罠ノ章
「この状況でエンデラという国から借りる戦力か、そこそこ、こちらの世界でも使えるやつが来るってことか、それは見ておきたい、自分との戦力差を確認するために」千景がそんなことを考えていると不意に「ち、千景様」とエルタが苦しそうな声を出してきた。外の様子に注意が行き過ぎて、エルタの腰に回していた手に力がこもり、お腹を押されて、苦しでいるようであった。
千景は、慌てて手を引っ込め「ごめん」と謝り「いえ」というエルタが、落ち着いて人心地つくまで待ってから「さっき外にいるやつらの話の中で、気になることを聞いたんだが」
「なんでしょうか?」
「この世界には亜人がいるって話の中で聞こえたんだ、人間以外にも知性をもった種族がいるってことか?」とゴルビス達の会話の中で疑問に思ったことをエルタに尋ねた。
「いますよ」
「それは強いのか?」
「人間よりも強いとは聞いてはいますが、何分私には実際にその力を行使している所を見たことがありませんのでそれ以上のことはなんとも、国のある場所や歴史などの学術的なことなら少しはお話しできますが」
「なるほど、落ち着いたらその辺りのことも教えてほしい、あとこの世界の魔法のことも」
「わかりました」
「魔法使い、邪神、亜人、金髪美少女、ファンタジーセットだな」
「え、なんでしょうか?」
「いやなんでもない、そんなことより、今ゴルビス達は城に戻って行ったようだけど、ゴルビスに雇われた者が、ここにエルタを始末しにくるらしい、とりあえず手始めにそいつを罠にはめる」
「罠ですか?」
「ああ、罠だ」
罠スキル『虚宮虚実』そこに足を踏み入れると、目の前が真っ暗になり、少しの間だけ見えない箱の中に閉じ込められる。
高位の罠スキルで、三メートル四方が発動範囲となる、実装当初は初心者狩りに使われ、その効果の極悪さ故、一時期使用不可スキルになり、その後、初心者ゾーンでこの罠が設置出来ないパッチが当てられ、ある程度の感知スキルや解除スキルで対応出来るように弱体化された曰くつきの罠スキルである。
「罠が発動したならそれでよし、感知されて避けられたり、効果が消し去られるようなら、今後はそれに対して対応すればいいってところかな」
「はあ」とエルタはわかったようなわからないような感じで小首を傾げた。
通常のマップで使うと、意外に範囲が狭く、狙ったターゲットを自然にそこに足を踏み入れさせるのは難しいが、こんな一本道の建物は罠を仕込んで下さいと言わんばかりの構造だった。
「これで準備は出来た、エルタをどこか無事なところに運んでから護衛をつける、とりあえずはそれでいいか?」
「はい、ただ初めてお会いした時に千景様に私の事を逃がして下さいと頼みましたが、この国にいれば王女である私はどこにいてもばれますし、無事でいられるところなど、どこにもないような気もします……そして王女として宰相のゴルビスに好き勝手させるのも許せません、父も殺されていますし……」
エルタの言っていることも、もっともであった。王女であるエルタの外見を変化させて、ここから、どこか遠くへ連れて行くこと自体は、簡単な作業であったが、どこまでも逃げる回るということは、リスクを連れて歩き回ることに他ならなかったし、元の世界に戻ることから遠ざかるような気がした。
ゴルビスのあの会話の感じからすると、もしエルタが生きていることや、異世界から来た人間がいることが知られたのなら、国を挙げて追ってきそうであるし、知る限りの情報もばら撒かれる可能性だってある。
――とにかく今は、この世界に関しての情報だ、情報がほしい、あと安全に活動出来る拠点、この世界に来るきっかけとなったエルタや召喚されてきた部屋から離れるのは得策ではないような気もするし、ゴルビスをどうにかするしかないか
「エルタ、一端ここから離れる、もう少しだけ我慢してくれ」
「わ、わかりました」エルタの腰を抱えるのも大分慣れてきた。
「どこか隠れるところに適したところはないか?」
「隠れるですか、今日は婚姻の儀が行われるということで、城やその周辺はお祭り騒ぎですし、他の国の王族や要人が集まっていますので、警護が大分厚くなっておりますので、この近くに身を隠せそうな場所と言われても……」
「そうか、空き家か倉庫とか地下の下水道とかそういうのなんだが、思い当たる場所は?」
「そうですね、港の近くの裏通りの奥にある倉庫地区になら、どこかに」
「倉庫地区か……わかった、港がある方だな」
目的地が決まった後すぐに、建物を見張っている兵士達の間を、一陣の風が吹き抜ける。
建物の周りは遺跡のようになっていて、崩れ落ちた壁の残骸や、大昔は何かを支えていたであろう、太い柱が規則正しく立っていた。
更に森を抜けると、緑の絨毯のような草原が広がり、召喚された建物があった遺跡は、小高い丘の上にあったようで、そこからは都市を一望でき、大きな城から美しい街並みの城下町が広がり、その奥には、真っ青な海が光をキラキラと反射させていた。そしてその都市を大きく包こむように高く聳え立つ堅牢な城壁が立っていた。
その風景を見て千景は、たまに自分の部屋の、郵便ポストに刺さっている、旅行会社のパンフレットの表紙のことを思い出した。機会があれば行ってみたいと思っていたが、こんな形でこんな風景を目にすることになるとは少し体が浮くような不思議な感覚がした。
見下ろす景色の中の、街は活気に溢れ、中央に長く伸びるこの街のメインストリートと思われる道には、多くの露店と、大勢の人達で賑わっているのが見えた。
「倉庫地区は、どの辺りだ?」
「あのあたりです……」と港と街の境目辺りを指差した。
「あ、あの目が回ります千景様、ちょっちょっちょっちょと」とエルタが言っているが、千景は気にすることなく、また似たような速度で、エルタが指で指した方向に走りだした。
草原から、路地裏を抜けて、倉庫地区に風が吹き抜ける。
路地裏のところどころが、錆びたり、壁に開いている穴を無造作に塞いである、みすぼらしい家が建ち並ぶ地域を抜けると、ぽつぽつと人影らしきものは捉えることは出来たが、それでも倉庫地区は広く、奥の方に行くと、無人の倉庫が建ち並んでいた。
その中の一つを選び出し、赤い三角形の形をした屋根をもった倉庫の小窓から中に滑る様に潜り込む、中は外よりもひんやりとしていて、穀物特有の匂いと少しカビのような匂いが混ざり合い、そこは小麦の倉庫であった。
倉庫付近と中にも人の気配は感じられないが、細心の注意を払い、倉庫内をくまなくチェックして、危険がないこと確認し終えた千景は、すぐに、倉庫の入り口に施錠結界を張った。