四.補給基地コルファー
暗闇の中、フレッドは開かずの扉の前で足を投げ出し、背中を扉に預けていた。時計を持っておらず、時を知るすべはない。宇宙船のエンジン音だけが、床下で重々しく鳴っている。
「大丈夫か?」
先ほどぶつかった人に対して言ったつもりだったが返事が聞こえてこない。しんとした闇に響くのは、フレッドの声だけ。この扉の向こうには、もしかすると誰かがいるのかもしれないが、扉は真空状態にも耐えられるように、二重構造で分厚くできており、向こうの声など聞こえない。吐いた人物なら同じこの廊下の空間内にいるはずだが、手の届く範囲にはおらず、明るくならないとどうしているのかもわからない。携帯用のライトなども所持しておらず、目を開けていても閉じていても黒一色の世界だ。
フレッドは腰をすべらせて、扉の前で横になった。
「まったく……どうなっているんだ」
悪態をつきながら目を閉じた。眠る以外に、何もできない。停電で空調も止まってしまったらしく、金属性の床は、光のない宇宙の闇の中で息も凍るほど冷え始めた。
停電したままで時間が経過し、フレッドがあまりの寒さに眠れなくなっていると、急に、暖かい空気が天井の穴から流れてきた。どうやら、空調が直ったらしい。照明はまだ復活せず、暗いままだったが、空調が復旧してすぐに船内放送が入った。
『お客様に申し上げます。本船は、損傷が激しく、このままでの復旧は困難と判断し、行き先を補給基地コルファーへ変更いたします。そちらで燃料補給と修理をしてから、本来の目的地、ハーキェン星へ向かいます。ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解とご協力を』
フレッドは、この放送に、エッと眉を寄せた。
「補給基地コルファー……ってことは、ここがどこだか知らないが……」
まだ頭痛が残る頭で考えても、コルファーと、ハーキェンまでの航路とは方向が違うはずだということは憶えていた。そこで修理を終えてハーキェンまでの正常航路に戻るまでの時間もいる。コルファーで修理してから、目的地ハーキェンまで行くとなると、もし修理に時間がかかれば、最悪の場合は、五日近く余分にこの船に乗っていないといけないことになる。
なんてことだ。こんな得体のしれない船に一日でも乗っていたくないのに。知らない男の姿にさせられて、寄り道とは。
フレッドは髪を両手でつかんだ。骨ばった手が感じる短く硬い髪。これもレイとは全然違う。そのごわつく感触が、体を取られたくやしさをよみがえらせる。体を乗っ取ったやつは今どうしているのだろう。ダンガニーの部屋にいるのか。それとも、レイの部屋か。開かない扉の前で考えていても空しい。ここの扉さえ開けば――
「ん?」
フレッドは、急に入ってきた船外からの光に目を細めた。エンジン音が徐々に静かになっていくのがわかる。そこへ船内放送がまた入った。
『ご迷惑をおかけしております。本船は、補給基地コルファーへ到着いたしました。船体の修理にはしばらく時間がかかりますので、一時下船を許可いたします。左翼付近の一部の扉には現在もロックがかかっておりますので、右の回廊の方へおまわりください。それから、お怪我をされて、治療の為に下船される方は、病院の方へすでに連絡してありますので、本船の乗船券を一緒に持って――』
フレッドは、はじかれたように立ち上がった。
「着いたって、うそだろう?」
コルファーへ向かうと放送が入ったばかり。どうしてそんなにすぐに着くのか。壊れてからその方向へ漂っていたにしても速すぎる。信じられず、宇宙船の廊下の窓から外を覗いた。差し込んできている光は、確かに、補給基地コルファーの、ドーム内を照らしていた人口の明かりだった。
コルファー星は、最大直径が百キロほどの小さな星。星、と言うよりも、横長でいびつな岩塊だ。空気は全く存在せず、ラオラントのように資源が豊富なわけでもないが、宇宙空間にポツンと、置かれているように浮かんでおり、航路上、どこへ行くにも都合のいい場所にある。航海士の休憩所や燃料補給基地として、人造のドームが建設されており、各国が利用している。
フレッドの宇宙船は、ドーム内に進行し、宇宙港へ入港した。フレッドは首をかしげた。
そんなに時間が経っていたのか。あれから一度も食事をしていないし、トイレにも行っていない。どう考えても、暗闇にいたのは長くても数時間で、一日以上経っているとは思えない。それでも、ここは確かに――
フレッドは、もう一度、宇宙船の丸い小窓から外を確かめた。窓の外は、明るく照らされた宇宙船の停船場で、一時下船する人々がぞろぞろと降りて行くのが見える。『コルファーへようこそ』と書かれた大きな看板が、宇宙港の入場ゲートの上に建てられている。いろいろな種類の文字で書かれたその看板は、多くの国が利用することを示している。本当に、ここは、補給基地コルファーなのだろう。フレッドはそれでも納得がいかず、宇宙船を下りずに窓から外を観察した。
下船する乗客の中には、担架に乗せられて運ばれていく人間もいる。浮遊石衝突の衝撃で死亡した者もいるのかもしれない。複数の担架が出て行くのをなんとなく眺めていたが、あるひとつの担架に付き添っていた見たことがある顔に大声が出てしまった。
「ダンガニーとブラウゾン!」
レイに同行していた、ボディーガードと侍医。心臓があおる。彼らが付き添っているということは――あの担架に乗せられて、全身を毛布にくるまれているあれは……!
フレッドは廊下を駆け出していた。自分の前の扉はどうしても開かず、反対方向の扉へ向かった。照明は回復しておらず、船内は暗いが、外が明るくなったので、どうにか走ることはできる。軽い重力に足を取られながら、長い廊下を大急ぎで進んだ。
ボディーガードのダンガニーと侍医のブラウゾンに付き添われて、担架で運ばれていった毛布の下の人間は、まったく動いていなかった。死んでしまったのかもしれない。最悪の事態の想像に心臓が早回りし、呼吸数も増えていた。宇宙浮遊石は、レイのいた場所に命中したのだろうか。しかし、それならば、同じ部屋にいたはずのダンガニーたちが生きているわけがない。あの毛布の中身がレイだと決まったわけではないが、どうしても確かめなければならない。
心まで汗をかきながら走り出したフレッドだったが、廊下の途中で倒れている人影を見つけ、アッ、と足を止めた。この汚物を吐いたやつに違いない。それは中年の男性のようで、意識はなく、手足はだらりと伸びきっていた。
「おいっ、しっかりしろ。今、誰か呼んでやる」
あの担架の後を追いたかったが、倒れている人間を放っておけない。この廊下は誰も通らず、意識を失っているその男はずっと放置されている。奥の扉が開かないので、他の旅行者たちは皆、違う扉を通って外へ出たのだろう。幸い、フレッドがいた扉とは反対側の扉は手で開いた。中はロビーのはずで、そこも停電中で真っ暗だったが、生きた人の気配はした。
「誰か、手を貸してくれ! 怪我人だ。廊下に意識がないやつが倒れている。医者はいないか」
中にいたのは数人のようだが、ざわついたのはわかった。
「その声……もしかして、フレッド・イベリー中将ですか?」
闇の中から男性らしい声がした。フレッドは目をこらしたが、明かりがなく、相手を確認できなかった。
「中将? 俺は中将役になっているのか。なんでもいい。誰か来てくれ。死にそうなやつが廊下にいるんだ。もう死んでいるかもしれない。すぐに下船させて治療してもらったほうがいいから、手を貸してくれ」
「私が一緒にまいりましょう」
先程の声の主らしい男が、暗闇から這うように廊下に出てきた。廊下へ出ると、窓から入る外からの光で、その姿が照らし出された。まだ若い男性。おそらく二十代。フレッドは、その男の顔をよく見たが、記憶にない顔だった。相手はフレッドをよく知っているようで、笑顔で親しげに話しかけてきた。
「やっぱりイベリー中将でしたか。そのお声で間違いないと思いましたよ。中将とこのような所で再会するとは、驚きました」
「話は後で聞く。とりあえず怪我人をなんとかしたいんだ。すぐ来てくれ」
フレッドはその若い男を連れ、倒れていた男の元へ戻り、手首の脈をとった。
「よかった、まだ息がある。最初に俺とぶつかった時はまだ意識があった。こいつの嘔吐物が俺にくっついてこの悪臭だ」
「この方が吐いたのですか? それならかなり危険です。一番で治療してもらわないといけないですね。この方は中将のお知り合いですか?」
「いや、違う。この男に連れがいるかどうかもわからない。案内のアンドロイドに聞こうにも、この状況ではどこにいるかわからない」
「アンドロイドなら、ロビーの向こうの廊下にいますけど、壊れて倒れています。衝撃で脳内回路がいかれてしまったようで、使いものになりません。私はロビーで財布を落してしまって、困っていたのに相談できませんでした。ロビーとこちらの廊下は真っ暗ですからね。これでは何も見えません。手探りで財布がみつかったのでよかったですが、探すのは大変でしたよ」
この怪我人を放置して、レイの体を追っていきたい気持ちをぐっとおさえ、フレッドは心の中で舌打ちした。
「アンドロイドに仕事を頼めないのか……仕方がない。俺たちで、この怪我人を運ぼう。担架を借りて来るか」