男ノ章
『天狗の隠れ蓑』を頭から被り、透明になった千景は、来た時と同じ道を走った。
先程よりも大通りを歩く人々の数は増え、中には人間ではない者の姿も確認できた。屋根の上を走る千景には屋台の色とりどりのテントが絨毯の見本市のように見えた。
邪渇宮の入り口の近くまではものの数分で着くことが出来た。エルタを抱えていない分だけ、大分時間を短縮することが出来たということだ。
千景は朽ち果てた遺跡の柱の上に登り、見張りに付いている兵士達を確認する。兵士達は、なんの緊張感も持たず槍を小脇に抱え、それに寄りかかりながら談笑をしていた。
忍術『天稟千里眼』を発動させた。兵士達は、特に変わったところのないステータスで、邪渇宮内の罠もまだ発動も解除もされていないようであった。罠の様子を確認出来て千景はほっとした。
これで、ゴルビスが隣国のエンデラから借りた戦力がどの程度のものなのか、そいつがどのように罠への対応をするのか見ることが出来る。
千景は深く深呼吸した。緑の匂いが混じった柔らかい空気が千景の鼻腔を突き抜け肺を満たす。まだ太陽の位置は、高く、風が生暖かく穏やかな空気を千景に運んでくる。元居た世界で言うなら季節は初夏といったところだった。
邪渇宮へ向かって、丘を登ってくる者は誰もいない、エンデラの者が来るまでまだ少し時間がありそうだったので、千景は、千里眼の視線を邪渇宮の中に滑らせ、奥へ奥へと走らせる。螺旋状の廊下を一定のスピードで走り、角を曲がりまた走らせる。刀で倒れた兵士を抜け、『水遁の術』で倒れた兵士を抜け、千景がこの世界に呼ばれた部屋まで来た。
杖は死んでいる、ルルカの言葉を真に受けるのなら、この建物の中には今、危険はないはず、天稟千里眼の視界だけを建物の中に移動させる。滑るように移動する視界が死んでいる兵士達を捉えた時、千景の心はひどく傷んだ、自分が生きるためとはいえ、自分が殺してしまったという事実を再確認してしまったからだった。それでも千景は奥歯を食いしばりながら視界を前に進めた。
ルルカの言ったことは事実であったようで、部屋の内部は、倒れた黄金の燭台と魔法陣が残っているだけで、危険を感じさせるような物は、何もなかった。
少しだけ喉が渇いた、太陽がジリジリと千景を照りつける。ゆったりとした時間が流れる中世の世界の風景は、千景の緊張感を少しずつ緩め、自分がゲーム内でノブナガを倒したのは深夜だったことを思い出した。太陽の光がこうも明るいと、眠気を感じることはなかったが、こういう場合は時差ボケ、転移差ボケどっちなのだろうかとか、そもそもこっちの世界も二十四時間で時間は進んでいるのかとか下らないことが、ふつふつと頭の中から湧いてくる。
そんな取り止めの無いことを考えていると、黒い頭巾を頭からすっぽりと被った大柄な男が、丘を登ってくるのが見えた。
一人だけか……周りには、他に見当たらない、詳細なステータスを確認する、職業:暗殺者、種族:人間、レベル:22、兵士長やゴルビスの倍以上のステータスの違いがある。
これはゴルビスが頼りにするわけだ、ゴルビスと一緒にいた兵士長と兵士達の一団が束になって戦えばいい勝負になるってところかレベル的に考えれば、これが隣国の王の側にいて、ゴルビスに力を貸した者か……そうか……少しだけ千景の中に喜びの感情が生まれたが、すぐに諫めた。
千景は『倭国神奏戦華』内でのレベルは、カンストの150であり、天音も同様で、あのレベルの暗殺者なら、瞬殺出来る強さを持っている。
自分との戦力差が、思った以上に開いていることがわかり、安堵したと同時に俄然やる気が出てきた。
黒い頭巾を被った男は、静かに邪渇宮の側にいる兵士達の近くに歩みより、二言三言話して、そのまま入口から中へと入っていった。
その様子を千景は、視界だけで、追いかける。
男と罠スキル『虚宮虚実』までの距離が、縮まっていく、千景から見られていることがわかっている様子もなく、感知スキルを使っている形跡もない、ただ一定の速度で歩いていた男の速度が少しだけ落ち、そして罠スキルの範囲に入る前に歩みを止めた。
罠がバレたか?
千景は、男の様子を注意深く観察する。男は腰につけた袋から、何かを取り出し、前に向けた。すると、男の手にある何かが、暗い廊下を明るく照らした。そしてすぐさま先程と同じ一定の速度でまた歩き出した。
あれは、単純に、ランプや松明の灯りの代わり物か?
男と罠スキルまでの距離が、残り五歩、千景はカウントダウンを始める、三……二……一、零、その瞬間、男はあっけなく罠に落ちた。千景の口角が、男のその姿を見て、クイッと上がった。




