二.計画的犯行
レイ・グラウジェン、男性。小惑星ラオラントの、総統のひとり息子で、生まれた時から総統職を継ぐことは決まっており、この星の人造ドームの中で何ひとつ不自由なく育てられた。
ラオラント星は、人口が少ないので、やむなく大国の傘下に入っていた。金属資源が豊富なこの星は、過去に何度も他国に侵攻された歴史がある。現在支配下に入っているルテイ帝国の軍事支援がなければ、たちまち各国の餌食になってしまう。
十八歳になり、ラオラントの成人の証を得たレイは、将来総統を引き継いだ時にも、ルテイ帝国に今と変わりなくラオラントを保護してもらうため、その皇帝の元へ成人になった挨拶に行こうとしていたのだった。
レイが今乗っている宇宙船は、ルテイ帝国の主星、ハーキェン星への大型定期便で、大勢の一般人が乗っている。ラオラントを一度も出た事がないレイには初の宇宙船の旅。生まれ育った母星を宇宙から見ることができ、行ったこともない他星への期待に心が躍る。しかも、同行するのは、侍医とボディーガードだけで、うるさい両親は付いてきていない。自由を満喫でき、最高の旅行になるはずだった。モニター室で、自分の映像に笑われて、その直後頭痛に襲われるまでは。
モニター室で、体を奪い取られ“フレッド”にされてしまった男は、『フレッド・イベリー』に割り当てられた部屋のベッドで、シーツをつかんでうつぶせになっていた。大きい体と取りかえられたせいで、ベッドは狭く感じる。足を思いきり伸ばせば、すぐそこはベッドの端だ。奥歯をぎりぎりとこすり合わせながら、寝がえりを打った。天井が低く、狭い室内になんとなく目をやる。
「んっ?」
何の飾りもない金属の壁の部屋の中。目に入った、茶色い布製の旅行かばんに、思わず顎に力が入る。かばんに付けられている名前の札は、フレッド・イベリーになっている。しかし、このかばんには見覚えがあった。ラオラントを出る時に、自宅から持ってきたかばんと全く同じだった。
――なぜ、このかばんが、ここにある?
飛び起きて、かばんのチャックを開け、中身を確かめた。着替えはすべて、レイよりも体の大きいフレッドのものに取りかえられていた。
「くそう……あいつめ。始めから俺をはめるつもりだったか」
体を盗んだ男は、レイ・グラウジェンとして皇帝に会うつもりなのだろうか。
いや、そんなことはさせない。こんなバカな話があっていいわけがない。これはいたずらだ。あり得なさすぎる。落ち着いてよく考えればトリックがわかるはずだ。フレッド・イベリーとしての荷物までわざわざ用意するとは、こうなることが計画されていたのか。
フレッドにされた男は、納得できずあのモニター室へ向かった。いくつもある肘掛椅子の中で、例の肘掛椅子を選び、深く腰掛けた。操作ボタンを押そうと、手元を見ると、他人の体の大きな手が目につき、よけいに不快感をがあふれた。不器用にボタンを押すと、モニターは、白い画面になり、映像の選択をうながす機械の女の声が流れた。
「上下のボタンで、選択したら、一番下の丸の所へ矢印を――」
これはまったく普通。先程はこの画面すら出ず、いきなり自分の姿が出てきた。スイッチをいったん切り、もう一度つけて見た。やはり同じ。自分の姿など出て来もしない。
「映像を選択してください。映像を選択してください」
スイッチをつけるたび、一本調子の機械の声が同じ言葉を繰り返す。
「うるさい! 俺が見たいのはこんな画面じゃない」
唇をひくつかせながら、低い声でうめく。これではスイッチを何度触っても同じだろう。そこへ船内放送。食事の準備ができたらしい。
「しめた、食堂にあいつが出てきたら、捕まえてやる」
“フレッド”は、獲物はすぐに捕まると確信し、笑顔で足取りも軽く食堂へ向かった。
食堂には、この宇宙船に乗っている多くの人が、すでに集まって来ていた。船内でひとつしかないこの食堂。“レイ”が、正式に言えば、レイの体を使っているやつが、ここへ出て来ないわけがない。“フレッド”は“レイ”がまだ来ていないことを確かめると、食堂の入口で待ち構えた。
食堂から流れる空気に混じる香辛料のにおいが、鼻をくすぐり、腹のへこみが、空腹を伝える。ゆったりとした音楽が流れる。おいしそうに肉をほおばる人々。運ばれていく酒。フルーツに手をのばす子ども。皆、楽しそうで、宇宙の旅を満喫しているようだ。フレッドとしてここにいる、レイの嘆きなど誰にもわかるわけがない。
――遅い……やつはまだか……
フレッドは、眼球をぎらつかせ、無意識に指先で自分の太ももをトントンとたたいていた。しばらくすると、食堂へ入って行く人の列は途切れてしまった。
――遅すぎる。見逃したか?
もう一度、食堂内にレイの姿を探す。やはりいない。レイはまだ来ていない。
それからしばらく待ったが、レイの姿は現れず、フレッドは空腹に耐えかね、食事を終えて食堂から出てくる人の群れに逆らい、中へ入った。食事をしている間も、入口にずっと注意を払っていたが、レイはとうとう来なかった。
落ち着かず食事をかきこんだフレッドは、先ほどのレイの部屋へ向かった。迷いなく扉をたたく。相変わらず返事はない。
「おいっ、おまえ、俺から隠れているつもりか。食事を抜いたぐらいで、俺から逃げられると思うなよ。開けろ! そこは俺の部屋だぞ」
フレッドは、レイの部屋の扉に手をかけた。扉は抵抗なく内側へ開き、拍子抜けしたフレッドは思わず前につんのめった。予想外の体の重さに、思わず前に両手をついてしまった。
「おお?」
レイの部屋の鍵は最初からかかっておらず、部屋はもぬけの殻だった。中に入って確かめたが、やはり、誰もいない。
「あいつめ、逃げやがったな」
宇宙船内から外へ逃げることはできないから、船内にいることは間違いない。まず疑ったのは、ボディーガードと、侍医の部屋。二人は同室で、レイの部屋から数個奥の部屋が割り当てられている。そこの扉をたたくと、返事があった。
「はい、どちら様で?」
よく知っている男性の声。ボディーガードのダンガニーだ。
「レイだ。開けろ」
フレッド姿のレイは、低い声で言った。レイの声ではないとわかっていても、どうしようもない。案の定、中からの声は冷たかった。
「レイ様だと? 嘘を言うな。レイ様はお疲れになり、ここでお休みになっておられる。それともレイ・グラウジェン様ではない、別のレイ様だとおっしゃるなら、どちらのレイ様が何の用だ」
扉を開けてはくれない。中からの明らかに不審そうな声の響きに、フレッドは一気に早口で言った。
「俺がレイ・グラウジェンだ。そこで寝ているやつは偽者だ。俺の体を乗っ取って、俺になりすましている。おまえ、ダンガニーだろう? 気をつけろ、そいつに殺されるぞ。そいつの中身はレイじゃない。そいつをここへ付き出せ。俺が本物のレイだ」
しばらくの間、中からは何も声がしなかった。レイになりすましているやつが、いろいろ指図しているのだろうか。中の様子は全くわからないないまま、フレッドは辛抱強く戸口で待った。あまり遅いので、扉に耳をつけて中の様子をうかがったが、宇宙船の扉は厚く、残念なことに何も聞こえない。
「いつまで待たせる気だ。俺がレイだと言っているだろう。おい、ダンガニー、俺だ、俺がレイなんだよ」
「レイ様は体調を崩されている。静かにしろ。わけのわからないことを大声で言わないでもらいたい。おまえ、さっきそこで大騒ぎしていたやつだな? レイ様を泥棒呼ばわりするとは、とんでもないやつだ。叩きのめされたくないなら、とっとと失せろ!」
強い口調のダンガニーの声が中から聞こえ、その後は、フレッドが何を言おうとも、返事はなかった。
「くそっ、あいつめ」
体調不良を理由に誰かに食事を運ばせたに決まっている。
フレッドはぶつぶつと怒りながら、もう一度本来のレイの部屋に戻り、室内を調べようとしたが、荷物が何もないことに気がついた。レイは、自分の荷物を全部、ボディーガードたちの部屋へ持って行ったようだ。フレッドが食事をしている間に移動したに違いない。フレッドは、鼻息も荒く靴音を立てながら、自分に割り当てられた部屋へ戻って行った。
「……フレッドは行ったな?」
「はい。あきらめて帰ったようですね」
「うん、それでいい。どうせまた来るだろうから、頑張って追い払ってくれ。あいつはかわいそうなやつだが、今はどうしようもない。うまく対応してくれ。頼む」
「わかっております」
ベッドの中で寝ていた“レイ”は、傍にいた侍医のブラウゾンに軽く笑いかけた。レイの頬はほんのりと赤く上気しており、額には濡れた布があてられていた。細くきゃしゃな体つきが、彼の体力のなさを示している。侍医として付き添っている老医師ブラウゾンが、覗き込んでレイの額から布をどけて、熱を確かめた。
「またお熱が上がって来てしまいましたね。レイ様、ゆっくりとおやすみなさいませ。あの者のことならば心配いらないでしょう。ダンガニーが追い払ってくれます」
「フレッドが静かにしていてくれないと眠れないよ。この部屋でしばらく世話になるから、誰も入れないでくれ」
「ここは三人部屋ですからね、ダンガニーと私で同室でも、ちょうどベッドは空いております。向こうのお部屋よりは狭いですが、ごゆっくりなさってください」
「ありがとう、ブラウゾン。フレッドが今後どんな行動をとるか楽しみだよ。やつは、この体がどんなに軟弱か知っているだろうに、この体から出てしまったら、そういうことの記憶はなくなってしまったのか。おかしなやつだ」
レイは、そうつぶやくと、目元にかかった金髪をかきあげ、ベッドの中で目を閉じた。