十.到着
「帰り着くまでにおかげんがよくなってやれやれですな。もうすぐ着陸態勢に入りますゆえ、そろそろフレッドを起こしましょう。あれ以来、ずっと眠たままですから、ハーキェン星での用事は終わり、今、ラオラントへ帰星目前だと知ったら驚くでしょうな」
「かわいそうだったけど、どうしようもなかった。起こしたら、一緒に船を降りるから船内ロビーで待てと伝えてくれ。あいつはたぶん、自分の家の場所も憶えていないだろう。あの様子を見る限り、ほとんどの記憶が欠落しているよ。それでも笑えるよなあ。自分がレイ・グラウジェンだという記憶だけは頑固に手放さないんだから」
“レイ”は宇宙船の丸い小窓の前に立ち、外を覗きながら、軽く笑った。
窓から見える宇宙の風景の中には、暗黒の中に眩しく浮かび上がるラオラント星の姿がある。星全体を覆う真っ白な厚い氷には、大きく深いクレバスが無数に走っている。その不規則なひび割れは、白い表面を切り刻むように、不規則な黒い谷の線を描いている。はるか遠くにある、恒星の光で氷が反射し、白と黒のコントラストがラオラント星の美しさをひきたてる。
「この体でこの風景を見ることは、二度とないかもしれないね。宇宙船に乗っただけで体調を崩すなんて、こんな体ではどこにも旅行できない。ほんとうにこの体はどうしようもないな。ちょっとしたことですぐにダウンだ」
「宇宙船の事故があったから、余計に体に負担がかかったのでございましょう。今回はこの私の失策でした。申し訳ございません。事故のことだけでなく、あのフレッドのことは予想がつかず……」
「ブラウゾンが謝ることはない。そんなことよりも、フレッドのところへ行く前に、ブラウゾンもこの窓から一緒に見よう。ラオラントは本当に美しいよ。あの白い氷の下にはたくさんの金属資源が眠っている。この星がもたらす富は果てしない。だからこそ、どうしてもこの星を――」
ブラウゾンは、少しの間レイと共に顔を寄せ合って小窓から外を眺めていたが、フレッドを起こすためにひとりで部屋を出て行った。
フレッドは、ブラウゾンが勝手に部屋へ入って来ても、ベッドの上でぐっすりと眠っていた。ブラウゾンがポケットに用意してきた注射を慣れた手つきで打った。フレッドのまぶたがぴくぴくと動き、薄く眼が開いた。
「ブラウゾン……俺は……」
フレッドは、あおむけのまま自分の手を目の前に持ってきたが、ごつい手に、レイの体ではないと確認すると、ブラウゾンをにらみながら、ゆっくりと起き上がった。フレッドは部屋の様子が違うのに、おや、と首をまわして辺りを確認した。部屋が変わったか? レイの特別室でもない。
確か、ブラウゾンが部屋に来て、それから――
フレッドの記憶はブラウゾンの腕をつかんだところまで戻った。ブラウゾンに気絶させられ違う部屋に移動させられたらしい、と理解すると、怒りがふつふつと煮詰まり、フレッドの声を震わせた。
「このっ、俺に何をした」
「もうすぐ着きますから、起きてください。レイ様の状態は少し落ち着いておられますからご安心を」
平然としているブラウゾンに、フレッドは早口でまくしたてた。
「何がレイ様だ。あいつは俺の偽者なんだぞ。ハーキェンに着く前に元に戻りたかったのに、もう着くだと? どうしてくれるんだ」
「ハーキェンに着くのではなく、ここはラオラント上空です。ハーキェンから帰って来たところです」
「なんだって!」
フレッドはガバッと起き上がると、ベッドから飛び出した。まだ慣れない大きなフレッドの体の重さに思わずよろめく。足をもつらせながら、部屋にある丸い小窓にとりついた。窓の外には、見覚えのある白い星がいっぱいに広がっている。ラオラントだと確認すると、フレッドはムッと振り返り、前と同様、ブラウゾンに詰め寄った。
「ブラウゾン、これは別の船なんだな? 俺を眠らせておいて、勝手にこの船に乗せたか。もしかして、皇帝にはあの偽者が会ったのか?」
「その件は無事に済みました」
「無事にって……」
フレッドは怒りのあまり、大きな瞳をさらに大きく見開き、ギリギリと歯をこすり合わせた。
「もうがまんできない。今すぐ説明しろ。俺をあいつのところへ連れて行け」
「そうおっしゃると思っていました。着陸したらレイ様とご一緒に――」
ブラウゾンがそう言いかかった時、宇宙船内に大きな非常警報音が響いた。
ビー! ビー! ビー!
この部屋は、以前のフレッドの部屋よりも少し広く、壁や床の色も明るめで、行きに乗っていた宇宙船とは別のようだが、警報音はそっくりだった。ここちよくもなんともないそのやかましい響き。前回の時のように、船全体が揺れているわけではないので、ブラウゾンも、フレッドも騒ぐことはなかったが、それぞれに何事かと眉をひそめた。フレッドは、チッと舌打ちした。
「今度はなんだ。このふざけた音は大嫌いだ。また浮遊石でも飛んできたのか?」
今回は、警報はすぐに切れ、静かになったと息を吐いた直後に、男性の声の船内放送が入った。
『乗客、及び乗務員全員に告ぐ。この船は我々、ゲマド人解放組織が占拠した。船の操縦にかかわっている者以外は、今いる部屋から動くな。我々の要求は、ラオラント政府が戦犯としてとらえている、我らの同士たちの身柄引き渡しだ。ラオラント側が要求に応じれば、一般人は解放し、我々はすみやかにゲマドへ帰るつもりである。入港後もラオラント政府との交渉が終わるまでは、騒がず静かにしていろ。我々に従えないやつは、即時射殺する』
この放送に、フレッドは唇を横に伸ばして笑った。
「ははっ! 今度は船ごと乗っ取りか? 俺の体だけでなくこの船もか? いったいなんなんだ、おもしろいじゃないか。ブラウゾンがこんなにイタズラ好きとは知らなかったな」
度重なるおかしな出来事に、フレッドはそんなに驚かなくなっていた。
「もう充分楽しんだだろう? しつこいぞ、ブラウゾン」
ブラウゾンは困ったように視線を泳がせた。
「……これは……わかりません……」
フレッドは笑い顔をひっこめ、刺すような視線で、ブラウゾンの顔をじろじろとさぐった。ブラウゾンはうつむき、目をしょぼしょぼさせている。
「私は本当に存じません。こんなことがあるとは……行きの宇宙船の事故のことも偶然で、私が仕込んだことではございません」
「うそを言うな。この体のことも、今この船が乗っ取られているってことも、全部おまえのイタズラだろう」
「いいえ、違います」
ブラウゾンは、ブルブルと首を横に振った。フレッドは、背中を丸めているブラウゾンに、にやっと笑いかけた。
「ふっ、そういうことか。ようやく話がわかったぞ。ブラウゾン、おまえ、ゲマド人とどういう関係だ。俺を陥れ、ハーケェンの皇帝に会うことを阻止し、ゲマド人の戦犯を開放させることが目的だったか。そういえば、ロベルトが言っていたな。ラオラントは数年前にゲマド帝国に侵攻されたと。そいつらの残党とおまえが何か関係しているってことだろう? おまえはラオラントの裏切り者だったんだな。長年世話になったから、まさか、そうだとは思わなかった。残念だよ、ブラウゾン先生。この船から解放されたら、俺がラオラント政府に全部あばいてやるから覚悟しておけ」
フレッドは皮肉をこめて、『先生』と強調した。そう呼んでいた幼い頃のレイの姿を思い出したのか、ブラウゾンは、しょんぼりとうつむいたままで、小さな声を返しただけだった。
「私は本当に何も――」
そこへまた船内放送が入った。
『船長です。本船は武力集団に占拠されておりますが、予定通りラオラント第一宇宙港へ入港いたします。間もなく着陸態勢に入りますので、各自の部屋に備え付けのベッドもしくは椅子についている安全ベルトを装着してください』
宇宙船は大気圏に突入し、船体がこきざみに揺れ出したので、フレッドとブラウゾンは話を中断し、安全ベルトをつけた。フレッドはベッドに横になり、ブラウゾンは備え付けのイスのベルトで腰を巻いて身を締めた。フレッドも、ブラウゾンも、今からのことにいろいろと思いを巡らせ、無言になった。
やがて、フレッドたちの乗った宇宙船は、ラオラント第一宇宙港へ入港した。船の揺れが収まると、フレッドは安全ベルト解除許可の放送が入るのを待ち切れずにベルトをはずし、少しかがんで小窓から外を覗いた。ラオラント宇宙港内には一般人の姿はなく、完全武装した兵士たちが隙間なくびっしりと詰めている。全身をすっぽりと覆っている銀色の戦闘スーツを着こんだ兵士たちは、それぞれに大きな盾で身を守っている。この宇宙船が乗っ取られたことは、ラオラントに伝わっているらしく、船は完全に包囲されていた。




