プロローグ
――ああ、きっと俺は死ぬのだろう。
寒空の夜だというのに、ひらひらと頬に舞い落ちる雪に冷たさを感じない。そればかりか視界の端に映る火だるまと化した愛車からも熱を感じることができない。
あの急カーブ、気を付けてはいたんだけどな……。
突き破ったガードレールが随分高くに見える。
体は? 足先から順に神経を尖らせてみるが、動くどころか感覚すら返ってこない。首だけはかろうじて動きそうだ。
錆びたボルトのように首をひねると、辺りは明かりもあるはずも無い山中。
木々を掻い潜り降り積もった雪は薄く、踏みしめれば小気味よい音が鳴るだろう。昼に来たならその幻想的な銀世界に心癒されたかもしれない。
けれど、今の森はひどく恐ろしいものに感じた。
木々の隙間から見える景色は闇で閉ざされ、得体の知れぬモノが這い寄って来るような想像に戦慄が走る。
だが不幸中の幸いか。愛車から立ち昇る炎の明かるさと音のおかげで、少しだけ冷静でいられた。
「あ。……はは」
揺らぐ明かりの中、ふいに見つけた物に笑いが込み上げた。
佐久間悠一郎
昭和〇年6月30日生
交付 平成〇年7月7日
令和〇年7月30日まで有効
中型車は中型車(8t)に限る
優良
イチゴのカキ氷のようになった白雪に、免許証と一枚の写真が飾り付けされていていた。
相変わらず頼りない顔で写ってるな、俺。
優良の文字とゴールドのマーカーが情けなく見える。
傍らには若い頃の俺と別れた妻、絵里が写った写真。
「……ホント情けない」
別れる原因を作ったのは紛れも無く自分なのに、未だに写真を持ち歩いたままだ。
思い返す度に、自身を殴り倒したくなる。
若くして結婚した俺達には、なかなか子供が授からなかった。病院で検査をしても互いに異常は無く、たんに恵まれないだけ。
すれ違う親子や後から結婚した友人達の子供を見る度に、俺達の元には来てくれないのかと焦ったこともあった。
それでもようやく新しい命が絵里のお腹に宿った時、飛び上がるほど嬉しかったのを覚えている。
産まれて来たなら色々な所へ連れて行こう。都会の様々な施設に行くのも良い。山や海へ行き、大自然を学び舎にするのも良いだろう。
そして、いつか三人で、手を繋いだ影法師を追いかけよう。
そんな小さな幸せを夢見ていた。
けれど、そんな小さな幸せさえ俺達には訪れてくれなかった。
お腹の子は、俺達の元から去ってしまったのだ。
誰のせいでもない。ただただ縁がなかっただけ。
一番辛いのは自らのお腹に宿した子供とお別れしてしまったあいつのはずだ。本当なら俺があいつを支えてやらなきゃいけないのに、当時の俺は立ち直ることが出来なかった。
それだけじゃない。絵里はそんな俺を優しく支えようとさえしてくれた。
だというのに俺はあいつに対して……。
「……罰、なんだろうな」
当然の報い。
きっと後悔の念に苛まれながら死に逝くことが、自分の事しか見ることの出来なかった俺に対する神様が与えた罰なのだろう。
……それでも。
そんな俺に資格なんて無いのは分かっている。守らなければならない人を傷つけた俺なんかに、願う資格などあるはずが無いなんて分かっている。
それでも俺は――
「やり直したかった!」
やり直して、もう一度愛する妻の、まだ見ぬ我が子の小さな手を握りたかった!
けれど……それはもう決して叶わないのだろう。
死に逝く人間は、残された命の時間が分かるというのは本当のようだ。俺という器から命が流れ落ちて逝くのを感じる。
まぶたが重い。
視界が霞む。
あれほど温度を感じることができなかったのに、今はほのかな暖かさが身体を包んでいた。
「あの子に……会えたりするのか……な……」