはわかった。それなら、俺のことはなぜ今説明してくれないんだ」
「説明してもたぶんおわかりにならないでしょうから。さきほども大声を出されたではありませんか。宇宙船の事故が報道されたせいで、この船にレイ様がおしのびで乗っておられたことが明らかになってしまいました。一般人に知られた以上、レイ様の前であなたが騒ぐと困るのです。レイ様を守っているのは、ダンガニーだけです。これ以上、レイ様を目立たせるようなことはしないでいただきたい。どんなやからにお命を狙われるとも知れないのですぞ。説明の準備は少しずつ整えておりますので、どうかお待ちを。すみやかに、退室してください」
ブラウゾンが黙ったまま目くばせすると、ダンガニーがすぅっと寄って来て、フレッドの肩をつかんだ。
「よせ、ダンガニー、わかったよ、出て行く。痛いことはもうごめんだ」
部屋から追い出されたフレッドは、うつむいてトボトボと廊下を歩いた。何もかも金属で造られた宇宙船の中。青黒く光る船内は、清潔な感じはするものの、壁も天井にも心を温かくするような配慮は感じられない。ラオラント星にいるよりは重力は軽いはずだが、両足は重金属の玉でも取り付けられているような重さだった。
部屋に戻っても、あいかわらず検索は開かず、よけいに胃がむかむかした。ベッドへ身を投げ出し、低い宇宙船の天井をなんとなく見上げる。床と同じ素材のつるつるした金属天井に埋め込まれた照明ランプが、フレッドを照らす。
奪い取られた体のことを思えば思うほど、レイの死に顔の妄想が脳内で舞う。ブラウゾンの言うとおり、確かにあの体には休息が必要なのだろう。総統の息子、という立場上、自分が騒いで目立てば、まずいこともなんとなくわかる。狭い室内に、深いため息が溶けて行った。
フレッドは、それからレイたちの部屋へ押し掛けることはやめた。
補給基地コルファーを出て数日後、目的地のハーキェン星が、宇宙船からも見えるようになった。宇宙空間に浮かぶ赤い星は、白く薄い大気をまとい、二つの衛星を従えている。
あと数時間でハーキェンへ到着する、との船内放送にも反応することもなく、すっかりふてくされてベッドに沈んでいたフレッドは、ん? と身を起こした。この部屋の扉がたたかれたような気がしたのだ。黙っていると、再びノックされた。
「お話がございます」
開いた扉の外にいたのは、ブラウゾンだった。
「ブラウゾン、やつはどうした。元気になって俺に体を返してくれる気になったのか?」
「そのお話はここではできません。お部屋に入れてください」
「ようやくまともに話ができるのか。うれしいよ。やっぱりブラウゾンは全部知っているんだな? どういうつもりで、それに、どうやって俺をこんな体にしたのか教えてくれ。これで俺も元気になれそうだ。絶望で食欲がすっかり落ちていたんだ」
フレッドは笑顔になって、ブラウゾンを部屋に入れた。後ろで、ガシャリと金属製の扉が閉められる。部屋が狭いので、フレッドは自分はベッドに腰かけ、ブラウゾンには、検索機械の前にある丸椅子を勧めた。ブラウゾンは、ゆっくりと座り込むと、静かな声で言った。
「レイ様は、ハーキェンに三日間滞在なさるご予定ですので、その間あなたは自由にしていただいてかまいません。ハーキェンの宇宙港内のホテルを確保しておきましたので、こちらをお使いください」
ブラウゾンは、ホテル名と簡単な地図がついている予約書を突き付けた。
「レイ様は共に帰星したい、とのご意向です。帰りにはお迎えにあがりますので、三日目の夜、ホテルのロビーでお待ちください」
有無を言わさず渡された予約書に、フレッドは、むっ、と眉を狭めた。
「なんだと、あいつめ! また説明を伸ばす気か。俺は、皇帝に挨拶へ行かなければならないんだ。のんびり待ってなどいられない。あいつが元気になったのなら、俺をあいつに会わせてくれ。体を返してもらわないとどうしようもない。何のためにこんな遠い星まで来たかわからないじゃないか」
フレッドは、ベッドに腰かけたままで少し身を乗り出して、ブラウゾンの二の腕をぐっとつかんだ。
「それに、一緒に帰るから待てって、なんだ。おまえはあの偽者の言うことしか聞かないのか? 俺が本物のレイだと知っているくせに、いいかげんにしろ!」
フレッドは、声を荒げて立ち上がると、ブラウゾンをつかんでいる力を強めた。フレッドの大きな体が、ブラウゾンに詰め寄る。ギロリと光ったフレッドの黒い瞳に、ブラウゾンはおびえたように目を大きく見開き、椅子から腰を上げると、よろりと一歩下がった。
「乱暴はおやめなさいませ」
体を奪った“レイ”だけでなく、同じ事ばかり言うブラウゾンに対しても、許せない気持ちが吹きあがる。フレッドは、眉を寄せた険しい表情でブラウゾンとの距離をさらに詰めた。幸い、馬鹿力のダンガニーはここへは付いてきていない。二人きりの密室。ここでブラウゾンを殴り倒しても誰にもわかりはしない。フレッドは漆黒の目を細めた。
「何が無駄なんだ。自分の体をすり替えられて無駄だなんて笑っていられるか。俺をもう一度、あいつのところまで連れて行け。あまり時間がないから今すぐにだ。この体すり替えのたくらみのすべてを明らかにしてもらおう。さもないと、おまえの首をへし折ってやる」
「……かしこまりました。放してください」
こめかみからひと筋の汗を流したブラウゾンは、首をかるく左右に振り、ため息をついた。
――数分後。
フレッドのたくましい体は力なく床に伸びていた。外傷はなく、正常に呼吸している。ブラウゾンの右手のこぶしの中には、小さなスタンプ式の注射器が握られていた。
「やはりこれを使うことになったか。おとなしくできないなら、しばらく眠ってもらおう。ハーキェン星で騒がれたら困る。本気でわしを殺そうとしたな。狂っているらしい」
この年老いた侍医は、ぶつぶつと口の中でぼやきながら、深く眠っているフレッドの横へしゃがみこんだ。そして、彼のそで口をまくって、静脈にもう一本注射を打つと、静かに出て行った。