03話『銀の少女』
「が、あっ――!?」
一瞬。目の前が真っ白になった。
突如、鼓膜を貫かんばかりの爆発音とともに背中に激しい衝撃が襲う。
鉄球をもろに当てられたような衝撃に浮く体。何とか踏み止まると、すかさずやってきたのは皮膚を無理やり剥がされたような痛みと肉の焦げる匂い。
「ぎぃ、ああああああっ!!」
初めて味わう激痛に理性が飛び、意識が途切れそうになる。身をよじり、のたうち回りたくなる衝動を抑え、必死に痛みに抗う。
「はぁ、はぁ……。な……にが」
何が起こったのか。うまく動かなくなった足を引きずり、激痛でホワイトアウトしはじめた頭で振り返る。
黒馬は確かに離れた位置にいる。手は出せないはずだ。
なのにどうやって?
そんな俺の疑問を嘲笑うかのように黒馬が一ついなないた。
「なっ……あ」
黒馬の頭上に炎が渦巻き、赤赤とした火球を形作る。
「はは、は。ウソだろ……」
異世界に来て命を拾い、異世界の赤ちゃんに出会い、そして化物に襲われる。
その次は魔法だって? 笑えない。冗談がキツい。――いや、冗談だったらどんなに良いか。
背中の痛みに耐えながら、俺はそれでも必死に黒馬を睨みつける。
火球は遠目で見てもさほど大きくはない。大体ソフトボールくらい。いくら威力があったとしても当たらなければ意味がない。あの程度の大きさなら、痛みを差し引いても何とか避けれ――
黒馬が荒々しくもう一度いななく。すると火球は形を崩し大きな渦となり、一回りも二回りも膨らんだ火球へと変化する。それはまるで小さな太陽を目の当たりにしているかのよう。
「……そ、んな」
さっきのサイズでも俺の体は容易く吹き飛び焼け焦げた。なのに今度はあんな大きさ。
……ひとたまりもないだろうな。それこそ本当に無事じゃすまない。
「……絶対に助けるって、言っちゃったもんな」
俺は一つ息をつくと、籠を静かに置き、一歩前へ出る。
結構な火傷だろうに、俺の体は意外と言うことを聞いてくれた。
好都合!
例え両腕が吹き飛び身体が焼け爛れようとも、ヤツの目玉を潰し、両耳を、喉笛を必ず噛みちぎってやる。
絶対にあの子達を傷つけさせてたまるもんか。
「神様。いるんだったら、どうかあの子達を無事親御さんに会わせてやって下さい」
そうして見上げた空は淀みの無い湖のような青。その透明度は、再び死に逝く俺の不安を晴らしてくれるのに十分だった。
……俺の子供じゃないけど、笑い声や笑顔を見れて良かった。
よし! 行くか!
大地をしっかりと踏みしめ渾身の力で蹴り上げる。
「うおおおお!」
眼前に待ち構える黒馬は悠々と頭を大きく振り上げる。火球を撃ち出そうとしているのだろう。
上等だ! 来やがれ!!
「おおおおおっ!!」
「伏せろ!」
え、ええ!?
悲しいかな。突如聞こえた声に条件反射でその場に伏せてしまう。
同時に頭上を走る風切り音。そして黒馬からはいななきに似た悲鳴が上がった。
見上げれば黒馬の喉元には一本の矢が深々と突き刺さり、痛みに悶えているのか首を激しく揺さぶっている。
「――うあっ!?」
空間を走る熱を持った衝撃。行き場をなくした火球が黒馬を巻き込み暴発したのだ。喉を焼くような熱風に俺はむせこけてしまう。
「か、かはっ! ぐうっ」
「まだ倒れないか」
そんな俺を余所に、矢を放ったであろう人物が傍らに立つ。
腰まであるフードマントを被り、淡い緑を基調としたショートパンツの上下にハイブーツ。胸の膨らみには銀の胸当て。その手には木製の弓。所々金属が使われているが、装飾の為ではないだろう。性能や丈夫さを求める為なのか、素人目で見ても無骨そのものだった。
女の人?
「あの、ありがとうございま……っ」
見上げるとフードから覗く目は、貫くような鋭い眼差しでこちらを見据えていた。
俺があまりに呆けた顔をしていたからなのか、フードの女性は一つ息をつくと黒馬へと向き直る。
追うように視線を黒馬に戻すと、よろめいているがまだ向かって来る気なのか狂ったように蹄を乱暴に打ち立てる。
「おい」
「あ、はい」
視線はそのままで話しかけてくる。
「アーツを使う。下がれ」
アーツ? 何だそれ? いや、今はいい。何だか分からないが嫌な予感がする。素直に子供達の所まで下がっていたほうが良さそうだ。
荒ぶる黒馬と対峙した彼女は静かに弓を構え、弦に手を添える。
しかしその手には矢を携えてはいない。もちろん無くなったわけではない。背中に掛けた矢筒にはまだまだ矢が残っている。なら一体何をしようというのか。
「え?」
初めはパチンという静電気の音がした。
次第に音の数が増していき、彼女の手元には目に見える程の雷が集まっていた。音は野太く激しく荒れ狂い、やがて一本の矢へと変化する。
弦を引き絞った彼女は目を細める。狙いを定めているのだろう。雷の矢は歪な放射線状の電流を纏い、更に光を増す。
「ライトニングアロー」
静かに発した言葉と同時に張り詰めた弓を射る。
「ひっ!?」
瞬間、空間をも裂くような刹那の轟音とともに、幾つもの細い雷が一筋の稲妻となって黒馬の胴体を貫いた。
「う、あ――」
穴を空けた黒馬の皮膚はブスブスと赤黒く焼け焦げ、その姿を崩すことなく倒れ伏す。
「……すごい」
圧倒的じゃないか。昔テレビで見た落雷実験よりも凄まじい音と光。そして言葉通りの瞬きの間。あれではいくら黒馬でも反応出来ないだろう。現に俺の目は稲妻に反応できず、焼き付いた光景を呆然と眺めているだけ。
……はぁ、マジか。目の前の驚異が払われ、大きな安堵のため息が出る。
人を襲う馬に、火や雷の魔法。それも一瞬で相手の自由や命を奪えるほどのもの。
とんでもない所に来てしまった。
呆けていた俺を余所に、いつの間にか黒馬の亡骸を漁っていた彼女が俺の元へやって来る。
何はともあれ助かった。彼女がいなければ俺はおろか子供達まで命を落とす所だったんだから。
「あの、助けて頂いてありがとうございまし――たっ!?」
お礼の返事として向けられたのは、鈍く光る矢尻。命の恩人は今にも眉間に刺さりそうな距離で弓を引く。
「あ、ああああのぅ!?」
「動くな」
冷たい眼差しと有無を言わせぬ静かな物言いに、俺は声を上げることが出来なくなった。それほど強制力のある威圧感。出来ることと言えばゴクリと固唾を飲むことだけ。
目が、本気だ……。
やがてその眼差しは、いつの間にか寝てしまっている子供達へ向けられる。すると驚いたのか、瞳孔がわずかに広がったのが見て取れた。
本当の親、なわけないよな?
十七、八歳くらいだろうか。フードを外した少女は肩まで伸びた絹糸のような銀の髪。毛筆で描かれたような細眉に切れ長の目。端正な顔立ちで大人びて見えるが、どことなく幼さが感じられる。
思わず見惚れてしまうような綺麗な銀色。この子達もそうだが、この世界にはこちらには無い髪色があるみたいだ。
そういえば、彼女の体には動物の一部が見当たらない。ぱっと見俺と同じ。見えない所にでもあるんだろうか?
そうして子供達へ向いていた目線が戻ってくると、今度は見定めるかのような目で俺の顔や服装を見回す。やがて銀の少女は納得したように何かを呟き俺の顔を一瞥すると、やっと弓を下ろしてくれた。
……はぁぁ。
ガックリと膝が折れる。気が抜けたら急に体が重くなってきた。
本当に滅茶苦茶な世界だよ。
「歩け」
「……え?」
え? 何処に? すぐに?
呆然とする俺に、クイッ、と顎で向かう方を示す銀の少女。先程の有無を言わさぬ雰囲気を漂わせてくださいながら。
「……はい」
拒否権は、無いんだろうな……。俺は鉛のように重い体と痛む背中を庇いながら、のそりと立ち上がった。
途中、銀の少女と目が合うと――
クイッ。ですって。
せめて一息でも体を休められる所に連れて行ってほしいな……。