転ノ章
「あれおかしいな、なんだこれ……どうなってるんだよ、一体……バグったのか」
唐突に千景の目にしていた画面がプツンという音共に一筋の光が走り真っ暗になったと思ったら、座敷牢のような薄暗い部屋の様子が映し出され、突然の出来事に千景は少しばかり狼狽えた。
辺りを見回しても、ほんの一瞬前まで千景を囲んで和やかに話をしていた罠罠の姿や、消滅たん、絵霧の姿も見当たらない。
しかもこの部屋は、画面が切り替わる前までいた、ビルのような巨体を持ったノブナガが縦横無尽に暴れることが出来、壁には絢爛豪華な金細工が施され、一万人以上のキャラが優に収まる程の無間安土城の本丸と比べるとあまりにもみすぼらしく、薄暗く、こじんまりとして狭かった。
それは窓が一つもない粗末な石造りの部屋。
その中で千景は憮然とした表情で辺りをキョロキョロと見回しながら後ろを振り返るとなにかのミイラらしき物体が千景の方をすごい形相で睨んでいた。
その干乾びたミイラは明らかに人間の物ではなく、目は吊り上がり、口は裂け、そこから四本の犬歯が異常な長さに伸び口からはみ出していた。
そして全体的に灰色を帯び干乾びていて、あばら骨がゴツゴツとした岩のように浮き上がった体からは、腕が八本伸び、それぞれの手には化物が握っているのには似つかわしくない宝石などで綺麗に装飾が施された剣やら杖が握られていた。
善か悪かと問われれば間違いなく悪に分類されるであろうその容姿。悪魔か邪神かそういう類の化物のミイラであるように見えた。
それは見るものに恐怖を与えるには十分な迫力を宿し、今にも襲ってきそうな姿勢で、台座の上に乗っている。
台座の前にある黄金の燭台の上で燃えている赤い蝋燭の灯りが、ゆらゆらとその姿を怪しく照ら出していた。
――サバトでも開きますかって感じの部屋にミイラだな、なんかトラップっぽいし
千景はそんなことを考えながら足元を見ると、赤いペンキか何かでべちゃべちゃと子供が悪戯で書いたような、お世辞にも整ってるとはいえない歪で不格好な魔法陣が描かれていた。
その魔法陣の不格好さが周りの雰囲気と相まって薄気味悪く感じた千景は、すぐに足元から顔を上げると今度はそこに、幽霊のような存在感の女の子が、木の扉の横に立っているのがわかりびっくりして心臓に手をあてて驚いた。
千景が部屋の真ん中に立っていたせいで、蝋燭の火の灯り扉の方にまで届いていなかったのと、女の子の存在感があまりにも薄かったため、初め見た時にはその存在に気づかなかったのだった。
木の扉には、何やら見慣れない文字列と幾何学模様が白い線で描かれ、女の子はその横で、魂でも抜かれたような虚ろな表情で、遠くの方を見つめていた。幽霊のような、蝋細工で作られた人形のような生気というものが感じられない女の子。
――ホラーというか悪趣味というか
千景がそんなことを考えながらその子の事を見ていると、ギギッギギリギッという鈍い音がした。
ただこれは、目の前にいる女の子が発した音ではない、それはすぐにわかった。
千景は後ろを振り返ると、悪魔のような姿をしたミイラが動き出し、一歩踏み込んで、八本ある腕を大きく振りかぶり千景に切りつけようとしていた。その目の部分は、初め見た時はただの干上がった窪みであったが今は、赤い光が灯り燃え盛っていた。
「やっぱそうなるよな、わかりやすいんだよ!」ゲーム内では使い古されたトラップ。目の前を通ると動き出す銅像や、騎士の鎧、仏像、こういうものは今まで嫌というほど見てきた。
千景はすぐさま刀を抜き、八本の腕が別の生き物のように力一杯振り下ろされる剣や独鈷、杖を千景は刀一本で、目にも止まらぬ速さで捌き、そしてそのままの勢いで、八本の腕を根元からすべて切り落とし【忍術】『烈爆遁:集束白発破』と千景が唱えると、ミイラの中心に、光の小さな玉が生み出され、その光の玉一点に気力が集まり、稲光のような閃光がミイラの体に亀裂を入れ、ヒュンッという炸裂音と共に、体内から吹き飛ばされ粉々になった。
その爆風でミイラが握っていた剣やら杖が飛んできたが、ハエでも叩き落すように、ガキンバチンと千景は軽く叩き落としていった。そして、千景によって叩き落された武器は、ミイラの後を追う様に、悉く塵になった。
異形のミイラが消え去ると、扉の横で蝋人形のように立っていた少女が「あ、貴方は? 何者……?」と声を震わせながら床にへたりこんだ。それはこっちが聞きたいと思いながら千景は少女に視線を戻し観察する。
金髪の長い髪にウェーブがかかり、目は碧眼、白を基調とした可憐なドレスを身に纏っていた。
ただそのドレスは本来の美しさでなく、転んだ設定ということなのか、スカートの下の部分が破れていたり、砂と埃で裾の部分が、茶色く変色していた。そして頭の上には、銀色の素材に中央には大きな青い宝石がはめ込まれ、その周りには緑、赤、多種多様な色の宝石が煌めいているティアラが乗せられていた。
「中世金髪王女風美少女NPCか……王道だな……王道だよファンタジーの」千景はそう呟くと同時に深く溜息をつく。
少女はそんな千景に対して「どうか…… どうか…… 私に力を貸してください…… どうか」と喉の奥から絞り出すような震える声で訴えてくる。
なんだこの状況……
――なんなんだこれは、何故ボスを攻略をした直後に、新規クエストを発生させたのか、運営の意図がわからない、新しいプロデューサーはよくこんなものを実装することにGOサインだしたな……サプライズさせれば面白いとか思ってんのか、こんなの開発の自己満足の押し付けだろ、まだ分配だって終わってないのに!
千景の頭の中に次から次へと運営への愚痴が湧いてきて、止まらなかった。
――せっかく今日、ギルドメンバー三十五人全員の時間調整が出来て、みんなで時間合わせてやっとノブナガ討伐出来たっていうのにこれじゃあ気持ちよくログアウト出来ないじゃないか!
千景は苛々しながら腕を組み、指をトントンとせわしなく動かしながら、悲壮感にまみれた女の子を見た。
――しかもこのマップとNPCの世界観って、中世ファンタジー世界だよなあ、これじゃあ……最近このゲームも大分変わった、マジでゲームとしては面白いんだから自信を持って小細工しないでやってくれればいいのに。ネットで出してる広告の謳い文句に極和風世界体験型VRMMO! とか書いて客釣ってるのに、アニメコラボとかして世界観壊してるし、新マップのボスを攻略したら、こんな中世ファンタジー世界のクエストを実装するなんて……俺は初期の殺伐とした和風の世界が好きだったのに。まあいいやもう、このクエストは放置だな、今日は遅いし、拠点に戻ってログアウトしよ。
止まらない運営に対しての不満と怒りが吹き荒れる頭の中を無理やり切り替えて、千景はギルドの拠点の城に戻るために、プレイヤー操作キーを出してみた。
――あれ戻れない……
ギルド『空前絶後』がアジトにしている拠点の城に戻るための帰還アイテムが、無常にも使用不可能を示すアイコンの色であった。
――マジかー、強制クエストなのかーこれ……めんどくさー……ログアウトも不可能だ、ログアウトアイコン消えてるし……帰還禁止区域の個別プレイヤークエストをボスモンスター倒した直後に持ってくるなよ……今までは、運営に対してクレームメールなんて送ったことなかったけど流石にこれは送る、絶対送るこんなもの、あほか、ギルドメンバー総出で書き込み爆撃もしてやる。
「面倒臭い」
中世金髪王女風美少女NPCがまだ床に伏して泣いている。さっさと話しかけてクエスト終わらせないと「何すればいいんですか?」と千景は王女風NPCに声を掛けた。
「あ、あの私を逃がしてください……」涙でぐしゃぐしゃになった顔面を拭いながら王女風NPCは、悲痛そうに言った。
――護衛クエストか、初期の頃よくあるやつだけどレベルカンスト帯になると討伐系クエストで素材集めて武器作成やスキル、上位職業習得や所持NPCの強化とか延々ループするからなんか懐かしいなこういうの。
「ついてきて」こう言うと、この手のクエストのNPCは自動でプレイヤーの後ろをついてくる。
しかし、千景がドアを押したり引いても木で出来た扉は開かなかった。
重いというかドアノブが固い、ぶっ壊すのかこれと思った瞬間、王女風NPCが「その扉は、王族にしか開けられないのです」と言って、千景の代わりにドアノブを回すと拍子抜けするほど簡単に、鈍い音をさせながら木の扉は開き、部屋の外に出ることが出来た。
扉を抜けるとどうやらこの部屋は建物の一番奥にあるのか一本の廊下が出てきた部屋から伸びているだけしか先に進む道はなかった。石が積み上げられて出来た建物の廊下は、暗く、埃とカビの匂いが充満していた。
これから千景が向かう先の方から、チラチラと松明の灯りらしきものが揺らぐのが見え、それと共に足音と金属が擦り合うガシャンガシャという音がした。
――敵か?
千景は【忍術】『天稟千里眼』を使った。すると視界だけが前へ前へと加速して、こちらに向かっているキャラの様子とステータス、種族、職種を確認した。
職種:一般兵士
種族:人間
人数は五人、レベルとステータスは2と3が並んでいる、弱い、まあ護衛クエストならこんなものか。
ただ新マップを最速で攻略したレベルカンストプレイヤーがやるクエストにしては難易度が釣り合っていない。まあ今はそんなことよりさくっと終わらせてすぐに帰れそうなのが救いだった。
どうやら向こうの一般兵士にもこちらの姿が見えたらしく「いたぞ王女だ! あと他にもう一人誰かいるぞ!」とこちらに近付く速度を緩め、ありがちな言葉を発した。
千景は準備しておいた【忍術】『水遁:激流』を放ち、千景が前に出した手のひらから出てきた水流が一般兵士達に襲い掛かりその衝撃によって次々と倒れていった。
5人の一般兵士達が倒れたのを見て、いつもの調子でそのまま走り出したが、王女風NPCとの距離が前に進むたびに開いていく、王女風NPCはというと、千景の後を懸命についていこうとしているが、のろのろと歩いているようにしか見えなかった。それを見かねた千景は【強化忍術】『韋駄天足』と強化系の忍術を王女風NPCにかけた。
すると王女風NPCは、早送りされた動画のように、歩くスピードが格段に上がった。
だがしかし、王女風NPCは、あまりにも早くなった速度をコントロールすることが出来ず、千景を一気に抜き去り、廊下の奥へと突っ込んでいった。
「まてまてまて、コントかよ」猛スピードで壁にぶち当たりそうになった王女風NPCを千景は、壁に当たるギリギリのところで襟首を捕まえて引き止めた。後ろの襟を掴んで動きを止めたことで、王女風NPCのドレスの背中部分が少し破れた。それを見て千景はやばいと思いすぐ手を離した。
服を少しばかり破かれた王女風NPCは「きゃあああああああ」と金切り声を上げ、しゃがみこんだ。
千景は「やばいこれが18禁規制の警告音か! なんか犬犬さんが言ってた警告音と違うけれどもだ! こういう時はサイレンブザーが鳴るとか言ってたのに!」と狼狽えた。
ゲーム内での、性的な行為や差別的な言動は厳しく禁止されていて、運営が定めているルールに違反行為として抵触する行為の度合いによって数日から数か月アカウント接続禁止処分を受けることになる。
最悪の場合はアカウントがbanされるが、これは運転免許の点数のように違反行為が積み重なって、規定されたところまで溜まるとそうなるが一発でアカウントがbanされるのは稀であり、千景が聞いた中では、一発でアカウントがbanされたケースは、アイテム増殖バグを自動ツールで操作して、そのやり方を掲示板に書き込んだという、誰が聞いてもそれはダメだろうというようなケースだった。
――勘弁してくれよ、こんなのでアカ禁なんて嫌すぎるだろ
「面倒臭い作業を増やすのが、難易度上げるってことじゃないからな運営! そういうのプレイヤーは望んでないから!」と千景は思ったことを口に出して叫び、苛立ちを吐き出してから、気をとりなおして先へ進んだ、王女風NPCは一歩、一歩、歩く動作を確認するように、そーっとそーっと歩いているが、これでは加速忍術使った意味がない、ずり落ちそうになるドレスを必死に抑えながらこっちに来た。
――これもし服が脱げて、胸とか見えたら俺、アカウント停止とかなるのかな……そうなったら理不尽すぎる、今までゲーム内でNPCがこんな風にならなかったのに、新しいクエストだからって、そういうところで変な方向に力を入れたリアリティを出すのはやめてほしい。
千景はうんざりした気分でそのまま、先をどんどん進んで行くと、さっきも出てきた、ゲーム初期のチュートリアルに出てくるような弱さの一般兵士達が多数押し寄せてきた。
それを目にした千景は、今度は右から左へ作業するかのように刀を振り、兵士たちを切り始めた、切って切って前へ進んで行った。途中、王女風NPCが「ヒッ」とか言いながら、背中の布を掴んできたが、かまわず前に進んだ。
最後の兵士の首筋を切ると血飛沫が舞う、あまりに血が勢いよく噴き出したため千景にかかった。
「生暖かい、えっ……なにこのエフェクト、気持ちわる」と後ろを振り返ると、血まみれになった廊下、肉、骨、内臓が傷口から露出している死体が散乱していた。
「うげっ…… なんだこのグロいエフェクトは、このゲーム、新しいクエストだからって力入れ過ぎだろ、ここまでリアルなグロいものを表現するようになったのか……? ありえないだろこんなグロい演出を使うとか18禁事項に抵触するとかのレベルではない。トラウマ製造機じゃないかここまでやったら。普通の人だってここまでリアルなものなんて見たくないはず、このゲームはホラーゲームじゃないんだから。そういえば、この背中の布を掴んで、ガタガタ震えながら、目を瞑っているこの王女風NPCも登場からおかしかったな……」
――全てがリアルすぎる、仮想感覚を越えた感覚
死体からむわっとした生暖かい臭気が流れてきた。それを振り払うように千景は、無意識に王女風NPCの腕を掴み走った。
「なんだこれ、なんなんだこれ、なんなんだよ、一体」死体から大分距離が離れたところで千景は立ち止まった。「はあ、はあ、はあ」と王女風NPCは肩で息をして床にへたり込んでいる。そして「い、痛いです! それに! は、は、走るのが速過ぎて、はあ、はあ、はあ」と頬を紅潮させ、白いドレスは血と汗と土埃で見るも無残にドロドロになっていた。
「だから腕が痛いんですって!」と言われた時に千景は、ハッとなった。王女風NPCの腕から、勢いよく巡る血液の流れが握っている手に伝わってきた。しかも女性キャラの肌に直接触れることが出来ている。
ゲーム内のNPCは全身の肌を、硬質な透明の膜で覆われている『鉄壁スキン』とプレイヤーの中で言われているものが存在していた。
しかしこの王女風NPCにはそれがなかった。
「だから、ねえちょっと聞いておりますか! 痛いんですって!」出会った時の涙でぐしゃぐしゃになっていた者とは思えない、興奮した声を出して千景に言ってきた。
「ああ、悪い」と千景は腕から手を離した。
リアルな感覚があるが、物凄く奇妙である。ここに存在しているのは、現実の体ではなく『倭国神奏戦華』のゲーム内キャラクターである千景というキャラクターと存在しているようであった。
ゲーム内だと思っていつも通りの感覚で使用した『水遁:激流』も『韋駄天足』も使用でき、効果もゲーム内と同じように発動した。
――よくわからない、どうしてこんなことが
考えても考えても、答えなど出るはずもない問題がぐるぐると頭の中を巡った。そしておもむろに刀を抜いて自分の手の甲に刃を当てた。
「ヒッ、何をなさるのですか?」
「ちょっと黙っててくれないか」と素っ気なく答え、今までそんな態度をとられたことがなかったのか鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
千景は気合を入れて手の甲を切ってみると、鋭い痛みが走った。
「わかってても痛いな、やっぱ……ちゃんと血が出てくるし」千景は傷口から滲んできた血を舐め、口に広がる鉄の味をうんうんと頷きながら確かめた。
「それはそうですよ……見てるだけで痛そうですもの」
――これは夢でもない、ゲームの中のことでもない、この手のズキズキする痛み、血の味も本物、全部本物、リアルな世界
千景は自分に起こっていることが、それでも俄かには信じられなかったが、今はそれを受け入れて、前に進むしかないと思った。
――とりあえずここを出て、落ち着いた場所に行ってからだ考えるのは、問題は山ほどある、だがこの体っていうのが救いだな
どうやらこの石造りの建物は、四角い螺旋を描いているような構造で、廊下の角を曲がるごとに、廊下の距離が長くなる、最初にいた部屋が、螺旋の中心点にあり、そこから、ぐるぐると回りながら、外に向かっているらしい。
千景は『天稟千里眼』で周囲の安全を確認してから、旧金髪王女風NPCだった少女に「とりあえずだ、君の名前を知っておきたい」
「わ、私の名前はエルタ・テルミ・ラフィーエと申します」
「そうか、じゃあエルタと呼ばせてもらっていいかな」
「わかりました、どうぞそうお呼びになって下さい、あ、貴方様のお名前は?」
「千景だ」
「千景様ですね、わかりました」
ふうと千景は一息吐き出して、これでもかといわんばかりの勢いで深く深呼吸した。鼻の中を流れてくる、埃臭い空気。ゲーム内との違いをまた一つ確認した。