喋る犬
私は唯夜道を歩いていた。周りには様々な形の家が立ち並び、何処の地域かも知れぬ景色であった。 私は夜道を歩く時に足音をできる限り鎮める癖があった。物音一つない夜道を歩いていると、街が眠っているように感じて、起こすのが躊躇われた為であった。
その夜は冬の日だった為、とても暑いとは言い難い、凍え切った夜であった。厚く着込んでいるにもかかわらず、唇が蒼く変色しているのを感じた。これは早う帰らねば死活に関わると、少し足早になった時だった。
突然、額を汗が伝った。いや、正確には突然では無かったかも知れない。何しろいつの間にか私は呆けていて、暫くそこに突っ立っていたかのような気がしたのである。然し暑い。私はたまらなくなり上着を脱ぎ、又それだけでは飽きず着ているものを股の下着を残して全て脱いだ。
然し何故暑いのか。先程まで冬夜に相応しい凍え夜であった筈だが。然し、本当にそうであったならば、私は今こうして砂漠の中心にぽつんと立っているはずもない。
そう思って初めて、ああ此処は砂漠かと合点した。何しろ灼熱を帯びた光が私を照らしているし、足元には中華鍋で炒めて有るような砂が敷き詰めてある。
ああそうかこれは夢にちがいないさと独り言ちて見たが、夢とは思えぬ暑さであることもまた然り。先までの凍え夜が夢だったのかもしらんと自分を無理くり合点させ、無事を保証できる所まで歩くことにした。
暫く歩いて見たが、一向に景色は変わらない。私の感覚では既に6時間は歩いているのではなかろうかとも思った。私の体内時計が可笑しいと嗤ってくれても一向に構わないが。
兎に角もう限界であった。諦めて砂でも呑んでみようかと思わず嗤った時である。
「何が可笑しいかね。」
と目の前から声があった。
そうして初めて私は眼前にイヌが立っていたのに気づいた。イヌが立っていたと言うのは誤りではなく、実際に二本の足で立っていたのである。とはいえ頭身はヒトに近く、又イヌからも遠からずといった感じであった。
「何が可笑しいかね」
其のイヌは再度問うた。吃驚したとはいえ二度答えを云わぬのは失礼に当たろう。私は掠れた声でこのように応えた。
「砂を呑もうと思ったのです」
此のイヌはこれを聞くと口角を大きく上げてケタケタと笑った。
「砂を呑もうってお前さん、そんながらがら声じゃあ水の方がお勧めだがね。」
付いてくるがいいさ。其のイヌはそう言って振り返って歩き出した。私はこいつは儲けたと思ったから、其のイヌの後ろを唯付いていった。然し見える限りには何もあるまい、全体どれくらいかかるのかとイヌを見ると、私は再び吃驚した。イヌの足元に階段が出来ていたのである。私は咄嗟にこう問うた。
「ちょっと。其の階段は、お前、ずっとそこに在ったかね。」
すると其のイヌは、何をそんな当たり前の事をといった風に、
「在ったも何も、何も考えずに歩いたなら、其処に出来るものだろうよ。」とだけ云って、階段を下って行った。
私は随分と思考が落ちていたものだから、暫く首を捻って考えたが、やはり首肯しかねると思い、そんな訳があるまいと異を唱えようとしたが、此の頃にはイヌはもう随分と下にいた。