一.悪夢のはじまり
「そろそろ交代だ。俺を返してくれ」
目の前の大きなモニターに、上半身を映し出されているその男は、そう言った。俺にそっくり、いや、俺と全く同じ顔で、同じ服を着たその男は、にやにやと笑いながら続けた。
「聞こえていないのか? その体は俺のものだ。そんな変な顔をしなくてもいいだろう。気持ちよく返してくれよ」
何だ、このばかげた映像は。
「ふざけるな!」
俺は首を横に向けて、手元にあるスイッチに触れた。肘掛椅子についている、いくつかあるスイッチは、電源を入れて、目の前にある大きなモニターに好きな映像を映すための物。どうせ誰かが仕込んだいたずらだ。自分にからかわれる趣味はない。ばかばかしい。
――電源が切れない。もう一度スイッチを。
「ん?」
確かに電源を切ったはずだが……何も変わらない。
まだモニターに映し出されている立体映像の俺。俺にそっくりでとてもよく出来ている。故障なのか、電源が落ちない。
「最新式の宇宙船のくせに、もういかれているのか」
悪態をついた俺に、映像の中の俺が、ククク、と声を出して笑った。
「そんなことをしても無駄だよ。俺は今からその体に戻る」
そう言った立体映像の俺。俺の声。どう見ても俺の姿。
「どこの誰のいたずらか知らないけど、この手の冗談は好きじゃない」
俺は、映像を無視してその肘掛椅子から立ち上がろうとした。
「!」
瞬間、頭に強い衝撃を感じ、視界は白い星でいっぱいになった。
気がつくと、俺はまだその肘掛椅子に座っていたが、俺の『体』は、すぐ横に立って、肘掛椅子におぼれるように身を預けている俺を、見下ろしていた。たくさんの血管がひっぱられてぶちぶちに切れそうな気がする頭痛の中で、この状況を理解するのに少し時間を要した。
俺はここに座っている。それなのに、俺の体がそこにいて、俺を見下ろしているじゃないか……
先程まで、いたずら映像の俺が映っていたモニターは、電源が切れたことを示す黒一色の画面になっている。
「気がついたか? 頭が痛いだろうが、そのうちに治るからな。忘れているだろうから言っておくが、おまえの名前は、フレッド・イベリーだ。乗客名簿にはちゃんと載っているから安心しろ。この名前は、過去に優秀な成績を残した兵士の名前だ。名誉ある名前に感謝しろよ」
俺の体が、そう言った。俺は立ち上がってやつを殴りたかったが、頭が痛くて、動けない。かろうじて、首がコクコクと前後に少し動いただけだった。
「くっ……この!」
眉をあげて、俺の体をにらみつけた。やつは明るい表情で笑っている。それは、好物を目の前にした子どものような、あどけない笑顔だった。どうしてそんなに明るく笑うことができるんだ。俺は、立ち上がろうとしたが、頭痛で視界がぶれ、めまいで椅子に沈んだ。必死で口を動かす。
「おまえ、俺に何をした。おまえは誰だ」
「フレッド、まだ動くのは無理だ。もう少し休め。この体は俺のものだから、俺が元に戻っただけだよ。そんな顔でにらむことはない。すぐに慣れるよ」
「慣れるって、何に慣れろと言うんだ。おまえはいったい――」
「もう一度言っておくが、おまえはフレッド・イベリーだ。俺の名を使うなよ。俺のことはちゃんとレイ様と呼べ。無事に旅が終わるまで、ゆっくりしてくれ。じゃあな」
「待てっ」
やつはモニター室から出て行き、頭痛でまだ動けない俺は、肘掛椅子に沈みこんだまま取り残された。モニター室は、数人が同時に別の映像を楽しめるように、モニターと肘掛椅子がセットになったものが、壁面に沿っていくつも設置されている。今、この室内には、他にも人はいたが、映像に夢中になっており、俺の異変には誰も気がついてくれなかった。
「何の冗談だ。俺の体が勝手に動いて、俺を殴るなんて。ふざけやがって……」
とりあえず頭痛がおさまるまでそのまま休もうと、椅子の背に体重を預けた。自然にため息がもれる。ふと肘掛の上にある手を見て、おやっ、と瞬きした。そこにあるのは、俺の手のはずだが……それは、どう見ても――
そんなはずはないと、指先を動かしてみた。動くじゃないか。俺の指示どおりに、俺の思う方向に。鍛え抜かれた太い手首、骨ばった指の関節。しかも、手の甲まで黒い毛がまばらに生えている。
何だ、この手は……俺の手じゃない?
目を凝らして見ても、手に変化はない。落ち着こうとしばし目を閉じた。再び目を開いてもやはり同じで、どんよりとした頭痛が俺をあざ笑う。冷たい汗が首筋を流れた。
そんなばかな。
頭痛が収まるのなど待っていられない。背を丸めてよろめきながらその映像の部屋から走り出て、宇宙船の丸い窓ガラスに映る自分の姿を確かめた。
「うわっ!」
息を止めてガラス窓を凝視する。吸い込んだ息を吐き出すまでに何秒あったのだろう。プシュー、と音がして、ため込んでいた息が唇の隙間から漏れた。
「俺じゃない……これはどう見ても、俺の顔じゃない。顔だけでなく、手も足も、全部俺じゃない!」
レイ・グラウジェン、と呼ばれていた俺は、すっかり別人になっていた。俺だったレイは、癖のある金髪に、紺色の目、体つきは細身で小柄。今の俺は、つんつんと立つほど短く切った黒髪に、漆黒の大きな瞳。がっしりとした体の大男で、体重もそれなりにありそうだ。腕も太く、兵士の名をもらうにふさわしいたくましい体が、服の下にあるのがわかる。二十センチ近くも背が高くなった俺。視界は今までとまるきり違う。この大きな体は、ラオラント星の警備隊が着るような、軍服っぽい無駄のないデザインの、紺色の上下をまとっていた。しかも、俺は十八歳のはずだが、今の俺はどう見ても三十歳以上。
「どういうことだ……俺は、体をすりかえられたのか?」
落ち着け、と自分に言い聞かせ、この状況をもう一度、よく考えてみる。
初めての宇宙への旅。出航直後は、宇宙船の小さな窓から、遠ざかる母星をあきずに眺めていたが、三日目も過ぎると、母星は見えなくなり、外は暗黒の宇宙空間ばかりになった。宇宙の旅はまだ数日続くので、たいくつしのぎに映画でも見ようかとあの肘掛椅子に座ったところ、モニターに自分が現れこうなった。
何も特別な事はしていない。ただ椅子に座っただけ。突然、自分の姿がモニターに映り、その直後、激しい頭痛に見舞われ、気がつけば、体が勝手にしゃべり、逃げて行った。
どう考えても納得がいかないが、とりあえず、自分に割り当てられた、船内の個室へ向かった。身長が高くなったせいで、天井が近く感じる。頭痛は徐々に収まって来たが、腹の虫は収まらない。宇宙船内の特別室の個室は、旅の間はレイ・グラウジェンである俺の部屋だ。
中へ入ろうとすると、内側から鍵がかかっていた。そういえば、先程まで、俺はこの部屋の鍵を持っていたはずだ。ポケットを探しても鍵を持っていない。さては、あいつめ、盗みやがったな。
部屋の金属の丸い扉を、拳でたたいた。
「おいっ、俺を返せよ、偽者め!」
やつは中にいるに決まっているのに、出て来るどころか、返事もしない。
「このやろう! 中にいるくせに。そこは俺の部屋だ。出てこいよ」
ドンドンドン! ドンドンドン!
エンジン音しかしない宇宙船の廊下に、扉をたたく音がよく響く。金属製の厚い扉は、蹴破ることはできそうにない。物音で、近くの部屋の扉がいくつか開いて、中にいたやつらが、何事だ、と首を出して覗いた。そのうちの一人、親切そうな中年の女性が、いきりたつ俺におそるおそる近寄ってきた。
「あの……どうなさいました?」
「泥棒ですよ。この中に犯人がいます」
俺が、怒りのまじった愛想笑いを浮かべてレイの部屋の扉を指差すと、女性は「まあ大変」と目を見開いた。
「恐ろしいこと。まだ何日も旅は続くのよ。泥棒と一緒にこの船に乗っていないといけないなんて」
女性は、覗いていた他の人たちに向かって、大きな声で言った。
「皆さーん、泥棒ですって。そこへ逃げ込んだらしいわ。早く扉を閉めましょう。部屋に入ってこられては困るわ」
女性の一言で、覗いていた首は一斉にひっこみ、バタン、バタンと次々に金属扉が閉まった。女性もいなくなり、廊下は俺だけになった。これで人からじろじろ見られずに、やつを引きずりだせる。再びノックしたが、あいかわらず返事はない。
「開けろ!」
げんこつでノックするだけでは物足りず、靴で扉を蹴った。この見知らぬ体が身につけている、底のしっかりした革製のブーツがうれしい。何度も何度も扉を蹴る。それでも、室内から返事はない。
「いないのか? どこへ行った」
あきらめようかと思い、腹いせにもう一発蹴ると、ようやく中から声がした。
「うるさいぞ、フレッド。俺は体調が悪いんだ。静かにしてくれ。そんなに騒ぐと人の迷惑になる」
声だけで、扉を開けてはくれない。俺の体を使っているやつが、俺の声で俺を追い払っている。怒りの温度はさらに上昇し、沸点に達した。
「このやろう! ここは俺の部屋だ。自分の部屋に戻ってどこが悪い。出てこい、偽者」
「静かにしろと言っただろう」
細く開いた扉の隙間から、不機嫌そうに眉を寄せた俺の体が、わずかに顔を覗かせた。
「フレッド、いいかげんにしろ。勘違いしないでくれ。ここはレイ・グラウジェンに割り当てられた部屋だ。フレッド・イベリーの部屋がどこかわからないなら、案内のアンドロイドに聞けばいい。その辺にいるだろう」
「何だと? ふざけてやがる。俺の体だけでなく部屋まで乗っ取る気か。おまえ――」
言いかけで、扉はバシャンと閉められた。
「おまえは何者なんだ。何で俺の体を乗っ取るんだよ。おいっ!」
扉の向こうで、大笑いする声が聞こえた。
「フレッドはとぼけるのがうまいな。何を勘違いしている。頭が狂っているんじゃないのか? おまえはレイではなく、フレッド・イベリーだよ。わははは……」
「俺を狂人扱いする気か。冗談にも言っていいことと悪いことがある。俺は狂っていないし、おまえが偽者だとわかっている。俺の体を返せ。力ずくでも返してもらうぞ」
「できるものなら、やってみろ。楽しみにしているよ」
部屋の扉は、どれだけわめこうとも、開かなかった。中から、笑い声が延々と聞こえているだけだ。沸騰した血液は脳圧を高め、まだ完全に治り切らない頭痛を元に戻した。カァッ、とのぼせて、顔が赤くなっているだろうと自分でわかる。鼻血が出そうだ。
「くそぉ……」
そのままで数分経過。状況は何も変わらない。悔しさで拳を震わせながらも、俺はついにあきらめ、その部屋の前から去った。船内を巡回している、案内役のアンドロイドを捕まえ、それの案内で、フレッド・イベリーの部屋へ向かった。
船内にいるアンドロイドは人間型だが、顔はのっぺりして口も鼻も頭髪もなく、目玉はひとつしかない。頭髪などをつけ、人間そっくりにすると高額になるため、一般的な職業用アンドロイドは皆、顔がこんな感じだ。しかし、それが俺をいらいらさせる。声は人間そっくり。親切に俺を案内してくれている。俺が船内で迷ったかわいそうなやつだと思っているらしい。
「こちらの通路の奥から三番目、二十二番のお部屋でございます」
「二十二番の部屋だな? わかったからもうついて来なくていい」
アンドロイドを追い払い、ためいきをつく。狭い廊下をうつむいて歩いていると、俺の声のあの笑いが頭の中で繰り返し飛びかう。思わず首をぶるぶると横に振る。あれは俺の体だ。俺の声じゃないか。俺が勘違いしているだと?
「あの偽者め……」
歩幅が無意識に広がり、ドスドスと歩く。広い船内は重力装置が働いており、歩くには不自由はないが、通常よりも重力は弱く、大股で歩くと飛ぶように体が浮いた。速く進みたいにもかかわらず、泳ぐような歩き方になった俺は、よけいに怒りが増幅し、舌打ちした。
「俺の体を勝手に使っているあいつを追い出し、レイ・グラウジェンに戻ってやる。許さん!」
誰もいない宇宙船の廊下を、両腕をまわして泳ぎ歩きをしながらの絶叫。すべて金属で出来た、青く光る廊下に、受け止める人のいない俺の声が虚しく響いた。