二十一.白煙
レイは、笑いで唇が開きそうになるのを抑えながら、フレッドの顔をじっと見つめた。
「いいか、今度こそ本当のことを言おう。俺が今、自分はフレッド・イベリーだと言ったのは嘘。軍が政権をねらっている、という話もデタラメ」
フレッドは、ムッ、と片眉を上げた。
「なっ、その話も作り話か! じゃあ、おまえはどこの誰なんだ。フレッド・イベリーではない、と言い張るなら、おまえは未知の生命体だとでも言う気か?」
「俺が未知の生命体? ははっ、なかなか宇宙的な発想をするじゃないか。そういう思考回路は生きているらしいな。よく聞け。真実は、おまえに見せてやった過去の映像や冷凍庫のことと、俺が主魂だという話の方だよ。おまえはやっぱり俺のかけら。これが真実さ」
フレッドは、また嘘だろうと、大きな瞳を少し細めて、レイの顔の隅々まで刺すように、にらみつけた。
「どういうことだ。冷凍体の話は嘘なんだろう? 話がころころ変わってなにがなんだかわからない」
「そう言った方が、おまえにはいいかと思った。俺がフレッド・イベリーだということにしておいた方が、おまえは満足できるんだろう? その方が、おまえはすんなり俺に戻れるはずだと考えていたんだけどな。おまえは何を言っても興奮してしまうようだ。感情コントロールがおかしい」
「なんだとぉ」
フレッドは、レイに殴りかかろうとしたが、体を固定されているベルトに阻まれた。金属繊維が織り込まれている幅広のベルトは、頑丈で引きちぎることはできない。体も、手も、動かそうとするとぐっと食い込み、暴れれば自分が痛いだけだ。
「俺を開放しろ」
レイの紺色の瞳に、あわれみの色がわずかによぎった。レイは、嘲笑していたことがうそだったように、しんみりとした小さな声になった。
「残念だったな、フレッド。ブラウゾンが、説明の必要はないと言ったけど、その通りだったよ。おまえが気持ちよく俺に戻って来ることができるように考えたけど、やはり何もかもが無駄だった。せっかく特別映像まで用意して、ひざの怪我の手当をした上で、目覚めるまで待って、いろいろ教えてやったのに。おまえに納得してもらうことはあきらめた。説明は終わりだ。今からおまえは俺になる。痛みはないから、気を楽にしてくれ」
「お、おいっ、やめろ」
フレッドの訴えは全く無視された。
「ブラウゾン、始めようか」
レイは、その部屋にある別の椅子に腰掛け、頭をすっぽり覆う、細いコードだらけの帽子をかぶった。その様子は、座らされているフレッドの位置からも見える。
フレッドは、目に流れてくる汗に耐えながら、室内に視線を走らせたが、絶望を感じただけだった。モニターに見入っているブラウゾンの背中、背もたれつきの椅子に深く腰掛けたレイ。戸口のダンガニーはずっとこちらを監視している。他の人の姿も、声もない。人が近くの部屋にいる気配すらどこにもなく、ただ機械の作動するザーザーという連続した微音だけが、部屋の空気をかすかに揺らしている。
ブラウゾンが、指でモニターに触れ、コンピューターに命令を出している。フレッドは、恐怖で唇が震え、上下が合わなくなってきた。先程まで支配していた怒りは吹き飛んでしまった。
「おい、本当に俺はあいつに吸収されるいのか? やめろ! い、い、いやだ! やめてくれ。やめろおぉぉ!」
ボンッ、と軽い爆発音が、そこにいる者たちの耳をたたいた。ブラウゾンとレイは、同時に、アッ、と声を上げ、戸口付近にいたダンガニーは、レイを守ろうと瞬時に傍に走り寄った。
室内は、白い煙が、シュワシュワと立ち込めていた。発火はしていないが、煙は色を薄めながら、広くはない室内へ腕を四方に延ばしていく。ブラウゾンは慌てて、煙でしょぼつく目でよろめきながら立ち上がり、壁に設置されていた換気のボタンを押した。
レイは、かぶっていた装置をとると、フレッドの横まで来て、様子を見るなり、長いため息をついた。
椅子に固定されたままのフレッド頭部は、銃弾を縦に浴びたように、ぱっくりと割れ、熱を帯びた機械がごちゃごちゃと飛び出し、割れ目の奥の方から白い煙が細く出ていた。彼の漆黒の両眼は、大きく見開かれ、一点を見つめたまま動いていない。
「あ〜あ、自爆したか……そこまで抵抗することはないじゃないか。おまえを俺に、元のレイに戻してやろうとしただけなのに。俺の魂の一部が逃げてしまった。少しぐらい失ったところで、生活に支障はないけど、本当にもうこいつは……移植した量が少なすぎたんだ」
レイは、煙にむせながら、ブラウゾンに声をかけた。
「ブラウゾン、今から、研究員たちを呼ぶから、データの解析をやって不具合の原因を調べてくれ」
「かしこまりました。脳のデータでしたら、過去の映像に気を取られているうちに、抵抗なく抽出できましたぞ」
「ありがとう。それだけでもすんなりできたなら、良しとするか。解析結果の報告は後でいい。ちょっと疲れたから休ませてもらう」
レイは、フレッドに背を向け、ダンガニーを従えて部屋から出て行った。残されたフレッドの体は、椅子に座らされたままで、力なく背もたれに身を預けている。割れた頭部から出ていた煙はすぐに収まったものの、焦げ臭さは換気してもまだ室内にこびりついていた。
ブラウゾンは、換気を強めに設定し直すと、指でモニターに触れてデータをはじき出しながら、口の中でぼやいた。
「やれやれ。また失敗か。フレッドの体を使うなら、思考回路をもう少し強化しないといかん。今回のやつは特に異様だったな。この配分では無理だったか。しかも予期せぬ事故に加え、乗っ取りで大けがだ。レイ様の魂をお守りしようと二つの体に分けたのは失策だった。勝手なことをしてレイ様のお命を危険にさらしたと、総統から厳しいお叱りをうけたばかりなのに、さらにレイ様の魂の一部が散ってしまったとお耳に入ったら、大目玉だ」
そこへ、レイから連絡を受けた研究員たちが数人入ってきた。研究室の白く長い上着を着た数人が頭を寄せ合い、画面に映し出されたフレッドのデータを覗き込む。研究員たちは、口ぐちに、何だこれは、とつぶやいた。
「思考回路のプログラムが変だ。従順ではなく、戦闘モードに設定されている。それに、記憶媒体がほとんど機能しておらず、体内時計も狂っているじゃないか。コルファーまでの時間の記録が滅茶苦茶だ。なぜこんなことになっている」
一緒にデータを見ていたブラウゾンが、口をはさんだ。
「浮遊石の衝突事故の衝撃で、頭部を損傷していたことが確認されております。おかしくなったのはそのせいでしょうな。これを見る限り、ほとんどの記憶が保てておりません。行動を見ていても、感情ばかりが前面に出てしまい、融通が利きませんでした。移植後間もないうちに、フレッドの体に問題が生じてしまったため、わずかの魂ではうまくコントロールできなかったようですな」
ブラウゾンは、宇宙船の中でのフレッドの様子を皆に説明した。一同は、画面に映し出された数字だらけのデータを見ながら、ああでもない、こうでもないと、議論を続けた。
「アンドロイドの思考回路を使ってもそうだとすると、魂移植の商品化はまだ無理だ。分離させた魂が、今回のように主魂を狙って暴走するようでは話にならない」
画面に張り付いている彼らの背後には、魂の抜けたフレッドの体が放置されている。やがて、廃棄される為に、そこにいた人々の手で、フレッドを固定していたベルトがすべて外された。
割れた頭がカクンと前に倒れ、目にたまっていた涙の玉が両眼からころがり落ちた。透明な涙の粒は、床で砕けて形を失った。